017
はくちょう座新星 Nova in Cyg 2006=V2362 Cyg
2006年4月4日夜は、22時20分に自宅を出ました。全国的に桜が満開になっているのに、ここサントピア・マリーナの桜は満開ではありません。『開花は早かったけど、いったいどうなっているんだ……』と思いながら、ジャスコで食料品を購入して22時50分にオフィスに出向いてきました。その日の朝、帰宅時は空は良く晴れていましたが、この夜は早くも天候が悪化していました。すぐメイルをチェックすると、今朝、オフィスを出る前の03時13分に上尾の門田健一氏から「先ほど、昨夜のフレームからシュワスマン・ワハマン第3彗星の73P-G核と73P-R核を報告しました。73P-Gがもう一つの集光を持っているようですので完全に分離はできていませんが、測定しました」という観測が届いていましたが、さらに17時56分に「念のため位置を報告しておきました。もし、何か情報がありましたらご連絡いただけますと助かります。微光の分裂核がたくさん見つかっていますが、日本勢の活躍が皆無に近いことは残念です。暗い分裂核が発見できる可能性について、今回の回帰に前後して各方面に声をかけたのですが、太陽系天体の位置や運動に興味を持つ熱心な観測者がいないというのが事実のようで、期待は見事に打ち砕かれました」という悲しいメイルが届いていました。
部屋に入ってコーヒを入れていると、23時05分にFAXが何かの受信を始めます。何だろうと思ってコーヒを飲みながらそれを見ると、掛川の西村栄男氏から、はくちょう座に新星を発見したという発見報告でした。そこには「ペンタックス6×7カメラ+200-mm f/4.0レンズを使用して、4月3日04時21分に、はくちょう座の北アメリカ星雲近くを撮影した2枚の捜索フィルム上に10.5等の新星を発見しました。この星は、3月29日に撮影した捜索フィルム上にはその姿がありません。捜索フィルムの極限等級は12等です。発見位置の近くには変光星V580があります。知られた小惑星は近くに来ていないことは調べました」と書かれてありました。中央局への報告文を作成しようとしていた23時25分に西村氏から電話があります。氏は、これから過去のフィルムを調べその結果をもう一度連絡してくれるとのことでした。その前の23時46分に氏の発見を中央局のダン(グリーン)に報告しました。このメイルは、確認のために八ヶ岳と上尾に転送しておきました。『そういえば、西村さんが新星を発見したという朝は73Pを撮影していたなぁ……。そのとき、04時頃には、はくちょう座のデネブも撮影していた。写野が2゚.5だから、もう少し東を撮っておけばこの発見位置が入っていたのに……』とちょっと残念な気分でした。
23時53分に門田氏から「上尾はドン曇りで今夜の確認観測は無理そうです」という連絡があります。『そうか、ここから東にある関東も今夜はだめか』と思っていると、4月5日00時17分に西村氏から「2001年10月から46枚の捜索フィルムがあります。その中から撮影時刻順に無作為に選んだ11〜12枚のフィルム上には新星の姿はありません」という電話があります。そこで、このことを00時21分にダンに連絡しました。しかし、この夜は天候が悪くこれ以上の作業は行えませんでした。そのため、この日の朝は、そのまま07時05分に、小雨が降る中を帰宅しました。
その日(4月5日)の夜は22時10分にオフィスに出向きました。すると、その日の午後13時42分に西村氏の発見を報じたIAUC 8697がすでに届いていました。しかし、扱いはまだ「新星状天体」でした。『あれ、こんなに早く。なぜ……』と思いながらそれを見ると、そこには「AAVSOの要請を受けた英国のマイルズは、発見2日後の4月5日09時頃にこの新星を観測したところ、新星は8.5等まで増光していることを確認した」と公表されていました。彼はまた、その精測位置を報告していました。『そうか、8等級まで明るくなっているから急いで公表したのか』とそれを見ました。その日の朝、4月6日04時には西村氏から新星が写真光度では7.9等まで明るくなっていることが報告されます。そこで、この氏の観測を05時42分にダンに報告しました。『そこまで明るくなっているなら新星に間違いない』と考え、06時30分に新天体発見情報No.85を発行し、報道各社に西村氏の新星の発見を伝えました。
その夜、22時50分にオフィスに出向くと、12時05分にIAUC 8698が届いていました。そこには、各地でスペクトルが撮られ、新星であることが確認されたことが公表されていました。ダンは、そこにその朝に報告した西村氏の観測も取り上げてくれました。なお、その後の観測によると、この新星はその発見後半年以上が経過した2006年10月になっても、まだ11等級と明るく輝いているとのことです。
急激に増光する超新星 2006bp in NGC 3953
