宇宙探査に新たな歴史 探査機NEAR、小惑星エロスへの軟着陸に成功
【2001年2月13日 NEAR NEWS (2001.2.12)】
NASAの小惑星探査機「NEAR-シューメーカー」が小惑星エロスへの軟着陸に成功した。接地時刻はアメリカ東部標準時間2月12日午後03時02分 (日本時間13日午前05時02分)。かつて小惑星へ着陸した探査機は無く、宇宙探査の歴史に新たな一ページが刻まれた瞬間だった。そしてNEARは接地の後も信号の送信を続けている。
NEARは、小惑星を巡る人工衛星となったはじめての探査機だ。1996年2月に打ち上げられ、2000年2月14日の聖バレンタインデーに、愛の女神の名を持つ小惑星433番「エロス」の周回軌道に乗ることに成功した。以後1年間に渡り、さまざまな高度からエロスを詳細に探査し、地形や化学組成などを調べてきた。小惑星は太陽系の形成材料の残余物と考えられるため、その探査は太陽系の起源を探る上で重要な意味を持つ。NEARが得た探査データは、15万枚以上の画像など、計画目標の10倍にも達する豊富なものとなった。
当初の計画では、NEARはその任務の終わりを、単純にエロスに突入することで終える予定だった。しかし、NEARミッションの責任者であるRobert Farquhar博士の提案から、将来の小惑星着陸ミッションのための予行演習も兼ねて低速での軟着陸に挑戦するという運びとなった。しかし、NEARは着陸機として設計された探査機ではないため衝撃に弱く、よほど低速で接地しない限り接地時の衝撃で壊れてしまう。軟着陸の成功、つまり接地後もNEARから信号が送信されてくる可能性は、1%程度と考えられていた。
エロス中心から半径35キロメートルほどの円軌道を巡っていたNEARは、アメリカ東部標準時間2月12日午前10時31分 (日本時間13日午前00時31分)、エンジン噴射を行なって軌道を離脱し、地表から26キロメートルの高度からエロスへの降下に入った。その後、4回の制動噴射により徐々に速度を緩めながら4時間かけて地表へ近づいていった。この際、NEARは30秒ごとに画像を撮影し、撮影された画像はインターネット等を通じて準リアルタイムで世界に届けられた。
NEARが軟着陸に成功するためには、最終降下速度を毎秒6メートル以下にまで抑える必要があると見積もられていたが、管制チームは最終降下速度をなんと毎秒1.9メートルにまで抑えることに成功した。
「嬉しい報告です。探査機はエロス地表で無事です。」探査機から着陸の成功を意味する信号が受信され、Farquhar博士がこうアナウンスした瞬間、NEARの管制室は歓声に包まれた。
NEARは、地球近傍小惑星ランデブー・ミッション (Near Earth Asteroid Rendevous mission) の略で、NASAの「ディスカバリー計画」の一環。探査機は、ジョーンズ・ホプキンス大学・応用物理学研究室 (JHU APL) により製造され、運行されていた。
「ディスカバリー計画」は、研究者から低コストでありながら高い効果をあげる探査ミッション案を募り、優秀な計画に予算を与えて実際に探査機を送り出すプロジェクトである。1997年に火星に着陸した有名な火星探査機「マーズ・パスファインダー」も、「ディスカバリー計画」の一環。
探査機の名前である「シューメーカー (Shoemaker)」は、1997年に交通事故で死去した故ユージン・シューメーカー (Eugene M. Shoemaker) 博士の名にちなむもので、探査機がエロスの周回軌道に乗った後に名付けられた。博士は、月や地球のクレーターの研究で知られる著名な地質学者・惑星科学者であり、地球近傍小惑星の捜索でも活躍した。また、1994年に木星に衝突した「シューメーカー・レビー第9彗星」の発見者としても知られる。そして、NEARプロジェクトの計画段階での重要なメンバーでもあった。
博士はいつか月に立つことを夢見て研究者への道を歩み、アポロ計画での地質学者宇宙飛行士の候補となったが、医学的条件から適わなかった。しかし今こうして、博士の名を持つ小さな探査機が、人類未踏の地に立った。人はこの世を去っても、その熱意は後世に受け継がれてゆく。
人類が宇宙探査にかける熱意、それは、人類の宇宙に対する愛であるともいえよう。愛の女神「エロス」は、その人類の愛を、やさしく抱きとめてくれたのだ。
Image Credit: NASA / JHU APL