天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2007年10月5日発売「星ナビ」11月号に掲載

超新星 SN 2007B in NGC 7315

2007年1月5日、睡眠中の18時10分に電話が鳴っています。昼間の電話は『間違い電話でなければまたかけてくるだろう』といつも無視します。そして、ベルを数えていると18回で切れました。しかし、そのあとすぐベルが鳴り始めます。『わぁ……、これはうちにかかってきた電話だ』と飛び起きて受話器を取りました。すると「あぁ……、中野さん」と山形の板垣公一さんです。そこで『どうしましたか。何か見つけましたか』と問いかけると、「はい。NGC 7315にPSNです。これ、自宅ですよね。メイルで送っておきますからよろしく」と話をして電話を切りました。そのため、まだ6時間の睡眠しか取っていませんがオフィスに出向くことにしました。19時00分に自宅を出てまず郵便局に出向きます。そこで、神戸の山田義弘氏から送られてきている「年間スケジュール帳」を受け取りました。続いて地元のスーパーに行って買物をして19時45分にオフィスに出向いてきました。以下、先月号からの続きとなります。

その氏の発見を中央局のダン(グリーン)に報告したのは19時55分のことです。しかし、この頃、西から近づいてくる2つの低気圧が北日本で1つになり、960-hPaまで猛烈に発達していました。特に翌1月6日の夜は、当地では風が強く、雪みぞれが降っていました。そんな中、上尾の門田健一氏がこの超新星を観測していたことが、その夜22時50分にオフィスに出向くとわかります。20時22分に門田氏から「雨上がりで透明度が良くありませんが前線が通過して晴れてきました。25-cm f/5.0反射+CCDで、今夜20時にNGC 7315をねらってみました」という連絡とともに、「しかし出現位置が銀河の中心部に近く、集光部と超新星が分離できないために板垣さんの発見位置に星が存在するかどうか判別できませんでした」という報告が届いていました。そのため、この超新星の確認は長い焦点で捜索している板垣氏自身の観測が必要となりました。その夜の夜半が過ぎた7日00時30分に『こちらはだんだん嵐になってきました。明日(1月7日)東京から帰れるか心配です』というメイルを関係者に送っておきました。この日は、また、日本学術会議が主催する「太陽系天体の名称等に関する検討小委員会」に出席のために東京に出向かねばならなかったのです。そのため、1月7日01時59分に1月6日に各地で撮影されたマックノート彗星(2006 P1)の画像を関係者に送付して03時40分に業務を終了し、自宅に戻りました。帰宅時には猛烈に強い風が吹いていましたが、雲間から月が見える透明度の良い空でした。

この夜は、04時すぎに睡眠し、07時に起床しました。今回の上京は、行きは神戸空港から、帰りは関西空港からの予定です。ニュースを見ると、神戸と関空間の高速艇は、この日の全便が欠航になっています。しかし、洲本と関空間の高速艇は午前中の便だけが欠航とのことです。帰路は関空に到着の予定ですので、関空からの高速艇が止まっていると、その夜にこの島に帰れなくなります。そこで、まず洲本港に出向いて夜に関西空港から戻ってこれるかどうかを確かめることにしました。08時30分、外に出ると、天気予報のとおりここサントピア・マリーナでは歩けないほどの猛烈な風が吹いていました。洲本港で午後からの高速艇の運行を確かめると「船長の判断になるが、午後の便も多分欠航……」とのことです。困りました。このままでは戻れなくなります。とにかく09時00分の高速バスで神戸空港に向かうことにしました。明石海峡大橋を渡って神戸に入ると雪が降っていました。しかし、バスは定刻の10時46分に神戸空港に着きました。まず神戸空港で航空券を神戸空港21時25分着の飛行機に変更しました。というのは、ここからは21時50分発−洲本インター経由−福良行きの高速バスがあります。これで島には帰れます。ただし、高速バスは洲本インターに23時19分に到着のため、オフィスまでの4.5-Kmの道を歩かねばなりません。とにかく11時25分発の飛行機で東京に向かい、本郷で14時から開かれる会議に出席しました。途中で松戸の太田原明氏に電話を入れ、神戸空港からのポートライナーの時刻表を調べてもらうことにしました。というのは、うまくすれば三宮22時00分発の洲本行き高速バスに乗れる可能性があるのではないかと思ったからです。

