宵の明星・金星
金星探査の歴史
ソ連に軍配、金星探査競争
人類による金星の探査は、ほかの宇宙開発同様、アメリカと旧ソビエト連邦(以下ソ連)の競争ではじまりました。冷戦中の宇宙開発一番乗り競争といえば、ソ連が人工衛星打ち上げ・有人宇宙飛行でリードし、アメリカが有人月着陸で追い抜いたとよく言われます。ところがおもしろいことに、金星探査に限ってみれば、立場が逆転していると言えるのです。
ソ連は1961年に「スプートニク7号」を打ち上げて金星を目指しましたが、ロケットが故障して軌道に乗ることができませんでした。その後「ベネーラ(ロシア語で金星)」などの探査機を立て続けに打ち上げたものの、相次いで失敗。先に金星への接近を果たしたのはアメリカの「マリナー2号」で、1962年12月14日のことです。マリナー2号は金星が高温で過酷な環境であることを明らかにしました。
ソ連はようやく9機目の「ベネーラ2号」で、金星フライバイに成功しました。1966年2月27日のことで、距離は2万4000kmでした。3月1日には「ベネーラ3号」がカプセルを金星に命中させたものの、2号3号ともに地球へデータを送信することはできませんでした。一方で1967年10月19日にはアメリカの「マリナー5号」が金星の気圧を測定しています。
しかし、1970年12月15日、「ベネーラ7号」が初めて金星に軟着陸し、気候の測定にも成功しました。金星の過酷な環境を知ったアメリカは、周回軌道からの観測を計画の中心に据えました。その間、「ベネーラ」シリーズは合計8回も軟着陸を果たし、金星表面の撮影や岩石の成分分析がなどが行われたのです。
ベネーラ13号は金星の地表をカラー撮影して地球へ届けた(提供:NASA/NSSDC)
地形図を作り上げた「マゼラン」
金星が超高温・超高圧であることまではわかっても、その分厚い大気と雲のおかげで、表面の地形は見通すことができません。そこで、アメリカはレーダーを搭載した探査機「マゼラン」を1989年に打ち上げました。電波は雲と大気を通過し、地面にぶつかるとはね返ります。これを利用すれば、表面の地形が描けるというわけです。
「マゼラン」は1990年8月10日から1994年10月11日まで金星を周回し、表面の98%をカバーする地図を作り上げました。
金星表面の大部分はゆるやかな平原で、火山でできた地形が多いことがわかりました。中でも特徴的なのは、「パンケーキ」と呼ばれる地形。粘りけのある溶岩が吹き出た後に、大気圧に押しつぶされたことで形成されたようです。
大気の謎に迫る「ビーナス・エクスプレス」
2005年、「マゼラン」以来となる探査機「ビーナス・エクスプレス」を、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)が打ち上げました。2006年5月7日に金星へ到着し、現在も観測を続けています。
「ビーナス・エクスプレス」が観測するのは、金星の大気そのものです。大気が高温・高圧なのも特徴的ですが、実はその上、猛烈な風となって表面を移動しています。その速さは、4日で金星を1周してしまうほどです(金星の自転の60倍!)。 ビーナス・エクスプレスはさまざまな波長で大気や気象を観測して、メカニズムの解明を目指しています。また、金星全体の温度分布マップも作成中です。
金星に到着してまもなく、金星の南極を中心とした巨大な渦が見つかり、研究者を驚かせました。この話題はアストロアーツニュースでも「渦巻く金星大気の観測がはじまった」として解説していますのでご覧ください。
日本のプロジェクト「PLANET-C」
次に金星を目指しているのが、日本です。現在、「PLANET-C」と呼ばれる探査機を開発中で、2010年に打ち上げを予定しています。
「PLANET-C」のテーマは「地球の兄弟星を観測する」ことだと言えるでしょう。「ビーナス・エクスプレス」同様、さまざまな波長で大気を観測しますが、「どうして金星は地球と異なる運命をたどったのか」を探ることに主眼を置いています。これは地球の誕生や環境変動を理解することにもつながります。
鉱物の分布、地上の火山活動、雷、雲の下の大気、雲の動き、そして大気から宇宙空間へ逃げ出す物質。「PLANET-C」は文字どおり、金星を立体的に調査できると期待されています。
もっと知りたい方のために
「スペースガイド宇宙年鑑」は宇宙開発・科学探査の全体像を網羅した、日本で唯一の年度版ムックです。惑星探査機やその成果についても、最新の情報を豊富なカラー写真とともに読むことができます。最新刊の「スペースガイド宇宙年鑑2007」では、特集の1つとしてロシア(旧ソ連)の宇宙開発を取り上げています。今年は人類初の人工衛星「スプートニク1号」打ち上げ50周年。ロケットを開発するまでの道のりや、アメリカとの開発競争など、興味を持たれた方は必見です。