天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2009年4月5日発売「星ナビ」5月号に掲載

ジャコビニ周期彗星 205P/Giacobini(1896 R2=2008 R6)

板垣公一氏の広角望遠鏡による成果は、先月号に紹介した2008年9月1日のアンドロメダ座の矮新星の発見だけではありません。2008年8月以後だけでも、おうし座の矮新星、オリオン座のV1647の再増光など多くの特異天体を見つけていました。『そろそろ捜索目的である新彗星が……』と考えても不思議ではない時期でした。

そして、そのときがやってきました。2008年9月10日夜のことです。この日は、連夜の激務のせいか23時になっても、まだ眠っていました。23時13分、寝室に置いてある携帯が鳴ります。『誰だ、こんな時間に……』と思って表示を見ると、山形の板垣公一氏です。『また超新星を見つけたのかなぁ……。出るのをやめようか』とふと思いながら、やはり携帯を取ってしまいました。『はい、中野です』と答えると、「中野さん、彗星を見つけた!」という板垣さんの大きな声が聞こえます。「彗星」と言う言葉を聞いて、寝ぼけまなこから瞬時に意識がはっきりしました。板垣氏は「どこにいます?」とたずねます。『すぐオフィスに出向きます。報告を送っておいてください』と答え、携帯を切ろうとしました。そのとき氏はまだ「明るいから洲本でも観測できるよ〜〜」と話していました。

急いで身支度を整え、オフィスに出向いてきたのは23時29分のことでした。コンピュータの電源を入れメイルをチェックしましたが、板垣氏の報告は届いていません。そこで氏に『まだ着いていないよ』という催促の電話を入れました。すると氏は「10秒後に送ります」とのことです。その氏のメイルは、23時33分に届きました。そこには「こんばんは。彗星の発見報告です。この彗星は、札幌の金田宏さんの指導の下で発見したものです。報告にはこのことを入れていただきたく、伏してお願い致します」という内容から始まっていました。そして、「2008年9月10日夜22時38分に、わし座とみずがめ座の境界付近を彗星捜索用広視野望遠鏡(21-cm f/3.0反射+CCD)で撮影した捜索画像上に、13等級の新彗星を発見しました。発見直後、ただちに60-cm反射でその存在を確認しました」という報告と、21-cm捜索望遠鏡と60-cm反射望遠鏡による精測位置が書かれてありました。

ところで、板垣氏からのメイルが届いたとき、まず天文ガイド2008年10月号の全天図を見ました。この図には9月に観測できるすべての彗星が描かれています。全天図の極限等級は20等級ですので、その前後の非常に暗い彗星と8月下旬以後に発見された彗星は描かれていない可能性があります。しかし、8月下旬以後に明るい彗星の発見はありません。つまり、発見光度が13等級と明るい彗星は間違いなく描かれています。『えぇ……と。赤経が21h30mで赤道近くか』と思いながら全天図を見ました。しかし、そこには何もありません。『やった。新彗星だ』と、2002年12月に発見された工藤・藤川彗星(2002 X5)以来、実に6年ぶりの新彗星発見に、私も興奮しました。しかし、このとき発見位置を1時間間違えて記憶していました。これは、あとの処理に大きなミスとなってしまいます。実際には新彗星は、赤経20h30mの赤道上に発見されていたのです。そこには、この彗星と同じ動きで西に動いている1個の彗星「ジャコビニ周期彗星」があったのです。

そのあと、発見観測からバイサラ軌道を決定しました。すると、近日点距離がq=1.7AU、軌道傾斜角がi=17゚となります。『周期彗星みたいだなぁ……』とこれまた直感しました。しかしそう思いながらも、単純な軌道比較以外にここでも軌道をチェックを行いませんでした。なにせ、ここでも、全天図の発見位置には明るい彗星は描かれてないという思い込みが、私の頭を支配していたからです。発見報告時に計算したいくつかのバイサラ軌道は、すでにジャコビニ彗星とよく似ているものもありました。普通は、バイサラ軌道は観測時刻を天体の近日点として、その動きと合わせるための暫定軌道ですので、真実の軌道に似ることはまずありません。しかしこの彗星の場合、近日点通過と発見時刻が9月10日と一致していたために、必然的にバイサラ軌道も真実の軌道とほとんど同じものになっていたのです。

