天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2006年5月6日発売「星ナビ」6月号に掲載

火星探査機 Mars Reconnaissance Orbiter (MRO)

2005年8月12日の夜は、22時55分にオフィスに出向いてきました。この夜は、曇り空で暑い夜でした。すると、その日の13時20分に大分の柏木周二氏から「2004 B1 (LINEAR)を捉えました」というサブジェクトのついたメイルが届いていました。そこには「8月に入り、チャンスはあったのですが、昨日やっとそれらしき姿を捉えました。その移動も確認できましたので報告します。明るさはまだ13等級でしょうか? 今夜も晴れそうなので、継続観測をしようと思います」という氏の観測が報告されていました。この彗星は、2006年2月7日に近日点を通過し、そのころ10等級まで明るくなることが期待されていました。しかし、彗星が太陽の近くを動いているせいか、位置観測は2005年3月28日でとまっていました。しかし、この夏(2005年8月)には、その観測が再開されることが期待されていました。ただ、彗星が南天へと動いていくため北半球では、2005年8月〜9月にかけて、天文薄明開始時の南の空の低空にその姿を見せるだけで、その後の観測は、2006年2月以後になってしまいます。この時期の光度は、12等〜11等級と予報されていました。そこで、仲間にその観測を依頼してあったのです。なお、彗星は北半球では2006年3月13日に上尾の門田健一氏によって再観測されています。そのときのCCD全光度は12.8等でした。彗星は、その後の3月26日に門田氏、27日に八束の安部裕史氏によっても観測されました。また、眼視全光度は坂戸の相川礼仁氏が4月2日に12.2等、5日に12.6等(星の広場HAL-News)と観測しています。したがって、彗星は期待された10等級まで明るくなっていないようです。

その夜(8月13日)、01時41分に久しぶりに熊本の小林寿郎氏から電話があります。氏から連絡があるときは、必ず何かが起こったときです。氏の声を聞き『彗星の発見か……』と期待しましたが違いました。しかし、氏は「今夜22時すぎに奇妙な天体を観測した。天体は、肉眼で、最初アンドロメダ座α星近くに見られ、光度が2等〜3等級の恒星状であった。しかし、北へ移動しながら、人工衛星のアポジモータの噴射をしたような形状に変化していった」というのです。氏は「くわしい報告とCCDで撮影した画像をのちほど送る」とのことです。そのため、氏からの連絡を待つことにしました。

この時期、ちょうど美星スペースガードセンターのコンピュータ管理を引き受けた頃でした。そのため、以前の担当者である宇宙航空研究開発機構(JAXA)の吉川真氏に、その日の朝06時27分にシステムについての問い合わせのメイルを送りました。すると、06時41分には、その回答がすばやく届きます。吉川氏からは、何事につけてもメイルを送るとすぐその返答があります。送信側にとってメイルがすぐ返ってくることは、自分のメイルが届いたという確認にもなり、これは実に心地良いものです。いつも私も『吉川さんのようでありたい……』と努力していますが、まだまだ氏の域には達していません。悲しいことですが……。とにかく、06時52分には『早いなぁ……。起きるのも、メイルもです』から始まるメイルを返しました。すると、07時12分には氏から私へのメイルの回答とともに「いえ……、今日に限って言えば、研究所で徹夜しています。アメリカがMROという火星探査機を打ち上げたのですが、そのトラッキング・サポートです。もう少しで、サポートが終わります」というメイルが届きます。『そうか? 火星探査機が日本から見える位置にあったのか。寿朗さんの見たものはそれかもしれないな。とにかく報告を待ってから、吉川さんに聞いてみよう』と思いながら、07時20分、空をながめながら帰宅しました。暑い朝、空はやはり曇り空でした。そのため、『これで熊本は晴れているのか』と思いたくなりました。

