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Part-5 しし群の日の天気 「実践編」


 Part-4 ではしし群当日までの気象情報の読み方について書きました。今回はその実践編として、1998年と1999年のしし群の日を取り上げ、天気をどう判断すればよかったか、また筆者がどう判断したかを時間順に時間を負って振り返ってみたいと思います。

※ 雲画像はすべて、東京大学生産技術研究所高木研究室の Satellite Image Archive for Network より。

 


■ 1998年のしし群の日の天気
  − 低気圧通過後の雲の動きを、いかに読みきるかが勝負

 まずは、1998年の例です。1998年は低気圧が通過し西高東低の冬型へと気圧配置が移行中にしし群の夜がきたので、天気を見極めるのが難しくスリリングでした。

● 1週間前

 1週間前には、しし群の日前後までは好天高温の日が続くとの予想が出ていました。しかし、しし群の日前後に急に気温が低下するとの寒暖予想が出ていて、寒気の南下、つまり関連前線の通過が予想されていました。

● 2日前

 予想通り好天高温が続いてきましたが、しし群の夜に低気圧が通過することが確実になってきました。Part-3で書きました「気圧の谷(低気圧通過)」の気圧配置です。明後日の天気予報も悪天を告げていました。

● 1日前

 朝起きて、明日の予想天気図を見ると、まさに午前9時には日本列島を低気圧が通過中。全国的に悪天の予想です。翌日の天気予報でも、しし群の夜は曇りや雨の予報。しかし、卓越天気では、その後は西のほうから晴れてくるとの予想が出ていました。しし群の日の翌日の予想天気図は、低気圧が抜けたあとの冬型の気圧配置でしたので、「気圧の谷(低気圧通過)」と「西高東低(冬型)」の気圧配置を念頭に、動くなら太平洋側で西の方との判断を下しました。

● しし群当日

 朝のひまわり画像では、日本列島はすっぽり雲に包まれ、まさしく低気圧が通過中であることを示していました。ひまわりの雲画像では前線の北、黄海から日本海西部にかけて晴天域がありました。

11月
17日
9時
11月17日9時雲画像

1998年11月17日9時の雲画像

 昼12時・15時となるにつれ、東西に伸びる前線が全体として南下し、日本海沿岸まで晴天域が広がってきました(11月17日12時)。

11月
17日
12時
11月17日12時雲画像

1998年11月17日12時の雲画像

 低気圧はさらに発達し前線は夜には日本列島を抜けると判断。ここで静岡県へと移動開始(17日15時)。18時になると天気図では前線が日本列島を抜け、晴天域は本州内陸部にまで広がってきましたが、関東以西の太平洋岸にはまだ雲がかかっていることを液晶テレビで確認。ハラハラしてました(17日18時)。

11月
17日
18時
11月17日18時雲画像 11月17日18時天気図

1998年11月17日18時の雲画像と天気図

 日付けが変わって18日0時になると本州太平洋岸まで雲が取れ晴天域となりましたが、前線の北側の雲が残りスカッとは晴れず、九州はまだ雲の中のようす。日本海側には筋状の雲が伸び曇ってきています。

11月
18日
0時
11月18日0時雲画像

1998年11月18日0時の雲画像

 以後静岡では朝まで晴天が続き、4時15分に出現した大火球も見えましたが、九州や日本海側では一晩中晴れなかったようです(18日3時)。

11月
18日
4時
11月18日4時雲画像

1998年11月18日4時の雲画像

 結果として、1998年のしし群の夜は、冬型の影響を受けない本州の内陸部がいちばん天気がよかったようです。

11月
18日
9時
11月18日9時雲画像 11月18日9時天気図

1998年11月17日9時の雲画像と天気図

 

● まとめ: 1998年のしし群の日の天気
・低気圧通過から冬型の気圧配置へ移行
・低気圧通過後の雲の動きを、いかに読みきるかが勝負

この日の天気の移り変わりについては、アストロアーツの以下のページもご参考ください。
特集 しし座流星群'99 - しし座流星群気象情報 - Part-5 昨年を例とした実践編

 


■ 1999年のしし群の日の天気
  − 低気圧通過型。雲の隙間を狙え!

