【訃報】宇宙科学者バン・アレン博士

【2006年8月10日 University of Iowa News Release

アメリカの宇宙科学者ジェームズ・A・バン・アレン博士が9日朝(米東部標準時)、心不全のため死去した。享年91歳。博士はアメリカ初の人工衛星に搭載された科学装置の責任者であり、同装置が発見した「バン・アレン帯」に名を残す。


(バン・アレン氏の写真)

バン・アレン氏。VLBAの25メートルアンテナの横で、1994年2月に撮影(提供:University of Iowa)

1914年9月7日生まれのバン・アレン博士は、学生時代に南極探検隊に同行して地震や地磁気の実験助手を務めた。また第二次世界大戦中に捕獲されたドイツのV2ミサイルを用いて、高高度ロケットの研究も始めている。1951年にはアイオワ大学の教授となり、超高層における宇宙線の研究に着手した。

こうした研究活動が実り、1958年に打ち上げられたアメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1号」に搭載される科学機器として、博士が提案した放射能測定装置が採用された。この装置によって地球を取り巻く強い放射能領域が発見された。のちにこの領域は「バン・アレン帯」と名付けられる。

その後博士は科学者として数々の太陽系探査ミッションに参加した。1973年にはパイオニア10号を使って木星の放射線帯を調査し、1979年にはパイオニア11号によって土星の放射線帯を発見して調査を行った。1985年に教授職を退いたが、2003年に交信が途絶えるまでパイオニア10号から届くデータの監視を続け、1995年に木星へ到達したガリレオ探査機にも科学者としてかかわっていた。

コストの高い有人宇宙飛行には批判的な立場で、1990年代以降NASAが安価な無人探査機を重視するようになった背景にも、博士の主張があったといわれている。

博士のご冥福をお祈りしたい。

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