その日(8月13日)夜は、22時50分にオフィスに出向いてきました。すると、昼間の16時28分に小林氏から次のようなメイルが届いていました。そこには「昨夜はお騒がせしました。最初に気づいて騒ぎ出した仲間たちは時刻を記録しておらず、連絡のあと再度聞き取り調査を行って何とかまとめました。その結果、22時30分±5分にアンドロメダα星の北西に肉眼で異常天体を見つける。発見者達の記憶を星図に書かせて調べた結果、その位置はα=23h536m.1(原文のまま)、δ=+32゚20'となった。同40分に「ペガサス座に彗星がありますか?」と問い合わせがあり、41-cmで存在を確認。すぐ写真を撮るように指示した。緊急作業で、仲間がデジタル一眼で何とか10秒露出2枚を撮影。この後、急に見えなくなった。撮影後に確認するとカメラのクロックは7秒進んでいた。夜明け後、撮像できたフレームの処理確認作業を行ったところ、雲状天体は両フレームに写っていた。しかし、移動する像は1枚目のみであった。とりあえず、その位置を星図上から読み取った……。参考までに画像ファイル(JPEG)を添付します。天体の形状は、目で見ることが百の説明より優るでしょう」となっていました。画像がJPEGに落してあると言っても、このメイルの容量は4.6メガバイトもありました。

とにかく、この報告を23時57分に吉川氏に転送し、これが昨夜にJAXAで追跡していたMROであるかどうかを確認してもらうことにしました。そのメイルには『昨夜22時JSTすぎに、下のメイル(これは、報告の後で送ってもらった)のような天体がアンドロメダ座に見られました。形状は、アポジモータを噴出したような彗星像(光度2等〜3等)であったと報告がありました。その天体は、北の方向に動いていったとのことですが、これって朝のメイルのMROなのでしょうか。画像をつけますが、私にはどれだかよくわかりません』という注釈を入れました。このメイルは、その位置を測定するために美星の浅見敦夫氏にも送付しておきました。

すると、その夜の02時02分に浅見氏から「美星は曇り空です。小林寿朗さんの天体ですが、ざっとですが露出開始と終了の位置を測定してみました。シンチレーションでしょうか、波うっていますが北東に移動していますね」という測定結果が届きます。あとは、吉川氏の判断しだいです。夜が明けた05時21分に氏からのメイルが届きます。そこには「30時間くらい連続で起きていたので、昨晩は早く寝て朝早く起きました。それで、MROですが、打ち上がった時刻が日本時間で8月12日20時43分で、鹿児島(内之浦)からトラッキングが開始された時刻(=地平線上にMROが昇ってきた時刻)が、21時45分くらいだったと思います。その後、トラッキング支援は8月13日の朝7時すぎまでやりましたが、MRO自体はまだ日本から可視が続いていました。ということで、撮影された時間としては、MROでもおかしくないですね。あとは、方向があっているかどうかですが、観測地の緯度・経度・高度を教えていただけますか? MROだとすると、ミッション側に伝えてあげれば喜ばれると思います」というメイルが届きます。そこで、05時50分に氏に『早いなぁ……。メイルも起床も……。MROとの同定は確かではないでしょうか。小林氏の座標を送ります。もし、MROならおもしろいので担当を始めた日本スペースガード協会(JSGA)のウェッブ・ページにも入れたいと思います。結果をお知らせください。なお、メイルにあった熊本の3個の観測では軌道は出ませんでした。高度と方位も必要なのでしょうか。だったら、計算しますが……』というメイルを送りました。このメイルには『小林さん。浅見さん測定位置のモーションから推定すると、最初の位置がぜんぜん違い間違っています。ミス・タイプ(α=23h536m.1)もあります。もう一度、知らせてください』という連絡をつけて、小林氏にも送っておきました。そして、06時04分には、高度・方位角を計算して、再度、吉川氏にそれを送りました。その計算結果によると、この天体は熊本では22時43分に東北東の空、高度+36゚.5の位置に見えていたことになります。この夜は07時00分に帰宅しました。やはり雲り空の暑い朝でした。

8月14日深夜前(23時30分)にオフィスに出向くと、07時26分に吉川氏から「情報ありがとうございます。観測時刻にMROがどのあたりに見えるのか、計算をしてもらいます。データがISASの衛星運用の計算機に入っていて、富士通の人に作業をしてもらう必要があるので少し時間をください。なお、この他にも観測があれば観測地の座標と観測時刻を知らせてください」というメイルが届いていました。また、小林氏からは11時13分に「いつもお世話になります。発見位置を再度、星図上で位置を確認させたところ、α=23h51.6m、δ=+32゚32'がより正確だろうということになりました。ところで同夜、南阿蘇のルナ天文台でも同じ天体を見つけ、2枚の画像を撮ったそうです。ひどい画像で公開したくない代物ということですが送ってもらえることになりました。届きしだい転送します。うまく位置が計れれば、眼視の位置よりはるかに精度は高いと思います。同夜はペルセウス流星群の極大日なので、ひょっとすると多くの画像が撮られているかも知れませんね。取り急ぎ……」というメイルが届いていました。さらに氏からは、12時53分に南阿蘇で撮影された2枚の画像が送られてきていました。

