天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2005年8月5日発売「星ナビ」9月号に掲載

そのときが突然やってきた

2005年4月21日、天文ガイド編集部から、突然、「新天体発見情報は、7月号からお休みさせていただきます」というメイルが届きます。このとき、すでに、5月5日発売の同誌(6月号)は、校了していました。そのため、そこに『発見情報は、これで終了です』というお知らせも、できないまま、その連載を終ってしまいました。同誌編集部は、今年から新しい体制になったのを機会に、「エッセイの色彩を強くしたい。新天体に興味のない人にも読んでもらいたい……」という話をしていたのですが、結局、突然、終ってしまうことになりました。

『新天体発見情報』は、1992年秋に同誌の「彗星ガイド」の中から始め、すでに13年以上続いていた連載です。あの連載を書くことは、発見情報を処理している私にとって、「あなたの報告は、私のこういう状況下で、このように処理されました」ということを報告者と読者に伝えたいために、また、それを行なうことが、私の責務であると思ってやってきました。私は、今でも、まだ、発見報告が闇の中で処理されるのではなく、少なくとも、私のところに来たものは、その事実を伝えたい、伝えてあげたいと思っています。と言っても、書かれていない事実が、まだ、たくさんあることも現実なのですが……。とにかく、私の責務をはたさねばと思い、星ナビ編集部にお願いして、この連載を続けさせてもらうことにしました。

ところで、各地で行なわれる星の会などに出かけると「天文ガイドで読んでいるのは、中野さんの発見情報だけです」と言ってくれる多くの人々に出会います。もちろん、著者である私にとっては、これは、本当にうれしい言葉です。そのせいか、「今月号の新天体発見情報をなぜ休んだ」という苦情が、私のところに何件かありました。彼らは、『私がクビになった』とは思っていなかったようです。しかし、その場の返事としては『苦情は、天文ガイド編集部へ。記事の連載・掲載は、著者の希望には沿えないことも多いのです』と答える以外、言葉がありませんでした。その一人、バンコク在住の蓮尾隆一さんからは、「新天体発見情報がなくなるのですか。面白い昔話だと思って、僕もこれだけを読んでいたのですが、中野さんが、ときどき、公序良俗に反するようなことを書いたりするからですかね。他の人が書くと問題になっても、中野さんが書くのであれば、あまり目くじらを立てる人もいないのかと思っていたのですが、どこかの誰かが文句を言ったのでしょうか。趣味の世界は、それなりに難しい……」というメイルをいただきました。確かにそうかも知れません。私の性格は、人並み以上に皮肉れているから……。今後は、注意して、連載することにします。

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超新星 2004ez in NGC 3430

2004年10月16日朝は、前日からの晴天が、まだ、続いている快晴の空でした。そのせいか、この秋、一番の寒い朝でした。05時00分、そろそろ、業務を終了して、自宅に帰る準備をしようと考え始めた、そのとき、山形の板垣公一氏より「超新星状天体を1つ、見つけました。これから報告しますから、待っていてください」という電話があります。しかし、氏からの電話があって、すでに1時間近くも経つのに、中々、そのメイルが届きません。イライラして待っていると05時51分になって、ようやく、報告が届きました。そこには「10月16日04時41分にこじし座にあるNGC 3430に17.3等の超新星状天体を見つけた。天体は、鮮明な恒星状で、発見後に撮影した10枚の画像に、はっきりと写っています。過去の2000年11月5日と2001年3月24日に撮影した極限等級が18.5等級の捜索フレームには、その姿は見られません。最近では、2週間前の10月1日に捜索していますが、最悪の条件での撮影で、16等級の星までしか写っていません。なお、8分間しか追跡できませんでしたが、その間に動きは見られませんでした」という報告と超新星状天体と銀河中心の測定位置が書かれてありました。

