天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2006年4月5日発売「星ナビ」5月号に掲載

LINEAR彗星 (2005 A1)

スペインのパストールから、彼らが2005年6月25日以後に40-cm f/6.3シュミット・カセグレインによって行ったLINEAR彗星(2005 A1)の観測では「この彗星の主核に比べ、わずかに暗い分裂核が観測された」という報告があります。彼らの観測では「主核Aからの副核Bの位置角と離角は、6月25日に207゚.4、8".4、7月3日に200゚.1、10".8」と報告されていました。7月10日03時52分には、上尾の門田健一氏から7月6日に行われた氏の彗星の観測が届いていました。その中に、この彗星の観測がありました。氏の観測は、この彗星の分裂が報告されてから、我が国で行われた初めての観測となります。

この時期、7月中旬に発行する山本速報No.2477とNo.2478を編集中でした。もちろん、その中にこの彗星のA核とB核の軌道を採用する予定でした。そのため、良いタイミングでの観測の報告でした。しかし、門田氏の観測の中にB核の位置がありません。このとき、各地でのB核の観測光度は14等級と、上尾で十分観測可能な光度です。そこで、7月12日01時49分になって、氏に『いつも、観測をありがとうございます。表記の2005 A1の観測ですが、これには、B核が写っていないということですか。そんなに暗くないと思うのですが……』というメイルを送っておきました。すると、氏から02時05分に「明るい部分がなんとなく細長い気がするのですが、残念ながら独立した別の集光部としては測定できませんでした。ピクセル分解能3.3秒ですので、数ピクセル相当の分離は難しかったようです」という返答が届きました。この時期の2つの核の離角は10"ほどしかありません。そのため、小さな機材では分離できなかったのかと思って、氏のB核の観測の情報を同号に掲載することをあきらめました。そのため、山本速報No.2478にはA核とB核の軌道のみを取り上げました。

ところで、この彗星については、再度、山本速報No.2488に軌道を公表しました。そして、No.2499には『山本速報No.2488に記したとおり、B核はA核より1.5等級ほど暗い。これら2つ核の軌道の最終観測となる12月22日のマウナケアの観測では、核光度がそれぞれ18.5等と19.9等と報告されている。なお、彗星の2005年12月のそれぞれの核の観測はNo.2488にある軌道からのずれはなく、同号の軌道は良い精度で決定できている。計算された2つの軌道から核の最接近がいつであったかを調べると、2005年1月27日に双方の核は0.0000013 AU(約195-Km)まで接近している。ただし、B核の軌道計算に使用された2005年6月18日までの観測はA核に使用されたものと同じであることに注意。この後に、A核とB核はいったん離れ、計算上同年4月24日に0.0000077 AU(約1155-Km)までもう一度接近する。どちらを分裂の日付とみるかは議論が分かれるが、おそらくその近日点通過約2か月前、2005年1月下旬には、分裂を始めていたのかもしれない。IAUC 8562によると、JPLのセカニナは初期の分裂核の観測からその分裂日を2005年4月中下旬としている。なお、2005年末現在、A核とB核は0.00062 AU(約9.3万Km)まで離れている。HICQ 2006(p.66)にあるとおり、2006年春には彗星は太陽からの離角が小さくなり観測しづらくなる。夏ごろに観測条件は良くなるが、そのころにはB核は暗くなっているだろう(抜粋)』という記事を掲載しました。なお、門田氏は7月17日と21日にこの彗星のA核、B核をともに観測しています。そのときのそれぞれのCCD全光度は、A核が12.8等、13.1等、B核が14.0等、14.6等でした。

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101P/チェルニク周期彗星

この山本速報に取り上げるもう1つの題材が7月12日02時19分にMPEC N59 (2005)で届きます。そこには、テーブル・マウンテンでヤングによって7月10日と11日に101P/チェルニク周期彗星が今回の回帰で初観測されたことが報告されていました。そのCCD全光度は、すでに17等級と明るいものでした。観測位置は、NK 857(= HICQ 2005, p.125)にある予報軌道から約8'.5ほどのずれがあり、近日点通過時刻への補正値はΔT=+0.44日でした。ΔTが若干大きかったのは、1978年の初回出現と1992年の出現からこの彗星の運動にはすでに非重力効果の影響があることが認められていたからでした。しかし、彗星の近日点距離がq=2.35 AUと大きいためか、その係数がA1=+12.0、A2=−9.28にもなり、非重力効果を含めた予報軌道は公表はしませんでした。いずれにしろ、予報軌道からのずれは、この非重力効果の影響だと思われました。