もちろん、これらの情報はすぐと言っても約半日遅れの23時44分に吉川氏と浅見氏に転送しました。その夜の15日03時03分になって、浅見氏からは、「南阿蘇の画像ありがとうございます。測定しましたが比較星のピークがはっきりしないのと、どれが移動天体かはっきりしません。かなり不確かです。軌道も数値が出たというだけです」というメイルとともに、その測定位置が届きます。これで、8月12日22時30分(眼視)から22時57分まで6個の観測が得られたことになります。これらの観測から、浅見氏はその地心軌道を決定しています。それによると、この天体はこの頃、ほぼ遠地点(あるいは、近地点)にあって、離心率がe=0.9510〜0.9995であったとのことです。つまり、衛星を太陽系軌道に投入するために遠地点付近で加速し、離心率が双曲線に近い軌道になったものと思われます。どおりで私の衛星の軌道決定では、その解が得られないはずです。衛星の軌道を決定する際に、そこまでの軌道は考えてないのです。『そうなんだろうな……。プログラムを組むときに太陽系軌道に投入する場合のことまで考えていなかった』と思いながら、その日の朝は06時50分に帰宅しました。

同じ8月15日は、22時20分にオフィスに出向いてきました。すると、06時58分に吉川氏から「MROの軌道から、いただいた観測時刻についてそれぞれの場所から見た赤経・赤緯を計算して比較するだけで良いのですね」というメイル、そして、21時12分には、浅見氏から「南阿蘇の画像を測定しましたが、比較星のピークがはっきりしないのと、どれが移動天体なのか私もよくわかりません」というメイルが届いていました。そこで、22時35分、吉川・浅見・小林氏宛てに『吉川さん。そうですが、比較するのは1行目の赤経と赤緯(高度と方位)です。それと、そちらで出したMROの位置が一致しておれば良いわけです。高度角のリストの2行目以下は、まったく無意味です。天体が動いていますので……。なお、赤経と赤緯は、視位置に変更しています。したがって、値が少しづつ変わっていますが、これでOKで気にされないでください。南阿蘇の画像については、私も分かりません。これは、浅見さんに聞いてください。彼は、赤経と赤緯を測定していますので……』というメイルを送っておきました。

すると、吉川氏から23時08分、同13分、同21分に「熊本の観測値はMROの軌道とよくあっている可能性があります。MROと思われる天体についての観測値について確認させてください。浅見さんのメイルに書かれている6個が最終的な観測値だと思って良いですか」というメイルが届きます。またこの頃、熊本から発信されたこの天体の情報を収集するメイルが出回っていたようです。そこで、23時35分に『メイルにある他の情報は、熊本から出た同じ情報です。観測値については、浅見氏のメイルのとおりです。観測値は、最初の眼視観測を除き、すべて浅見氏の測定です。最初の4個は熊本、あとの2個は阿蘇ルナ天文台のぼけたイメージからです。明るさが2等から3等ということですので、多くの方が気づいたのでしょう。可能ならば、MROの予報位置(赤経と赤緯)、および軌道要素をいただけませんか』という返答を返しておきました。同じ様な回答のメイルが16日00時06分に浅見氏からも届きます。この頃、吉川氏と何通かのメイルのやり取りが続き00時55分に氏から「最初の眼視観測の位置は、MROの位置とかなりずれています。しかしあとの5個の位置は、MROの予報位置に良く一致しています」というメイルが届き、熊本で観測された天体はNASAのMROに間違いないという結論になりました。

