宇宙に物質しかない理由を重力波で探る
【2020年2月12日 東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構】
ビッグバンで誕生したばかりの超高温の宇宙では、エネルギーのほとんどは光(輻射)の形で存在していた。この大量の光子から粒子と反粒子がペアで生み出され、後に原子や星、銀河などの材料となる「物質」が作られたと考えられている。
しかし、すべてが対称と仮定した場合の量子力学の法則では、1個の光子からは必ず粒子と反粒子が1個ずつ「対生成」されることになっているので、初期宇宙では粒子と反粒子が完全に同じ数だけ生み出されたはずだ。その後の宇宙膨張で温度が下がり、粒子と反粒子が衝突して消滅する「対消滅」が起こると、すべての粒子と反粒子が消えてしまい、粒子が集まってできた「物質」も反粒子が集まってできた「反物質」もまったく残らないことになる。
現実の宇宙には物質だけが存在し、反物質はほぼまったく存在しない。この状況を説明する理論として、ビッグバン直後の対生成では粒子と反粒子は完全に同数ではなく、粒子の方が反粒子より約10億分の1だけ多く生み出され、そのおかげで対消滅の後に物質が残り、現在の天体を形作ったという説が有力だ。この「偏り」が生じたイベントのことを「バリオン数生成」と呼んでいる。
バリオン数生成が起こった時代は宇宙のインフレーションが終わった時刻(一説には、ビックバンの10-36秒後ごろ)よりは後で、水素やヘリウムの原子核が作られた時刻(=ビッグバンの約1秒後)よりは前のはずだが、具体的にいつ、どのようにして起こったのかはわかっていない。
現在広く受け入れられている素粒子物理学の「標準模型」と呼ばれるモデルでは、宇宙の物質の量を説明できるほどのバリオン数生成は起こせないことがわかっている。そこで、標準模型を超える様々なモデルを使ってバリオン数生成を説明する試みが行われている。有望な仮説の一つは、標準模型にない「右巻きのニュートリノ」が存在すると考えるものだ。
一般に、粒子には「スピン」という値(量子数)と粒子の運動方向の組み合わせによって、「右巻き」「左巻き」という区別(カイラリティ)が存在する。クォークや電子など、質量を持っている粒子には右巻きと左巻きの両方が存在するが、質量を持たない粒子は右巻きか左巻きのどちらか一方しか存在しない。
実験で観測されるニュートリノは左巻きのものしかなく、これはニュートリノに質量がないことの証拠だと長年考えられてきた。これを踏まえて、標準模型ではニュートリノの質量はゼロとされている。ところが、1990年代になって太陽から来るニュートリノや大気中で宇宙線によって発生する大気ニュートリノの観測から「ニュートリノ振動」と呼ばれる現象が見つかり、ニュートリノが極めて軽いながらも質量を持つことが確実となっている。
1980年代に日本の柳田勉や福来正孝は、標準模型に未知の右巻きニュートリノを加える理論を提唱した。この右巻きニュートリノは、通常の左巻きニュートリノと違って「弱い相互作用」をせず、しかも粒子と反粒子に区別がない「マヨラナ粒子」というタイプの粒子だ。柳田らは、もし右巻きニュートリノが存在すれば、これが崩壊することでレプトン(電子やニュートリノなど、軽い物質粒子の総称)と反レプトンの数にわずかな差ができ、この差がバリオン数生成につながることを示した。この仕組みは「レプトジェネシス(レプトン数生成)機構」と呼ばれている。
だが、レプトジェネシスやバリオン数生成が起こった時代は「宇宙の晴れ上がり」(=ビッグバンの約38万年後)よりもずっと昔なので、光を使って直接観測することができない。しかも、この時代の宇宙は非常に高温で、当時の宇宙を満たしていた光子のエネルギーは人類が加速器で作り出せるエネルギーよりもはるかに高いため、実験で再現することも不可能だ。「誕生から約40万年間の宇宙は光を通さず不透明です。そのため通常の望遠鏡では観測が難しく、我々がなぜ存在するのか?という根源的な疑問に答えるのは困難です」(米・カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー) Jeff Drorさん)。
そこで、Drorさんと東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構(Kavli IPMU)/UCバークレーの村山斉さん、高エネルギー加速器研究機構/Kavli IPMUの郡和範さん、東京大学宇宙線研究所の平松尚志さん、加・TRIUMF研究所のGraham Whiteさんからなる研究チームでは、レプトジェネシス機構のモデルが正しいとすると、「宇宙ひも」と呼ばれる構造がたくさん作られることに着目した。
宇宙ひもは超高温の宇宙が膨張で冷えていく途中で、エネルギーの高い場所が所々ひも状に取り残されたようなものだ。宇宙ひもは互いにぶつかったり交差したりするとつなぎ変わり、閉じたループができることがある。閉じた宇宙ひものループは重力波を放出しながら収縮して消えてしまう。そのため、現在の宇宙では人類が観測可能な範囲(半径138億光年の球)の中に宇宙ひもはせいぜい数本しか残っておらず、私たちが目にすることはないが、レプトジェネシスやバリオン数生成の時代に宇宙ひもから放出された重力波は、宇宙マイクロ波背景放射などと同じように「宇宙背景重力波」として宇宙のあらゆる方角からやってきていると考えられるという。
Drorさんたちは、レプトジェネシス機構のシナリオが正しいとすると、宇宙ひもがどのように作られ、宇宙背景重力波がどんな特徴を持つかを理論的に導いた。その結果、宇宙ひもが作られる時代に応じて背景重力波のスペクトルの特徴は様々に変わるものの、これらの多くは、欧州で計画されている「LISA」や「BBO」、日本の「DECIGO」など、衛星軌道上に構築する宇宙重力波望遠鏡を使えば検出できる可能性が高いことがわかった。
「宇宙ひもからの重力波は、ブラックホールの合体といった天体物理学的に生じる重力波とは明らかに異なるスペクトルを持ちます。そのため、重力波源が確かに宇宙ひもであるとはっきり確信することは十分可能です」(郡さん)。
もし将来、宇宙ひもからの重力波が実際に検出されれば、右巻きニュートリノの存在によって物質と反物質の偏りができたことを実証でき、この宇宙に物質しか存在しない謎を解明することにつながる。さらに、ニュートリノだけが他の素粒子と比べて極めて小さな質量を持つ理由についても、右巻きニュートリノが存在すれば、柳田らが提案した「シーソー機構」と呼ばれる仕組みで自然に説明されるため、標準模型を超える素粒子物理学の検証にも大きく貢献すると期待されている。
(文:中野太郎)
〈参照〉
- Kavli IPMU:なぜ物質は完全消滅を免れたのか? -重力波で探る物質の起源-
- Physical Review Letters:Testing the Seesaw Mechanism and Leptogenesis with Gravitational Waves 論文
〈関連リンク〉
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