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2005年火星大接近

火星観測の歴史

眼視観測の時代1

ホイヘンスのスケッチ

 1609年に望遠鏡を製作したイタリアのガリレイは、1610年末に友人のカステリに「私は火星の満ち欠けを見たと思う。火星像は完全な円形ではないように見えた」と書いていたそうですが、多分これが最初の火星観測の記録でしょう。しかし、口径が小さく、倍率の低いガリレイの望遠鏡では火星の模様を発見することはできなかったようです。それは同じ頃に観測を始めたといわれているマリウスやハリオットらも同じだったようです。

 1636年になって、フォンターナによって、火星表面に模様らしきものがあることが発見され、1644年12月には、バルトリが火星面に2個の斑点状の模様を見ています。バルトリはその2つの斑点状のもようが時間とともに動いていることから、火星が自転していることを示唆しました。この頃の観測者には、リチオリ、へベリウス、ホイヘンスなどが有名ですが、ホイヘンスは1659年11月に、記念すべき最初の火星スケッチを残しました。

写真:ホイヘンスのスケッチ

 これには、逆三角形をした模様(おそらく火星表面で最も目立つ大シルチス)が、描かれています。そして、この模様の動きを観測したホイヘンスは、火星の自転周期を約24時間と求めています。

 1666年には、イタリアのカッシーニも空中望遠鏡で火星を観測し、その自転周期を約24時間40分と求めるとともに、火星の極地方に白い斑点(極冠)があることを発見しました。また、イギリスではフック、フラムスチードなどが、火星の観測を行っていました。中でも、フックは火星面の模様が季節によって変化することを発見しています。

 1700年代はいると、ドロンドによる『色消しレンズの発明』や、ニュートンによる『反射望遠鏡の発明』など、その後の天文観測に大きな影響を与える大発明があいつぎ、それによって火星の観測も急速に発展しました。イギリスの宮廷天文官ハーシュルによって火星極冠が季節によってその大きさを変えることが発見されています。この頃には、イタリアのビアンキニやフランスのラランド、メシエ、バイなど、当代きっての一流観測者連が火星観測に熱中していたようです。

眼視観測の時代2

スキヤパレリの平行線

 19世紀に入ると、ドイツの銀行家ベアと、その家庭教師であったメドレルの2人によって、1830年からの観測をまとめた、世界初の経緯度線入りの詳細な火星図が作成され、1840年に発表されました。口径8センチの屈折望遠鏡の観測から作成されたこの火星図には、現在知られている主な火星面の模様は全て網羅されていました。

 さて、火星面に線条の暗色模様があることは、1862年ころから、ドーズ、ロッキヤー、プロクターなどによって観測されていました。ドーズは、1864年に奇妙なすじを10本も確認していましたし、1867年にプロクターが発表した火星図にも線条模様のいくつかが描かれています。なお、この火星図は世界で初めて模様に名前の付けられた(火星研究に功績のあった学者の名前を付した)記念すべきものとなっています。

 1877年9月の大接近のとき、アメリカのワシントン海軍天文台のホールは、口径65センチの望遠鏡を使って、8月11日にフォボス、17日にダイモスという小さな2つの衛星を発見しました。

 一方イタリアでは、ミラノ天文台の台長スキヤパレリが、一大センセーションを巻き起こしました。有名な『火星運河』の発見です。

写真:スキヤパレリの平行線

 スキヤパレリは、口径22センチ屈折望遠鏡で観測を行い、たくさんの線条模様がその表面を走っているのを発見、続く1879年と1881年の観測と合わせ、それらの線条模様の多くは、季節によって二本の並行した線に分裂すると発表しました。スキヤパレリはそれらの線条模様をカナリ(Canali:イタリア語で溝あるいは水路の意)と名付けましたが、それが英語の運河(Canal)と誤訳されて伝わってしまったため、世間は大騒ぎになりました。

 これが、その後の、ローウェル、ダグラス、スライファー兄弟、アントニアツジ、ヘールなど、世界の大観測者を巻き込んだ『火星運河大論争』の発端となりました。

眼視観測の時代3

ローウェルの火星儀

 運河肯定派は、ローウェル、ダグラス、スライファー兄弟、トムボー(冥王星の発見者)、カペン、リチャードスン、プチなどですが、ローウェルは「運河は、極冠が溶けて出来た水を送るために、『火星人』が作った地下水道の両側に繁殖する植物地帯が見えているものだ」とし、「運河と運河の交点にはオアシスと呼ばれる小斑点が観測されるが、ここには超高馬力のポンプがあって、水洗をコントロールしているのだ」と主張しました。

