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天文雑誌『星ナビ』連載中「新天体発見情報」

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111(2014年4〜6月)

2014年11月5日発売「星ナビ」2014年12月号に掲載

超新星 2014ao in NGC 2615

2014年春は、4月13日に曇り空からちょっと小雨が降ったあと、4月14日以後、17日まで晴天の空が続いていました。その4月17日21時40分に香取の野口敏秀氏から「TOCP(未確認天体確認ページ)に掲載されたNGC 2615の超新星状天体(PSN)ですが、23cm望遠鏡で4月14日21時23分に撮影したパトロール画像にかすかに写っていましたので報告いたします。画像上で星の存在はわかります。しかし春霞で写りが悪く、測定位置には大きな誤差が含まれているものと思いますが、参考まで送ります。この夜は、あまりの写りの悪さに途中で捜索をあきらめてしまいましたが、もっと注意深く見ていれば気づいたかもしれません」というメイルとともに、このときのPSNの光度は15.3等とその測定位置が報告されます。すると氏の報告を見た山形の板垣公一氏からも、22時22分に「私も見逃していました」というメイルが届きます。

TOCPを見ると、このPSNは、4月17日14時半頃にKAITOサーベイの画像から見つけられたものです。発見光度は15.5等でした。つまり、野口氏の観測は、発見3日ほど前の発見前の観測となります。氏の観測は、4月18日00時27分にダン(グリーン)に報告しました。このとき、板垣氏の観測も報告すべきでしたが、まだ氏がTOCPに入れたという情報を見ていませんでした。そのあと、板垣氏のTOCPへの報告を見ました。しかし、そこには氏の画像があるウェッブ・サイトのアドレスしか入っていません。その画像では、発見5日前の4月12日20時35分に撮影した捜索画像上にPSNがすでに出現しており、その光度は16.8等であったとのことです。『まぁいいか。ここにあるんだからダンも見るだろう』と結局、板垣氏の観測は報告しませんでした。

そしてこの超新星は、SN 2014aoとして4月21日13時51分に到着のCBET 3855で公表されました。そこには、板垣氏の発見前の観測は記載されていませんでした。これを知ったとき『すみません。板垣さん……』とお詫びの気持ちとなりました。なお、この超新星については、その後の新たなスペクトル観測が4月27日発行のCBET 3863に掲載され、南アフリカでの4月18日の観測では、この超新星は極大光度数日前のIa型の超新星とのことでした。

へびつかい座の矮新星

5月23日は運良く快晴の空でした。というのは、この日は植木屋さんが来て、実家と茶室の庭の草刈と除草剤と防虫剤を撒く日でした。以前、私が大事にしている花や海辺から採集してきた「浜ぢそ(ほうれん草のように食用になる)」などの群生植物まで刈り取られたこともあったため、しかたなく、朝から庭に出向いて行きました。草刈が一段落した夕方になって、母の様子を見に病院へ出向きました。そのあと、車に残した携帯に掛川の西村栄男氏から18時12分に電話があったことに気づきました。途中で吉野家に寄って、18時36分に氏に電話を入れました。そして『何かありましたか』とたずねると、「はい。また新星らしき天体(PN)を見つけました」とのことです。そこで氏には『今、外に出ています。19時頃にオフィスに戻ります。今度は本物(新星)だといいですね』と言って電話を切りました。携帯からメイルを見ると氏の報告は2014年5月23日17時47分に届いていました。

19時20分にオフィスに戻り、氏の報告をもう一度見ました。そこには「2014年5月23日03時40分に200mm f/3.2レンズの2連カメラでへびつかい座を撮影した捜索画像上に、12.1等の新星状天体を見つけました。4枚の画像上に写っています。画像の極限等級は13.2等で、5月21日22時52分に撮影した捜索画像上にはその姿がありません。なお、存知の変光星と小惑星は調べました」という報告と出現位置が記載されていました。氏からは、続いて画像が送られてきていました。この氏の発見は、19時44分にダンへ送付しました。それを見た西村氏からは19時59分に「さっそく処理いただきありがとうございました。どのような星かを楽しみにしております。彗星はなかなか見つからないです」というメイルが届きます。