ところで、このMPEC N59には「IAUC 5347とIAUC 5391で報告された1991年に起きた彗星核の分裂のため、その後の観測しかうまくフィットできない」と記載されていました。さらに、その軌道改良にはわずかに34個の観測しか使われていませんでした。この彗星の観測は1977年の発見以後、そのときまでに314個の観測が報告されているのにです。山本速報の編集が進み、翌7月12/13日夜になって、この彗星の軌道を計算をすることにしました。すると、MPEC N59の記述とは違って、氷による非重力効果でも1977年以後の全観測が非重力効果の係数がA1=+7.20、A2=+1.1615で、おおむね結べることがわかります。氷の昇華によるベスト・フィットは、さらにA3項を加え、A1=+6.06、A2=+1.1559、A3=−5.0109で、274個の観測を平均残差1".16で表現できることがわかります。『何だ。水でも何とか解けるではないか。あんな注釈を書く前にもっと真剣に計算しろよ』と、むかむかしました。

ただし、本誌3月号で紹介したとおり、得られた非重力効果は、あまりにも大きく、現実的な値であるとは言えません。この彗星の近日点距離がq=2.35 AUと大きいために、彗星の軌道の大部分は、氷の気化の限界点(2.808 AU)より遠いところにあり、その軌道を周期が14年で公転しています。従って、氷による非重力効果より、一酸化炭素(CO)による非重力効果の方がもっと有効に働くはずです。そこで、COによる軌道改良を行いました。すると、1977年以後の全観測がY1=+0.62、Y2=+0.1009、Y3=−0.55で表現できることがわかります。軌道改良に使用した267個の平均残差は1".17でした。もちろん、このことは7月13日02時13分に中央局に『これがベスト・フィットだ』と伝えておきました。結果は、OAA/CSのEMESにも入れました。そこには『MPEC N59の最後に書かれたコメントはおかしい』ことをつけ加えておきました。02時56分のことです。なお、前述のとおりこの彗星には1991年/1992年にかけて副核B核が観測されています。この核が11月30日にカテリナでクリステンセンによって捉えられます。このことは、また本誌で後述することになります。(→2006年9月号へ

さて、封筒づめが終了した山本速報No.2477、No.2478を7月14日早朝03時30分に郵便局に持って行き、04時30分に美星に向けて出発しました。美星に出かけるのは、2年前に打ち切られた(株)ダイニックからの援助金の代わりに、日本スペースガード協会から援助金が受けられることになったからです。しかし、その面接試験がこの日にあるのです。高速国道2号から龍野で山陽道に入り、美星のペンションには08時05分に到着し、朝食を食べて面接時間である14時まで眠ることにしました。しかし、緊張のせいか? ほとんど眠らないまま面接試験を受けました。なんとか合格し、8月から同協会から援助金を受けることができました。これで、私の業務遂行もかなり楽になります。うれしさのあまり、このことを今年の年賀状に『さて、今年は近況報告です。2年半前に(株)ダイニックからの私の業務への援助金が打ち切られました。しばらくの間途方にくれました。悪いことは続くもので、昨年5月には天文ガイド誌の「新天体発見情報」を首になり、同月、失意のままにそれを終了しました。これで、私の月収は8万円になりました。1日を500円で生活している私でも、これでは毎月あたりの業務の必要経費も確保できなくなりました。そのため、2年前から星とは関係ないいくつかのアルバイトを始めていました。しかし、この世には神様がいるのかもしれません。昨年7月からは、首になった「新天体発見情報」を星ナビにお願いし継続することができました。これで少し楽になりました。さらに幸いなことに8月からは、日本スペースガード協会から援助金がいただけることになりました。これで月収20万円近くになりました。同年代の人たちからみると極めて低所得です。しかし「世の中、お金がすべての幸をもたらす」とは限らないのです。私にとっては、これだけの月収があれば業務に必要な毎月の経費、約10万円ほどを差し引いた残りの10万円は私が毎月を生活するのに十分すぎる額です。しばらくお金の心配をしなくてもすむと今年はうれしいのですが……』とつけ加え、親近者に知らせました。美星ではその14日18時から21時30分まで睡眠をとり、23時30分に同地を出発し7月15日03時05分にオフィスに戻ってきました。