写真:ローウェルの火星儀

 一方、運河否定派は、アントニアッジ、ヘール、バーナード、ピース、カイパーなどで、アントニアッジは、「大望遠鏡でシーイングの良い時に見た火星面には、大小さまざまな小暗斑があり、それらが小望遠鏡や悪シーイングの時に線条に連なって見えているにすぎない」と主張しました。

 これに対し、E. C. スライファーは、「ローウェル派の運河は最高のシーイングの時にこそ見えるものであって、シーイングが悪いときに斑点の群が線に見誤られるなどという説は全く問題にならない」と反論しています。

 さて、このような肯定派、否定派の他にも、さまざまな観測者が火星面を見ています。アメリカのピッカリングもその一人です。ピッカリングは1913年に火星観測者同盟を創設し国際協力を推進した功績を持つ有名な観測者ですが、彼によれば、「運河は確かに存在しているが、その多くはローウェルたちが言うような細いものでも直線的なものでもなく、幅広いなだらかな曲線を描いており、極冠が溶けてできた水蒸気団が地表を湿らせながら移動して行った痕跡が運河に見えるのだ。地球上の台風なども自転の影響を受けてカープするが、火星でも同じことが起こるはずであり、運河のカープはそのせい」だとしています。

写真観測のはじまり

ピク・デュ・ミディ天文台が捉えた火星

 19世紀の終りころからは、写真による惑星面の撮影が行われるようになりました。そして、その後ローウェル天文台やピク・デュ・ミディ天文台をはじめ各国の天文台で撮影された火星の写真には、かなりの数の運河様の模様が写っていました。しかし、それがローウェル流の運河なのかアントニアッジの言う斑点模様なのかは、写真からは判断することができませんでした。

写真:ピク・デュ・ミディ天文台が捉えた火星

 こうして、火星運河と火星人の存在に関する白熱した議論は世界中に広がり、科学者だけでなく宗教家や哲学者、そして一般人をも巻き込む大論争に発展していったのです。

火星探査第一期黄金時代へ

マリナー(Mariner)4号が捉えた火星面

バイキング(Viking)1号が捉えたユートピア平原

 1965年7月15日、アメリカの火星探査機「マリナー(Mariner)4号」が火星に接近し、火星面の詳細な写真を送ってきました。その写真には月と同様なクレーターがいくつも写し出されており、世界中の人を驚かせました。

写真上:マリナー(Mariner)4号が捉えた火星面

 続いて打ち上げられたマリナー6号、7号、9号により、火星のようすはさらに良く分かってきました。巨大な火山(オリンポス山)も大峡谷(マリネリス峡谷)も、このとき発見されました。さらにそれ以後も、米・ソの探査機が次々と火星に接近し、その写真を送ってきました。写真の解像度は、探査のたびに飛躍的に向上していきましたが、残念ながら運河も、火星に生物が存在するという証拠も得ることはできませんでした。

 1971年5月に打ち上げられた旧ソ連の火星探査機マルス3号は、12月には火星を周回する軌道にはいり、着陸船を投下しました。着陸船はパラシュート降下しつつ火星大気の気圧や気温を測定、高度20キロメートルの気温が110K、気圧0.3ヘクトパスカルという測定結果が得られていますが、着陸後に故障したため、それ以上のことは分かっていません。

 1976年7月20日、アメリカの火星着陸船「バイキング(Viking)1号」が、火星のクリュセ平原(北緯22° 西経48°)に軟着陸しました。

写真下:バイキング(Viking)1号が捉えたユートピア平原

 さらに、2カ月後の9月3日には、「バイキング2号」がユートピア平原(北緯48°  西経226°)に軟着陸したのです。バイキングは火星表面の詳細な写真を送ってきました。しかし、その写真にも赤茶けた砂と岩石で覆われた荒涼とした砂漠が写っているだけでした。

 バイキング探査船には2台のビジコンカメラ、赤外スベクトロメータ、重力スペクトロメータ、気圧・気温センサ、線蛍光スペクトロメータなど最新の観測機材が搭載されていましたが、最も興味深く注目されていたのは、3種類の生命検出装置でした。しかし、微生物すら発見できず、やはり生物の存在を証明することはできなかったのです。

 火星生物(火星人であるということではない)の存在を主我する科学者カール・セーガン(故人)らは、「地球の砂漠にも微生物は存在するし、南極や北極にも同様である。写真にそれと分かるような物が写らなかったからといって、火星生物が存在しない証拠にはならない」と主張しました。

 火星探査の歴史はその後、しばしの休養状態に入ります。火星への探査機はいくつも計画されましたが、計画の中止や失敗により、火星に探査機が到達したことはありません。

火星探査第二期黄金時代へ

マーズ・グローバル・サーベイヤーが捉えた人面岩の高解像度画像

オポチュニティが捉えた着陸地点

 バイキングの火星着陸から20年を経て、火星探査は第二期黄金時代を迎えます。まずは1996年にアメリカの火星探査機「マーズ・グローバルサーベイヤー」と「マーズ・パスファインダー」が打ち上げられました。