すぐに、発見報告を作成して、06時10分に中央局のダン(グリーン)に連絡しました。このメイルは、超新星の存在確認用に八ヶ岳、上尾にも転送しておきました。『さぁ…、これで帰れる』と思っていると、06時17分に板垣氏から「すみません。10月1日の画像に、かすかに写っていました」というメイルとともに、その画像の測定位置と光度が報告されます。その出現位置は、先に報告のあったものと変わりありません。つまり、同じ天体です。しかし、その出現光度は17.2等となっていました。『えっ、極限等級が16等級の画像に17.2等が……』と思いながら、氏に『どうして、こんな重要な情報があとになって届くのでしょう。それに、この光度17.2等は、先ほどの極限等級16等級と矛盾しますね』というメイルを06時30分に送付しました。そして、この件は、この超新星状天体が確認されたときに中央局に報告することにして、帰宅することにしました。

ところで、板垣氏の暗い小惑星の発見(天文ガイド 2005年6月号、p.177参照)でも書きましたが、60-cm 反射による板垣氏の捜索画像には、氏が思っている以上に暗い星が写っているのです。でないと、20等級の小惑星は発見できません。それを氏は「安全を見て、少し明るめの限界等級を報告している」とのことです。自宅に帰ると、いつものワンちゃんが「何かおくれ」と待っていました。そこで『おい。超新星が見つかったよ。また、板垣さんだけど……』と話しながら、前日、ジャスコで買っておいたコロッケを上げました。

10月16日夜は、定刻21時15分にオフィスに出向いてきました。この夜も、まだ、快晴の空が続いてきました。すると、その朝の08時17分に板垣氏から「最初の報告のとき、かなり時間をかけて思案しました。しかし、あるような、ないような、最悪の画像のために1等級ほどゆとりをみて、極限等級を16等級と報告しました。でも、報告後、落ち着いてもう一度、画像を良く見ると、かすかにですが、超新星があるのを確信しました。このことを報告するかどうかを考えましたが、重要な発見前の観測であるために報告したしだいです。画像を見て下さい」というメイルとともに、この超新星の発見画像が届いていました。この発見画像は、確認作業の際の比較のために八ヶ岳と上尾に転送しておきました。21時39分のことです。すると、22時04分に上尾の門田健一氏から 「PSN(超新星状天体) in NGC 3430の件、ちょっと暗いですが、明け方、ねらってみます」というメイルが届きます。氏は、観測してくれそうです。

その夜の17日03時05分になって「昨夕方17時57分に南天のさそり座(尾)に−1等級の恒星が5分間ほど見えていた。まだ、明るい空で低空だったので、その後も見えていたかどうかわらないが、新星か、GRBではないか」という報告があります。その報告を受けた4分後の03時09分に板垣氏より「先ほど、小惑星の計算データをいただきました。 PSNの存在を17日02時39分に確認しました」というメイルとともに、その再測定位置と光度(17.3等)が報告されます。まず、南天の明るい星について、『南天に、この天体の観測が報告されていないか』というメイルを03時21分に、ダンに送っておきました。すると、ブライアン(マースデン)から「いや、何もない。しかし、こんなに明るい天体が見えているのなら、南半球の観測者より何らかの情報が届くと思うが……」という返信が03時33分にあります。従って、少なくとも、新星ではないようです。続いて、板垣氏の超新星(存在)確認のメイルを03時41分にダンに送付しました。そこには、もちろん、極限等級が16等級と、氏から報告のあった10月1日朝に撮影されていた捜索フレーム上に、すでにこの超新星の姿が見られることも、弁解方々、説明しておきました。続いて、04時28分に上尾の門田健一氏から「写りが良くなかったので、高くなるまで待っていました。下記の位置に星が存在します。12分間の撮影中に移動は見られません。光度は17.2等、極限等級は17.8等でした。すでに板垣さんが確認済ですが、観測できましたので報告します」というメイルとともに、その観測位置の報告がありました。門田氏の観測時刻は、04時03分で、板垣氏の確認から約2時間半後に行なわれたものです。この門田氏の確認は、04時37分にダンに送っておきました。

さて、今日は、帰宅してから、2週間ごとに行なっている大掃除の日です。そのため、ダンの返答を見ないまま、06時20分に帰宅しました。まだ、晴天が続いているきれいな秋晴れの空の下での帰宅です。『こんなにきれいな空だ。まだ、発見は、続くだろうなぁ……』と思いながらの帰宅でした。しかし、いつもいるはずのワンちゃんが待っていませんでした。