● しし群当日

 しし群当日朝9時には、全国的に冬型の気圧配置で東京は抜けるような青空。13時に東京を出発したときも、この後曇るとはとても思えないような、雲ひとつない晴天が続いていました。しかし、この日は高気圧・低気圧の進みが非常に早く、夜には低気圧が接近し全国的に曇りか雨の予報。卓越天気の予報を見ても、関東から動ける範囲にはほとんど晴れ間のない状況でした。どこに行っても同じのようなので、観測地はダメモトで富士山に決定。東名高速を西に進むと、たしかに、だんだん薄曇が広がってくるようすがわかりました。

11月
17日
9時
11月17日9時雲画像 1999年11月17日09時天気図

1999年11月17日9時の雲画像と天気図

 太陽が沈んだ18時には冬型は完全に緩み、日本列島は移動性高気圧の圏内に。液晶テレビで19時前の天気予報を見ると、夜半前までは雲間に流星が見えそうですが、それ以降は雲に覆わるでしょう、との予報でした。富士山も徐々に雲に覆われてきます。

11月
17日
18時
11月17日18時雲画像 1999年11月17日18時天気図

1999年11月17日18時の雲画像と天気図

 日が変わって11月18日0時。富士山は完全に雲に覆われ、わずかな雲間にたまに星が見える程度。流星はまったく見られません。富士山では1時30分ごろ一時的に晴れ間が広がりましたが、その後本格的に悪天となり、2時台にはみぞれ交じりの雪が降る時間もありました。

11月
18日
3時
11月18日3時雲画像 1999年11月18日03時天気図

1999年11月18日3時の天気図

 そして、しし群が最も流れるはずの11月18日4時。1998年には大火球が見られた時間ですが、1999年は完全に雲に覆われ、同じようにしし群を見に来た方々と共に涙を飲んだのでした。

 が、しかし、このあと富士山では急速に晴れ間が広がってきたのです。その後薄明中を含めて1時間あたり15個程度のしし群の出現を見ることができました。もうダメかと思っていただけに、これは嬉しかったです。極軌道衛星NOAAの画像を見ると、静岡県・山梨県・神奈川県と和歌山県、それに若狭湾沿岸と能登半島方面に雲間がわずかにあることがわかります。富士山はちょうどこの雲の隙間に入り、しし群を見ることができたのです。

11月
18日
4時
11月18日4時雲画像

11月18日4時NOAA雲画像

1999年11月17日4時のひまわりと極軌道衛星NOAAによる雲画像

 その後は夜明けと共に東京に帰還。やれやれといったところに、ヨーロッパ上空にてしし座流星群大出現の報が入り、愕然としたのでした。その晩のネバダからのしし群ライブ中継でも明るい流星が結構飛んでいるのがわかります。いてもたってもいられなくなり、翌晩も急遽出かけることにしました。翌晩の夜は移動性高気圧の東側に入り、全国的によく晴れたところが多かったようです。おかけさまで、1時間あたりゆうに100個を越える出現をとらえることができ、大満足でした。

11月
19日
9時
1999年11月19日9時雲画像 1999年11月19日09時天気図

1999年11月18日9時の雲画像と天気図

 

● まとめ: 1999年のしし群の日の天気
・高気圧低気圧の進行速度が非常に速く、天気の予想がひじょうに難しかった。 ・低気圧通過型→基本的に晴れない。
   ひまわりの雲画像の動きから、いかに雲間を読みきるかが勝負。

 この日の天気の移り変わりについては、以下のページもご参考ください。
特集 しし座流星群'99 - しし座流星気象情報 - Part-8 暫定版 今年のしし群の日の天気はこうだった!

他にも、2001年1月10日の皆既月食のときに、雲画像の移り変わりを示したページを作りましたので、こちらも参考ください。
星ナビ.com - 皆既月食気象情報(2001/1/10) - Part-9 皆既月食の日の天気はこうだった

 

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