天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

033

2008年4月5日発売「星ナビ」5月号に掲載

M33に出現した新星 Nova in M33

2007年9月3日06時29分、八束の安部裕史氏から一通のメイルが届きます。そこには「おとなりの鳥取県の特産の20世紀梨を送らせていただきました。どうぞ、ご笑納くださいませ。20世紀梨の出荷は9月中頃までで、地元では産地で選びます。東伯産だったと思います。東郷産と並んで梨の名産地です。草々」というメイルが届きます。多くの新小惑星を発見していても、初めての新星発見はやはり感無量なのでしょうか。氏には、07時04分に『ご連絡が遅くなりました。申し訳ありません。8月31日にいただきました。ありがとうございます。でも、どうぞお気を使われないでください。今後もご活躍されることを楽しみにしています』というメイルを送っておきました。この朝は、母を拾って病院に出かけ、再び08時05分にオフィスに戻り、残っていた仕事をかたずけ、自宅に戻ってきたのは12時01分になっていました。天候は晴れ。暑い日でした。安部氏からは、その夜19時58分に「かえってお手をわずらわせました。ぜひ、本場の20世紀梨をご賞味ください。最近、彗星の位置観測の活動が衰えているのは、ST-6の冷却に時間がかかり、生活のペースと少し合わないからです。霜がつかないように慎重に冷却するには少し時間がかかり過ぎです。それに較べて最近の一眼デジカメは優秀で、ノイズも少なく本当にきれいに写ってくれます。一眼デジカメが彗星の位置観測に使えたら楽しそうです。僕の観測システムは、今だにDOS環境で16年も前に購入したパソコンで画像を取り込んでいます。この1年をかけて快適な観測環境を考えていくつもりです。引き続きよろしくお願い致します」という返信が返って来ていました。

それから約2週間後には、捜索者にとって新天体初発見となる新たな報告が届くことになります。その9月18/19日夜は、19日01時55分にオフィスに出向いてきました。すると、その約30分後に電話が鳴ります。受話器を取ると久留米の西山浩一氏でした。氏によると「近くのみやき観測所で椛島冨士夫(かばしまふじお)氏と共同で行っている超新星サーベイで、さんかく座にある系外銀河M33に新星を発見した」というのです。発見が事実なら、これは氏らにとって、安部氏同様に初めての新星発見です。もし、本物ならそれは発見者にとってたいへんうれしいことでしょう。西山氏は「細目をメイルで報告します」とのことですのでそれを待つことにしました。その氏からの報告は03時05分に届きます。

そこには「9月19日00時08分にさんかく座にある系外銀河M33(NGC 598)を40-cm f/9.8反射望遠鏡+CCDカメラで撮影した5枚の捜索フレーム上に17.1等の新星を発見しました。150分の追跡では移動は見られません。最近では、9月10日にこの銀河を捜索していますが、その捜索フレームには19.6等級より明るい星は出現していません。また、この新星は、過去に撮影されたDigital Sky Survey(DSS)のフレーム上にも、その姿が見られません」という報告とその出現位置の精測値と発見後の光度観測が書かれてありました。氏らの発見は、03時03分に中央局のダン(グリーン)に連絡しました。そのメイルには『元気か……。発見者はまだ初心者なので、誰かに確認させてくれ』と書き添えておきました。

すると、03時46分にダンからめずらしく返信が届きます。そこには「元気だよ。しかし、まだお金を探している。確か数日前にM33の中に新星が出現しているという発見報告があった。しかし、報告者はまったくの初心者で出現位置の報告はなかった。ただ、今、報告してくれた新星がこれと同じものとは思っていない……」という連絡でした。03時51分には、上尾の門田健一氏から「こちらは雨が降っています」という連絡が入ります。『そうか、九州とここは晴れているのに関東は曇っているのか』と思い、ここよりさらに西にある美星に確認を頼むことにしました。初心者の発見ですので、まずは報告された位置に星が存在するかどうかを確かめる必要があったからです。そこで、03時54分に『これ、時間があったら取れませんか。関東以北が曇っているので……』というメイルをつけて、発見情報を美星に送りました。それから1時間ほどが過ぎた05時02分になって、美星の西山広太氏からメイルが届きます。『観測してくれたのか……』と思ってそれを見ると「残念ながら04時以降、美星も曇ったままで晴れませんでした」という返信でした。