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超新星 SN 2005cz in NGC 4589

7月17日は、22時50分にオフィスに出向いてきました。すると、留守番電話が点滅していました。しかし、この日は夜になっても暑く、まず食料を冷蔵庫に入れ、戻ってきて部屋に入ると電話が鳴っていました。急いで留守番電話の受話器を取りました。しかし、誰もかけてきていません。それなのに電話がまだ鳴っています。それは、秘密の電話の呼び鈴でした。受話器をとると「あぁ〜〜、中野さん……」と、また山形の板垣公一氏でした。いつものように『今、出かけてきて留守番電話が点滅しているのを見たところです。また、何か見つけましたか』とたずねると、「はい。NGC 4589に超新星です」とのことです。そこで、『もう送ってくれましたか』とたずねると「これからです」と、氏からの発見報告を待つことにしました。その間、留守番電話を聞くと、板垣氏はオフィス到着の2分前、22時48分に電話をかけてきていました。

22時54分に氏からの発見報告が届きます。そこには「2005年7月17日21時03分にりゅう座尾部にあるNGC 4589に16.0等の超新星を見つけました。発見画像は10枚以上あります。その極限等級は19等級で、60分間の確認で移動はありません。2001年11月25日に撮影した19等級の捜索画像には、その姿がありません。DSS(Digital Sky Survey)でも確認しました。もっとも最近の捜索は2005年6月20日、その極限等級が18.5等の捜索画像には、この超新星はまだ出現していません。60-cm f/5.7、20秒露光での発見です」という報告と超新星の出現位置、銀河中心の測定位置がつけられていました。氏からは、その直後の23時07分に発見画像が送られてきます。超新星は、この銀河の東に出現していました。

氏の発見は、23時24分に中央局のダン(ダニエル・グリーン)に報告しました。このメイルは、その確認用に八ヶ岳と上尾にも送りました。超新星が16等級と明るいために、上尾ですばやく確認してくれる可能性があります。しかし、残念なことにその10分後の23時35分に門田健一氏から「上尾は濃い雲におおわれ、今夜の確認は無理そうです。月がぼんやり見えています」という連絡がありました。

一夜が明けた7月18日は、21時30分にオフィスに出向きました。すると、21時02分に板垣氏から「こんばんは。昨夜は、大変お世話になりまして、ありがとうございました。早くからCCDカメラを立ち上げていますが、今夜の山形は今にも雨が降りそうな空で何ともなりません。明日にでも晴れましたら報告いたします。よろしくお願いします」というメイルが届いていました。この時期、西日本では美星から戻ってきた7月15日以後、晴天の暑い日が続いていましたが東日本の天候は良くなかったようです。その板垣氏のメイルを見てからジャスコに買物に出かけ、22時50分にオフィスに戻ってきました。すると、そのちょうど30分後の23時20分に一通のIAUC 8569が届きます。そこには、早々と板垣氏の発見が公表されていました。板垣氏の発見から約17時間後の18日14時半ごろにこの超新星が米国のパケットらの超新星サーベイグループの一人、シーガルによって観測されていたのです。シーガルらは、7月15日に別の超新星2005cyを発見しています。おそらく彼らは、その捜索作業中にこの超新星を発見し、それがすでに板垣氏によって発見されていたことを知ったのでしょう。いずれにしろ、この観測が第2夜目の確認観測となり、板垣氏の発見が公表されたのでした。