さて8月16日22時50分オフィスに出向くと、14時45分に吉川氏から「JPLとメイルのやり取りをしましたが、JPLからはインターネットのサービスを使って、MROの軌道データを出してみるように言われました。ここには最新のMROの軌道情報が入っているということでした。やってみたのですが、どうも秒のオーダーの時刻を指定できないようです。ということで、軌道としてはちょっと古いのですが、打ち上げ当日に受け取った最初のアップデイト軌道にもとづいた値をお知らせいたします。赤経・赤緯ともに、角度の度の単位です。なお、JPLが計測値を送って欲しいと言っていますので、熊本のデータ(2行目〜4行目)をJPLに送っても良いでしょうか? また、いっしょに画像も送ろうと思いますが良いですか?」というメイル、そして、17時17分に小林氏から「どうも、お世話になりました。MROだったとは……。うまいタイミングでしたね。昔の我が国のH2ロケットの燃料漏れによる彗星状天体の事件を思い出しました。さて、画像のJPLへの送付についてはお役に立てるなら送ってください。その際のクレジットはKCAO(熊本県民天文台)としてください。今回の観測成功は、仲間数人による絶妙なチーム・ワークによるものでした。よろしくお願いします。もし、画像の未処理データ(CR2フォーマット6.6MB)が必要なら送りますので連絡ください。なお、もう一件、同天体の画像があるようなので届きしだい中野さんに送ります。22h16mの画像らしいので楽しみです」というメイル、そして、小林氏の言う「もう一件の情報」が18時09分に届いていました。さらに、浅見氏と吉川氏のやり取りが続いていました。

まず、浅見氏にその位置を測定してもらうために、小林氏の送ってきた画像を氏に転送しました。そしてメイルを読みました。もう一件の観測とは、熊本の艶島敬昭氏による調査で判明したもののようです。観測は、山口県下松市の末永道真氏によって行なわれたもので、22時16分の画像では非常に明るく恒星状にまとまった姿に写っています。たぶん、この頃にジェットを噴射したのでしょう。その姿が22分後の22時38分には、いわゆるアポジモータ噴射後のジェット状の形状に変化しています。また、氏の画像にはジェットの先端に2個の別の移動体が見られます。なお、拡散後のこの画像が本誌2005年11月号(p.39)にあります。8月17日03時23分には、浅見氏から下松の画像の測定値が届きます。そこで、吉川氏にお聞きしたJPLのインターネットサービスで、この頃のMROの位置と日本からの距離を計算して、再度チェックすることにしました。すると、すべての観測値がMROの予報位置に良くあっていることがわかります。また、熊本からの距離は8月12日22時17分に1万5744-Km、22時38分に2万3827-Km、22時43分には2万5775-Kmと、しだいに遠ざかっていました。たぶん地球を出発し火星に向かったときなのでしょうか。

8月17日07時07分には、小林氏から「浅見氏のジェットの先端を移動する2個の天体ですが、私も41-cmで実視したとき(偶然にも下松と同じ22h38m)、移動するほぼ同じ光度の2個の光点とV字型のジェット状雲が見えました。分離したロケットと本体が見えていたのでしょうか? 残念ながら41-cmの写真では1個だけ視野に入っていたようです。12日はペルセウス流星群の極大日で各地でこの天体が目撃されたようです。宗像ユリックスプラネタリウムの山田明氏からも画像が提供されました。観測地が特定できないのですが、2個の移動天体が確認できるので参考までに送ります。とりあえず、MROについての観測報告は、ここまでとします」というメイルが届きました。

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SWAN彗星(2005 P3)

8月24日朝は05時54分に帰宅しました。南から近づいてきていた台風11号のせいか、前日までの暑い朝とは異なり、曇りで雨も降った夜でしたが涼しい朝でした。その日の夜は、20時40分にオフィスに出向いてきました。すると12時51分に須賀川の佐藤裕久氏より1通のFAXが届いていました。そこには「SOHOウェッブ・サイトにあるSWAN画像が更新されたので動画に変換してながめていると、次の位置に彗星らしい移動する天体を見つけました。しし座からおおぐま座の方向に南から北に移動しています。もし彗星だとしても、ちょっとこの位置での確認は難しそうです」というSWANイメージの中に彗星らしき天体を発見したという報告が書かれてありました。そして、氏による2005年8月9日、14日、16日、18日、21日に撮影されたイメージ上の測定位置、さらに「8月11日にもかろうじて写っていますが、測定しづらいので省きました」と報告されていました。氏による天体の光度は、8月14日に10等級、16日に9.5等となっています。『また、SWANか……。しかし、あんな画像から彗星を発見することができるのか。あるいはよぽっどの暇人か(失礼!)』と、また思いながらそれを見ました。