会議が終了し、太田原氏に羽田空港まで送ってもらう時それを確かめると、神戸空港21時33分発/三宮21時50分到着の快速があるとのことです。『うん。それに乗ろう』と心に決めました。しかし、ポートライナーの三宮・空港間の所要時間は、氏がいうとおりの17分でないような気もします。『本当か……。25分くらいかかる気がするが……』と氏に確かめると、「ウェッブ・サイトではそうなっていますよ」と氏は話します。問題なのは飛行機の神戸空港到着が21時25分だということです。8分間でポートライナーの乗り場まで駆け上らなければなりません。『神戸空港は空いてるから何とかなるだろう。そうしなければ4.5-Kmを歩かねばならない……』と決意をして飛行機に乗り込みました。太田原氏は、お土産に中村屋の肉まん・あんまん24個を買ってきてくれていました。

羽田空港で飛行機に搭乗のあと、すでに24時間眠っていなかったのでうとうと……しているとゴー、ガタガタ……と、もう神戸に着いたみたいでした。でも、時計を見ると20時25分。飛行機は羽田を離陸したばかりです。『えっ……、飛行時間は1時間10分だ。このままでは神戸到着は21時半を過ぎる』と、もうすっかりあきらめの気分になりました。ところが、いつものとおり、姫路城の方向から明石大橋の上空を通って神戸空港に到着したのが21時27分です。どうせ遅れてくれるなら「これじゃ21時33分発のポートライナーはとうてい乗れない」とあきらめられるくらい遅れてくれれば良いのです。人並みをかき分け、走って走って出口を出たのは21時30分。階段を駆け上がり、ふうふう言いながら切符を買ったのが21時33分です。『まだ33分のに間に合う……』と駅員に声をかけ、階段を昇ったら電車が待ってくれていました。駅員に声をかけたのが良かったのでしょう。ポートライナーは自動運転ですので、駅員がしばらくドアーを開けておきてくれたのかもしれません。駅員がそれをTVで確認してからドアーが閉まったような気がします。

この快速ポートライナーは、途中の2つのルートのうち、蛇のおなかのルートを通らないで、太田原氏の言うとおり17分で、つまり21時50分に三宮に到着しました。この22時発の高速バスは洲本市内への最終便です。そのためか、乗客が多いために連ちゃんでバスを出していました。そのおかげで、ぎりぎりでしたがこの22時00分発のバスに乗れました。「あぁ……、年を取ってからはこんな苦労はしたくないものだ」といつも思って、最近では早めに早めに何事も予定するようにしているのですが……。なお、洲本インター経由−福良行きの高速バスはこのあとも23時30分まであります。ただし、これは別会社ですが、私には以前住んでいた福良が優遇されている気がしてなりません。福良は、淡路交通発祥の地。昔は徳島藩との関係でもっとも交流のあった地です。そのため、淡路交通は今でも福良を大切にしているのでしょう。電車も、最初は福良側が最初につながり、洲本側の終点は宇山というところでした。洲本市内に電車が入ってきたのはごく最近(大正)のことです。ただし、今は廃止されてしまいましたが……。

さて、オフィスに戻ってきたのは23時20分のことです。すると19時27分に板垣氏から「栃木にて観測しました。PSNは確実に存在します。30-cm f/7.8 反射での観測です」というメイルとともに、1月7日18時29分に栃木の観測所で行なわれた氏の確認観測が届いていました。光度は16.4等とのことです。また、20時33分には「今日の山形は、朝からすごい雨降りでした。その中、ここに出てきました。でも、15時にはこちらも雨が降る嵐で、100%無理とあきらめていましたが、18時近くになり晴れました。30-cmでは分離が限界に近いです。超新星は少し明るくなっていました。今はまた嵐になりました」というメイルとともにその画像が送られてきていました。その画像を見た門田氏から20時57分に「悪天候の中、遠征されたとのことでご苦労さまです。30-cmの画像では星像に見えますね。なんとか測定できるでしょうか。複数枚をコンポジットしてみるとどうでしょう。昨夜のこちらの画像でも、比べてみると南西方向に出っ張っているような気がします」というメイルも届いていました。氏のこの確認は、1月8日00時30分にダンに送っておきました。01時20分には、板垣氏からそのお礼と「先ほどまでは嵐でしたがようやく風がなくなりました。捜索を開始しました!」というメイルが届いていました。

その夜には、東京でお世話になった皆さんに『23時10分、洲本高速バスセンターに帰ってきました。これで、洲本インターから4.5-Kmを歩かなくてすみました。でも、大変でした……。今夜は台風一過のど快晴です。たぶん、標準レンズでマックノート彗星(2006 P1)が撮れると思います』と、以上の状況を知らせておきました。1月8日00時05分のことです。そして、今日はほとほと疲れたので01時半過ぎに帰宅し、その日の朝の2006 P1の観測に備えることにしました。帰宅時、板垣氏に「今夜は帰って少し寝て、明け方の2006 P1に挑戦します。何かあったら自宅に連絡してください」と電話を入れ、自宅に戻り、睡眠につきました。

