●絶叫!モザンビーク海峡編(その1)


 

A巻さん、空港で連行?

 下見旅5日目。南アフリカのヨハネスブルグで一晩トランジットの後、マダガスカル航空のジェットで、マダガスカルの首都、アンタナナリボに降り立った。時刻はもう正午過ぎである。すでにビザは日本の大使館で取ってあるので、イミグレーションにいる係官にパスポートを差し出す。にこやかに「ボンジュール」と彼がいう。マダガスカルはフランス語圏なのだ。小生もにこやかに「ボンジュール」という。ちなみに、小生はボンジュールとメルシーくらいしかフランス語は知らない。彼は、ポンっとはんこを押してパスポートを返してくれた。一応、にこやかに「メルシー」といって、無事入国だ。

 預け荷物を引き取り、税関まで行くと、A巻さんがなにやら係官とやり合っている。と思うや否や、係官ふたりに両脇を固められ、「なんだか、よくわかんないけど、ちょっと行って来る」と言い残してどこかに連れて行かれてしまった。「いきなりかぁ、前途多難だなぁ」と、空港の出口で立ちすくんでいると、「日通さんですか」と流暢な日本語が聞こえてきた。振り向くと、やや小柄な青年がにこやかに立っていた。

 彼の名は、ムッシュ・ジョゼ。マダガスカル人だが、たいへん日本語が上手である。ボキャブラリーも豊富で、ふつうに世間話をするくらいなら、何の問題もなく意志が伝わるほど。コーディネータ兼通訳として、小生たちの下見旅のサポートしてくれるようだ。

 A巻さんの安否を気遣いながらしばらく待っていると、ほどなく「まいったよー」とA巻さんが帰ってきた。A巻さんは、旅行トランクの中にきわめてジャパニーズな珍味とかカップ麺とかを携帯していたようで、その中のソーセージが引っかかったらしい。マダガスカルは、肉類が検疫のために全面的に持ち込み禁止なのだという。ところが、A巻さんの持っていたのは、いわゆる魚肉ソーセージ。牛や豚じゃないということで、無罪放免となったらしい。

 さて、ふたりそろったところで、ムッシュ・ジョゼが「では行きましょう」といった。用意されたやや古めのワゴン車に乗り込み、空港を後にしてアンタナナリボの市街地に向かうが、車の行く手はかなり荒れている舗装路面。道の両側に並ぶレンガ造りの民家もちょっとガレ気味。道も妙に細く、「ここはほんとに首都なんでしょうか?」と、心配になる。道中、今日の予定の確認。A巻さんが、アンタナナリボ市内にあるホテルをいくつか見たいという。

 市内の道は舗装だったり、味のある石畳だったり、土だったり、という感じ。民家の造りはどちらかというとフランスよりはオランダの山間調(行ったことがないので単なるイメージ)である。とはいえ、住人の多くがマレー系の民族のようで、露店などもあってかなりアジアンな雰囲気。「なんかヨーロッパの洒落た風景にマカオの喧噪を混ぜた感じだなあ」とA巻さん。うーん、たしかに。

 さて、ホテルを立て続けに何件か下見する。これは、A巻さんのお仕事で、小生はお供するだけ。とはいえ、何件か見る中で、フランス人オーナーの経営するホテルが妙に気に入ってしまった。「ここ泊まりたいっすねえ」というと、ムッシュ・ジョゼが「では、帰りに手配しましょう」という。今夜とマダガスカル最終日にアンタナナリボで一泊づつ宿泊することになっていたのだが、A巻さんも「ま、いいでしょう」と帰りの一泊をこのホテルにすることになった。

タナ市街

アンタナナリボ市街

 ところで、今宵の宿泊は、ヒルトンホテル。アンタナナリボ市内でも、ひときわ高層建築なホテルである。ホテルにチェックインし、さらにフロントで小銭の米ドルを現地通貨のマダガスカル・フランに両替するのを手伝ってもらった後、ムッシュ・ジョゼは「では、また明日」と帰っていった。ちなみに1円が58マダガスカルフランだった。

 ホテルの部屋は清潔で、バス、トイレ、テレビ、ミニバー完備。なかなか充実している。しかも、やっぱりバスタブ付きである。この付近の人たちは、根本的にバスタブが好きな生活習慣なのかもしれない。

 おきまりの聖書の入った机には、なんと通信用のファクスモデム用のポートもあった。ジャックは、日本と同じRJのジャックだ。ということで、ノートパソコンを広げてモジュラージャックを突っ込んでみる。まずは、小生が契約しているプロバイダが相互乗り入れしているマダガスカルのプロバイダにつなぐ。実は、出発前に何も調べておかなかったので、ジンバブエでアクセスできるプロバイダがないことが現地で判明するという情けない事態が発生していた。そこで、南アフリカのトランジット中に一度インターネットに接続して、きっちり調べておいたのだ。

