天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2008年12月5日発売「星ナビ」1月号に掲載

はくちょう座新星 No.2 2008=V2491 Cygni

2008年3月15日朝、『そろそろ帰ろうか……』と帰宅の準備をしていた07時すぎのことです。九州の西山浩一氏と椛島冨士夫氏から「また、別の新星状天体をへびつかい座に発見しました」という電話があります。『何等ですか』「11.8等です」『暗いですね。そういうのは危ないんですよね。今度は大丈夫ですか……(2008年12月号本連載参照)』。「はい」。『では、待っていますので送ってください』と答えて、氏からのメイルを待つことにしました。07時49分に氏らからメイルが届きます。そこには「2008年3月15日03時21分頃に200-mm f/4.0レンズ+CCDでへびつかい座を5秒露光で撮影した2枚の捜索フレーム上に11.8等の新星状天体を発見しました。今年3月11日、12日、13日に撮影した極限等級が13等級の捜索フレームには、この星の姿がありません。また、Digital Sky Survey(DSS)をはじめ各種の変光星カタログにも記載されていません。MPチェッカーで調べると、発見位置の1'以内には小惑星もいません。USNO B1.0カタログには、発見位置から約4"ほど離れた位置に17等級の星があります」と報告されていました。『これだけ調べていると、今度は本物か……』と少し暗いことを心配しながら、08時19分にこの発見をダン(グリーン)に報告しました。そこには『これは、ちょっと暗いので、またまた心配だ。誰かから独立発見が報告されない限り、未確認天体のウェッブ・サイトには入れないでくれ』という連絡を入れておきました。そして、この日の朝は09時00分に帰宅しました。よく晴れた快晴の空でした。でも、発見のときにいつもなら迎えてくれる犬ちゃんがどこを探してもいませんでした。『こりゃ、まただめかも知れない……』と心配しながら自宅に入りました。

その夜は、日付が変わった3月16日00時45分にオフィスに出てきました。すると、その夜(15日)の22時52分に西山氏から「たびたびご迷惑をかけまして申しわけありません。朝、ご連絡したものは小惑星でした。チェックしたつもりでしたが、漏れていました。今後は、200-mmレンズを105-mmへ変更して写りを落とします。かつ、原則として40-cm反射で確認後、ご報告するようにしますので、何卒ご了承のほどお願いします」というメイルが届いていました。『いわんこっちゃない……』と、少々むっか〜〜としながらダンに『今朝報告した新星状天体は存在しない』と連絡しました。3月16日01時07分のことです。そこには『通常は私の方で小惑星のチェックを行うが、彼らは「小惑星をチェックした」と報告してきたため、これを調べなかった。彼らは新天体発見者としては未熟であるといわざるを得ない。ハードなトレーニングが必要だ』と書き添えておきました。それを見た上尾の門田健一氏から01時34分に「今夜は曇天ですが、待機していました。MPチェッカーで調べてみると、(20)Massaliaであることが、ただちに判明しました」というメイルが届きました。

それから約1か月後のことです。満開となった桜を夜中に見物したあと、前日の夜から降っていた雨がやんだ4月11日朝、03時30分にオフィスに出向いてくると、4月10日11時41分に西山氏から「星ナビ5月号(M33に出現した新星)を見ました。我々のささやかな発見をとりあげていただき、ありがとうございました。超新星捜索のためのM33の捜索ですから、最初は当然のように中心部の1枚だけを撮影していました。しかしこの新星の発見の直前に、捜索範囲を銀河周囲まで広く加えました。発見は、範囲を変えた直後のことで気合いが入っていました。ただ、この発見そのものは偶然ではなかったか……と考えています。しかしこの発見で“系外新星が発見できる”と自信を持てたことが、結果的に大きかったと考えています。そのあと、M31の方も範囲を広げて捜索を始め、成果が上がっていることは、ご存じのとおりです。そのため、我々に取ってはこのM33の発見からすべてが始まったと感謝しています。今後は超新星・系内新星を探しながら、系外新星の捜索にも力を入れます。今後とも、中野さんには迷惑のかけ通しになりますが、頑張りますのでよろしくお願いします。なお、何回もご迷惑をかけました銀河系内新星ですが、もう大丈夫です。ASASに対抗できるように最微星15等級のレンズを使ったのが失敗だと思います。この等級まで撮影すると、12等〜13等の変光天体を一夜に20個も捉えてしまいます。そこでレンズを105-mmに変え、極限等級を13等前半まで落としました。疑問天体もせいぜい1個しか出てきませんので、あとのチェックも楽になりました。おっと……、撮影も1/4ですみます。乞う、ご期待……」というメイルが届いていました。『ほんとに大丈夫か……』と思いながら、氏のメイルを読みました。