日付が変わった7月19日00時14分になって、このサーキュラを見た板垣氏からメイルが届きます。そこには、「今、IAUC 8569を見ました。おかげさまでSN 2005czになりました。何度も経験したことなのに、IAUCで確定するまでは心が落ちつかなく、いろんな心配ごとを考えてしまいます。取り急ぎお礼まで。本当にありがとうございました」と書かれてありました。

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さそり座新星 2005 (V1188 Scorpii)

2005年7月下旬も暑い日が続いていました。しかし、7月26日06時35分の帰宅時には、南から近づいてきた台風7号のおかげで、曇りから雨となり、暑さはいったん途絶えました。幸いにも台風7号はこの夜(7月26/27日)に関東地方に上陸し、東北地方へと進んで行きました。その影響がまだ東日本に残っている夜のできごとです。

その夜は、22時36分にオフィスに出向いてきました。すると、7月26日21時39分、中央局のダンから一通のメイルが届いていました。そこには「日本の天気はどうだい? さそり座に9等級の新星状天体の発見があった。この新星はASASサーベイの7月25日と26日16時頃に撮影された捜索フレーム上に発見されたもので、7月23日の極限等級が14等級の捜索フレームには見られないとのことだ。出現位置は、赤経α=17h44m22s、赤緯δ=−34゚16'.5だ。出現位置の精測とDSS等の昔に撮影されたプレート上の出現位置に暗い星が見られるかどうかの確認がほしい。誰かこの星域を撮影できないか」という確認依頼が書かれていました。

22時46分にダンには「昨夜から近づいてきていた台風が東日本に去って行った。しかし、まだその影響が残っているので、今夜は天候が悪いと思うね」というメイルを返しておきました。このメイルは、その確認のために八ヶ岳と上尾にも送付しました。しかし、その時、オフィスに出向いてくる時にはここでは晴間も見えていたことを思いだし、この夜の美星の当番である橋本就安氏にもその確認依頼を送ることにしました。ここより西にある美星の天候が、すでに回復している可能性があると思ったからです。メイルを送って、22時50分に、美星に電話をかけました。橋本氏が出ました。確認依頼を送ったことを告げて天候を聞くと「美星は快晴だ」とのことです。そこで『他の地域は、台風7号の影響で曇っているだろうからよろしく頼む』とお願いしました。すると、23時40分に橋本氏からは「23時17分にこの新星を確認した」との連絡が入ります。そこで、氏には『出現位置の測定と光度、星表の星と比較して、出現位置に暗い星が存在するかどうかを確認してくれる』ように頼みました。氏によると、すでに位置は測定したとのことです。

23時43分にダンに『幸いにも美星が快晴の空だった。すでに新星はHashimotoにより撮影され、この星の存在が確認された。今、彼からの報告を待っている。しばらくすると連絡できるだろう』というメイルを送付しました。しかし、それから20分待っても報告が届きません。『あのとき測定が終っていると言っていたのに、いったい何をやっているのだろう』と思って、日付が変わった7月27日00時06分に『まだ来ないぞ……』と苦情の電話を入れました。すると「後はメイルに画像を張り込むだけです」との返答です。その言葉に安心して電話を切って報告を待つことにしました。しかし、20分経ってもまだ報告が届きません。むかむかして『もう一度電話を……』と思ったそのとき、00時26分にやっと報告が来ました。そこには「新星らしき天体の確認の報告です。浦田武さんと協力して確認しました。新星の位置は、赤経α=17h44m21s.59、赤緯δ=−34゚16'35".7で、光度は8.6等、観測機材は50-cm望遠鏡にAP-10、20秒露光での撮影です。なお、ESO online Digitized Sky Survey DSS-1とDSS-2(red)で調べましたが、これらの画像には写っていませんでした。写真の赤で囲んだ恒星です」という確認観測が書かれてありました。