それから約1時間半後の21時35分に大崎の遊佐徹氏より「西村氏のPNをサイディング・スプリングにある43cm望遠鏡を使用して5月23日20時45分に測光しました。V光度で12.7等です」という報告があります。さらに22時00分には、香取の野口敏秀氏からも「西村さん発見のPNを23cm望遠鏡で観測しました。一面雲に覆われていましたが、僅かな隙間から5フレームを撮りました。5月23日21時29分に12.8等でした。なお先日発見されたM106の超新星2014bcは、発見当日に撮っていましたが、銀河の中心部であったため、まったく気づきませんでした」という報告があります。氏の報告は、22時48分にダンに送付しました。すると、夜半が過ぎた5月24日01時52分には、山口の吉本勝己氏からもこの星の観測が届きます。『あれ……ずいぶん注目される星だなぁ……』と思いながら氏からのメイルを見ると「TOCPに掲載されてた西村さん発見のPNを観測しました。すでに遊佐さん、清田さん、野口さんの確認観測が掲載されていますが、多色測光の結果を報告させていただきます。天体は、かなり青い色をしています。5月23日22時32分に16cm望遠鏡で測光した結果、このときのV光度は12.4等でした」という観測報告でした。その日の昼13時02分になって吉本氏の観測をダンに報告しておきました。その後のTOCPの情報では、同じ5月23日夜に美星天文台の綾仁一哉氏が1m望遠鏡で行ったスペクトル観測では、この星も、また矮新星であるとのことでした。

299P/カテリナ・PANSTARRS彗星

5月27日18時34分にドイツのマイク(メイヤー)から3月29日に見つけたカテリナ・PANSTARRS周期彗星と小惑星2005 E L284、そして一夜の天体との同定(本誌10月号参照)について「あの同定は見事だった。ところで彗星の1988年回帰の観測(1987年)を見つけ、測定、報告したということをすでに知っていると思う。コメットグラフィ6に1988年の回帰を含めた軌道を掲載したいと思っている。申し訳ないが計算して送ってくれないか。Nakano noteに掲載したもので良い」というメイルが届きます。マイクには19時21分に『Yes、私は、誰かが1988年回帰の際の1987年に行われていた観測を見つけ、位置観測を報告していたことに気づいていた。きみがやったのか……。今月の彗星の改良軌道の予定表にこれを含めてある。多分、明日には送ることができるよ』という返信を送っておきました。

そして、約束どおり翌日5月28日の夕方、16時45分にマイクに『連結軌道は下のとおりだが、NK 2699に掲載した』というメイルを送りました。それを見たマイクから「すばやい計算をありがとう。ただ、ちょっと修正してくれないか。1987年の発見前の観測を見つけたのはイタリーのシコリだ」という連絡があります。そのメイルには日本語で「ありがとう」とありました。私は、1987年の観測はマイクが見つけたものと思い、NK 2699に『1987年の観測はメイヤーにより見つけられた』という記述を入れていました。そこで、それを訂正し、そのことを16時58分にマイクに連絡しました。そのメイルには『どういたしまして、なにかあったら、また、メイルをください。なかのしゅいち』と書き込んでおきました。すると17時01分にマイクから「あれ(日本語)は、別のメイルから転記したもので、日本語はあまり得意じゃない……」という返信が届きました。

304P/オリー彗星の検出(2008 Q2=2014 L4)

6月には、いろんなことが起こります。ここではまず、この彗星の検出を取り上げましょう。6月5日17時05分に東京の佐藤英貴氏より中央局(CBAT)と小惑星センター(MPC)に送られたメイルが転送されて届きます。そこには「サイディング・スプリングにある51cm望遠鏡を使用して2014年6月3日04時02分に、この彗星の予報位置近くを撮影した画像上にこの彗星を検出しました。集光した10″のコマが見られますが尾はありません。確認のために04時04分に撮った画像では彗星のCCD全光度は19.3等でした」という報告とともに2個の精測位置が届きます。そして、その20分後の17時25分に氏から「6月3日に撮像していた画像からP/2008 Q2を検出したのですが、検出位置には、MPCの予報位置からごくわずかのずれしかありませんでした。ここまで予報位置に近くに写ったのは初めてです。10枚撮ったのですが、後半は恒星に近く、しばらく見落としていました。しかし本日見直したところ、1枚の画像からもかろうじてわかるくらい明るい彗星像を見出しました。今晩か、次に晴れた晩に再度観測を試みます。P/2003 O3も南東の空にあって検出の好機なのですが、こちらは写野外なのか写ってくれません。81P/Shoemaker-Levy 6も明け方低く明るいはずなのですが、予報位置から30′以上離れているのか、核光度19等以下なのか……まったく写りません。ところで、小惑星2014 KM4は木星にあまり近づかない軌道となってしまい残念ですが、21等半ばで、2″/min以上の高速で動く対象を狙ったのは初めてで、楽しい経験でした」というメイルが届きます。もちろん、観測のずれをチェックしましたが、何の問題もなく、氏の観測はこの彗星の検出でした。