4月9日朝07時00分に水戸の櫻井幸夫氏から「本日早朝(4月9日朝)にへびつかい座南域を撮影した捜索フレーム上に9等級の新星を発見した」と連絡があります。『えっ、へびつかい座……』と思いながら、『そういえば、ちょっと前に届いたCBETに新星の発見が公表されていましたよ』と返答してそのCBETを探すと、櫻井さんの発見からわずかに半日ほど前、4月8日13時17分に届いたCBET 469に「へびつかい座第2新星(=V2576 Oph)」の発見が公表されていました。そこに掲げられていた出現位置を読み上げると、櫻井氏は「同じものです……」と残念そうに答えます。その記載を見ると、この新星は「豪ニューサウスウェールズ州のウィリアムズが2006年4月6日22時半頃にへびつかい座に発見した新星でした。発見光度は10.5等、発見者らによるその後の光度が4月7.15日UTに10.2等、7.57日に9.2等」と報告されていました。櫻井氏の発見は、すでにその発見から2日が過ぎていました。そのため、氏にはこの発見を諦めてもらうことにしました。しかし、氏の報告は山本速報No.2512に「2006年4月9日朝07時JSTに水戸の櫻井幸夫氏から同夜(4月8日 UT)の独立発見の報告(発見光度9.5等)があったが、中央局には連絡しなかった」と紹介しておきました。さて、この日(4月9日)の朝は07時40分に帰宅しました。空は良く晴れていました。自宅では、久しぶりに犬ちゃんに出会いました。『おい。久しぶりだなぁ……。毎日お前のためにコロッケを買ってるんだ。レジの女性に「このおじさん。毎日コロッケばかり買う」と恥ずかしい思いをして買っているのだから、毎朝待ってろよ』と話しながら、昨夜に買ったコロッケと天ぷら(関西でいう)3枚をあげました。
その夜(4月9日)のことです。今日は日曜日です。サントピア・マリーナの桜もやっと満開になりました。『例年より、開花が早いと言っていたのに、満開までずいぶんかかったなぁ……』と思いながら、天頂に輝いている半月を眺めながら自宅をあとにしました。でも、最近では世間と離れて生活しているためか花見に誘ってくれる人もなくなりました。オフィスに出向いてきたのは22時50分のことでした。
ちょうど、本誌2006年6月号の「新天体発見情報」の原稿を書き始めたときのことです。23時53分、電話が鳴ります。受話器を取ると、久しぶりに「あぁ……、中野さん……」の声が聞こえます。山形の板垣公一さんのようです。『久しぶりですね。何か見つけましたか』と答えました。すると「はい。NGC 3953に超新星です」という発見報告でした。『久しぶりですね』と言ったのは、このあとのわずか半年間に8個の超新星、系外銀河に出現した7個の新星を立て続けに発見している板垣さんも、この発見が2005年8月27日に系外銀河NGC 5630に出現した2005dp以来、久々の新発見だったのです(本誌2006年7月号参照)。何と、氏にも7ヶ月ものブランクがあったのです。『どれくらいで報告できますか』。「はい。30分くらいで……」ということで、板垣氏のメイルを待つことにしました。氏によると「これまでに発見された超新星を調べた」とのことですが、氏は「もう一度、調べて欲しい」と言われます。そこで念のために私の方でも調べましたが、この銀河には、最近、超新星は出現していませんでした。ただ、この銀河には2001dpが出現していました。『5年でもう1個の超新星出現か……』と思い、本誌の原稿を書きながらUNIXサーバーの画面を見ていました。
しかし、30分が過ぎてもまだ届きません。やっと届いたのは、4月10日00時31分のことです。氏の報告には「2006年4月9日23時23分JSTに、おおぐま座にある系外銀河NGC 3953を60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCDで撮影した10枚以上の捜索フレーム上に16.7等の超新星を発見しました。その後の40分間の追跡の結果、超新星には移動が認められません。また、今年3月23日にも同銀河をサーベイしましたが、このとき、超新星はまだ出現していませんでした。2005年3月19日までに撮影した何枚かの捜索フレーム上、およびDSSにもその姿は見られません。なお、発見画像の露光時間は20秒、極限等級は19.5等級です」という報告と、その出現位置、銀河中心の測定位置が報告されていました。氏の発見は、00時53分にダンへ報告しました。もちろん、この報告はその確認のために八ヶ岳と上尾にも転送しました。すると、01時12分に串田麗樹さんから「八ヶ岳は月と1等星程度が見えるほどの薄曇りです。板垣さんの事ですから確実ですよね。明るい立派な銀河なのできっと明るくなるかな」、01時19分に門田健一氏から「こちらは夜半前から曇ってきて全天が雲に覆われています」というメイルが届きます。どうも、各地の天候はここ同様に良くないようです。