それでも九州は明け方まで晴れていたようです。その直後の05時05分に、みやき観測所で04時55分までに行われた発見以後の光度観測が届きます。彼らの観測によると、新星は16.5等まで明るくなっているようです。初心者のため、ちょっと心配しましたが間違いなく新星のようです。これらの結果は、05時29分にダンに連絡しておきました。06時08分には彼らから発見画像が届きます。実は、測定位置も心配だったのです。出現位置を測定してみると、私の測定値と彼らから報告された出現位置は、0".4以内に合っています。これで、報告した出現位置にも誤りがないことが判明し一安心でした。もちろんこのことは、06時29分にダンに伝えておきました。この夜は07時15分に帰宅しました。この頃には美星の雲がここにもやってきたのか、空は曇ってしまいました。自宅に戻ると、07時30分に山形の板垣公一氏から電話があります。「曇っていましたので休んでしまいました。今起きて発見報告を見ました。今夜に観測してみます」とのことでした。

その夜(9月19日)は、ジャスコで買い物をして、オフィスに出向いてきたのは23時05分でした。すると、21時13分に板垣氏から、すでに新星を21時04分に確認したというメイルが届いていました。新星の光度は16.8等と観測されていました。さらに美星の浦田武氏からも、22時44分に「もう各地で観測が始まっていることと思いますが、美星(西山、浦川、浦田)でも撮りましたので結果をお知らせします。望遠鏡は1.0-mです。B等級とR等級のデータがあるUSNO-B1.0カタログを使いましたので、それぞれの明るさで測定してあります。これは各5枚の画像からの平均値で、R光度が16.2等、B光度が17.4等でした(注意:正式な測光ではない)。これによるとかなり赤い星のようですね。新星なら当然でしょうか」というメイルとその出現位置が届いていました。もちろん、これらの確認観測2件は、すぐダンに報告しました。23時21分のことです。そのメイルを見た門田氏から23時52分に「M33の新星は無事に確認できたようですね。こちらはどんより曇っています。9月下旬になりましたが、スカッとした秋晴れはまだ訪れず、日中は蒸し暑く雲が多い夜が続いています」というメイルが届きます。これらの確認観測を受け取ったダンは、9月20日00時55分に到着のCBET 1074で、西山・椛島氏の新星の発見を公表しました。このCBETを彼らに送付しておきました。

翌日、9月20日夜になっても、新星の光度観測は美星で行われ、彼らの観測によると、20日21時07分の新星の光度は16.5等でした。この観測は、その夜の21日01時52分になって、FAXで9月20日05時44分に届いていたみやきでの観測とともにダンに送っておきました。ダンは、ちょうど1日後の9月22日01時04分到着のCBET 1080で彼らの光度を公表してくれました。そこに報告されていた新星のスペクトル観測によると、この新星は急速に暗くなっていくことが推測されていました。この夜の02時46分にダンにお礼方々、前日に届いていた9月21日朝のみやきでの光度観測を報告しました。彼らの観測によると、そのときこの新星は17.8等まで減光していました。スペクトル観測による推定どおり、新星は発見後にその極大を迎え、減光し始めたようです。

ところで、その際『ダン。その後のことを聞いていなかったが、昨年、危篤となったきみの父さんはまだご存命か。もしそうだったら回復して本当に良かった。しかし、私の父は9月12日の朝に行ってしまった。そのため、この1週間たいへん忙しかった。今考えると、あの父のお陰で今のような自分勝手、自由な生き方が行えている気がする……』ということを書き添えておきました。それを見たダンからは「Yes. 私の父は幸いにもまだ生きている。お前の父が先に亡くなったのは残念だ」というメイルが返って来ていました。

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超新星 2007kj in NGC7803

10月2日夜は自宅でうろちょろしていました。すると、夜半が過ぎた10月3日00時18分、電話が鳴ります。『これは、板垣さんかなぁ……』と思って受話器を取ると、「あぁ……、中野さん」という声が聞こえてきます。やはり板垣さんでした。『また、何か見つけましたか』とたずねると、氏は「はい。NGC 7803に超新星です」と話します。『それでは送っておいてください。すぐオフィスに行きます』と返答し、電話を切りました。そして、オフィスに出向いてきたのは00時55分のことでした。板垣氏の報告は10月3日00時28分に届いていました。そこには「10月2日23時18分にペガスス座にある系外銀河NGC 7803を60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCDで20秒露光で撮影した10枚以上の捜索フレーム上に17.4等の超新星を発見しました。60分の追跡で移動は見られません。最近では、9月20日夜にもこの銀河を捜索しています。しかし、その夜の捜索フレーム上の出現位置に19.0等級よりも明るい星は見当たりません。また、この超新星は、過去の多数の捜索フレーム上、およびDSSにある過去の画像上にもその姿が見られませんでした」という報告と、その出現位置、銀河中心位置が書かれていました。