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超新星 SN 2007C in NGC 4981

その日(1月8日)の朝、05時30分に起床すると、東の空は地平線近くに細い雲がたなびいているものの快晴でした。さっそく望遠鏡を準備して、低空にある2006 P1を探し始めました。すると、06時25分に電話が鳴ります。『まさか、そんなはずは……』と内心いやな予感を抱きながら受話器を取りました。すると「あぁ……、中野さん」とやっぱり山形の板垣公一さんです。『どっき……』としながら『どうしましたか』と問いかけると、「いや〜〜、中野さんの言うとおりになりました」。『……と言うと?』。「はい。NGC 4981に超新星です」との発見報告です。『事実は小説より奇なりというけど、でもそんな馬鹿な……』と思いながら、『今、2006 P1を探しているので、終わったらオフィスに戻ります。送っておいてください』と答え、再び彗星を探し始めました。しかし、2006P1は、地平線近くにたなびく雲のために見つかりませんでした。そのため、板垣氏とは逆に、まさに失意の中、07時10分にオフィスに戻りました。

板垣氏からの報告は06時27分に届いていました。そこには「1月8日早朝、栃木県高根沢町にある30-cm f/7.8反射望遠鏡+CCDを使用して、おとめ座にある系外銀河 NGC 4981を撮影した10枚の捜索フレーム上に15.9等の超新星を発見しました。極限等級は18.5等級です。30分間の追跡では移動は認められません。最近では、2006年12月24日朝にもこの銀河を捜索しています。しかし、その夜の捜索フレーム上の出現位置に18.5等級より明るい星は見当たりません。また、過去の捜索フレーム上にもその姿が見られません」という発見報告と出現位置が記載されていました。また、07時00分にはその発見画像も届いていました。氏の発見は、07時27分にダンに送っておきました。そして、再び08時10分に自宅に戻りました。

その夜(1月8日)は22時10分にオフィスに出向いてきました。すると、1月8日10時30分にバンコクの蓮尾隆一氏から「もう還暦なのですから、突然走ったりしてはいけません。また、歩くことは健康にいいので努めて歩くようにしましょう。宇宙飛行士受験仲間の白崎さんが翻訳した「宇宙飛行士は早く老ける」にも、重力を使って身体を健康に保とうと書いてありますよ。タイにいると運転手つきの社用車で通勤をしているので足が弱ります。私を除く日本人はゴルフをしていますが、私はゴルフ・麻雀・カラオケ・バクチの類が大嫌いで、いっさいつき合いません『えらい!』。そのためか、足も心肺機能も弱る一方です。日本に帰ったら、通勤で歩くようになるのが楽しみです。しかし、オランダに行ったらまた車通勤だからなぁ……。運転手はいないけど」というメイルが届いていました。そして、板垣氏の発見(2007 B)を告げるCBET 797が13時36分に到着していました。それを見た板垣氏からは、17時47分にそのお礼があります。そして、19時51分には、太田原氏から「昨日はお疲れ様でした。まさか21時33分発に乗れるとは思いませんでした。ともかく、無事に帰れてよかったです。持ち帰った中村屋の中華まんを食べてください」というメイルもありました。さらに21時48分、門田氏からは板垣氏に「おめでとうございます。数少ない一文字の番号になりましたね。なお、こちらの25-cmでは、銀河中心核からの離角10"角ほどが超新星出現を確認できる目安になりそうです」というメイルが送られてきていました。

