天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2007年6月5日発売「星ナビ」7月号に掲載

オリオン座流星群の出現

2006年10月21日夕刻は17時30分に自宅を出ました。この日は良く晴れていました。そこで、西の空の中天にあるSWAN彗星(2006 M4)を観測するために、一目散にオフィスに向かい西のベランダに望遠鏡をセットしました。急がねばなりません。彗星は、20時には地平高度が+12゚になってしまいます。しかも、いつもは東のベランダで観測しているため、コンピュータやケーブルやハブも西の部屋に移動しなければなりません。やっとのことで移動は終わりました。しかし、急いで望遠鏡を移動しラフにセッティングしたためか、写野に彗星が入ってきません。しかたなしにカメラのファインダーをのぞいて、適当に望遠鏡を動かしていると青い光芒を放つ彗星が写野に入ってきました。ここまでに、すでに1時間ほど費やしてしまいました。19時半に観測を開始、20時すぎに西の空の遠方(と言っても2-kmほど)にある山の緑の木々が写野に入ってきました。その山に隠れるまで彗星を追跡しました。観測が終了してオフィスに戻って、位置の整約を行いました。彗星のCCD全光度は7.8等でした。なお、最近になって明るい彗星は、「ステライメージ5」で測光をしています。このソフトで当時の彗星の全体を測光すると、彗星の全光度はさらに数等級ほど明るかったでしょう。ちなみに上尾の門田健一氏は、10月15日の全光度を6.7等、10月25日のそれを5.0等と測光しています。なお、10月25日ごろには、彗星は再び眼視光度の4等級まで増光していました。

SWAN彗星の整約が終わり、21時50分にその夜と朝の食料品を購入するためにジャスコに出向きました。22時30分、再びオフィスに戻り、その日の昼間に届いていたメイルの処理をしたあと、西のベランダにある望遠鏡を再び東のベランダに移し、00時から05時まで観測を行いました。観測中晴天が続き、4P、29P、2006 L1、2006 T1を撮影しました。29Pは、10月15日の観測時には12等級まで増光してするどい核が輝いていました。しかし、この夜には、彗星は拡散し、13等級まで暗くなっていました。

ところで、観測の途中、多くの流星が出現しているのに気づきます。また、デジタル・カメラの写野(1゚.1×0゚.74)の中にも流星が飛び込んできます。その方向を確認すると、オリオン座か、いっかくじゅう座・ふたご座の方向から出現しているようです。そういえば、今夜は、オリオン座流星群の極大日です。『そうか、オリオン群か、それにしては、ずいぶん活発な出現だなぁ……』と思いながら、それを眺めていました。

彗星の観測が終了して、オフィスに戻り、SWAN彗星のこの夜の観測を加え、軌道を改良し『 今夜は、良く晴れているので観測しました。ただし、西の空を撮るために架台を別のところに運びました。東の空を撮るために、運び戻してもう一度セットしました。40-kgを運ぶのは大変です。でも、以前の門田さんの苦労を考えると、これくらいは……。あまり多くの個数を出すと怒られそうですが……。前回のEMESの軌道から、まだ5゚ほどのずれがあります。なお、眼視光度は、予報よりもう1等級くらい明るいはずです。レビー彗星(2006 T1)は、減光しましたね』というコメントをつけて、05時29分にOAA/CSのEMESに入れました。