10月 17/18日の夜は、その日の昼までかかった大掃除のために、オフィスに出向いてきたのは、18日00時40分になっていました。幸いなことに留守番電話は点滅していませんでした。メイルをチェックしましたが、特に重要な発見報告はありません。安心して、板垣氏からその日(17日)の朝、08時02分に届いていたメイルを見ました。そこには「おはようございます。このたびも、お世話になりました。おかげさまで SN 2004ezになりました。本当にありがとうございます。私は、門田さんを知りませんが、よろしくお伝えください。ありがとうございました」というメイルが届いていました。氏からのお礼のメイルが届いていたのは、その日の朝、06時30分に到着の IAUC 8419に板垣氏の発見が公表されていたからです。ダンは、あとに送った門田氏の確認観測までをその中に採用してくれました。

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ASAS彗星 C/2004 R2 (ASAS)

その夜、上尾の門田健一氏より、17日23時45分に「10月17日18時すぎにASAS彗星(2004 R2)をねらいましたが、以下の軌道から計算した予報位置を中心に10'角の範囲には、集光した像は見られませんでした。25-cm f/5.0 反射による観測で、極限等級は14.5等でした」というもう1つのメイルが届いていました。氏の報告は、18日03時08分にダンに連絡しました。そこには『彼が使用した軌道は、MPECに公表されたもので、SOHO衛星による10月7日〜9日の観測を1'以内に表現しており、観測には問題なかった』ということをつけ加えておきました。

ところで、この彗星は、チリのラスカンパナスで行なわれている70-mm f/2.8レンズ+CCD を使用した全天自動サ−ベイ・カメラ(ASAS)で、2004年9月3日におおいぬ座を撮影した捜索フレ−ム上に発見された11等級の新彗星でした。彗星のイメ−ジは、同カメラで撮影した9月1日と8日のフレ−ム上にも見つかりました。9月11日に門田氏によって行なわれた観測までを使用して決定された軌道からは、発見後の9月中旬には、北半球から、彗星は、すでに明け方の空、低空に位置し観測できないことがわかります。しかし、近日点距離がq= 0.11 AUと小さな彗星で、太陽に近づくにつれ、増光することが期待されました。実際、南半球で行なわれた眼視観測では、9月中旬に彗星は8等級まで増光していることが確認されました。

このため、北半球で、再び、夕方の空で観測可能となる10月中旬には、彗星は6等級前後で観測できることが期待されました。また、この増光が続けば、近日点通過時には、彗星は、1等級まで明るくなります。彗星と太陽との離角も小さいため、SOHOカメラで捕らえられることも推測されました。そして、予想どおり、近日点通過時の2004年10月7日から9日にかけて、太陽近傍での彗星の動きがSOHO衛星でとらえられます。しかし、彗星は、暗く、予報ほど増光しませんでした。それどころか、10月7日の CCD全光度は 5.6等でしたが、彗星が太陽に近づくにつれ、減光していく様子が観測されました。結局、門田氏の10月17日の観測は、この彗星が、近日点通過時頃に、消滅してしまったことを確認する結果となりました。なお、このことは、ICQ Comet Handbook 2005 (HICQ 2005, p.2)、および、山本速報 No.2442で報告しておきました。この夜は、06時30分に帰宅しました。この夜も、まだ、秋晴れが続いていましたが、南から、また、台風23号が近づいてきそうな雰囲気でした。天候も、少し、くずれてきていました。

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超新星 SN 2004et in NGC 6946

案の定、その1日後の10月19日朝、帰宅時は、雨で風が強くなっていました。その日(19/20日)の 夜、22時30分、オフィスに出向くときは、かなり強い風が吹き始めていました。この夜は、ずっと強い雨が降って、誰からも連絡がありませんでした。そして、その夜の朝には、九州南部がその暴風域に入っていました。豪雨の中、06時30分に帰宅しました。台風情報では、やはり、この台風も、この島に向かって進んで来ていました。どうも、台風にまで好かれてしまって……。この日の朝は、ヤンキーズ・レッドソックスのプレーオフ最終戦があります。それを見たあと、台風が上陸する前の正午頃に『そろそろ真打か……。でも、ちょっと強いなぁ』と思って眠りにつきました。