その氏のメイルを読んでから、わずかに1時間後のことです。4月11日04時35分、当の西山氏から電話があります。「はくちょう座に7.5等の新星を発見した」というのです。『えっ、ほんとですか……。「乞う、ご期待……」のメイルを読んでから、まだ1時間かしか経っていませんが……』と話すと、「今度は大丈夫です。40-cmで存在確認もしました。明るいし……。今、送ります」と話します。しかし私は、まだ半信半疑で、狐につままれたような気持ちのまま、氏らからの報告を待つことにしました。氏から「はくちょう座に7.7等の新星らしき天体を発見しました……」という報告が05時06分に届きます。しかし、氏のメイルには具体的な機材と発見状況が書かれてありません。そのため、05時25分に彼らに電話をかけ『もう少し具体的な発見状況を書いた報告』が欲しいことを伝えました。

その再報告が05時41分に届きます。そこには「2008年4月11日早朝02時27分にはくちょう座を105-mm f/5.6レンズ+CCDカメラで20秒露光で撮影した2枚の捜索フレーム上に7.7等の新星状天体を発見しました。最近では4月4日と8日早朝にこの星域を撮影していますが、その捜索フレーム上には、12等級より明るい星はありません。また、この新星は、DSSや変光星カタログ等で過去に撮影されたフレーム上にも、その姿が見られません。この星の存在は、40-cm f/5.6反射+CCDに10秒露光で03時53分までに撮影した4枚の画像上に即座に確認しました。54分間で移動はありません」という報告とその出現位置が届きます。発見報告には105-mmレンズの極限等級が書かれてありませんが、それ以外、見た限りでは完璧になっていました。明るい新星の出現ですので、急いで氏らの発見に『発見フレームの極限等級がわからないが、たぶん12.5等であろう』と書き添えて、ダンに報告しました。4月11日05時52分のことです。すると、その49秒後に西山氏より「105-mmレンズによる発見画像の極限等級は2枚とも13.0等です」というメイルが届きます。しかし、ダンに伝えた12.5等と大差はないためにこのことはダンに伝えませんでした。07時58分、中央局の「未確認天体」のウェッブ・ページに氏らの発見が入ったことを確かめ、08時30分にオフィスを出て実家に立ち寄り、09時30分に自宅に戻ってきました。

その夜(4月11日)は、途中でコンビニによって、食料品を買って4月12日01時55分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の昼14時09分にダンから「発見者にDSSの極限等級とその波長域と撮影日をたずねてくれないか。そうすれば、新星がどれくらい増光したのかがわかってくる……」というメイルが届いていました。さらに4月12日01時19分に西山氏から「確認観測です。40-cm反射で10秒露光で4枚の画像上に確認しました。高度がまだ低く、かつ薄雲があって、極限等級が15.3等と写りが悪いですが、新星の光度は7.1等に増光しています」という報告が届きます。02時06分に氏らには、ダンからの要求を伝え、02時23分にダンに氏らの確認を伝えました。そのメイルには『彼らは最近探索を始めたばかりのビギナーだ。あんまり厳しいことを言うな。ところで、最近新星の独立発見が重なることが多いが、昨日朝(4月11日)は、九州の一部の地域だけが晴天であったのが、NishiyamaとKabashimaにとって幸運だったのだろう。しかし、今夜は、晴天域がここまで広がってきた。未確認ページを見ていない誰かから独立発見の報告があるかも知れない』と書き添えておきました。