その直後の05時35分、電話が鳴ります。『こんな時刻に誰だろう。あっ、そうか、たぶん、豆田さんだな』と思いながら受話器を取ると、やはり神戸の豆田勝彦氏からでした。氏は「今夜、流星を観測中に突発流星雨を観測しました。バラ星雲付近に輻射点があるようです。04時からの1時間に103個の流星が出現しました。オリオン座流星群の突発出現かもしれません。兵庫県宍粟での観測です」と話します。豆田氏は、後ほど、くわしく報告してくれるとのことでした。『やっぱり、流星群が活動していたんだ』と思いながら、氏の話をまとめて、05時53分に『今夜、望遠鏡にはりついていると(デジタル・カメラで30秒以上の露光のときは離れられない)、ずいぶん、たくさんの流星が流れました。オリオン群が活発だなぁ……と眺めていました。豆田さんから、すぐ報告があるだろうな……と思っていると、05時35分に電話がありました。『オリオン群活発だったでしょう……』と話すと、「違います。いっかくじゅう座のバラ星雲付近(いっかくじゅう座北部)に輻射点があります。オリオン座流星群の輻射点から約8゚ほど南です」とのことです。最微光星が6.5等級の晴天の下、氏の係数観測では、この群に属する流星が、10月22日04時00分〜05時00分の間に103個出現したということです。明るい流星も出現しました。どなたかご覧になった方はご連絡ください』という情報を仲間に送りました。

ところで、氏の話では、「観測終了時も突発群はまだ続いていた」とのことです。そこで、06時13分にこれらの情報を中央局のダン(グリーン)に伝えました。そのメイルには『流星群はまだ続いているとのことだ。西の地域に情報を伝えるように……』と頼みました。そして、この夜に撮ったCCDフレームを調べました。しかし、写りの良いものしか残していません。それでもその中の04時22分に2006 L1、04時44分に2006 T1を撮影したフレーム上に流星の姿を見つけ、06時45分にこのことをダンに知らせました。

これらのメイルは、ヨーロッパのアドリアン(ガラッド)、リボー(クバチェック)、デイビッド(アッシャー)、そして、神戸の長谷川一郎氏、東京の大塚勝仁氏にも送られました。08時半近くになって、大塚氏から複数のメイルが届いていることに気づきます。そこには、日本流星研究会の溝口秀勝氏から「オリオン群の出現数の多さに驚きました。まるで、ペルセウス群を観測しているようでした」という連絡があったことが報告されていました。また「豆田さんの輻射点を見ると、オリオン群とは別の群でしょうか。何かしら突発があったのは間違いないです。過去10月17日あたりにオリオン群の突発が出たことはありますが、その時は明るい流星体の回帰でした。レゾナント・トレイルを彷彿とさせます。今回は、もしオリオン群の出現だとすると、ハレー彗星の別のトレイルの回帰だと思います」、さらに「度々大塚です。アメリカでも見られていたようです」というメイルも届いていました。そこで、08時30分に氏に『観測位置の整約と軌道計算に忙しくて、メイルがたくさん来ているのに気づきませんでした。そうですか。アメリカや日本で見てる人がたくさんいるのですか。暇だねぇ……。みんな……。』というお礼状を送っておきました。すると、08時44分に氏から「あっ、僕もそう思います。私の場合、風邪で寝込んでいました。しかし、オリオン群は研究対象外なので基本的に観測しません。たぶんしし群も観測しないと思います。ふたご群としぶんぎ群は、母天体がおもしろいのでこれは毎年観測していますが……」という返信があります。時刻はもう09時前です。だいぶ遅くなりましたので氏のメイルを見てこの夜の業務を終了し、08時50分に帰宅しました。あんなに晴れていた空もすでに曇りかけていました。