でも、その間、世俗は大変だったようです。大河・洲本川が氾濫して、あちらこちらで、水浸しでした。その夜のオフィスへの道は、木と草のじゅうたんと化していました。オフィスの前の国道は、まだ、冠水し泥水が残り、1階も、水か来たのか、泥びたしでした。オフィスの横を流れている小川も水があふれていました。この川が氾濫した(と同時に洲本川も)のは、約50年ぶりことです。そのとき、胴が10cm、長さが30cmもあるどじょう(なまずやうなぎではない)がウジャウジャと道の上をはい回っていました。『山の上には、こんなものが住んでいるのか』と思って、それをながめていたことを思い出しました。

2日後の10月22日には、買物があって、14時20分に自宅をあとにして、市内に出ました。すると、国道や県道際には、人の背丈まで積まれた畳と家具や電気製品がいっぱいで、何個か、拾いたい気分でした。多くの車も、水に浸かったまま、放置されていました。『もったいない。あれじゃ、もう動かないのか……』と思いながら、その惨状をながめて通りました。水に浸かった豊岡(兵庫県北部)のように、土手が決壊したのではありません。川の水が土手を越えて、氾濫したのです。道のガードには、たくさんの大木や草木が引っかかっていました。さらに、国道沿いには、今になっても、復旧していない所が、何ヶ所か残っています。台風も、何個か来てくれると、励みにもなりますが、こんなにたくさんで、もう十分堪能いたしました。でも、今年も、楽しみにはしているのですが……。

さて、22日夜、オフィスに出向いてきたのは18時です。すでに、天候は回復し、雲が多いながらも青空も見えていました。すると、留守番電話が点滅し、10時18分に1つの伝言が残されていました。また、11時10分には FAXも届いていました。報告者は、福山の小谷誠氏です。そこには「2004年10月17日20時23分に、はくちょう座北部にあるNGC 6946に超新星らしき天体を見つけました。発見光度は12.8等です。20-cm f/4.8 反射+コダックT-Max400で撮影したフィルム上に発見しました。99時間追跡して、移動はありません」という発見情報と、その銀河核からの離角、比較星表などが書かれてありました。超新星の発見報告としては、申し分のない内容でした。

しかし『えっ、10月17日というと台風襲来の前の秋晴れが続いていた夜じゃないか。それに、発見から5日も経過している。きっと、こんなに明るい超新星はもう見つかっている』と思って、過去に発見された超新星を調べました。すると、IAUC 8413に この超新星(2004et)の発見がすでに公表されていました。それによると「超新星の発見者はモレティ、発見日は9月27日、発見光度は12.8等」でした。また「山形の板垣氏からは、氏が9月19日に撮影した捜索フレーム上には、この超新星の姿が見られない」ことが報告されていました。『やっぱり……』と思いながら、小谷氏に電話を入れ、『ちょうど、20日前に発見されていますね』とこの事実を伝えました。そのとき、氏の捜索方法を聞きました。すると、氏はインターネットからの情報が得られないとのことです。従って、この発見は、氏にとっては、真の独立発見で、誤った発見報告ではないことになります。超新星の発見は忍耐と運だけです。今後も、がんばってください。

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テイラー周期彗星 (69P/Taylor)

10月23日夜は、22時50分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の午後、14時59分にスペインのペペ(マンテカ)から、“Recovery of P/Taylor”のサブジェクトのついたこの彗星の3個の観測が届いていました。観測は、2004年10月23日に行なわれたもので、氏のCCD全光度は17.8等でした。NK 794にある予報軌道(= HICQ 2004, p.114)からの残差を見ると、氏の観測は、赤経方向に−24"、赤緯方向に−11"ほどのずれを示していました。予報軌道に対するΔ;Tは+0.015日でした。しかし、Δ;Tを合わせても、赤緯に−6"ほどの残差が残っていました。つまり、単純なΔ;Tの補正では、その運動を表現できないのです。

