天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2006年7月5日発売「星ナビ」8月号に掲載

たて座新星 2005 (Nova Scuti 2005=V476 Scuti)

9月下旬からの晴天がまだ続いていた10月1日夜は、22時20分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の午後の14時17分に中央局のダン(ダニエル・グリーン)から一通のメイルが届いていました。そこには「北九州の高尾明氏が9月30日にたて座を撮影した捜索フレームに10等級の新星状天体を発見した。この星のイメージは、すでにASAS3の捜索フレーム上にも9月28日と10月1日に捉えられている。しかし、9月28日には、まだ13等級であったので少しの疑問があった。位置観測と暗い星まで写ったフレームとの比較、スペクトル観測が欲しい。誰かに確認を依頼してくれ。出現位置は次のとおりだ」というメイルと高尾氏の概測位置が送られてきていました。ダンのこのメイルは、マウント・ジョンのギルモア夫妻をはじめ何ヶ所かにも送られていました。

ところで、この新星状天体はすでに中央局の未確認天体の確認用のWebページに掲げられていたようです。そのページを見た上尾の門田健一氏から19時36分にすでに確認観測が届いていました。氏のメイルには「以下の天体を観測しましたので報告します。12フレーム撮影して、全てに存在します。5分間で移動は見られませんでした。雲間の観測で、すぐ曇ってしまいました。観測は25-cm/f5.0反射+CCD、ノーフィルター、位置測定カタログはGSC-ACT、光度はTycho-2カタログのV等級です」というメイルとともに新星状天体の出現位置と光度が報告されていました。門田氏の観測は10月1日18時20分に行われたもので、新星状天体の光度は9.9等と、約21時間前に行われた高尾氏の発見より0.5等級ほど明るくなっているようです。『何だ。もう確認観測が終わっちゃった……』と思いながらそれを見ました。

とにかく、ダンのメイルを上尾・八ヶ岳・秦野に22時29分に転送して、門田氏の確認観測をダンに伝えました。22時38分のことです。ダンは、その夜の2日00時23分到着のIAUC 8607で、この新星の発見を公表しました。そこには、豊橋の長谷田勝美氏が9月30日の捜索フィルム上にこの新星を見つけていること、門田氏とほぼ同時刻の1日18時25分にギルモア夫妻がこの新星を光度が10.0等と観測していることが報告されていました。

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超新星 SN 2005gl in NGC 266

10月12日の夜は22時55分にオフィスに出向いてきました。この夜は、10月7日から続いていた曇天がようやく回復し空は良く晴れていました。コーヒーを入れて仕事を始めようとすると、23時43分に名寄の佐野康男氏から一通のメイルが届きます。そこには「10月12日夜、22時45分に28-cm/f6.1シュミットでうお座にある系外銀河NGC 266を45秒露光で撮影した捜索フレーム上に16.7等の超新星状天体を発見しました。その後の35分間の追跡では移動は認められません。一週間前の10月5日に行った捜索フレーム上、およびDSS上にはその姿が見られません」と超新星の発見が報告されていました。氏のメイルには新星状天体の出現位置と銀河中心の測定位置とその離角が書かれてありました。ただし、離角にはちょっとしたミスがあるようでした。氏は発見後に30枚の画像を撮影してその移動がないことを確認したようです。しかし、氏のメイルを見て極限等級が書かれてないことに気づき、すぐ氏に電話を入れました。氏によると「10月5日の極限等級は18等級、発見日のそれは17.5等級」とのことでした。

さっそく佐野氏の発見報告をダンに送りました。10月13日00時08分のことです。このメイルはその確認用に八ヶ岳と上尾にも転送しました。そのとき、ダンからは、来年(2006年)のICQ Comet Handbook(HICQ)に掲載する彗星のリスト(第1便)が10月12日03時39分に届いていました。そこで、それを受け取ったことも知らせておきました。すると、00時17分に上尾の門田健一氏から「上尾は曇天です。もうしばらく待ってみますが、今夜の観測は無理そうです」という連絡が入ります。ということは、東日本での確認は危ないかもしれません。そのため、ここは、すでに天候が回復していることを考えて、00時17分により西にある美星の浅見敦夫氏にダンへの発見報告と『今夜は当番ですか? 晴れていればこれを見てください』という連絡をつけて送っておきました。

