125(2015年7〜9月)
2016年1月5日発売「星ナビ」2016年2月号に掲載
超新星2015ae in NGC 7753
2015年7月27日夜、東京の古在由秀先生に用あってメイルを送ったとき、その中に『関東は暑い日が続いているようですが、こちらは、夜、窓を開けていると寒いぐらいの天候で、自宅で仕事をするときは、たまらず暖房を入れたこともありました。どうして報道で猛暑・猛暑……と言っているのかわかりませんが、今年は涼しい夏で助かっています。野菜に冷夏の影響が出てくるのではないかと思うほどです』と涼しく快適であることをお伝えしました。しかしそのメイルを差し上げてからの1週間は、7月初旬頃の暑さがぶり返し、例年のように暑い夏となってしまいました。『わぁ……いけないことを書いてしまった。せっかく神様がここだけに涼しい夏をくださったのに……』と後悔しました。しかしその暑い夏も一週間ほどで終わり、夜は本当に寒いくらいの日が続きました。その暑さが終わった頃から早くもコオロギが来てくれました。毎年、いつも書きますが『お前、こんな所で鳴いても彼女は来ないよ……』と思うのですが、驚くのは、朝になってガーデンテラスをよく見てみると、1匹か2匹の雌がいることです。
同じ頃の8月7日04時01分に山形の板垣公一氏より「ペガスス座にあるNGC 7753に超新星らしき天体です。TOCPに記載しました」というメイルが届きます。そこには「2015年8月7日01時18分に60cm f/5.7反射鏡でNGC 7753を撮影した捜索画像に、17.3等の超新星状天体(PSN)を発見しました。発見後、極限等級が19.5等級の8枚の画像上に出現を確認しました。過去の画像上には写っていませんが、発見2日前の8月5日01時31分に撮影した捜索画像上にすでに17.7等で写っていました。PSNは銀河核から東に17.5″、北に6.9″離れた位置に出現しています」という発見報告がありました。氏の発見画像では、17等級と少し暗いものの銀河の渦の中心近くにはっきりと写っていました。『NGC 7753はけっこう大きな銀河だなぁ……』と思ってそれを見ました。氏の発見は、04時36分に中央局のダン(グリーン)に送付しました。板垣氏からは、07時42分に「拝見しました。ありがとうございます。ところで、最近の空は晴れても透明度が悪くて何ともなりません。空が悪いと、眠くて眠くて……気合も入りません。昔話になりますが、ちょうど50年前の高校3年の夏休みに九州各地の海辺で20泊しましたが、ほぼ毎日、昼は青黒く澄んだ空で、夜になると見事な星空となる凄い快晴でした。近年、どうしてこんな空になってしまったのか……。中国の大気汚染の影響なのでしょうか(ひどいよねぇ〜。私も同感です)。霞のかかった山小屋から」というメイルが届き、報告をダンに送付したことを確認したという連絡があります。
この超新星は、8月7日23時59分に届いたATEL #7888で、同日に行われたアジアゴの1.82m望遠鏡によるスペクトル観測では、初期のII型の超新星出現とのことでした。さらにそれより約3か月後の11月16日11時46分到着のCBET 4178で、SN 2015aeの超新星符号が与えられました。そこには、発見後に行われた国内外の光度観測と、アジアゴと東広島天文台の1.5m望遠鏡で行われたスペクトル観測が紹介されていました。
SWAN彗星(2015 P3)
そんなとき、8月10日夕方17時26分に東京の佐藤英貴氏から、小惑星センターの「彗星確認ページ(PCCP)」にあるMAT01を観測したというメイルがカーボン・コピー(cc)されて届きます。氏の観測は、8月10日11時59分頃から米国メイヒル近郊にある51cm望遠鏡を使用して行われたもので、彗星には強く集光した2.0′のコマがあり、このときの光度は11.9等でした。PCCPを見ると、この天体にはすでに8月9日からの観測が報告されていました。そこで軌道を決定し、EMESで観測者に予報位置を知らせました。18時54分のことです。