さて、板垣氏から届いた発見報告は、新彗星の発見の報告としては、これではいささか不十分です。そこで23時40分に板垣氏に電話を入れ、天体の形状をたずねました。しかし、氏にとっては予期していなかった質問のためか、中々要領を得ません。そこでおおよその見積もりとして、氏から「中央集光が強く、拡散状、視直径40"、尾が東南東に2'」という形状を聞き出しました。氏はさらに「小惑星の発見」と同様に「板垣・金田の共同発見として報告して欲しい」とのことですので、そのことを了解しました。そして中央局のダン(グリーン)に氏らの発見を報告したのは23時56分。電話で起こされてから43分後、発見報告を受け取ってから23分後のことでした。

彗星はほぼ衝の位置に発見されています。従って即座に確認できます。この報告は上尾(埼玉)と守山(滋賀)と八束(島根)に転送されました。このとき守山の井狩康一氏からは、23時50分と23時51分に彗星の観測が届いています。つまり、少なくとも守山は晴れているはずです。ダンへの報告が終わり、板垣氏から報告された6個すべての観測から、もう一度バイサラ軌道を決定し、その軌道からの予報位置を秦野、高知、美星、守山、上尾、八束、山形に送りました。この頃には、板垣氏の彗星は中央局のウェッブ・サイト、NEO Confirmation ページにも掲載され、海外の観測者からもその問い合わせがありました。

ダンへの発見報告から1時間後の9月11日01時07分に美星の西山・奥村氏によって観測された9個の確認観測が届きます。氏らの観測は、9月11日00時46分から00時54分に行われたものです。同じ時刻、守山の井狩康一氏からも「望遠鏡を片づけたら、久々の新彗星の確認依頼がありました。望遠鏡をセットし直して、再度観測を開始しました。コマは0'.8、位置角120゚の方向に1'程度の尾があります。全光度14.9等と見積もりました」というメイルとともに00時39分に行われた3個の観測が届きます。これらの確認観測は、01時14分と01時17分にダンへ送付しました。01時24分には、板垣氏から「今夜の最後の報告とします」というメイルとともに22時44分から01時07分までに行われた10個の追跡観測が届きます。氏のメイルには「彗星のコマの視直径は25"、尾は1'です」という訂正報告がつけ加えられていました。その頃、先ほど送付した井狩氏の観測に2バイトコードの文字(漢字)が混入していたので、01時38分に氏の観測を再送しておきました。

この間、『あれ〜、門田氏からの観測が来ない』と思いながら作業を続けていました。しかし、板垣氏からの報告の直後、01時39分に上尾の門田健一氏よりメイルが届きます。そこには「終電が遅れて01時ごろの帰宅でした。彗星の存在は確認して観測中ですが、低空ですので少々難儀しています。電線がじゃましているため通過を待っていますので、しばらくお待ちください」という連絡があります。『なぁ〜んだ。そうか』と思いながら、氏の上尾での観測を待つことにしました。その前に板垣氏の10個中の9個の観測をダンに送っておきました。01時42分のことです。そのとき少し時間が空いたので、02時13分にダンに『Itagakiからの電話によると、彗星は21-cm反射によって9月10日13時半UT過ぎに撮られた2枚の捜索画像から発見されたものだ。あとで報告したとおり、Itagakiは「彗星は強い集光がある拡散状で、その形状をコマの視直径25"、尾は東南東に約1'」と訂正している。Ikariの形状観測は受け取ったか。まもなくKadotaの観測が届くだろう』というメイルを送っておきました。そのとき、板垣氏から「何かとありがとうございます。この画像は鑑賞用に送ります。その為に測定はしていません。60秒露出です。測定画像はすべて10秒です。また、時計の時刻のエラーは1秒以内です。よろしくお願いします」というメイルが届きます。その画像には、かわいい彗星が写っていました。その形状から、彗星はアウトバーストして増光し、発見されたという感じがしました。さらに02時25分には、井狩氏より9月11日01時15分から02時04分までに行われた4個の追跡観測が報告されます。

