【訃報】長谷川一郎 東亜天文学会元会長

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彗星・小惑星といった太陽系小天体の軌道計算や天体力学、古代天文史の研究者で理学博士の長谷川一郎さんが、5月1日に88歳で永眠されました。

【2016年5月23日 アストロアーツ】

5月1日に亡くなった長谷川一郎さんは、東亜天文学会の会長などを歴任され、後進の指導にも熱心に携わっておられました。長谷川さんのご冥福をお祈りするとともに、以下に、中野主一さんに寄稿いただいた追悼文を紹介します。


【追悼】長谷川一郎先生を送る

天体力学や考古学、古代天文史の権威であった長谷川一郎先生が2016年5月1日に亡くなられた。享年88。先生は、大阪西教会の牧師さんであった長谷川計太郎氏の長男として、1928年1月23日兵庫県西宮市で生まれた。1932年に洗礼を受けられている。その後、神戸の湊川教会(現、須磨月見山教会)に引越し、そこで1965年まで青年期を過ごされ、1960年にご結婚。奈良西大寺に1988年までおられ、その後、神戸西区へ転居されてからはずっとそこにお住まいになっていた。今年4月26日に内視鏡による手術を受けられ、術後は「まだまだ、生きられる」と力強く話されお元気であった。しかし、その後に様態が急変し、5月1日午前2時10分に亡くなられた。

先生は、1976年に「長周期彗星の遠日点分布」の研究で、京都大学より理学博士の学位を受けられた。また、後進の指導にも熱心な先生であった。特に手紙については、必ず返信を出されるほど、すべての方に公平な指導をされた。さらに小さな会合にも進んで出席するなど、若い方の指導に熱心な大先生であった。そのおかげもあって多くの後進が育った。執筆された書籍には『星空のトラベラー(1975年 誠文堂新光社)』『天文計算入門(1978年 恒星社厚生閣)』『彗星カタログブック(1982年 河出書房新社)』『天体軌道論(1983年 恒星社厚生閣)』『ハレー彗星物語(1984年 恒星社厚生閣)』などがある。特に最後の書籍は、先生の集められた多くの資料をもとにハレー彗星の紀元前の出現からその状況がくわしく解説されている大作である。

また、研究論文も多数発表されている。私との共著でも『Periodic Comets Found in Historical Records (1995)』『Possible Kreutz Sungrazing Comets Found in Historical Records (2001)』『Orbit of Periodic Comet 153P/Ikeya-Zhang (2003)』などがある。

特筆すべきことは、これらの書籍・論文とは別に1969年から約10年間、軌道計算を志す同好者に先生独特の細かな字で手書きの「天体軌道論」を配布されたことだ。当時は普通紙コピーが普及しておらず、湿式のジアゾ式複写機による配布であった。今、それを重ねてみると厚みが12cmにもなる大作である。また先生は、山本速報の編集者、東亜天文学会(OAA)計算課長、OAA会長を歴任された。

新しい資料を収集することにも熱心で、1984年に運用を始めたパソコン通信OAA/CSにも、開設当初からアクセスされて、亡くなる間際まで「きみの計算しか採用しなくなったよ」と話されながら、毎月ご自身の彗星の軌道リストを更新されていた。いずれにしろ私にとっては、知らないことのない天体の軌道計算の大家、まさに大先生であった。

先生の前夜式と葬儀は、先生が青年期に過ごされた須磨月見山教会で行われた。私はその両方の式に出席させていただいたが、キリスト教でのいい葬儀であった。大先生には軌道論以外にも、社会論、人生論、いろんなことを教えてもらった。私にとって、父親以上の人生の師でもあった。ご冥福をお祈りします。

2016年5月19日 中野主一(天文電報中央局アソシエイツ)


長谷川一郎さん
長谷川一郎さん。2005年11月20日の古川麒一郎さんの喜寿を祝う会にて(撮影:星ナビ編集部)

2014年、彗星会議での長谷川一郎さん
長谷川一郎さん。第44回 彗星会議 in 松山(2014年)にて(提供:門田健一)