ずいぶん、ダンを待たせてしまったと思いながら、27日00時42分に美星での確認をダンに報告しました。そこには『私が調べた範囲では、USNO星表でこの新星のもっとも近くにある星は17.4等星だ。新星から東に4".9のところに位置する』ことを追加しておきました。00時56分にこのメイルを見た門田氏から「西日本は晴れていたようですね。無事に確認されてホッとしました。台風通過直後で上尾はまだ曇天です。ときどき空の様子を確認してますが今夜は無理そうです」というメイルが届きます。これでこの新星の処理が終了したと一安心して美星の橋本氏に電話を入れ、お礼を申し上げていた、そのときのできごとです。

00時55分に電話が鳴ります。橋本氏には『あとでもう一度電話する』と話してその電話を切り、鳴っている電話の受話器を取りました。すると、掛川の西村栄男氏でした。氏の声を聞いて、話を聞かなくてもピンときました。そして『天体の発見ってどうしてこういう偶然が多いのだろう』と内心思いながら黙って氏の話を聞きました。氏は「さそり座に新星を発見しました」。『そうでしょう。知っていますよ……。それで……(氏に話したわけではありません)』と話が続きます。氏は、さらに「発見時刻は7月26日22時33分、ペンタックス6×7に200-mm f/4.0+T-Maxフィルムで30秒露光で撮影した2枚のネガに写っています。出現位置はα=17h44m22s、δ=−34゚15'59"、光度は8.7等です。7月20日に撮影した極限等級が11等級のフィルムには、その姿がありません」という報告でした。

すでに、台風一過の晴天が静岡まで到着していたようです。もちろん、氏と話ながら、秘かに……、ディスプレイに写っている美星での測定位置と比較しています。電話の向こうでそんな状況にまったく気づかない氏は、続けて「これから以前のフィルムも調べます」と話します。そこで『いえ、その必要はありません。これでOkayです』と返答しました。氏は「えっ、どうしてですか……」とたずねます。『実は、今、この新星の確認作業を終ったところなのです』と、初めてこの新星が別のところで発見されている事実を伝えました。もちろん、氏の発見は、その確認作業を知らない独立発見であることに疑う余地はありません。『本当にちょうど今、終ったところです。これから、すぐ中央局に連絡します』と話をして電話を切りました。そして、すぐにダンに『ちょっと待ってくれ。今、Nishimuraからこの新星の独立発見が報告された』と連絡しました。01時05分のことです。

そして、氏に聞いた発見報告からメイルを作成し、01時13分にそれをダンに送りました。間にあった……です。すぐそのあと、ダンからは「きわどいタイミングで間にあったな。同じサーキュラで公表できる」と返答があります。その後、01時15分に再度、橋本氏に電話を入れ、この事実を伝えました。ダンは03時15分に到着のCBET 185で、西村氏の独立発見とともに美星での確認を公表しました。なお、西村氏の独立発見を報告したメイルは、門田氏と串田麗樹さんにも送付しました。彼らもそれを見て、きっと発見の偶然性・神秘性にびっくりしたはずです。何度も言っていますが、新天体の発見には、新天体が「もう発見してくれてもいいよ……」と、ささやきかけてる時期が必ずあるのです。そして、それが誰のもとにも平等に訪れてくれるものなのです。

これで、やっと本当に終ったと安心しました。しかしその後、まだ話が続きます。届いたCBET 185をよく見ると、ちょっと間違っていることがあります。そこで『Nishimuraの独立発見の公表をありがとう。ただ、きみは、報告に書いた美星の極限等級とDSSの極限等級を勘違いしている。DSSの極限等級はもっと暗いはずだ。IAUCを発行するときには、それを訂正してくれ』というメイルを送っておきました。03時29分のことです。すると、04時12分にダンから「Okay。了解した。ところで、美星で調査したDSSの極限等級がわかるか。可能ならばRとBプレートについて……」という連絡があります。もちろん、すぐ美星に電話を入れましたが、すでに誰も出ませんでした。そのため、ダンに『美星とは連絡がとれない。しかし、彼らはESOウェッブ・サイトのオリジナル・コピーを見ているはずだ。従って極限等級は20等〜21等くらいなのだろう』という返答を送っておきました。04時24分のことです。その朝、07時39分に届いたこの新星の発見を正式に告げるIAUC 8574では「DSSの極限等級は報告されていない」に変わっていました。

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