とにかく氏のFAXから観測ファイルを作成して軌道を計算することにしました。すると、立派な放物線軌道が計算できます。氏の測定位置の残差も最大で0゚.18以下で、これまで見たSAWAN彗星の残差の中では、もっとも精度良く測定できています。したがって今回のものはどうも本物のようです。地心距離は、ほぼ1.2 AUほど、つまり太陽の向こう側の領域を動いていることになります。SOHO衛星のLASCOカメラは、常に太陽の方向を向いています。しかし、SWANカメラは全天を捉えています。それなのにSWANカメラで発見される彗星は、未確認も含めると、太陽の向こう側で発見されるものが多いのです。つまり、発見時の地心距離が1.0 AUより大きいものが多いようです。これは、太陽と地球の間に彗星が入ってくる確率が低いことと、その場合、彗星が大きく動くために発見されにくいことによるのでしょうか。ただし、このあと発見されるSWAN彗星(2005 T4)は、地球と太陽の間で発見されていますので、この認識もすべてに当てはまるものとは言えません。

さて、これまでのSWANイメージ上に発見された彗星は、発見後に急速に拡散して見えなくなってしまう傾向にあります。そのため、この確認は急を要します。また、位置予報を計算すると、彗星はこの頃、天文薄明終了時(夕方)の西北西の空に地平高度で+12゚ほどの位置にあり、十分観測可能であることがわかります。そこで、まずこの発見を中央局のダン(ダニエル・グリーン)に知らせました。21時45分のことです。メイルには『たぶんこれは本物の彗星だ』という注釈と北緯+35゚での天文薄明終了時の位置推算もつけておきました。なお、このメイルは、報告者とその確認のために、上尾、八ヶ岳、秦野(美星)に転送しました。

じつは、もう一人、熱心にSWANイメージを見ている暇人(失礼!)がいました。過去にSWAN彗星(2002 O6)を発見したことのある宇都宮の鈴木雅之氏です。その氏からも、23時45分にSWANイメージ上に同じ彗星を見つけたことが連絡されます。氏のメイルには、8月11日、14日、16日、18日、21日の測定位置とその光度(9等〜10等級)が報告されていました。氏には、23時49分に『報告ありがとうございます。この彗星については、佐藤氏からも下記のとおりの報告がありました。たぶん本物の彗星でしょうね』という連絡をしておきました。ところで、確認依頼を送らなければいけない方を一人忘れていました。熊本の小林寿朗氏です。こういうときに彼の協力はかかせません。そこで、25日00時02分になって、氏にダンへと同じメイルに「明日(25日)の夕刻、観測可能なら確認してください」という連絡をつけて送っておきました。また、美星の浅見敦夫氏には電話を入れ、『明日には台風が通過して晴れるだろうから、25日夕刻に確認を頼む』ことを連絡しておきました。その夜は06時00分に帰宅しました。この朝はまたむし暑い朝に戻っていました。

さて、その25日の夜は21時45分にオフィスに出向いてきました。幸いにも、台風11号は、先月号の台風7号と同様に関東に向かって行きました。今年の台風は、東日本が好きなようで、じつにラッキーな年でした。しかし、この日の夕刻には、20時08分に小林氏から「晴れ間を期待して待機していましたが、雨模様……。今夜はあきらめました。このところずっと悪天候です。台風一過の晴天になるとよいのですが……」のメイル、浅見氏から20時46分に「夕刻から雲がありましたが、1.0-m及び50-cmを向け待機しました。しかし雲が切れず観測できないまま、ポインティング・リミットにより観測続行できなくなりました。残念ながら、本日、美星での確認はできませんでした」のメイルにあるとおり、西日本にもまだ台風の影響が残り、その天候も回復しませんでした。