しかし、八ヶ岳には西からの晴天がすでに到着していたようです。00時30分に、八ヶ岳の串田麗樹さんから「確認できた」という電話があります。女史は、結果をFAXで送るということでした。そのFAXは00時43分に届きます。そこには「超新星の出現位置と銀河中心の位置の測定とその光度が17.0等である」ことが報告されていました。最後に「撮影直後に全天曇りました。ラッキーでした」と書かれてありました。もちろん、麗樹さんの確認は00時47分にダンに知らせました。これで今夜の作業が終ったことになります。あとは明日の夜、もう一夜この超新星を確認すればそれでOkayとなります。

そう思って、ダンから送られてきたHICQ 2006用の彗星の中で、軌道の再計算が必要なものを調べ始めました。今年の編集作業は急がねばなりません。というのは、スミソニアン機構からハーバード・スミソニアン天体物理学センターに、この8月に新任の天文台長が派遣されてきました。その新天文台長の経費削減の方針の影響を受けて、長年続いてきたスミソニアン天文台にあるプリント・ショップがこの年(2005年)の11月15日で閉鎖になるからです。また、研究対象の削減や多くの職員の入れ替えも行われたようです。同居するハーバード天文台もこのショップを利用していたのに反対意見があまり上がらなかったのは意外でした。米国社会はその組織の長に絶大な権限が集中しています。そのため、誰も新台長の意向に反対できなかったようです。もちろん、このプリント・ショップを利用していたMPCやIAUCの印刷も11月15日以後は行えなくなります。HICQは、通常はその年の12月に発行するのですが、市内の印刷所に出せば高額の経費がかかるために二人で相談し「とにかく今年はその発行を早めよう。来年どうするかはあとで考えよう」ということになったのです。

ところがその作業を進めていた01時42分に佐野氏からメイルが届きます。そこには「先ほど超新星関連のWebページを見ると、報告した超新星はNGC 266出現の超新星としてCBET 250に掲載されていました。22時50分頃に見たときはまだ出ていなかったのですが、すでに10月5日に発見されていたようです。お手数かけました。それと、離角に記入ミスがありました。これを励みにまた頑張ります」というメイルが届きます。『えぇ……』と思って、CBET 250を探しました。そのサーキューラは、何と佐野氏の報告の約10時間前の10月12日13時47分に届いていました。そこには「パケットらの超新星捜索グループから10月5日04時JSTにNGC 266に18.2等の超新星を発見したという報告があった。この超新星は、10月12日04時になって、オタワのジョージにより16.8等で確認された。超新星は9月3日と10日に撮った捜索フレームには、まだ出現していなかった」と報告されていました。発見報告後、その確認まで一週間もかかったのは天候か何かの影響があったのでしょう。また、佐野氏も同じ10月5日にこの銀河を捜索していますが、氏の極限等級が18等級のためこの超新星を見つけることができなかったのでしょう。

とにかく、この事実をダンに知らせることにしました。『おっとと……、ごめん。Sanoからの連絡によると彼の超新星は、すでにCBET 250で公表されていたとのことだ』というメイルを02時00分に送りました。ただし、CBETを編集しているのはダンですから報告の時点ですでにそれを知っているはずです……。しかし、そのとき佐野氏の独立発見を告げるIAUC 8615が01時57分に届いていることに気がつきませんでした。

すると、その11分後「だから……、Sanoの発見は独立発見にしたんだ(ダンはその直前に届いているIAUC 8615を私が読んでいるものと思っている)。それとも、彼は、お前に発見を報告したときこの超新星2005glの発見をすでに知っていたのか」というダンから返答が届きます。IAUCやCBETは別のメイリング・アドレスに到着するために、このダンのメイルを読んだときも、私はまだIAUC 8615の到着に気づいていません。

ダンのメイルの「だから……」という意味が良くわからないまま、02時33分に『Sanoは、彼の発見を23時40分に私にレポートしてきた。その前の22時50分に超新星関連のWebページを彼が調べたときには、NGC 266の超新星の発見は、そこにまだ掲載されていなかったということだ。しかし、もう一度ちょっと前にそこを見たところ、CBET 250を見つけた。だから、彼は私にこの超新星の発見を報告したとき、そのことは知らなかったはずだ。従って、彼は独立してこの超新星を発見したことになると思う』という返答をダンに送りました。