その夜(10月22日)は、22時50分にオフィスに出向いてきました。すると、16時07分にめずらしくメイルで、神戸の大先生からこの突発群の起因について、その見解が届いていました。さらに、19時09分には熊本の小林寿郎氏からも「お久しぶりです。流星群、私も見ました……。見ただけですが。10月21日朝、22日朝と観測していました。10月の熊本は、雨の降らない晴天続きですが、晴れすぎて煙霧とやらで星が見えません。こうなると雨が欲しくなります。何ごともほどほどがよろしいですね。この2日間は、夜半すぎから空の条件が良くなりました。観測中はドームの中なので、流星が見えることはほとんどないのですがこの2日間はよく見えました。一昨日の出現からオリオン群だと聞かされ、納得していたのですが……。今朝のメイルで通常のオリオン群ではないらしいと知りました。彗星観測の途中なので、数を数えることもなく流星の多い夜だなぁ……ですませていましたがもったいないことをしました。流星のビデオ観測(熊本市と宮崎市で同時観測)をしている仲間に問い合わせたところ、10月20/21日と21/22日の両日も観測していました。このデータが解析されれば今回の流星群の判断に役立つかもしれません。ところで、今朝の収穫を1つ添付しておきました。おもしろい彗星ですね。21枚重ねの画像ですので、位置を測れなんて恐ろしいことを言わないでください。361(洲本)が復活したのですね。デジタル・カメラということは市販の一眼デジカメですか? 私はCANON5Dで、掃天を試み始めています。老後の対策用で、まだアイデアを試している段階ですけども……。なお、ドーム内にはインターネット接続のパソコンがあり、自動着信でメールが届きます。晴れて観測中ならすぐ動けますので、急ぎのご用の折はご利用ください。もっとも観測日数はトシのせいで昔に比べると減ってしまいました」という情報が届いていました。小林氏の送ってきた彗星は、その3日前の10月19日に発見されたLINEAR彗星(2006 U1)で、鋭い核から細くて長い尾を引いたみごとな画像でした。

そして、19時11分に大塚氏から「当夜、TV観測していた室石さんに輻射点経路図を確認してもらいました。正真正銘のオリオン群です。ZHR100に達していたものと思われます」という調査結果が届いていました。また、豆田氏からは、今朝の報告がFAXで届いていました。氏の報告によると、流星群の1時間あたりの出現数は10月22日18時台にHR105個、近くで観測していた神戸の住江和弘氏の観測では同時刻台にHR183個に達していたようです。もちろん、これらの報告は、23時47分にダンに報告しておきました。なお、この突発流星群については、美星の奥村氏から「昨夜、ちょうど04時頃、1.0-m PVカメラの真空度をチェックするために1.0-mのドームへ上がったほんの短い時間にも、−5等と−10等級のむちゃくちゃ明るい流星を2つほど見ました。橋本さんが全天モニタでビデオに撮っているはずなので、4等くらいのものまでなら位置測定ができるかもしれません」。さらに木曾で観測していた美星の浦川聖太郎氏からも「03時頃にオリオン群を見るために空を見上げてみました。20分間で2個ほど明るい流星を見ました。1つはオリオン座の上から北方向(天頂方向)に流れ、もうひとつはオリオン座の西側から南に流れました。この日、木曽観測所では高校生向けの実習があり、高校生も流星をたくさん目撃していたようです」という報告、さらに、東京の柏木文吾氏、モドラのアドリアン、アマーのデイビットら多くの方々から報告がありました。ダンは、これらの結果をまとめて、10月27日到着のCBET 698でその活動と解析を紹介しています。

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アンドロメダ銀河の新星 Nova 2006-10b in M31

10月31日朝は山本速報(YC)の発行日でした。YCの発行は、用意しておいた原稿をワードで編集して、そのコピーを取ることから始まります。2部構成のYCならば、夕方から作業を始めて「宛名ラベルの印刷と貼付→YCの折込→封筒入れ→糊付け→切手貼り→投函」の作業をほとんど飲まず食わずの状態で行うと、翌日08時には終了できます。しかし、この夜は3部構成のYCを発行予定でした。そのため、飲まず食わずの上、トイレに行くのも、折込で手の皮がすり切れるのもがまんして作業を進めていました。すると、YCを折込中の06時59分に山形の板垣公一氏から「NGC 2906に17等級の超新星を見つけました」という連絡がありました。『わぁ……、こんな大変なときに』と思っていると、その直後、幸いにも、氏から「発見を取り消す」という連絡がありました。あとになって届いた氏の調査では「この星は、判断のしづらい銀河の明るい腕の中に出現したもので、氏の保有する過去画像の中にかすかに写っていたこと。さらに、そのときより1年も前に出現していた超新星2005ipと同じ位置に出現していた。つまり、発見した超新星は2005ipらしい」ということでした。とにかく、氏の「取り消し」という言葉に安堵してYCの発送準備を続けました。そして、すべてが終了して郵便局に出向いたのは何と11時15分のことでした。『あぁ……、YCの編集・発行はもうやめたい』と思ってはいけないことでしょうか。しかし、1920年から先々代の山本一清先生、先代の長谷川一郎先生が編集を続け、現在発行号数がNo.2500を越えたYCを私の一存で終了するわけにもいきません。

