旧五島プラネタリウム投影機の還暦と展示保存実行委員会の解散
【2017年6月15日 旧五島プラネタリウム投影機展示保存実行委員会】
報告:齊藤美和さん(旧五島プラネタリウム投影機展示保存実行委員会)
(「星ナビ」2017年6月号掲載記事)
2017年4月6日、渋谷区文化総合センター大和田に展示されている古い大きなプラネタリウム投影機の前で、私たち旧五島プラネタリウム投影機展示保存実行委員会の最後の大きな仕事、解散セレモニーが行われた。この日の投影機は大きな赤い蝶ネクタイをつけてちょっとお洒落な姿をしていた。長く渋谷の地で働いている彼へ感謝の気持ちと、これからも永く「元気な」姿を見せ続けて欲しいという願いから、「還暦を祝おう」と贈られたものである。
五島プラネタリウムが1957年4月に開館してこの春で60年。東急文化会館の8階に五島プラネタリウムがあった。今は「ヒカリエ」となっている場所である。その直径20mのドームの中で2001年3月に閉館するまでの44年間、1500万人を超える人々に美しい星空を映して見せてくれたのがこの投影機で、プラネタリウムを発明したドイツのカールツァイス社製のIV型第1号機だ。今は明るい日差しが差し込む窓の近くで第二の人生を送っている。昼間は太陽の光、夜は他の星々の光を浴びながら、ビルを利用する人々にその歴史を語り続けている。
投影機は五島プラネタリウム閉館時に解体され、渋谷区へ寄贈された。2010年5月、渋谷区の新プラネタリウム施設に投影機を展示・保存するために有志による旧五島プラネタリウム投影機展示保存実行委員会が発足、投影機を組み立て展示・保存するための募金活動を始めた。「戦災で焼失したものに次ぐ、東京では2台目のプラネタリウム」「この投影機により、多くの施設が全国にでき、解説者も育った」重要な歴史を持つ投影機であるということに賛同くださった249名の個人と13団体もの多くの方々から寄付金が集まり、2010年11月、投影機の展示・保存を実施することができた。
その後も、実行委員会は渋谷区と協力しながら定期的に投影機の清掃や展示パネルの制作・交換などを行ってきたが、この春、投影機の「還暦」を節目に、役目を終えて解散することとなった。解散にあたり、当初想定していたよりも投影機組み立て設置経費が少なく済んだために生じた残金を、国立天文台の「プラネタリウム・科学館等に関連した天文学の普及・発展に寄与する活動」へ寄付することとした。
セレモニーでは、日江井榮二郎実行委員長が「本日は、還暦を祝う日、実行委員会を閉じる日、こよなくこのプラネタリウムを愛した多くの人々の温かい遺志の伝達の日と、三つの重なった集いです。想い出は身に残りつつも、このプラネタリウム投影機の前途が輝かしき時を迎えることを念じています」と挨拶をして、国立天文台を代表して参加された渡部潤一副台長へ目録を手渡した。
筆者も今はプラネタリウムで解説をしているが、投影終了後に「若い頃はよく渋谷のプラネタリウムへ行ったんです」と声をかけてくださるお客様と投影機の思い出話をすることも多い。この投影機で天文に親しんだ多くの人が、今度は普及する側になって、さらにその人々から影響を受けてたくさんの人が新しい活動を始めている。どこかのプラネタリウムで知った星を友達と一緒に見る、親が子に教える、それだけだとしても、この投影機がした仕事とつながっているのかもしれない。
これまで、天文雑誌「星ナビ」誌上や、アストロアーツWebニュースなどで、募金の呼びかけや投影機組の展示設置を報告してきましたが、このレポートが最後の報告になります。最後になりましたが、この投影機を愛し、実行委員会の活動を支援してくださったすべてての皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
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