その氏の報告をダンに転送したのは01時08分のことです。そして、01時10分に板垣氏に電話を入れ、中央局に送ったということを伝えました。氏からは、01時16分に「中野さん。拝見しました。わざわざ電話をすみませんです。ありがとうございます」という返信が届きます。01時49分には、上尾の門田健一氏から「こちらはドン曇です。今年の秋は天候が不安定です」という連絡があります。『ありゃ……。今年の上尾は天候が悪いな……』と今夜の確認はあきらめることにしました。そして、この夜は07時10分に業務を終了し、自宅に戻りました。ここも上尾と同様に曇り空でした。

10月3日夜、今度は睡眠中でした。21時58分に携帯が鳴ります。『たぶん板垣さんだ……』と思って電話に出ました。「中野さん。どこにいますか。確認できました。確認を送ってあります」という連絡でした。すぐ起き上がり、したくをして22時30分に自宅を出て、ジャスコで食料品を買って23時05分にオフィスに出てきました。板垣さんの報告は、3時間も前の20時09分に届いていました。氏の今夜の光度は17.3等と観測されていました。その氏の報告をダンに転送したのは23時09分のことです。夜半が過ぎた10月4日00時48分に門田氏から「晴れ間が見られましたので、10月4日00時過ぎに撮像してみましたが、銀河中心が明るく、超新星が分離できませんでした。銀河の南西方向に出っ張っているのが分かるのですが、はっきりしない写りでした」というメイルが届きます。中心核からの離角が12"ほどしかありません。これくらいの角距離になると、板垣さんのように長焦点でないと分離が困難なのでしょう。この超新星は、板垣氏からの確認観測を報告してから約2時間後の01時54分に届いたCBET 1092に早々と公表されました。それを見た板垣氏から07時15分に「おはようございます。昨夜は中野さんに電話をして、安心して……少しだけ寝たつもりでしたが起きたら朝でした。門田さん、確認観測をありがとうございます。今、メイルを見たら2007kjになっていました。ありがとうございました」というお礼状が届きます。そのメイルを見て帰宅しました。なお、この超新星は、板垣氏発見のおよそ半日後の10月3日14時頃にチリのラシラにある欧州南天文台の3.6-m反射望遠鏡でスペクトル観測され、Ib/c型の超新星出現であることが確認されました。

板垣氏は、これで、34個目の超新星を発見したことになり、氏が持つ日本での超新星、最多発見数をさらに更新しました。なお、この頃、山形大学は、板垣氏がこれまでに多数の超新星を発見し、天文学に多大なる貢献をしたとして名誉博士号を贈り、その偉業を称えています。

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アンドロメダ大銀河に出現した新星 2007-10a in M31

それから約1日後のできごとです。10月5日の夕刻に、日本スペースガード協会の高橋典嗣氏と美星スペースガードセンターの浅見敦夫氏が当地を訪れる予定でした。そのため、17時30分に起床し18時前にオフィスに出向いてきました。しかし、彼らはまだ到着していませんでした。そこで、約3か月ぶりに散髪にでかけました。すると、髪を刈ってもらっている最中に浅見氏から電話があります。「今、大橋を渡った」とのことです。『じゃあ……。あと30分くらいか。待っている』と返答しました。散髪が終わってオフィスに戻ると、彼らはその直後の19時10分に到着しました。少し話をして食事に出かけ、22時頃にオフィスに戻って話をしていた最中のことです。23時30分に電話があります。話を中断して電話に出ると山形の板垣公一氏からでした。氏の話によると「アンドロメダ大銀河に新星を発見した」とのことです。『それでは、送ってください』と言って、彼らとの話に戻りました。しかし、話に夢中になり板垣さんの発見をすっかり忘れていました。夜半が過ぎた02時30分に『いけない。板垣さんの発見があった』とやっとそのことに気づきます。