この時期、国外には我が国から送られた誤報が流れていました。そこで、ダンへ送った発見報告(23時56分)と形状報告(02時13分)の2通のメイルをマイク(メイヤー)に送り、正しい発見事情を伝えておきました。02時33分のことです。そのとき、門田氏より01時35分に行われた3個の確認観測が届きます。氏の報告によると、彗星のCCD全光度は13.1等、コマは1'、位置角124゚の方向に1'.1の尾があるとのことです。氏の報告は、連絡を待っていたダンに02時36分に送付しました。02時43分になって、マイクから連絡があります。そこには「新彗星についての発見事情をありがとう。アマチュアによる新彗星発見は実に感動的で嬉しいものだ。特に日本のアマチュアの新天体の発見と位置観測は、天文学に非常に有益だ。ところで、以前にたずねた、お前が見つけたラッセル・ワトソン彗星(1996 P2)の発見前の観測の細目が、ブライアン(マースデン)から伝えられてきた。それによるとこの天体(NV003)は、1995年5月2日に46-cmシュミットでヘリンらによって発見された天体で、発見時に形状報告はなかった。彼らは、2夜目の追跡ができなかったとのことだ」と以前、私の同定の中で彼がたずねてきた天体(NV003)についての、その後の情報が書かれてありました。マイクには02時53分に返信を送っておきました。

その直後のできごとです。マイクからダン、ブライアンと私に1通のメイルが届きます。そこには「Itagakiによって発見された新彗星は、1896年に出現し、それ以後見失われたジャコビニ周期彗星(1896 R2)と同定できる。発見後の3.4時間に行われた36個の観測による楕円軌道は下のとおりで、発見直後の観測は、NK1211にある予報軌道によくフィットしている」というメイルが届きます。『えっ、そんな馬鹿な。ジャコビニ彗星は全天図に入っている』と思いながら、全天図についているリスト中にあるジャコビニ彗星を探しました。『120番か……』と思いながら、そこに掲げられている位置を見ました。すると20h48m.6、−03゚29'、全光度と核光度は12.8等、14.8等(表の位置と光度は9月15日頃のもの)とあります。『これは先ほど見た位置だ』と思いながら全天図を見ました。すると、みずがめ座とやぎ座の間を南東に大きく動く彗星があります。『えっ、そんな馬鹿な。さっきはなかった。その横の空白部分、1時間西の空を見てしまったか』と、ようやくそのミスに気づき、しばらくの間茫然とした沈黙の時が過ぎ去りました。

しばらくして我に戻り、マイクが発見観測から決定した楕円軌道とNK1211にあるこの彗星の予報軌道を比べました。2つの軌道は、まったく同じものでした。また、唖然としたしばらくの時が過ぎ去りました。気を取り直すには、小一時間が必要でした。その間の03時00分にはルーリンのイエから板垣氏への「発見のお祝いの言葉」、03時26分には門田氏より02時00分頃に行われた2個の追跡観測が届いていました。NK1211にある予報軌道からこれらの観測の残差を見ると、110年以上見失われていた彗星にしては、予報からの発見位置のずれは、赤経方向に−0゚.35、赤緯方向に−0゚.02とわずかなものでした。その予報軌道からの近日点通過のずれも、わずかにΔT=+0.32日しかありませんでした。そして、すぐ連結軌道を計算しました。ロシアのべリアエフの軌道から作成された1896年11月4日から1897年1月5日までの観測と今回の発見観測は、問題なく連結できました。もちろん、マイクの同定は正しいことになります。そこで、マイクの同定指摘から66分後の04時01分にブライアンとダンにこの連結軌道を送付し『マイクの同定は正しい。彗星は1896年の出現以来、17公転して今回発見された。そして1962年9月9日には地球に0.51AUまで接近し、今回の発見と同じような条件にあった。さらに、彗星は1992年1月14日に木星に0.81AUまで接近した』ことを伝えました。

