081(2011年1月)
超新星 2011BとM31の新星 M31N 2011-01aのその後
山形の板垣公一氏が2011年1月7日にNGC 2655に発見した超新星は、1月9日07時25分到着のCBET 2625で公表されました。そこには、広島の坪井正紀氏の1月8日の発見も独立発見と公表されていました。また、スペクトル観測によると極大光度へ数日前の増光中の超新星であることが紹介されていました。
その日(1月9日)の朝のことです。この日は前日とは違い、外気温8℃の暖かい朝でした。しかし、09時56分に届いた大崎の遊佐徹氏からのメイルでは「皆さま。おはようございます。宮城は昨夜21時まで快晴でしたが、その後、全天雲に覆われ、今朝は一面の雪景色でした。駐車場の雪かきでたいへんでした……」と北国では雪が降ったことが伝えられていました。10時40分には、坪井氏から「昨夜はお騒がせいたしました。知識不足ゆえ、招いた失態でした。移動天体の未確認一覧は知っていましたが、超新星などもあったのですね。今後は気をつけます。皆様に混乱を招いたのではと思い、この場をかりてお詫びいたします。板垣さん。発見おめでとうございます。爆発直後の発見に向けて、私もけっこう同じところを狙ってました。しかし、いかんせん広島は珍しく天候不順で、連続観測はできませんでした。私の場合は12月31日、4日の画像しか残っていません。1月7日も撮ったのですが、うす雲を通しての撮影で星雲だけしか確認できませんでした」というメイルが届いていました。さらに遊佐氏からは11時12分にメイルが届きます。そこには「板垣さん。超新星2011Bの発見、おめでとうございます。そして、坪井さん。独立発見おめでとうございます。年末年始もなく精力的に捜索活動にあたられたお二人の快挙に心より祝福申し上げます。今回は、メイヒルのリモート望遠鏡でお手伝いができたのが光栄でした。本当は大崎でも望遠鏡を向けたかったのですが、天候が悪くできませんでした。ところで、板垣さん。CBET 2625をありがとうございました。その後、送付ミスではなくクレジット払いの手続きが確定していなかったことによる期限切れであることがわかり、今朝、改めて購読の申し込みを行いました」と書かれてありました。
その夜は19時35分に自宅を離れ、南淡路で買い物をしてオフィスに出向いていました。その夜、1月10日03時26分に坪井氏から「先ほどまで雪でしたが、今、晴れてきました。SN 2011Bを撮ってみましたので報告します。1月10日02時22分に光度は15.2等となりました。昨日より少し増光しているようです」という報告があります。板垣氏の1月5日の発見前の光度が17.5等、1月7日の発見時が15.8等、8日の坪井氏の発見時が15.7等ですので、超新星は少し増光しているようです。氏の観測は、04時48分にダン(グリーン)に連絡しました。そして、06時15分に新天体発見情報No.174を発行し、二人の発見を報道各社に伝えました。関係者のメイルには『ご苦労様でした。新天体発見情報No.174を報道各社に送りました。本日、日本天文学会の新天体発見賞審査委員会が大阪であります。それに出かけるため、不在となります』と書き添えておきました。
そして、1月10日08時00分発のバスで大阪に出かけました。オフィスに戻ってきたのは18時20分のことです。その間、08時47分に板垣氏から「おはようございます。今は山形です。寒いです。けっこう雪が積もりました。発見情報を拝見しました。ありがとうございます」。そして、坪井氏から12時26分に「中野さん。新天体発見情報No.174ありがとうございます。毎回、記念に額に入れて飾っています。また、昨夜の観測まで入れていただいてありがとうございます。広島も夕方から雪で、あきらめて寝ようかと空を見上げたら晴れていました。そこで02時から06時まで継続観測と捜索ができました。最近は、明け方に晴れる傾向です。板垣さん。この超新星は、目標とされていた爆発直後の発見でしたね。今後の増光が楽しみです。私の知りうる限りの情報だけですが、板垣さんの1月5日の発見から光度変化をグラフにしてみました。13等級まで増光する可能性があると聞いています。少し継続観測をしてみます」というメイルが届いていました。しかし、この日はまだ睡眠を取っていません。そのため、これらのメイルを読んだあと、19時00分に自宅に戻り『ちょっとだけ……』と自分に言い聞かせ、眠りにつくことにしました。