しかし、20時58分に重要な情報がダンより飛び込んできていました。それは、「昨夜(25日12時25分JST)、ヘールによってこの彗星が確認された。位置と軌道は次のとおりだ。この観測をアナウンスする前にもう1つの光学観測が欲しい。日本のどこかは、晴れていないかい?」という情報が書かれてありました。ヘールの観測で、この彗星の存在が地上から確認されたことになります。ダンには、22時13分に『重要な観測をありがとう。もちろん、我々もこの彗星を捉えたいが、昨夜は台風が日本に接近中であった。台風は東日本に向かって行ったが、西日本にも台風の余波が残り今夜にこの彗星を捉えたという報告はなかった。しかし、明日夜には晴天が訪れるだろう。そのため、1日以内に誰かがこの彗星を観測できるだろう。とにかく重要な情報をありがとう』というメイルを返しておきました。そして、私の方でも軌道と位置予報を計算し、『米国のヘールが8月25日12時半JST頃に眼視でこの彗星の存在を確認しました。氏の眼視全光度は9.5等でした。彗星の公表にはもう一個の観測が必要です。なお、光度予報はヘールの観測に合わせました』というメイルとともに関係者に送付しました。23時17分のことです。

ところで、台風11号はこの夜(26日)の朝、04時半頃に千葉市付近に上陸しました。『これで上尾も今夕方は晴れるだろう』と思いながら、この夜は07時00分に帰宅しました。台風一過のすがすがしい朝で快晴の空が頭上に広がっていました。

8月26日の夜は、22時30分にオフィスに出向いてきました。すると、20時29分に上尾の門田健一氏から「以下の位置にSWAN彗星らしき像を捉えました。集光した明瞭な拡散像で、コマの視直径2'、尾は見られません。25-cm f/5.0反射+CCDでの観測です。天体名はご連絡いただいた名前(2005 P3)としました。NEOCPには「PC1」で掲示されています」というメイルとともに、19時半頃に行なわれた3個の観測が届いていました。氏のCCD全光度は11.0等と観測されていました。『さすがは、門田さん……』と思いながら、すぐ軌道を計算し、その結果を門田氏の観測とともにダンと関係者に送付しました。22時46分のことです。さらにダンには、この彗星の天文薄明開始と終了時の高度角をつけた予報位置を23時05分に「今後、彗星は夕方と明け方の空に観測できる」という注釈をつけて送付しました。23時08分には、鈴木氏より「今夜、自宅(3階ベランダ)から確認を試みました。しかし、低空のため、向かいの8階建てマンションの影になって、また雲も出て残念ながら見ることができませんでした」というメイルが届きます。そこで、23時09分に『ご安心ください。門田氏が捉えています。あとでご報告します。おめでとう』というメイルをとりあえず送っておきました。

23時22分には、小林氏から「今夕、雲の流れるPoorな条件の空で見ました。以下は20x100Bによる観測です。良い条件下ではもっと明るく大きい彗星と思います。CCDでも撮りましたが、低空でぼけぼけの像なのでうまく測れるかこれから挑戦してみます。取り急ぎ連絡まで」というメイルとともに氏の眼視全光度観測が届きます。氏の観測は「m1=9等、コマの視直径は1'、尾はなし」というものでした。この報告は、23時30分にダンに連絡しました。しかし、9等ではIAUCに採用してくれません。そこでその報告時、9.0等として報告しました。『ごめんなさい。寿朗さん……。でも、採用されましたので許して……』です。その後にダンとの間で数回のやり取りがあったあと、ダンは同夜の8月27日01時35分到着のIAUC 8587でこの発見を公表しました。そこには、佐藤・鈴木氏以外にも、3名の報告者(何と世界は広いことか。暇人!)があったこと、ヘールの観測前の確認観測がマヨルカ島(スペイン)のサンチェスらから、のちほど報告されたことがつけ加えられていました。最終観測は、直前に報告した門田氏の観測でした。小林氏の眼視観測は、同時刻発行のIAUC 8588にヘールの眼視観測とともに掲げられていました。もちろん、この発見は、03時28分にOAA/CSのEMESに入れ仲間にも伝えました。

さて、この夜は07時10分に帰宅しました。すると、いつもの犬ちゃんが座って待っててくれていました。『おぉ〜い。新彗星が見つかったよ。でも、まだ何かありそうだね。発見は続くから……』と言いながら、ジャスコで買ったコロッケとサンドウィッチをあげました。犬ちゃんは一口でそれを食いらげ、買物袋の中に顔を入れて「まだ、何かないの……」と言いながら探し始めました。

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