この彗星の予報軌道は、1990年から1999年までに行なわれた 357個の観測から計算されたもので、観測をきれいに表現(平均残差 ±1".00)しているものの非重力効果の係数がA1=+4.27、A2=+0.4350と、特にA1が大きく、あまり満足のできる軌道ではありません。このとき、また、1つ前の1984年の回帰(検出は1983年)をすでに結ぶことができなくなっていました。特に、この彗星が1916年の出現以来、約61年間の間、見失われて、1976年に再発見されたとき、その軌道連結が困難な彗星でした。東独(当時)のランドグラフが、非重力効果の第3項A3を考慮して、1916年と1977年の出現を結んだこともありました。1916年の出現時に彗星が分裂しているため、その影響が長期間、残っているのかも知れません。とにかく、ペペには、この夜の業務の終了時、24日05時56分に『観測をありがとう。でも、軌道の良く知られた番号登録された周期彗星について、我々は、この観測をRecovery(検出)とは呼ばない』というメイルを送っておきました。帰宅時、空は、秋晴れのきれいな空に戻っていました。

次の夜(同じ24日)の22時32分には、久万の中村彰正氏から、ペペと同日、10月23日(24日朝)に行なわれた2個の観測が報告されます。氏の彗星の CCD全光度は16.4等でした。さらに、23時12分には、上尾の門田健一氏からも、ペペの観測よりも2日早い10月21日に行なわれた3個の観測が報告されます。氏のCCD全光度は16.8等でした。結局、門田氏のこの観測が芸西の関勉氏の観測とともに、今回帰の最初の観測となりました。

この彗星の今期の近日点通過は2004年11月30日で、近日点距離が q=1.94 AUと大きいにも関わらず、その近日点近くで急速に明るくなる彗星の1つです。たとえば、 HICQ 2004によると、11月の予報光度は15等級なのに、12月のそれは11等級まで明るくなっています。だたし、今回の回帰は、その観測条件が悪く、増光を確認した眼視光度観測はないようです。彗星の観測条件は、ここしばらくの間、次第に良くなっていきます。それを待って、軌道改良することにしました。そう考えていた25日04時28分のことです。そのとき、到着した MPEC U38 (2004)で、ブライアンは、今期の回帰に行なわれた10月24日までの18個の観測と1998年の観測を重力のみで結んだ軌道を公表していました。しかし、使用された1997年出現の観測は、わずかに63個です。前回の回帰には、1997年から1999年までに行なわれた 354個もの多量の観測があるのにです。『何で、こんなことをやるんだ』と思って、その軌道からの残差を見ると、1997年の残差は、およそ7"〜8"、1998年のそれは、およそ4"〜5"ほどあります。そして、彼は、1998年春以降の観測しか使用していないようです。『あいつは、軌道改良が面倒なときは、片手間にいつもこんなことをやる……』と思いながら、06時40分にその夜の業務を終え、帰宅しました。

その夜(25日)のことです。この彗星のことがやはり気になって、軌道改良することにしました。重力のみの軌道改良では、前回の出現は、1997年〜1998年の特に赤緯方向の残差に4"ほどのずれが見られ、ほぼ、ブライアンと同じ残差が得られます。また、非重力効果による影響を加算して連結軌道を計算すると、少しましな残差が得られますが、それでも、ところどころに2"〜3"の残差の偏りが見られます。それに、その係数がA1=+13.8、A2=−1.57と大きく、これは、ブアイアンがもっとも嫌うところです。また、現実的な値とも言えません。さらに、ランドグラフがしたように第3項を加えても、その結果は似たようなもので、しかも、A1=+10.5、A2=+0.91、A3=+2.13で、この値も気に入りません(注意、1997年出現時の観測数は 354個、2004年の回帰時の観測数は18個なので、最小自乗法でそれぞれの出現の観測が対等に扱われるように、観測にはウェイトをつけてある)。