さらに、ちょうどオフィスに到着したとき、大泉の小林隆男氏より「いつもお世話になります。海外で昼間、この彗星(2006 P1)の撮影に成功したというニュースを聞いたので、こちらでも挑戦してみました。添付の画像は、大泉観測所41-cm反射の直焦点に一眼デジカメ(EOS Kiss DN)を装着し、1/2500秒露出の画像を100枚合成したものです。非常に淡い像ですが、何とか確認することができます! 比較のため、同条件でアルタイル(0.76等)を撮影していますが、こちらは明瞭に写っています。昼間の彗星を補足できたのは初めてのことです。合成した画像上に彗星が浮かび上がってきたときは、かなり興奮しました。なお、アルタイルは眼視(41-cm ×88倍)でも確認できましたが、彗星は見えませんでした。近日点通過は4日後ですが、どのくらい明るくなるでしょうか? もしかしたら白昼、眼視で捉えることができるかもしれませんね。南半球に行きたくなってきました」というメイルが届きます。『えぇ……。こんなに明るいのにどうして今朝、捉えられないんだ。雲があったとはいえ……』と、またまたショックでした。とにかく、小林氏の観測は23時24分にダンに知らせておきました。それを見た蓮尾氏からは、1月9日00時28分に「すごいですね。感動しています。BKKでも見れるといいのだけど……」、さらに門田氏からは00時33分に「小林さんが撮影された白昼の画像、すごいですね。今朝、25-cm反射の直焦点で撮影できました。キラキラ輝く姿を想像していたのですが、薄雲と薄明のためカメラのファインダーでは見えませんでした」というメイルが届いていました。

ところで、この夜、板垣さんが発見した超新星の確認観測が、まず、02時38分に門田氏から届きます。氏のメイルには「NGC 4981の超新星を確認しました。16.0等でした。25-cm f/5.0 反射+CCD(ノーフィルター)で、極限等級は18.0等、位置はGSC-ACT、光度はTycho-2(V等級)で測定しました。20分間に移動は見られませんでした」と報告がありました。そのメイルの1分後、栃木にいる板垣氏からも「おはようございます。ただ今、電話をありがとうございました。PSNは確実に存在します。まだ低空ですが、安定した測定値が出ていますので今夜の報告とします」というメイルが届きます。そこで、これらの確認を02時52分にダンに連絡しました。

その約5分後の02時55分、門田氏より「これで存在は間違いないですね。こちらの確認画像を添付します」というメイルとともにその画像が送られてきます。また、門田氏からは、板垣氏の赤緯にミスタイプがあるとの連絡があります。その訂正をダンに報告しました。03時07分、門田氏の画像を見た板垣氏から「確認観測をありがとうございます。画像拝見しました。私の60-cmの画像より良いですね!」というメイルが届きます。門田氏からは、03時27分に「画像は各コマ60秒露光。8フレームをコンポジットして測定しました。S/Nが改善されて位置のバラツキが減ります。観測時刻は全体の中央時刻です。超新星の像が延びていなければ移動していないことが一目で確認できます。明日は仕事ですのでそろそろ失礼します。コンポジットにつきましては、また後日にお話します」というメイルが板垣氏に送られていました。

その日の朝、06時21分になってロブ(マックノート)から「太陽近くを動く2006 P1の移動図をウェッブ・サイトに使わせてもらった。これは、彗星を観測するのに役立つだろう。昨日(1月8日)に10-cm反射で昼間に彗星を見ることを試みたが見えなかった。他の場所では、昼間に観測しているところがあるというのに……」というメイルが届きます。そこで、06時37分に『そんなに急ぐな。ラッキーにも、きみたちは近日点通過後に彗星を観測することができる。私も、南半球に出かけて観測することを計画しているところだ』というメイルを送りました。すると、06時44分、ロブから「そんなに長く(近日点通過後まで)待てない。私は、彗星を観測するために、1月13日香港に向かう飛行機と1月15日の帰りの飛行機を予約した。ちょうど1万メートル上空から彗星を観測するつもりだ。そうか、オーストラリアに来るのか。大歓迎だ。そのとき、再び会えるだろう」というメイルが返ってきました。この日の朝は、そのメイルを見て06時55分に帰宅しました。自宅の前で犬ちゃんが待っていました。『久しぶりだなぁ……、お前。板垣のおじさんが、また超新星を2個見つけたよ』と話しながら、買っておいた天ぷら2枚をあげました。

その日の(1月9日)の夜は、22時50分にオフィスに出向きました。この夜は、気温が1℃の寒い夜でした。すると、10時46分に到着のCBET 798で、板垣氏の超新星発見が公表されていました。そして、氏からは16時21分に「お蔭様で2007 Bと2007 Cになりました。栃木で2日間過ごして、さきほど山形に戻りました。今回は、山形が大雨の中、栃木までNGC 7315の観測に行ったのでしたが、栃木も風雨の嵐で100%無理とあきらめていました。しかし、夕方から晴れて観測できました。そして、その夜の明け方06時に、また別のPSNが入ってきたのです。できすぎで怖いですが、今年もよろしくお願いします。ありがとうございました。また、門田さんの画像も素晴らしいものでした。コンポジット、位置、光度測定の方法を知りたいものです」というお礼のメイルが届いていました。なお、板垣氏はこれで29個目の超新星を発見したことになります。

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