その夜になって、香取の野口敏秀氏から20時49分に、板垣氏の超新星について「昼間は猛暑で、夜になると雲が広がる日が続いていましたが、やっと観測できました。23cmシュミットカセグレインで8月10日20時07分に17.3等でした」という確認観測が届きます。氏の観測をダンに送付しようとしたとき、21時22分に宇都宮の鈴木雅之氏からも、サイディング・スプリングにある51cm望遠鏡で17時38分に行ったMAT01の観測が届きます。氏の核光度は13.9等と観測されていました。そして、野口氏のSN 2015aeの観測をダンに送ったのは21時35分のことでした。
この彗星は、オーストラリアのマチアゾがSOHO衛星に搭載されたSWANカメラで2015年8月3日と4日に撮影された画像上、しし座とかみのけ座の境界を東に動く12等級の天体として見つけたものです。氏は、8月9日にキヤノン60Daデジタルカメラ+200mm f/2.8レンズでおとめ座に入ったこの天体を確認しました。このときは2′の集光したコマがあり、その光度は11.8等でした。さらに、氏はSWAN画像上を調査し、この天体がすでに7月28日には、おおぐま座の南端に写っているのを見つけています。同じ8月9日には、モーリらはチリのアタカマ高原にある40cm望遠鏡でこの彗星を捉えました。このとき、彗星には1.1′のコマが見られています。8月10日にはPan-STARRS1サーベイでも、彗星が捉えられ、東に伸びた約10″の尾がありました。同日、イタリーのギドーらがサイディング・スプリングにある50cm望遠鏡、ブラジルのジャックらはベロオリゾンテにあるSONEAR天文台の45cm f/2.9望遠鏡でこの彗星を捉え、似たようなコマを観測しています。
8月10日には彗星の眼視観測も行われ、その全光度をクラウドクラフトのヘールは12.2等(コマ視直径2.3′)、スペインのゴンザレスは10.3等(2.5′)と観測しています。さらに八束の安部裕史氏は8月14日にCCD全光度を12.7等と観測しました。安部氏の観測が報告された時点で軌道を再度決定し、EMESで仲間に送りました。そこには『(略)…また、彗星のCCD全光度を東京の佐藤英貴氏は8月10日と11日に12.3等。(中略)佐藤氏の観測では強く集光した2.2′のコマが見られるとのことです。なお明るい時期の彗星は太陽近傍を動き、間もなく終了するでしょう』というコメントをつけて、EMESで仲間に知らせました。その後は、佐藤氏が9月14日に16.1等、10月2日に19.7等と観測しています。氏によると、9月14日にはわずかに東南に伸びた集光のある25″のコマ、10月2日には集光のある8″のコマが見られたとのことです。なお、この氏の10月2日の観測が最終観測となったようです。
141P/マックホルツ第2周期彗星の増光と分裂核H
周期が5.25年のこの彗星(q=0.76au、e=0.75、a=3.02au)は、1994年に発見されました。発見当時に彗星には、主核のA核(最大光度7等級)以外にも、B核(13等級)、C核(13等級)、D核(9等)、E核、F核、G核(これら3個の核は光度記載がない)と多くの分裂核が観測されました。次の彗星の回帰は1999年でしたが、このときD核は、この回帰時にも最大光度12等級で捉えられました。彗星は1994年の発見以来、第4回目の回帰を記録しましたが、途中の2010年の彗星の出現は記録されていません。しかし、オーストラリアのワイアットが2010年4月25日に眼視観測を行い、その眼視全光度が11.3等であったことを報告しています。これらの観測からもわかるように、明るくなる周期彗星の一つです。
今回の回帰では、その近日点通過は2015年8月25日でした。この回帰では、比較的観測条件の良い出現となります。そのため近日点通過前後に急激に増光して、8月には8等級まで明るくなり、夏の明け方の低空に観測可能であることが期待されていました。