その直後の02時31分、西山氏から電話があります。ダンには、氏らの「比較に使用したDSSは、USNO-B1.0カタログにある19.2等の星は確認できるが、20.4等は見られない」という報告を02時34分に伝えておきました。その10分後の02時43分には、門田氏から「遅くなりましたが、今観測中です」というメイルが届きます。どうも、晴れ間は、関東まで到着しているようです。門田氏からは、03時08分に「発見位置に明るい恒星が存在します。4月12日02時46分撮影の画像の光度は7.4等です」という報告と、その測定位置が届きます。03時15分、門田氏のこの確認をダンに送っておきました。その2分あとに門田氏から「出現位置から12"以内にある恒星」のリストが届きます。もっとも近い星は、出現位置からわずかに0".8にある16等級の恒星でした。もちろん、氏のこの調査は03時22分にダンの送付しておきました。ところで、門田氏の調査は、西山氏らが伝えてきた「DSSには20等級より明るい星がない」という報告と矛盾します。そこでダンには、03時52分に『発見者からの情報を無視して、Kadotaの調査を採用するように』と伝えておきました。

ダンは、4月12日04時56分に到着のIAUC8934で氏らの発見を公表しました。そこには「未確認天体」のページに公表後に、「この新星は各地でも7等級で明るく観測されている」こと、そして「中国でも、発見同日05時頃に撮影された捜索フレーム上にも写っていた」ことが報告されていました。なお、12日06時(JST)に埼玉の三ツ間重雄氏からも「この朝(4月12日)05時52分に85-mmレンズ+デジタル・カメラで撮影した画像に8等級のこの新星を発見した」という報告がありました。06時20分になって、西山・椛島氏には『おめでとうございました。過去の画像の調査はもう少し慎重に行ってください。ただ今、報道各社に新天体発見情報No.122を発行しました。そちらのファックスが中々受け取らないので、メイルで送ります』というメイルとともに、発見が公表されたIAUC8934を送っておきました。板垣氏からは、06時38分に「V2491 CYGNIの発見、おめでとうございます。山形は晴れませんでした。門田さん。いつも確認観測、ありがとうございます。北国の山形ももうすぐ桜が咲き始めます」というメイルが発見者に送られていました。

この朝、津山の多胡昭彦氏とスカイ&テレスコープ誌のやり取りの関係で、多胡氏にメイルを送る都合がありました。そこで、多胡氏の「今日(11日)に契約書の内容を了承した旨の書類を航空便にて発送しました。到着には1週間前後かかるとのことでした」というメイルの返答として『ご連絡、ありがとうございます。スカイ&テレスコープ誌には、契約書を発送したことを連絡しておきました。西山・椛島さんが新星を発見しました……』ということを伝えておきました。明るい新星のために、多胡氏も、この新星の出現に気づくのではないかと思ったからです。

この日(4月12日)の夕刻は、17時00分に自宅を出発して、南淡路に出かけ、ジャスコやリベラルなどで買い物をしたあと、オフィスには19時30分に出向いてきました。すると多胡氏は、この朝のメイルに気づかなかったようで、12時54分に「先日はいろいろお世話になりました。今朝、撮影の3枚の画像に8等級の疑問星像が写っていました。ご迷惑をおかけするかも知れませんが、確認依頼のため、その画像とデータを送ります」というメイルが届いていました。しかし、氏もこの発見に気づいたのか、14時52分と15時25分に「今日、疑問天体について連絡しましたが、中野さんから連絡のありました西山さんたちが発見した新星と同じものでしょうか。お忙しいところ申し訳ありませんが、問い合わせをいたします」。さらに「新星の件、お知らせいただきながら、私の注意不足でした。申しわけありません。問い合わせを取り消します」という連絡がありました。

そして、17時51分には「最近は、過日のV2468 Cygniといい、今回のはくちょう座新星といい(その他を含め……)、発見される直前は、快晴。どういうわけか、新星出現の日だけが曇天で捜索不能。翌日、捉えてみるとすでに発見済み。これが新天体の捜索というものとはわかっていても、これほど立て続けて重なると、もはや「新星」には見放されたのではないか、もう、ぼつぼつこれを機会に捜索は、私の体力とも相談し、引退する歳になったのではないかと思うようになりました。その反面、この悔しさをバネにもうひと頑張りをすべきなのかどうか。それらが今、頭の中を往復しているところです。それにしても、私の不注意により、大変ご迷惑をおかけしました。また、お世話になりました。ありがとうございました」というメイルも届いていました。多胡氏には、4月13日23時12分になって『最近は、新星を捜索している人が多いですよね。恐らく、銀河系内の発見可能な新星は、すべて発見されているものと思います。そうでなければ、あのように発見が重ならないでしょう。なぜ、新星発見がこんなに活発になったのか、わかりませんが、OAAからの賞金のせいもあるのでしょうか。ところで、西山・椛島さんも70代です。そのせいか、彼らからの発見報告は完全ではありませんが、それでも、運があれば発見はできるものです。今回は、九州の一部だけが、当夜晴天だったことが彼らに幸運をもたらしたのでしょう。どうぞ悲観されないで、頑張るようにしてください』というメイルを送っておきました。多胡さん、頑張ってください。報告をお待ちしています。