『うぅ〜ん。何とかならんものか』と考え込んだとき、ふと、1995年前後に京大(当時)の薮下信先生と取り組んだ一酸化炭素(CO)昇華による非重力効果の方程式を組み込んだプログラムがあることを思い出しました。氷の昇華による非重力効果の算出は、その昇華点が日心距離でR=2.808 AUとなっているため、これより近日点距離が大きい彗星に、たとえ、もし、非重力効果による影響が見られても、その値を解くことができません。解が得られても、その係数が大きなものとなり、現実的ではないのです。そこで、薮下先生に、最近、多く発見され始めた近日点距離の大きな彗星の非重力効果にも、対応するために、その方程式の開発をお願いしたのです。 先生は、CO(あるいは、N2)による非重力効果による計算式を算出してくれました。COは、その昇華点が低いので、氷による非重力効果のように、日心距離の影響は受けません。そのため、CO昇華は、軌道の全周で働くことになります。必然的に、氷の非重力効果より、小さい値が計算されます。これは、便利な式だと思って、先生に論文用に頼まれた彗星だけでなく、他の多くの彗星も、計算してみました。すると、うまくいくものが少ないために、やっぱりだめかとあきらめてしまいました。その後も、ときどき、思い出したようにCO昇華による方程式で、彗星の運動を解くときがありましたが、やはり、うまくいきませんでした。

しかし、なぜか、このとき、この方程式を使用して、この彗星の軌道改良を行なってみたのです。すると、何と、1997年から2004年までに行なわれた全観測をみごとにフィットする軌道が求まるではありませんか。『何ということか』と、唖然として、その結果を見つめました。

そして『あの当時、元々、軌道改良が非常に困難な彗星について、COの昇華で彗星の運動をうまく表せないものか……』ということに挑戦したということを思い出しました。つまり、挑戦した彗星は、その運動が、重力、氷の非重力効果でも、解くことのできない軌道改良が、非常に難しい彗星ばっかりだったのです。結局、『そのような彗星は、何を使用しても解くことができないのだ』と、最近、納得しました。そのため、10年前に行なったCO昇華による軌道改良でも、うまくいかなったということにようやく気づいたのです。しかし、この彗星の運動が完璧に解けたことで、普通に軌道解が得られる彗星が、重力や氷による非重力効果で解けなくなったとき、CO昇華による非重力効果で解決できる(かも知れない)という大きな自信が得られました。

でも、1つ疑問があります。このテイラー彗星の近日点距離はq=1.94 AU です。そのため、その運動は、氷の昇華で十分表現できるはずです。また、昇華点の低いCOは、すでに彗星表面には存在しないかも知れません。しかし、その後に少しわかってきたことがあります。それは、近日点近くで急激に増光するという同様の傾向を示す 102P/シューメーカ第1彗星(q=1.97 AU)も、 氷の非重力効果では、好結果が得られません。しかし、CO昇華では、きれいにフィットする軌道が得られます。つまり、近日点距離qの小さな彗星の中でも、近日点近傍で光度変化が激しい周期彗星(69P, 102P)の運動が CO昇華でうまく表現できるという事実に、大きな興味を持つようになりました。また、最近では、そのような著しい光度変化は、COの昇華によるものであろうと推測しております。

もちろん、近日点距離qの大きな周期彗星 (74P, 119P)が非重力効果を示した場合、これまでは、全期間の観測を一緒に軌道改良することができませんでした。しかし、CO昇華では、その運動をみごとフィットできます。これらの周期彗星は、同一観測期間の観測群を使用しては、氷による非重力効果では、うまく解けないものなのです。

一方、最近、たくさん発見されている近日点距離qの大きい彗星については、氷もCOの影響も、中々、その残差に現れてきません。これは、qが遠い彗星の場合、たとえ、彗星に非重力効果があっても、その位置を1"をずらせるほどの大きな非重力効果がないと、彗星の観測に、そのずれが現れてこないためです。しかし、最近発見されているqが3.0 AUより大きな多くの彗星で、残差に数秒のずれが見られたものが、何個かあります。これらも、CO昇華で解くことが可能となりました。たとえば、スペースウォッチ彗星(1997 BA6)がその1つです。また、近日点距離がq=0.85 AUと小さいLINEAR彗星(2003 T4)が、重力、氷の非重力効果でも、その運動を表現できないのに、CO昇華による非重力効果で解くことができるのは、意外なできごとでした。

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