その夜(10月31日)は、22時00分にオフィスに出向いてきました。山本速報の発送が終わった夜は『ほっ……』とした気分で、ぼっけ……と過ごすことにしています。しかし、この夜は発見が続きました。まず、その夜の23時31分に板垣氏から「M31に16.5等の新星を見つけた」という電話が入ります。その氏のメイルは23時34分に届きます。そこには「10月31日23時頃に60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCDでアンドロメダ銀河を撮影した捜索フレーム上に、16.6等の新星を発見しました。30分間の追跡では、移動は認められません。また、光度変化もありません。なお、この新星は発見前日の30日にはまだ20等級以下でした。発見1日前にまだ出現していなかった発見はこれが初めてです」という報告とその出現位置が書かれてありました。つまり、この新星はこの1日間で少なくとも4等級ほど増光したことになります。この氏の発見は23時51分にダンに報告しました。すると、門田氏から11月1日00時02分に「今夜の上尾は曇天です。待てば晴れてくるかもしれませんが、風邪で不調のため早めに作業を終えます」という連絡があります。連夜の観測で無理をしているのです。そこで氏には『洲本は今夜もどんよりと晴れています。こういう夜は、観測をやるかどうかで悩みますね。かぜを引いたのは観測をやりすぎて疲れているのでしょう。ほどほどにしてお体を大切に……。私も夜に観測をやると当夜の予定がうしろにずれていき、現在、火の車です。しかし、私は、夜に仕事をやれば良いだけです。あなたは、昼間に仕事がありますから、どうぞご無理をしないように……』というメイルを送っておきました。その間の00時19分には、板垣氏から新星の発見画像が届いていました。

この夜は、もう1つの大きな発見がありました。それは、あとで重力レンズ現象だと判明するカシオペヤ座に出現した新星の発見です。その第1報が11月1日02時07分に津山の多胡昭彦氏、02時45分に水戸の櫻井幸夫氏からほぼ同時に独立して届きます。この発見のため、休息予定だった門田氏は再び起こされることになります。なお、この発見は、情報各誌には「多胡氏の発見」として掲載されていますが、事実はそうではありませんでした。10月31日の発見日の発見時刻は櫻井氏の方が早いものです。しかし、多胡氏は、それ以前にも、この星の存在とその増光に気づいていますので、第1発見は多胡氏になるのかもしれません。このお話は次号となります。

ところで、M31の新星は翌日11月1日夕刻に板垣氏によって再観測されました。そのとき、新星はすでに17.5等に減光していました。これまで本誌で紹介してきたとおり、板垣氏は、2002年10月にアンドロメダ銀河の伴銀河M110に15等級の新星、さらに2005年6月に同銀河に17.5等の新星、2006年4月には同銀河に18.0等の新星、さらに、6月と8月には18.0等の新星、9月には急激に増光する16等級の新星、および16.6等の新星、さらに10月1日には、さんかく座の銀河M33に16.6等の新星を発見しています。板垣氏が系外銀河に発見した新星は、これで9個目となりました。なお、M31に出現した新星の発見リストと情報はhttp://cfa-www.harvard.edu/iau/CBAT_M31.htmlにあります。ご覧ください。

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