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超新星2008bt in NGC3404

西山・椛島氏による「初めての新星発見」の余韻がまだ残っていた4月14日のできごとです。自宅で出勤の準備をしていた22時29分に電話があります。「あぁ……、中野さん」と山形の板垣公一氏のようです。例によって、いつものとおり『どうかしましたか。また、何か見つけましたか……』とたずねると、氏は「はい。NGC3404に超新星です」と話します。『では、送っておいてください。これから出かけます』と返答して23時00分に自宅を出て、途中のコンビニで食料品を買って、23時15分にオフィスに出向いてきました。板垣氏からの報告は22時51分に届いていました。そこには「2008年4月14日夕刻、21時49分にうみへび座にある系外銀河NGC3404を60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCDで撮影した捜索フレーム上に、16.6等の超新星を発見しました。4月4日にもこの銀河を捜索しています。しかし、その夜の捜索フレーム上の出現位置に18.5等級より明るい星はありません。また、この超新星は、過去の捜索フレーム上にもその姿が見られません。なお、60分の追跡で移動は認められません」という発見報告と超新星の出現位置、銀河中心位置が書かれてありました。さっそく氏のこの発見をダンに報告しました。23時51分のことです。板垣氏からは23時56分に「拝見しました。ありがとうございます。門田さん。確認観測をよろしくお願いします」というメイルが届きます。

そのあと板垣氏に電話を入れました。実は、この夜が明けると、早朝の高速バスで岡山の美星に出かける必要があったのです。そのため、板垣氏には『今夜は、03時すぎに自宅に戻ります。今日は美星に出かけ、忙しいので日帰りして、23時すぎにオフィスに戻ってきます』と伝えました。このことは、ダンにも『今夜は連絡が取れなくなる』と伝えておきました。門田氏からは、4月15日02時13分に「撮像してみたのですが、帰宅が遅く、高度が低くなり測定可能な像が得られませんでした。なんとなく写っているような気がしますが、分離できないようです。どうもすみませんでした。仕事の締め切り間際で、今週一杯は、忙しい状態です。先週末の土日は出てましたので、疲れで不調です」というメイルが届きます。門田氏には、毎夜のように過度な仕事をしてもらっています。そのため『門田さん。お身体には十分注意してください』と心の中で祈ってしまいました。

そして、この超新星の今後が気になりながら、03時45分に晴天の下、自宅に帰りました。その夜、美星からオフィスに戻ってきたのは、4月15日23時00分のことです。すると幸いなことに、この超新星は、板垣氏の発見1日前の4月13日14時頃に、KAITO超新星サーベイでも、板垣氏の発見光度と同じ16.6等で発見されていました。板垣氏の1日後の発見が、その確認観測も兼ね、私がオフィスを離れた2時間後の05時33分到着のCBET1336で発見が公表されました。そして、それを見た板垣氏から06時55分に「おはようございます。1日前にこの道のNo.1にやられましたね! ありがとうございました」というメイルも届いていました。なお、この超新星は、板垣氏発見の翌日4月15日にはスペクトル観測が行われ、極大近くのIa型の超新星出現であることが報告されています。板垣氏は、これで、38個目の超新星を発見したことになり、氏が持つ我が国での超新星最多発見数をさらに更新しました。同じ日の12時00分には、多胡氏から「新天体の捜索のみならず、夢を追いかけるということは、多くの失敗・後悔・悩み・悔しさ等々の連続、このような積み重ねの中で、わずかな幸運に恵まれることがあるというのが宿命だとはわかってはいても、やはり人間です。ときには沈み込んでしまうことがあります。こんなとき、中野さんからの励ましのメイルをいただき、大変ありがたく拝見いたしました」というメイルも届いていました。

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