ところが目が覚めたのは、1月11日04時00分のことでした。『あれ……、これはいけない。寝過ごした……』と04時30分にオフィスに戻ってくると、21時17分に遊佐氏から「先ほど、仙台の小石川さんから電話があり、私が発見したアンドロメダ銀河(M31)の新星状天体(PN)が1月10日20時32分に15.2等まで増光しているとのことです」というメイルが届いていました。そこであわてて05時19分にこの情報をダンに報告しました。この朝は、前日の会議で“彗星の観測ランキング(1990年以後)”をまとめて報告するという仕事を受けていました。そこで07時30分にこのリストを作成して、OAA/CSのEMESで仲間に連絡しました。そこには『訳あって、久しぶりにこのリストを作成しました。なお、1990年以後に彗星の観測を行った全天文台数は701で、私もけっこう良い位置にいます(361、D61)。観測数は少ないですが……』という注釈を入れました。その日(1月11日)の昼間、遊佐氏はメイヒルにある25cm望遠鏡を使用して、PNの確認に成功したようです。氏から14時25分にその観測がダンに送られていました。氏から届いたメイルには「PNの光度が1月11日12時41分に15.1等まで増光。これから大崎の30cmでも観測します」となっていました。M31の新星が15等級まで明るくなることは稀なことです。その後の物理観測が重要になります。このM31に発見した新星が公表されたのは、それから半日が過ぎた1月12日03時30分到着のCBET 2631のことでした。そこには、この新星が1月9日には14等級まで増光していたという観測もありました。なお、新星発見の第一報は、九州の西山浩一・椛島冨士夫氏からであったことも報告されていました。
門田健一氏の表彰
1月11日のEMESの冒頭に『訳あって……』と書いたように、実は、これは我々の仲間である上尾の門田健一氏を日本天文学会の天文功労賞(長期部門)の候補に推薦するための資料の1つでした。氏の推薦文は
『門田健一氏は、埼玉県上尾市の自宅で1999年から彗星の位置観測を始めた。初期には自宅付近での移動観測を行い、最近では自宅にドームを建設し、晴れている夜は、勤務(東京)から帰った後、毎夜かかさず観測態勢をとっている(注:いつ寝ているのか……。聞くところによると、通勤時間、計5時間を睡眠に使っている……)。驚くべきことは、大都会東京の光害の影響にも関わらず、氏は25cm反射望遠鏡+CCDを使用して、19等〜20等級の彗星も常時観測している。また、位置観測のみならず、彗星のCCD全光度を別途測光し、氏の精密な光度観測には大きな信頼がおかれている。
さらに氏は、一旦、見かけ上太陽に近づき観測不能となった彗星を、再度、世界の観測者に先駆けて観測することを心がけている。氏が再観測したこの種の彗星数は、はかり知れない数に上る。これらの氏の観測はその後の彗星の軌道の精度の向上に大きく貢献し、ひいては観測者に今後の彗星の正しい光度と位置予報を提供できていることにもなる。
門田氏の現在までに報告した彗星の観測総数は18,103個。1990年以後の彗星の観測では、氏のこの観測数は、SOHO衛星の太陽近傍の彗星の観測数、LINEARサーベイの捜索画像上に偶然とらえられた彗星の観測数を除くと、全世界で第1位の観測数である。もちろん、世界と我が国のプロ・アマチュアを含めトップの観測数となる。
門田氏は、また、真夜中にいつでも連絡が取れるという環境下にあって、我が国発見の新天体(彗星、新星、超新星)を発見直後に観測し、その確認作業にも大きく貢献している。逆に氏が関与していない新天体の発見はないと言ってよいほど、我が国発見のほとんどすべての天体の確認作業に関わっておられる。結果として、今では氏の信頼できる確認作業がなければ、新天体の確認が遅れてしまうことにもなっている。毎夜にわたるこのような氏の彗星の観測、新天体の確認作業等は、通常の会社員には行えない作業である。さらに氏が開発に関わった天文ソフトの我が国での普及も考えて、門田氏の活動は本会の天文功労賞(長期部門)の受賞に十分値するものであり、今年度の受賞者に推薦することにした』
というように書かせていただきました。なお、この推薦文は前もって仲間の皆さんに見ていただき、ご意見をうかがいました。1月12日06時19分のことです。すると、07時47分に板垣氏から「おはようございます。中野さんの温かい気持ちが良く伝わるとても素晴らしい推薦文です。受賞されたら、報道関係にも大きく紹介して下さい。よろしくお願いします」というありがたいメイルも届きます。仲間が表彰されるということは、誰にとってもうれしいことです。
再び、超新星 2011Bと新星 M31N 2011-01a
1月12日20時33分、坪井氏からその後の超新星2011Bの光度観測が届きます。氏の観測によると「1月9日に15.2等、10日に14.8等、11日に14.4等、12日に14.1等」と超新星は、明るく増光しているようです。21時27分には、遊佐氏から「板垣・坪井さん発見の超新星も、14等前半まで明るくなっていますね。どこまで明るくなるか、とても楽しみです。また、私の発見したM31の新星は、このたびおかげさまでM31N 2011-01aとして公表され、独立発見者として認められました。これも門田さんの確認観測、中野さんの情報の手配、みなさんのお支えのおかげであると感謝申し上げます。西山・椛島さんより早く撮影しながら、確認・測定・報告が遅れたことは、現状の私の実力を示すものと考え、今後の励みにもなりました」という返信が送られていました。また、板垣氏からは22時37分に「こんばんは。