今期の回帰での初観測は、2015年5月下旬にWISE衛星サーベイで行われました。彗星の再観測位置の予報軌道(NK 1458(=MPC 59599))からのずれは、赤経方向に−338″、赤緯方向に−133″で、近日点通過時の補正値はΔT=+0.13日でした。これらの観測を含め、1999年から2015年までに行われた234個の観測から新しい連結軌道(NK 2918)を計算しました。
しかし、上尾の門田健一氏から7月20日03時25分に届いたメイルによると、氏は7月19日にこの彗星を観測し、その光度は16.4等であったことが報告されます。さらに7月26日に八束の安部裕史氏は16.7等、山口の吉本勝己氏は16.1等と観測しました。予報では、この頃に8等級まで明るくなるものと思われた彗星でしたが、7月のCCD全光度でも予報光度(HICQ 2015)よりまだ暗く、期待されたような増光は見られませんでした。この時期になって、2015年6月と7月に行われた位置観測は、それ以前の観測から計算した前述の連結軌道(NK 2918)から大きくずれ始めます。そこで新しい連結軌道(NK 2988(=HICQ 2015))では、その後の観測を含めた1999年から2015年までに行われた239個の観測から再改良されました。
同じ頃、彗星は8月22日頃に急激に増光し、11等級まで明るくなっていることが報告され、その眼視全光度を吉本氏は8月27日に12.0等(コマ視直径1.5′)、スペインのゴンザレスは8月28日に11.2等(同2.5′)と観測しました。CCD全光度も、東京の佐藤英貴氏は8月19日に13.6等、八尾の奥田正孝氏は8月24日に13.5等、安部氏は8月27日に13.7等と観測しました。佐藤氏からは「8月19日の観測では強い集光のある1.2′のコマがある」こと、奥田氏からは「7月14日には16.5等級以下、8月24日にはしっかりとした中央集光と1′ほどの淡いコマが広がっている」ことが報告されました。また、安部氏から8月27日16時57分に届いたメイルでは「強く集光し、コマ視直径3′となり、7月の観測より急激に増光していたのには驚きました」とその状況が書かれてありました。つまり、この彗星は、近日点通過1週間前頃から急激に増光したことになります。
この増光の際、新たな分裂核が捉えられました。この分裂核は、クリミアで8月22日に撮影した画像上に16等級の天体として発見されました。8月24日18時59分には、佐藤氏からも「8月19日にメイヒル近郊にある51cm望遠鏡で撮影していた画像上に、この分裂核の発見前の観測を見つけました。このとき分裂核のCCD全光度は15.4等と明るく、集光のない30″のコマと西北に45″まで広がった扇形状の尾が見られました」とその観測が報告されました。なお、あとになってリトアニアにあるモレタイ天文台からも、発見前の8月18日の観測も報告されています。この頃、主核Aとこの分裂核は、主核A核から赤経方向に+0.29°、赤緯方向に−0.30°の位置を移動していました。これは、分裂核はNK 2988にあるA核の軌道から近日点通過の補正値としてΔT=−0.60日の位置に発見されたことになります。この結果は、8月24日20時59分にスペインのゴンザレスとダンに送付しておきました。
8月26日20時34分に小惑星センターのギャレット(ウィリアムズ)から「今回見つかった分裂核は1994年のC核ではないか。きみはどう思う」というメイルがあります。さらに20時45分にはその連結軌道が送られてきました。しかしこのとき、私は広島にいました。そのため22時03分に『今、広島にいるのでこのことを解析できない。戻ったら連絡する』というメイルをiPhoneから送っておきました。広島から帰った8月28日にオフィスに出向き、新しい核の軌道を計算してみました。そしてその結果を『たった今、広島から戻ってきた。この分裂核は新しい核として扱った方が良いような気がする。HICQ 2015用の軌道改良時に、A核の軌道(NK 2918)からの予報位置が大きくずれたことを書いたが、この頃にこの核は分裂したような気がする。あるいは、IAUC 7299でブライアン(マースデン)とともにD核の同定を行ったが、今になって思うに、この1999年のD核は1994年のB核とも連結できるような気がする。