この彗星は、スイスのオリーが61cm f/3.9反射を使用して2008年8月27日にくじら座とうお座の境界付近を撮影したCCDフレーム上に発見した、周期が約6年の新周期彗星でした。発見光度は17等級、天体は小惑星状天体として報告されました。発見1日後の8月28日に50cm反射でこの天体を観測したドイツのクノエフェルは、天体には淡いコマがあることに気づきます。同じ日に60cm反射でこの天体を観測したイタリーのブッジーも、南西に伸びた12″のコマが見られることを観測しました。さらに、マウント・ジョンのギルモア夫妻らも、同日、1.0m f/7.7反射で観測したところ、14″の丸いコマを観測し、この天体は彗星であることが判明しました。日本でも、上尾の門田健一氏、守山の井狩康一氏、芸西の関勉氏、八束の安部裕史氏、平塚の杉山行浩氏、秦野の浅見敦夫氏ら多くの観測者によって彗星は追跡されました。発見約1か月後の10月から12月にかけて、14等級まで明るくなったことが報告されていました。

この彗星について佐藤氏から次に報告があるのは、約2週間後のことです。その同じ6月18日07時58分には、来月号に登場する佐藤氏による72P/デニング・藤川彗星の再発見の報があります。その佐藤氏からこの彗星の第二夜目と第三夜目の観測が届いたのは、その連絡より約7時間後のことでした。その間には、大泉の小林隆男氏が6月7日から松山で開催される彗星会議に出席の途中、6月5日17時01分の高速バスで当地に立ち寄られました。ちょうど佐藤氏からオリー彗星の検出、第1報があったちょうどそのときです。氏がここに2泊された間には、まさに「友、遠方より来る。また、楽しからずや……」で多くの楽しい会話がありました。本当はもっとゆっくりとして欲しかったのですが、彗星会議の開催時刻に間に合うように、ここを6月7日早朝06時55分発の徳島行き高速バスで、氏は松山に向け旅立っていきました。

さて、オリー彗星の二夜目と三夜目の観測は、6月18日15時19分に佐藤氏より届いた「72Dの検出」というサブジェクトのついたメイルの中にありました。そこには「オリー彗星(2008 Q2)は、その後、シーイングの悪い条件下、6月8日に観測し、本日再観測しましたが、ともに恒星状で暗いです。月明かりがある中で、なかなか難しい対象です。残差傾向も悪いように思いますが、いかがでしょうか。光度測定を行ってMPCに報告しようと思っていますが、もう一晩追加すべきかとも迷っています」という連絡がともにありました。もちろん、すぐ連結軌道を計算してみました。何の問題もなく、2つの回帰の観測群が結ばれます。そこで16時58分に佐藤氏に『まず、P/2008 Q2から……。下のとおり、問題ありません。すぐMPCに報告するようにしてください。H10=16.0〜17.0等くらいで、前回の出現と大きく違いません。第1報があったとき、小林隆男くんが来ていました。検出画像を見て「本当ですか。シミみたいに暗いですが……」と言っていました。さらに、2014 KM4の画像を見て「他にも、止まっているイメージがありますが……」と、また驚いていました。そのとき、一夜の観測ONSの中をチェックしましたが、該当天体はありませんでした。ONSが新しく更新されているので、今も、もう一度見ました。しかし、やはりありません。サイディング・スプリングは空が最高の時期です。うまくすると、まだ検出できるかもしれませんね。新発見も……。小林くんは、このあと松山の彗星会議に出かけました。「あなたが来ていなかった」と残念がっていました。では、早急に報告してください。このあと、72Pについてメイルを書きます』というメイルを送り、MPCへの観測の送付を薦めました。

佐藤氏がCBATとMPCに送ったメイルが転送されて16時59分に届きます。それと同時に17時00分に連結軌道をダンに送付しておきました。6月19日04時28分到着のCBET 3906で佐藤氏のこの検出が公表されます。佐藤氏の周期彗星検出は、これで8個目となります。なお、第二夜目と第三夜目の光度は、6月8日は20.4等、17日は20.5等で、彗星はともに恒星状でした。検出位置の予報軌道(NK 2151(=HICQ 2014))からのずれは、赤経方向に-40″、赤緯方向に-20″で、近日点通過日の補正値にしてΔT=+0.024日ほどありました。しかし、マースデンが生前に計算していた予報(MPC 65935)からのずれはなく、検出位置は見事に一致していました。なお、2008年から2014年までに行われた1022個の観測から計算した連結軌道がNK 2726にあります。

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