巨大な爆弾とロケット群
〜実際に考案された『アルマゲドン』案〜

【2000年7月14日 FLORIDA TODAY Space Online (2000/7/4)

近年、ハリウッドはキラー天体(地球への衝突コースを持つ小惑星や彗星)を題材にした映画で観客をゾクゾクさせてきた。油田掘削家のブルース・ウィリスが人類に恐竜と同じ道を歩ませまいと奮闘するという不条理映画『アルマゲドン』が代表的だ。

だが、30年以上前、ずっと現実的なキラー天体対策案がマサチューセッツ工科大学(MIT)のエンジニアの卵たちによって考案されていた。彼らの案は、6基のサターン-5型ロケットと、いくつかの巨大爆弾を使用するものだった。

19年周期で、大型小惑星「イカルス」が地球の近くを通過する。多くの場合、600万km以内にまで接近する。天文学的に見れば、これはごく至近距離だ。「イカルス」は最も最近では1997年に地球に接近した。その前は1968年6月だった。

1967年初頭、MITのPaul Sandorff教授は、彼のクラスの大学院学生たちに、ある課題を与えた。その課題とは、「イカルス」が地球に衝突すると仮定したものだった。長さ1マイル(約1.6km)近い「イカルス」の衝突は、TNT爆薬換算で50万メガトン級――広島を壊滅させた原爆の3万3千倍以上――にも達する。そして少なくとも何百万人もを殺戮し、何百マイルにも渡って建物や木々をなぎ払い、または沿岸沿い何千マイルにも渡って都市をすくい去るような巨波を引き起こすのである。さらには、衝突により上層大気に撒き散らされた寛大な量のチリは何年にも渡って太陽光を遮り、長い冬が地球全体を閉ざす。Sandorff教授は、シンプルな課題を提示した。「あと15か月残されています。どうやって『イカルス』を止めますか?」

学生達はまず、「アポロ計画」を詳細に調べた。なにせ、アポロ宇宙船の誘導システムはMITで開発されたものであるわけだから、航空宇宙分野の超一流の専門家たちが大学のホールを闊歩していた。Sandorff教授の狙いは、生徒達に、強烈なプレッシャーの中で計画をゼロから作り上げる方法を学ばせることにあった。

すぐ、クラスは各々の技能を活かしたいくつかのグループに分かれた。軌道計算と軌道設計、ロケットと推進、宇宙船、誘導と制御、通信、経済学と運営、そして核弾頭など。そして彼らはキラー小惑星を挫くためのいくつかの選択肢の比較検討をはじめた。

果たして小惑星を粉砕し得る大型爆弾の打ち上げは可能か? 概算により、「イカルス」のような大型の小惑星を砕くためには1,000メガトン級の爆弾が必要なことがわかった。しかし、1発でそんな威力を持つ核爆弾は、作られたことが無いばかりか、設計されたことすら無く、残されたわずかな期間でそれを用意するのは無理だった。だが、より小規模の爆弾を複数使って同等の威力を達成させるには、全ての爆弾を完全に同時に起爆する――でなければ、先に爆発した爆弾により他の爆弾が爆発前に壊されてしまうのだ――必要があり、それも無理だった。

もっとも望ましそうな方法は、「イカルス」が遠日点(太陽から最も離れる点)に位置するときに「イカルス」とランデブーすることだった。遠日点では「イカルス」は最も遅く運動するため、ランデブーも、その後の軌道変更も最も容易なのだから。だが、「イカルス」が遠日点に到着するのは1967年11月であり、それに合わせて宇宙船をランデブーさせるためには、即座に――1967年の春には――宇宙船を打ち上げる必要があるのだが、1968年まではどのロケットも準備できないということがすぐ発覚したため、問題外だった。1968年になってしまうと、「イカルス」の動きが速すぎ、ランデブーは不可能となるため、ランデブーという発想自体が完全に切り捨てられた。

早期の迎撃

そして、唯一残された案が、早期の迎撃だった。できるだけ早期に「イカルス」に核弾頭を送り、地表近くでそれを爆発させて軌道を変えようとする案だ。

「イカルス」に最大量の爆弾を送り込もうとする案は次のようなものだった。2基の改造型サターン-5型ロケットを地球軌道に打ち上げる。この2基は、あらかじめタイタン-3型ロケットにより打ち上げてあったアポロ宇宙船とランデブーする。そしてこのアポロ宇宙船にサターン・ロケットの改造型S-4B第3段ロケットを補助ロケットとしてくくりつける。こうして、大量の爆弾を「イカルス」に送り込むための宇宙船ができあがる。