ダンはすでに佐野氏の発見を独立発見としてIAUCに掲載しています。そのため「何で今頃このことを話すのか」と、私の言っていることがよく理解できなかったことでしょう。さらに、もう一度、03時10分に『CBET 520にその発見が公表されているとおり、この超新星は10月5.18日UTに18.2等で発見されている。一方、Sanoは同じ10月5.5日UT(彼は時刻を報告していない。そのため時刻は私の推測だ)にこの銀河を捜索している。発見報告第1便にあるとおり、彼の言う当夜の極限等級が18等級であるならば、彼はこのとき超新星を見つけていなければおかしい。多分この夜の彼の極限等級は18等級には届いてない、おそらくそれは17.8等〜18.0等くらいだったものと思う』というメイルを送りました。

そしてその少しあとに、ダンがIAUC 8615で、すでに佐野氏の発見を独立発見として公表していることを知ることになります。そこには「Nakanoから名寄のSanoによる2005glの独立発見の報告があった。この超新星は八ヶ岳のKushidaも次のように観測している」と二人の測定位置と観測光度が掲載されていました。『何だ。このサーキューラは2時間近く前に到着しているではないか。ダンにいろいろと申し開きをする必要がなかった……』と考えながら、ダンに『たった今、2時間近く前にIAUC 8615が届いていることに気づいた。今やっときみのメイルの「だから……」という意味がわかった。Sanoの報告を独立発見として取り上げてくれてどうもありがとう』というメイルを送っておきました。10月13日03時42分のことです。

これでやっとこの発見の処理が終ったと思っていると、04時15分に麗樹さんから電話があります。「山梨の玉城修氏から02時00分に同じ超新星を発見したというFAXが届いた」というのです。女史からは04時22分にそのFAXが転送されてきます。そこには「SN 2005enは発見の9日前に捜索した画像に写っていましたが、銀河のHII領域の中だったので見逃してしまいました。無念です……。今夜の捜索はアンドロメダ座の領域を中心に行いました。するとNGC 266に多分間違いないと思われる恒星状の天体があることに気づきました。転がるように帰宅して確認依頼を書こうと情報を集めていると、一足先にパケットらに先を越されていました。SN 2005glというのがそれです。超新星の発見まであと一歩というところまで来ているようですが、中々幸運の女神がこちらを向いてくれません。この次はがんばります。今夜は眠れそうにもありませんが、それも良きことかなです……」と書かれてありました。この超新星の発見がこの夜に佐野氏だけで行われていたものならば、急いで玉城氏の独立発見をダンに報告するところです。しかし、この超新星の発見の経緯が複雑だったので玉城さんには泣いてもらうことにしました。

10月13日夜は、まだ昨夜からの晴天が続いていました。22時00分、オフィスに出向くとその日の朝、11時55分に佐野氏から「昨夜はお忙しい中お力いただき誠にありがとうございました。また、FAXをありがとうございました。独立発見になるとは思ってもいなかったのでとても嬉しいです。久々の発見で嬉しいのと、名寄の天文台建設計画推進に向けて大きな励みとなります。今後とも発見に向けて頑張っていくつもりです」というメイルが届いていました。今後もがんばってください。

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SWAN彗星(2005 T4)

10月22日の夜は、ジャスコでその夜と明日朝の食料を購入し、22時50分にオフィスに出向いてきました。するとその日、13時13分に一通のメイルがダンから届いていました。そこには「ロバート・マトソンからSWANイメージ上に発見された彗星状天体の発見が報告された。この天体はカテリナで撮影された捜索フレーム上に写っていることがクリステンセンによって見つけられた。ここにある3種類の位置予報は、カテリナとSWANイメージ上の3個の位置から計算されたものだ。日本の誰かが今夜中に観測することができないか」という確認依頼が書かれてありました。

このメイルの中で、ダンはSWANとカテリナの観測については何も記述していません。しかし彼から送られてきた位置予報を見ると、この頃の彗星の光度は12等級、天文薄明終了時に彗星は南西の空、約15゚の高度にあって、この夜の夕方に観測できていたことがわかります。しかし、時はすでに23時です。『いけない。がんばってもう少し早く起きなければ……』と思いながら、22時57分にこの情報を上尾・八ヶ岳・秦野に送りました。すると、案の定、23時08分に上尾の門田健一氏から「上尾は曇天です。でも、すでに地平線下ですね」と遅寝を指摘するメイルが届きます。『やっぱり言われてしもうた……』と思いながらも『でも良かった。曇っていた』と内心安心しました。