もちろんこのことはOAA/CSのEMESで『2002年以来、久しぶりに新彗星が発見されました。発見は板垣公一氏と金田宏氏によるものです。サーベイ開始は今年春以後で、21-cm f/3.0反射を使用して、2008年9月10日夕刻にみずがめ座とわし座の境界近くを撮影した2枚の捜索画像からの発見されたものです。彗星は中央集光が強く、拡散状、約25"のコマと東南東に1'ほどの尾が見られるとのことです。この彗星は守山の井狩康一氏、美星スペースガードセンター、上尾の門田健一氏らによって即座に確認されました。井狩氏によると、彗星のコマは0'.8、位置角120゚の方向に1'の尾、門田氏によると、コマは1'、位置角124゚の方向に1'.1の尾があるとのことです。この彗星は、ドイツのメイヤーによってNK1211に予報されているD/Giacobini彗星(1896 R2)と同定できるということが指摘されました。予報軌道からの近日点通過のずれは、わずかにΔT=+0.32日、予報からの発見位置のずれは赤経方向に−0゚.35、赤緯方向に−0゚.02でした。なお、1896年の位置は、ベリアエフの軌道から作成したものです』というコメントと軌道と予報位置を入れ、仲間にこのことを伝えました。04時19分のことでした。

05時02分に門田氏から「新彗星のご発見、おめでとうございます。久々の国内の彗星発見でとてもうれしく思います。板垣さんと金田さんの活躍には驚くばかりです。帰宅が遅く、観測準備の時点で高度20゚ほどでしたので、少しあわてました。さらに低空の電線にじゃまされて、視野の通過待ちで時間を要しましたが、発見当夜の観測が間に合って、ホッとしました」というメイルが届きます。そして、07時36分にこの彗星の発見が公表されたIAUC8975が届きます。しかし、彗星の公表前に過去に出現した彗星との同定が指摘されてしまったために、彗星には板垣氏と金田氏の名前は追加されませんでした。彗星の発見が一度IAUCに公表されたあとで、マイクの同定指摘が届けば良かったのですが、非常に微妙な段階でマイクからの連絡が届いてしまったことになります。IAUC8975の発行後、08時34分に報道各社に板垣・金田氏の彗星発見を告げる新天体発見情報No.129を送り、この彗星の確認作業を終えました。05時44分に門田氏に送った返信『あぁっという間に終わってしまいました。今度からは、うかうか居眠りをしておれません』のとおり、あっという間に彗星の確認作業が終わってしまいました。

その夜(9月11日)にオフィスに出向いてきたのは22時50分のことです。するとその日の昼、12時17分に板垣氏より「こんにちは。中野さん、昨夜は、急ぎの対応をしていただきありがとうございました。おかげさまで世界各地で観測をして下さり公表になりました。門田さん、早速の確認観測をありがとうございます。「彗星捜索」は、今から10数年前にこの21cm+CCDシステムで始めました。実は、このことが私がCCDの道(彗星の捜索)に入ったきっかけです。でも、いくらやっても照合がうまくいかずに断念しました。それで、仕方なく超新星探しに転向したのでした。そうして、今度は金田さんと共同で彗星探しを再スタートしたのです。そのために今まで1年がかりで照合用の画像を撮影していました。9月には、その照合画像をようやくほぼ撮り終えるところでした。しかし、この広い空下でこんなに早く発見できたことは、ほんとうに夢のような幸運と金田さんと話をしてます。これからも超新星、彗星探しを楽しみながら続けたいと思っています。今後ともよろしくご指導をお願い致します。ほんとうにありがとうございました」というメイルが届いていました。また、金田氏からも「いつも大変お世話になっております。板垣さんが発見された彗星について、色々とありがとうございました。新天体発見情報No.129もありがとうございました。この彗星は110年前のジャコビニ彗星と同定されたそうで、実に不思議な感じがします。今回バーストしたのでしょうか。板垣さんがお使いの21-cm f/3.0クラスの機材を使えば、まだまだ新彗星発見の余地は残されていると思っています。では、今後とも宜しくご指導のほどをお願い致します」というメイルが届いていました。ところで、彗星の9月11日夜のその後の観測が報告された時点で、彗星の運動には、早くも非重力効果が見られるようになりました。そこで、このことをブライアンとダンに連絡するとともにその軌道と予報位置を『9月11日の観測が雄踏の和久田俊一氏、守山の井狩康一氏、八束の安部裕史氏、芸西の関勉氏から報告されました。これらの観測は、連結軌道から4"ほどのずれが見られるようになり、彗星の運動には、非重力効果の影響が出てきているのでしょう。次の連結軌道は、非重力効果の影響を考慮して改良したものです。なおスペインのゴンザレスは、9月11日の眼視全光度を12.7等と観測しています』というコメントとともにEMESに入れました。

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