下に今回の分裂核と1999年のD核、今回の分裂核と1994年のB核と1999年のD核、今回の分裂核と1994年と1999年のD核の連結軌道を示す。いずれの軌道も、観測をまぁまぁ表現できているような気がする。そのため我々(ブライアンと私)は、同定をミスしたのかもしれない』という解析をギャレットに送っておきました。それから1日後の8月29日18時18分になって『ここ数日間、不在であったため、発行が少し遅れました。(中略)下の予報位置は、1999年のD核のみと結んだ連結軌道から計算したものです。(中略)主核の予報位置は前回のEMESを見てください』というコメントをつけて、仲間に新しい分裂核の予報位置を送っておきました。
9月7日00時19分にギャレットから「新しい分裂核の核符号が必要だ。こちらの計算では、この核は1994年のB核、C核と連結できたが、1994年と1999年のD核とは連結できなかった。B核は発見後に減光しているので、C核が連結相手として良いのかもしれない。きみの意見を聞きたい。この新しい分裂核を以前のC核として公表しても良いだろうか。それとも、新しい破片としてE核を与えた方が良いのだろうか」というメイルが届きます。02時25分にギャレットには『きみも知ってのとおり、2回のみの回帰、しかも両方の回帰の観測期間がともに短い連結は非常に危険だ。だからこの核は、新しい分裂核として公表すべきだ。ただし、この彗星の分裂核は1994年にG核まで観測されている。従ってE核ではなく、H核として公表すべきだ。今、自宅にいて詳しい計算ができないが、1994年と1999年のD核と新しい分裂核Hは連結できる。参考のためにその軌道を下につけておくよ』という返信を送りました。04時26分にギャレットから「Yes. きみの言うとおりH核が正しい。間もなくMPEC R12(2015)を発行し、この分裂核がH核となったことを公表するつもりだ」というメイルが戻ってきました。なお、そのMPEC R12が届いたのは05時08分のことでした。
ところで主核A核のずれはその後も続き、新しく計算されたNK 2988にあるA核の軌道から8月下旬の観測は、主に赤経方向に+10″のずれを生じていました。そのため、新たな連結軌道(NK 2995)をその後の観測を含めた2000年から2015年までに行われた131個の観測から、再度計算しました。この軌道の非重力効果の係数はA1=−0.02、A2=+0.0274でした。
一方、分裂核Hのその後のCCD全光度は、安部氏が8月27日に17.2等、門田氏が9月13日に17.4等、佐藤氏が9月15日に18.1等と観測しました。なお、安部氏の観測では、彗星には約20″のコマがあって拡散状、佐藤氏の観測では15″の集光の弱いコマが見られています。H核の観測はこの佐藤氏の観測が最後で、その後の観測は報告されていません。そのため、その後減光したと考えられます。もしそうならば、H核は発見頃が最も明るかったことになります。なお、ギャレットへのメイルにあるとおり、この分裂核Hは過去に見られた分裂核(1994年のB核、C核)と連結することができます。しかし、もっとも同定の可能性の大きいのは、1994年と1999年に観測されたD核と2015年のH核の観測171個を結んだ連結軌道(NK 2996)となります。この軌道の非重力効果の係数はA1=+1.34、A2=−0.1128でした。次回の近日点通過は、主核Aが2020年12月16日、副核D-Hが12月14日となります。次回の回帰でH核が観測できるか、それは楽しみです。
なお、その後のA核のCCD全光度は、栗原の高橋俊幸氏は9月12日に13.2等、門田氏は9月13日に13.4等、佐藤氏は9月15日に14.2等、高橋氏は9月21日に13.1等、安部氏が9月22日に13.6等、10月10日に15.2等、高橋氏が10月17日に15.5等、安部氏が18日に16.5等と観測しています。
※天体名や人物名などについては、ほぼ原文のままで掲載しています。