 あっけなく接続されて、小生宛のメールが届く。ほんとに電話線があれば、世界中で簡単に、しかもお安く連絡が取れる時代になったモノである。ただし、アンタナナリボでの通信速度は、9600bps止まりだった。ちなみに電源コンセントは丸ピン2本のCタイプ(おそらく)、220ボルト(たぶん)。ついでにテレビはPALだった(こちらもたぶん)。

 日も暮れて、A巻さんとホテルのイタリアンレストランで軽く食事をした後、部屋に戻って馬柄のスリーホースビールを一本、ウググと飲んで就寝。

小さすぎっ!ああ、モロンベ空港

 下見旅6日目。早朝、ムッシュ・ジョゼが迎えにやってきた。今日は、ここから皆既帯の通るモロンベまで移動する予定なのだ。モロンベはマダガスカルの南西の海岸に位置する都市で、モザンビーク海峡を望む海岸線にある。

 早朝のアンタナナリボは、よい天気だがかなり冷え込んでいて、吐く息も白いほど。もっともこれは、アンタナナリボの標高が高いからだろう。これから向かうモロンベは海岸なので、それほど寒くはないはずだ。とりあえず、薄手のゴアジャケットを着込んだ。

 まずはワゴン車で、昨日と同じ空港に向かう。アンタナナリボの空港は、国際線と国内線が一緒になっているのだ。ワゴン車にはもう一人、マダガスカル人の青年が乗り込んでいた。名前は、ムッシュ・テオ。日本語は話せないが、ツアーの手配などが仕事で、今回、一緒に現地での交渉ごとに参加してくれるということらしい。

 空港に着くと、まずはマダガスカル航空のカウンターでモロンベ行きの飛行機のチェックインを済ませ、荷物をカウンターに預けた。さらに待合室まで行こうとすると、なぜかヒゲを生やしたでかいオヤジさんが立ちはだかり、背負っていたカメラバッグをむしり取られ、再びカウンターまで持って行かれてしまったのだ。どうやら、機内に持ち込むことを許可されている手荷物の重さを越えているというのである。

 そこで、ムッシュ・ジョゼと一緒にバッグを開けて、「ほーら、ぜーんぶカメラなんですよ、高級品なんですよ、壊れたら大変なんですよ、あなたに預けて壊れちゃったら弁償してくれるんでしょうねっ、ねっ、ねっ」と詰め寄ると、あっさり、「持ち込んでもよろしい」ということになった。まあ、だいたいの航空会社は、この交渉で問題なく解決する。場合によっては「キャビンOK」のステッカーなどを張ってくれたりする親切な航空会社もあるくらいだ。ほかには、重くてもいかにも「軽いんですよー」と、いわんばかりの軽快なステップで係員の目をごまかす演技も効果的である。ちなみに、ここではX線の検査はなかった。

ツインオッター

モロンベに向かうツインオッター

 待合室で待機することしばし、定刻通りに飛行機が飛ぶことになった。飛行機はそれほど新しい機体ではない20人乗りの双発プロペラ機、ツインオッターだ。乗客が乗り込むといかにも一応同乗していますよ的な客室乗務員が、新聞を配ってくれたが、フランス語なので読めるはずもない。が、何かしていないと寂しいので、とりあえず紙面を眺めてみる。・・やっぱり、すぐ飽きた。

 離陸後、モランダバという小さな空港を経由して、いよいよモロンベへと入るわけだが、モランダバでのトランジットを入れても所要時間は正味2時間半程度である。ということで、ちょい古のツインオッターは何のトラブルもなく、モロンベの空港に着陸した。

 空港といっても、滑走路と日本の街中にある公園のトイレのような箱形のコンクリートの小さな建物と草で屋根を葺いた日陰になるベンチ、それから吹き流しが一本があるだけ。滑走路には誘導灯もないのだ。ここまで何もないところも、そうはないだろう。後になって判明したのだが、モロンベは、電話も通じていない。電気も市内で時間を限って発電しているようだった。

モロンベ空港

モロンベ空港ターミナル・・(え、これだけ?)

 さて、空港に降り立つと、なんとそこにはモロンベの市長さんがいた。というのは、小生たちを出迎えてくれた・・訳ではなくて、折り返しアンタナナリボに戻る飛行機乗るのだそうである。とはいえ、「来年、日本人がやってくるけん、よろしゅーね」という(もちろん、ムッシュ・ジョゼの通訳で)と、ムッシュ・市長は「よっしゃ、よっしゃ」といった(たぶん)。

 

以下、「絶叫!モザンビーク海峡編(その2)」に続く

 

 

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▲ 2001年6月21日 アフリカ南部皆既日食


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