写真上:マーズ・グローバル・サーベイヤーが捉えた人面岩の高解像度画像

 1998年には日本初の火星探査機「のぞみ」が、そして、2001年には「2001マーズ・オデッセイ」が、2003年には火星探査車を搭載した2機の探査機「スピリット」と「オポチュニティ」が相次いで打ち上げられています。欧州宇宙機関(ESA)も2003年にヨーロッパ初の火星探査装置「ビーグル2」を搭載した探査機「マーズ・エクスプレス」を打ち上げています。

 なお、「のぞみ」は、2002年4月に起きた太陽面爆発の影響で主エンジンの制御系統にトラブルが発生、修復できぬまま12月に火星周回軌道への投入が断念されました。また欧州宇宙機関の「ビーグル2」も2003年12月に火星面への軟着陸を確認できないまま失われてしまいました。

 これらの火星探査機による観測や写真から、火星の詳細な地図がつくられました。2004年には「オポチュニティ」が火星表面岩石から硫酸塩を検出し、かつて火星表面に大量の水があったことの証拠とされました。

写真下:オポチュニティが捉えた着陸地点

 さらに、火星の地下には現在もなお大量の水が存在しているという証拠も見つかっています。

地球上の隕石から見つかった火星生命の痕跡?

火星隕石『ALH84001』と小さな生き物のような化石 1996年の夏にNASAにより火星生命に関するセンセーショナルな発表がなされました。1984年に南極のアランヒルズで発見された『ALH84001』呼ばれる重さ2キロほどの隕石は、バイキング探査機が調べた火星大気と同じものを含んでおり、火星からきた隕石であると分かっているが、この隕石を調べた結果、

  1. 「PAH」と呼ばれる生命の存在によって生成される物質が存在したこと
  2. 特定のバクテリアが残す「磁鉄鉱」が見つかったこと
  3. 小さな生き物のような化石が見つかったこと

写真:火星隕石『ALH84001』と小さな生き物のような化石

をあげ「この3つが同じ場所で見つかった以上、生物がいたと考えるのが自然である」と発表されたのです。

 その後、これが本当に火星生物の痕跡であるのかないのか激しい議論が続いています。2000年には、隕石中に見られた磁鉄鉱の結晶が、地球に存在するバクテリアが生成するものと酷似していることが発見され、火星生物の存在の可能性が高まりました。ところが、その後、生物が関与せずとも、同じような磁鉄鉱結晶の生成ができ、その特徴まで再現できることが発見され、生物の痕跡断言することはできないとする意見も発表されています。もちろん、火星生物の痕跡を主張する研究チームは、実験結果ではすべての特徴を説明できないとして、あくまでも生物起源説を主張しています。

まだまだ続く火星論争

 火星生命の痕跡論争は、将来火星からの岩石サンプルが直接地球に送り届けられるまで続いていくことになるでしょう。さて、運河論争の方はどうでしょう? バイキング撮影した火星の地表写真には、運河らしきものはとらえられていませんでした。かわりに、無数のクレーターが写し出されていたのです。また、地上からの観測から運河とされていた模様の一部は、これらの写真では峡谷として写し出されていました。しかし、地上からの観測ではっきりと認められる模様の全てが何等かの地形として写し出されていたかといえば、決してそうではないのです。

 黒々とした模様に見えるところに、対応するそれらしき地形が存在しない写真のほうが多いのです。それは、より高解像度の画像が豊富に得られた現在に至っても大きく変わっていません。

 また、火星には「大黄雲」と呼ぼれる火星全体の模様を覆い隠してしまうほどの巨大砂嵐の発生や、朝霧の発生、模様の濃淡の変化なども観測されていますが、これらのメカニズムに関してもまだはっきりとは分かっていません。探査機がそこまで行き、軟着陸したローバーが直接調べた火星面ですが、まだまだ解明されていない謎も多いのです。

 火星探査のミッションは今も続けられており、火星に関する新しい発見や謎の解明が期待されています。いつの日か、これらの問題に答えが出されるときがくることでしょう。それまでは、地上から見える火星を眺めつつ、遥か19世紀に始まった「運河一火星人論争」に思いを馳せてみるのも楽しいでしょう。

日本や海外の宇宙開発、探査を紹介した「スペースガイド 宇宙年鑑2005」

スペースガイド宇宙年鑑2005 「スペースガイド 宇宙年鑑2005」は宇宙開発・科学探査の全体像を網羅した日本で唯一の年度版ムックです。

 今号は特集ページで火星に着陸したNASAの2機のローバー「スピリット」「オポチュニティ」が送ってきた火星の世界を豊富なカラー写真を使って紹介しています。

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