話を中断して届いていたメイルを見ると、板垣氏の発見はそれより3時間も前の23時45分に着いていました。そこには「10月5日23時33分に60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCDでアンドロメダ銀河の一区画を20秒露光で撮影した捜索フレーム上に、16.0等の明るい新星を発見しました。この新星は、10月2日の捜索時には20等級以下で出現していません。30分間の追跡で、光度と位置に変化はありません」と、その出現位置が報告されていました。また、その発見画像も10月6日00時02分に届いていました。画像を見ると、またまた可愛い新星でした。02時35分に、まず板垣氏にお詫びの電話を入れ、急いで発見報告を作成して、02時38分に氏の発見をダンに送付しました。高橋氏と浅見氏は、そのあと02時50分に東京に向け帰っていきました。

02時59分、上尾の門田健一氏から「観測中です。報告の位置に星が存在します」という確認第一報が届きます。03時04分には、板垣氏から「あらためてこんばんは。報告拝見しました。ありがとうございます。その新星ですが急激に減光が始まりました。「明るい新星は急激に暗くなる」という話を聞いていますがそのようですね。02時38分に16.3等です。門田さん。観測が早いですね! 私の画像です」というメイルと新しい画像が送られてきます。しかし、門田氏からは、03時23分に「光度測定のフレームを撮像するときに雲がかぶったので撮り直し中です」と連絡が入ります。

それを待ってから二人の観測を一緒にダンに報告しようと、門田氏の報告を待っていたちょうどそのときのことです。03時30分、電話が鳴ります。『板垣さんか……』と思って受話器を取りました。しかし、板垣さんの口調ではありません。『これはいったい誰なんだ。この忙しいときに……』と思いながら、話を聞くと、久留米の西山浩一氏のようです。『何ですか?』とたずねると、氏は「M31に新星を発見しました。これから送ります」と言って、こちらから『それは、見つかっています……』という話をする間もなく、電話が切られました。同じ新星の報告ですが、独立発見ですから次にダンに送る同じメイルで処理することにしました。

さて、門田氏のその観測は「雲が通過したと思ったら、今度は風で鏡筒が揺れてしばらく待っていました」というメイルとともに03時35分に届きます。02時56分に行われた氏の新星の光度は16.4等でした。それを見た板垣氏からは「門田さん。確認観測をありがとうございます。位置もぴったりで安心しました。悪条件での観測の様子ですね! 山形も不安定な空です」というお礼が03時43分に門田氏に送られていました。

西山氏とみやきの椛島冨士夫氏からのメイルは、その直後の03時45分に届きます。そこには「10月6日02時32分に40-cm f/9.8反射望遠鏡+CCDカメラでM31を撮影した捜索フレーム上に新星を発見しました。新星の光度は16.6等です。68分の追跡で移動は認められません。なお、10月2日に捜索したときは、19.4等級より明るい星は出現していませんでした」という報告とその出現位置が書かれてありました。03時56分には、門田氏から「また雲が通過中です。光度測定用の標準星フレームに雲がカブらないように、観測室に何度も上がって空の状態を確認しながら観測していました。こちらの画像を添付します」と確認画像が届きます。門田氏の広い写野には、銀河中心の集光部までが強烈に写っていました。

もちろん、彼ら(板垣・門田)は、この新星の独立発見が報告されたことはまだ知りません。そこで彼らとダンに、板垣氏の再観測、門田氏の確認、西山・椛島氏の独立発見をまとめて送りました。10月6日04時00分のことでした。ところで、西山・椛島氏の報告は十分なものではありませんでした。そこで、今後のために『出現位置の報告は,皆さんが使っているフォーマットに必ず従うこと。また、時刻の表記がまことに不十分です。UTならばそれを書き込むこと(JSTは、受けつけません)。なお、東亜天文学会では、新天体発見に賞金を出していますが、西山さんは会員ではないようですので出ません。ご了承ください。椛島さんは、発見時点で会員資格があるならこれまでの2回の発見について賞金が出ることになります』というメイルを04時14分に送っておきました。板垣氏からは、05時06分に門田氏へ「今まで捜索をしていました。画像を拝見しました。透明度が良さそうですね! とてもクリアな画像です。60-cmと同じみたいです。腕が良いのかな! でも、やはりご苦労されている様子もうかがえます。本当にありがとうございました」という返答が送られていました。西山氏からは、その後も新星の光度観測の報告が続きます。これらは05時07分にダンに送付しました。この夜は、早起きしたこともあって05時30分に業務を終了し、快晴の空の下、帰宅しました。なおこの新星は、10月6日に西欧でその出現が確認されました。また、別のグループによる独立発見も報告されています。

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