だが、この案にも多くの問題があった。まず、S-4Bは設計上、軌道上で6時間以上燃料を入れたままにしておくことはできないため、改造は大規模なものになる。アポロ宇宙船自体も、1年以内で設計・建造しなくてはならない。なんといっても、軌道上で大きな宇宙船同士をつなぎ合わせるという大作業をどうするかが未解決だった。もちろん、試している時間なんて無い。結局、この案も不採用になった。

最終的な案は、建造中の6基のサターン-5型ロケットとアポロ宇宙船を用い、最小限の改装を施して、爆弾の輸送に用いる。1発目の打ち上げは遅くとも1968年4月――それは、あと1年後に迫っていた――には打ち上げなければならず、残る5発も続けて2週間ごとに打ち上げる必要があるとするものだった。

そのために考案された「イカルス宇宙船」は、アポロ宇宙船の機械船の上部に、指令船の代わりに長さ5フィートの貨物モジュール――最低限必要な装備のみを施した簡素なアルミニウム製のコーン――を搭載したものだった。優秀な誘導・制御システムを搭載したアポロ指令船は有用なのだが、その重量はあまりに重かったのだ。宇宙船には、可能な限り大きな爆弾を運んでもらう必要があった。

爆弾

その貨物モジュールが運ぶのは、100メガトン爆弾。直径およそ1mの円筒形で、重さは約18トン。貨物モジュールの片側にはフェーズド・アレイ・レーダー・アンテナが装備されており、これを用いて「イカルス」を捕捉、接近することになる。 この案では、基本部分には改装を加えないままのサターン-5型ロケットを用いることなる。当時、開発中だった新型のサターン-5型ロケットは、初打ち上げが1967年11月になるという状況で、信頼性も未知だった。アポロ版のサターン-5型とイカルス版のサターン-5型ロケットの唯一の相違点は、S-4B第3段ロケットの先端部。通常のアポロ版ではこの部分は、内部に月着陸船が納められ、外部先端に指令船と機械船からなるアポロ宇宙船が搭載されることになっていた。イカルス版では、この部分が改装され、内部に機械船と貨物モジュールの複合体を格納してしまい、外部先端には何も搭載しない。この改装により、ロケットの空力特性を改善することができ、そしてこれが重要なのだが、貨物モジュールのアンテナの耐摩擦・耐熱対策を省くことができる。このイカルス版のサターン5型ロケットの外観は、多少異なる点もあるが、1974年に「スカイラブ」を打ち上げたときのサターン-5型ロケットにとても良く似ていた。

100メガトン爆弾もひとつの挑戦であった。この当時アメリカで作られた核爆弾は、最強のものでも、25メガトンだった。ただ、ソビエトは1960年代前半に58メガトン爆弾の爆破実験を行なっており、その技術を用いれば100メガトン爆弾の製作も容易であった。ソビエトは――ロシアになった今も――その爆弾の重量を公表していないが、しかしそれはアメリカの爆弾のように小型化を計られたものではないであろう。その技術を用いた100メガトン爆弾は、イカルス宇宙船の積載制限容量である18トンを大きく超えてしまうに違いない。アメリカは地球救済のために独自技術の爆弾を製作する必要があった。

ロケット

このイカルス計画案では、全部で9基のサターン-5型ロケットが必要だった。3基は試験飛行用、そして残る6基が迎撃用だ。だが当時、NASAが1968年4月までに建造を計画していたサターン-5型ロケットはわずか6基であり、この計画を大幅に拡張する必要があった。そして、ケープ・カナベラル空軍基地のケネディー宇宙センターには、追加の発射台(39-C)を建築する必要もあった。迎撃ロケット2週間間隔で打ち上げる必要があるが、1基の打ち上げ準備には6週間かかるため、少なくとも3つの発射台が必要だった。