その夜の23日01時47分には、早々とこの彗星の発見を公表するCBET 261が届きます。そこには「カリフォルニアのマトソンと豪州のマチアゾから、2005年10月上旬のSWANイメージ(6日、9日、11日と13日)上に彗星を発見したことが報告された。彗星の発見光度は10等級より暗い。マチアゾによると、彗星は10月9日に9等級、10月13日に10等級としだいに減光していること。また、ダンのメイルにあるカテリナの観測は68-cmシュミットで10月22日10時すぎに行われたものであること。さらに、マックノートがサイデング・スプリングの1.0-m反射で22日18時頃に彗星を確認した」こと。そして、その軌道が公表されていました。ところで、カテリナのスカイ・サーベイは夕方のこんな低空まで及んでいるようです。実は私もこれから全天サーベイを計画しているのですが、実施する前にもう負けそうです……。

10月23日夜は、例によってジャスコで買物をして22時30分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の13時41分にMPEC U19(2005)が届いていました。そこには、10月23日11時にツーソンのマクガハが行った観測を加えた軌道が掲載されていました。その夜の19時18分には、上尾の門田健一氏から同夜23日18時前に行われた3個の観測が届いていました。氏のCCD全光度は12.6等です。彗星の地平線からの高度角は約20゚ほどしかありません。いつものことですがさすがは門田さんです。しかし、地平高度が20゚もある天体の観測は、門田氏にとってはそれほど難しい天体ではなかったはずです。

さっそく軌道を計算し『上尾の門田健一氏は10月23日夕刻、低空にあるこの彗星の観測に成功しました。氏のCCD全光度は12.6等でした。彗星は、11月上旬まで夕方の空、低空に観測できます。なお、幸い(?)なことに小惑星の観測に続いて、わが国の彗星の観測も次第に減ってきました。そのため、このEMES(新彗星は我が国の観測がなければ発行しない)で新彗星の発見を紹介できる機会が減ってきました。今後、このような新彗星は毎月1回発行している軌道要素を参考にしてください』というコメントをつけて、OAA/CSのEMESに入れました。10月24日00時25分のことです。ちょっと時間が空いたので洗車に出かけました。空には下弦の月が輝くものの奇麗な秋晴れの星空で、接近中の火星が明るく輝きオリオン座がすばらしく大きく見える夜でした。

それから1日後のことです。EMESで少し嘆いたたせいか10月25日04時54分になって門田氏から、氏が10月24日と25日に行った2005 RV25(18.1等)と、2005 R4(17.7等)の少し暗めの彗星の位置観測を送ってきてくれました。そこで、10月25日朝にこれらの彗星の軌道を再計算してEMESに入れ帰宅しました。自宅では久しぶりに犬ちゃんが待っていてくれました。そこで、ジャスコで買っておいたコロッケとパンをあげました。しかし、ワンちゃんは「ねぇねぇ……。おじさん。あの天婦羅(関西でいう)がないの。ぼく、あれが好きなんだよなぁ……」と買物袋の中を探し始めました。

10月25日夕方には、秦野の浅見敦夫氏がこの彗星の観測を行ってくれました。26日00時51分に「40"ほどのコマがあります。イメージが良くないので測定精度は悪いと思います」というメイルとともに氏の3個の観測が届きます。そこで、軌道をもう一度再計算し『秦野の浅見敦夫氏より10月24日の観測が報告されました。彗星は11月上旬で観測できなくなります』というコメントとともに、その後の観測を加えた軌道と予報位置を10月28日02時40分にEMESに入れました。なお、その後に10月14日の観測がマチアゾから報告されています。ところで、観測条件が悪かったためか、この彗星は10月31日まで追跡されただけで彗星の観測は終了しました。報告された観測も全部で32個。我が国では門田氏、浅見氏、そして芸西の関勉氏から11個の観測が報告されただけでした。なお、彗星は周期が約29年の逆行軌道を動く新周期彗星でした。しかし、観測期間が2週間ほどしかないために周期の誤差が大きく、次回の近日点通過時(2034年5月)の検出は苦労するかもしれません。

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