坪井さん。観測ありがとうございます。しかし、毎日良く晴れますね。超新星は、増光中は青白い光らしいです。でも、青−赤光度はマイナスにはならないとのことです。減光に転じると赤みを帯びてきます。しかし、私たちのCCDカメラでは赤に感度が高いので、初期の減光には気がつかないようです。分光観測では、青から落ちて赤が残る姿がきれいに観測されるようです。遊佐さん。M31の新星発見、おめでとうございます。ところで山形は、添付の写真のように昼の12時だというのに太陽の存在すらわかりません。お休みなさい」というメイルが関係者に送られていました。坪井氏からは1月13日00時50分に「日が変わって曇天です。最近はいつもこうです。望遠鏡を放っておくと冷たい物も落ちてきます。しかたなく閉めるのですが、明け方には晴間がまた少し顔を出します。中々ぐっすり眠れません。板垣さん。確かに波長ごとに異なる光度となりますね。広島大学の「かなた」の観測で見たのですが、それがよくわかります」というメイルが送られていました。その夜の04時06分になって、坪井氏の観測をダンに送っておきました。この頃、昨年(2010年)11月に亡くなったブライアン(マースデン)のICQ誌上に載せる追悼文を書いていました。それがほぼ終了したため、ダンには、もうすぐ原稿と写真を送れることも連絡しておきました。
再び、門田氏の表彰
1月16日23時00分に板垣氏より門田氏宛のメイルが転送されて届きます。そこには「こんばんは。いつも確認観測等をしていただき、本当にありがとうございます。お陰さまでたくさんのPSNに確定符号をつけていただきました。心から感謝しています。ところで、中野さんから嬉しい知らせがありました。中野さんが“日本天文学会の天文功労賞”に門田さんを推薦され、内定を受けたとのこと、素晴らしいことです。誠におめでとうございます。その推薦文を拝見して、中野さんの“口は悪いが心は温かい”を改めて感じたところでした。門田さん。これからも、お体には十分に気をつけられて、限りないご活躍をお祈り致しております。3月の天文学会総会を心より楽しみにしています。本当におめでとうございました」と功労賞の受賞について、板垣さんの祝辞が伝えられていました。当の門田氏からは、17日03時56分に「ご推薦いただきまして、誠に光栄の至りです。先週の金曜日に、渡部潤一氏より電話で内定の連絡を受けました。観測の積み重ねが認められることになり、観測者を代表してお礼申し上げます。これをきっかけにして、黙々と励む観測者に目が向けられることを期待したいです。たくさんの観測を経験して、発見に至らずとも趣味として楽しめること、困難な条件でも決してあきらめてはいけないこと、そして現状で満足してはいけないこと……などを学ぶことができました。いろいろご指導いただき、観測を続けられたことを本当に感謝しています」という返信が送られていました。私も06時59分に『何はともあれ、良かったですね。板垣さんのメイルでちょっと誤解しているところがありますので、訂正しておきます。それは「私(中野)があなたを推薦した」となっている箇所ですが、私は今、日本天文学会の発見賞・功労賞審査委員ではありません。オブザーバーになっています。私の代わりに、久万の中村彰正さんが委員になりました。決定は委員6名の投票で、私はかかわっていません。ただ、位置天文学関係の委員は3名ですので、そこで通ったのは価値がある思います』というメイルを送っておきました。
中央局TOCPのスタート
1月18日22時22分に、遊佐氏から中央局が新たに設けたウェッブ・ページTOCP(Transient Objects Confirmation Page)に掲げられた未確認天体の確認観測が転送されて届きます。それは、M31に出現した別の新星状天体の確認観測で、氏の確認観測は「天体は、1月15日に大崎の30cm望遠鏡で撮影した極限等級が18.5等級の画像上には見られない。しかし、18日に撮影した画像上には16.9等で写っている」という報告でした。
TOCPは、これまでの未確認天体のウェッブ・ページに代わる新しいサイトで、このページは、パスワードが与えられた者が自由にその観測を書き込める情報サイトです。このページ開設は、2011年1月10日16時27分到着のCBET 2629上に紹介され、その運用が始まりました。そのため、我が国の発見では、上に掲げた2個の天体(SN 2011BとM31N 2011-01a)が旧情報ページで処理された最後の天体となりました。新しいサイトの情報で最初に公表された天体は、1月13日に発行されたCBET 2633に掲げられたオリオン座の変光星(TCP J06195996+1926590)となりました。このサイトはその後、順調に運営されています。しかし、発見と確認情報はインターネット経由で誰もが閲覧可能となったため、そのスペクトル確認が行われるまで、新星と超新星の発見はCBET上に公表されなくなりました。逆にスペクトル確認されない天体は、新たな天体として認められなくなってしまいました。