さらに、9基のサターン-5型ロケットに加えて、改装版のマリナー2型深宇宙探査機打ち上げのため、5基のアトラス・アジェナ型ロケットも必要だった。この改装版マリナー2は迎撃監視機であり、小惑星に到着した爆弾がちゃんと爆発したかどうかを確認するためのものだった。核兵器が宇宙空間においてどのような効果を発揮し、小惑星どのような影響をあたえるかについては、わずかなことしかわかっていなかったため、このような監視機の存在はきわめて重要と考えられたのだ。

インターセプター・ワン

案では、1968年2月後半に最初の監視機をアトラス・アジェナ型ロケットにより打ち上げることになっていた。この監視機はわずかの期間だけ地球軌道上にとどまった後、「イカルス」に向かう。その1か月と少し後、最初の迎撃ロケット「インターセプター・ワン」が3500トンの推力を轟かせて離陸、地球を一周するかしないかのうちに、S-4B第3段ロケットが火を吹き、地球軌道から離脱、「イカルス」へと向かう。その後すぐ先端部が花開き、内部に格納されていた100メガトン爆弾を搭載した「イカルス宇宙船」を放出。そしてその機械船のエンジンが火を吹き、「イカルス」への追加加速がなされる。

数回のコース修正を伴う、およそ60日間の行程の後、到着の3時間前になって宇宙船に搭載された光学センサーが「イカルス」を捕捉。到着4分前にはレーダー・システムによる測離も始まり、最終的なコース修正がなされる。そして衝突5秒前、起爆用レーダーが小惑星を捕捉、爆弾が起爆される。全てが計画通りなら、爆弾は「イカルス」の表面から30m以内で起爆されることになる。最終的には、このキラー小惑星は粉砕されるか、少なくとも地球衝突コースを外れるというわけだ。

迎撃監視機はこの爆発をセンサーで監視し、地球へデータを送信する。作戦の設計者たちはこの情報を元に、後続の迎撃船のため、計算を改良する。後続の迎撃船は、それぞれ2周間間隔で続いており、ほとんどは迎撃監視機を伴っている。しかし、全て迎撃監視機が伴っているわけではない。残された時間の都合上、迎撃監視機は5機しか打ち上げられないのだ。

案では「イカルス」迎撃のために6発の爆弾を使うことを計画したが、不明な点がひじょうに多数存在した。なんといっても、「イカルス」を含む小惑星がどんなもなのかが、まずわからなかった。果たして高密度なのか、それとも低密度なのか? 正確な大きさは? 形状は?

さらに、宇宙空間における核兵器のふるまいと、それが「イカルス」に与える効果についても、なんともいえなかった。初めての試みが、完全にうまく行くようにするための方法など無い。しかし、よくわからなくても、いきなり実地でそれを試してみるしかなかった。1個またはそれ以上の爆弾が不発、または「イカルス」から遠すぎる位置で起爆してしまったら、作戦部は追加の、苦し紛れの迎撃ロケットを、早急に天に向かって送り出す必要があるだろう。

爆弾が1つでも失敗すれば、「イカルス」はまだ地球に向かっているということなのだから。

まとめ

この「イカルス計画」は、あくまで研究のためのものだった。アメリカ政府公認のものではないし、政府による評価もされていない。この案が本当に実現可能かどうかについては、関係者以外による検証はなされていない。したがって、だれも気付かなかった欠陥が潜んでいる可能性もある。MITの研究グループは計画の概要を多くのNASA職員に説明し、研究メンバーのうちの何人かは、後にNASAで働くことになった。

その後33年の間に、さまざまな航空宇宙専門家たちにより、いくつかの非公式な対小惑星防衛計画が考えられてきた。うちいくつかは、今は退役したソビエトの大型ロケット「エネルギア」を利用するものだった。しかし、MITの「イカルス計画」以上に慎重に考えられた計画はなかった。今日に至っても、対小惑星防衛計画は冗談と考えられてしまう面がある。アメリカ政府の上層部の誰もが、この脅威を深刻にはとらえていないのだ。

しかし、「イカルス計画」のような研究は、航空宇宙分野の学生たちにとって、または政府の科学・工学に関する諮問委員会にとって、再び試みる価値があるものである。その結果出来上がった計画が十分に現実的なものにならなくても、少なくとも選択肢を確認することにはつながるだろう。もし人類が突如、地球衝突コースをとる小惑星を発見し、残された期間が2年であると知ることになったら、何ができるのだろうか。それとも、ただ座り込んで時計を見つめ、破滅の訪れを示す束の間の閃光を待つしかないのだろうか。