しかし、山形は晴天が続いていたようです。02時42分、板垣氏から「発見した超新星がわずか3時間の間に0.7等も増光した」という電話があります。そこで『光度観測を送って欲しい』こと、そして『しばらく追跡して欲しい』ことを伝えました。02時58分に板垣氏から「明るさの変化(増光)がすごいです!」というメイルとともに、「発見直後の23時43分に16.7等であったこの超新星の光度が、10日01時03分に16.4等、02時43分には16.0等と急激に増光している」ことが伝えられました。03時00分、板垣氏からの報告を受けて、すぐこの増光をダンに連絡しました。04時19分になって、氏から今夜の最終報告として「超新星は10日03時48分には15.8等まで明るくなった」ことが報告されました。そこで、04時32分にダンへ『超新星はまだ増光中だ。我が国ではまもなく薄明をむかえる。従って、この報告が我が国からの最後のものとなろう。超新星は、その発見以来、4時間で1等級明るくなった』というメイルを送っておきました。
しかし、発見報告から7時間が過ぎた06時39分になっても、板垣さんの発見がセンターのウェッブ・ページにある「未確認天体リスト」には入っていませんでした。『現地は日曜日だ。外出していてオフィスに出向いてないか、まだメイルを見ていないのだろう』と思いながら06時55分に帰宅しました。外は小雨が降っていました。そのせいか、昨日あんなに約束したのに犬ちゃんも自宅の前で待っていてくれませんでした。
その日(4月10日)の夜は、22時10分に自宅を出ました。外に出ると、西日本に低気圧が近づいていたためかものすごい風が吹いていました。渦潮で有名な鳴門岬もそうですが、ここサントピア・マリーナは、対岸の大阪・和歌山と岬の一部を構成しているためかいつも風が強いのです。テレビのデータ放送で全国の風の強さを見てください。ここ(紀淡海峡)にはたいてい強風マークがついています。その強風のため、昨日満開になった桜がまるで雪ふぶきのように飛んで道に散らばっています。しかし、その強風も、山ひとつ越えた洲本市内にあるジャスコまで出向くと微風すら吹いていません。そこで、今夜の買い物が終わってオフィスに出向いてきたのは22時40分でした。
するとすぐ、天文ガイド編集部の片岡さんから電話があります。「板垣さんが超新星を発見したそうですね」。『なぜ、知っているのですか』。「星ナビのウェブ・サイトに出ています。「発見情報」が来なかったのですが、中野さんの処理ではないのですか」。『いや、私の処理です。帰るとき、まだ確認、公表されていなかったので出しませんでした。中央局には急激増光という情報まで送って帰宅したのです。ちょっと待って……』と、コンピュータの電源を入れ、メイルを確かめました。『ホンとだ。CBET 470が09時27分に届いている。急激増光を報告したので、すぐ超新星と判断して公表したのですよ』。もちろんそこにはこの超新星が急激に明るくなっていることも記載されていました。片岡さんの用件は「ところで、シュワスハン・ワハマン第3彗星の件ですが、来月用の位置推算が欲しいのです」とのことでした。そこで『明るくなりそうな6個の核の予報を出した方が良い』と答えると、「えぇ…。そのつもりです」。『たくさん吊るした鯉のぼりのように見えますよ』。「えっ、どういうことですか」。『よく広場とか、川場とかにいっぱいの鯉のぼりを吊るすでしょう。あぁいうふうに見えるということですよ。もう少し、副核が明るければですが……』という会話がありました。氏との電話が終わって、メイルを見るとCBET 470を見た板垣氏からも、14時57分に「昨夜は何かとお世話になりましてありがとうございました。お陰さまでSN 2006bpになりました。中野さんにすすめられ、複数の光度観測を報告したために、即公表になったものと思います。私だけの観測で公表になったことで少し不安もありますが、あんなに明るさが変化したのですから心配はないでしょう。本当にありがとうございました」というメイルが届いていました。
その11日朝の帰宅時は、九州の北にあった低気圧が南を通過したため、大荒れの天候の中、06時45分にオフィスを出ました。天気予報によると、今日も昼前から夕方にかけて大雨が降る予報でした。『早く73Pを観測したい』と思っていましたが、4月3日の観測のあと、2日ほど晴れた日もあったのですが4月21日まで観測が行えませんでした。
なお、この急激に増光した超新星は、超新星研究者にとって貴重な発見となり、多くの人たちの研究対象になったようです。板垣氏は、ここまでに17個の超新星を発見していますが、このように急激な増光途中の超新星を発見したのは初めてのことです。板垣氏は、4月12日19時30分にもこの超新星を観測して、14.9等まで増光していることを報告しています。
アンドロメダ大星雲の新星 Nova 2006-04a in M31
発見は続くものです。4月29日早朝04時41分に山形の板垣公一氏から「アンドロメダ大星雲に新星を発見した」という電話が入ります。そして04時44分、氏からの報告が届きました。そこには「2006年4月29日03時24分に1分露光でM31の一区画を撮影した捜索フレームに16.7等の新星(PN)を発見した」ことが報告されていました。さらにそのメイルには「7枚のフレームで確認しました。最微光星は19.5等です。発見後15分間の追跡で移動は見られません。光度変化も確認できませんでした。2005年10月27日に撮影した最微光星が20.5等のフレーム、最近3月7日に撮影した捜索フレームには、その姿は見られません」という報告とその出現位置が書かれてありました。もちろん、氏の発見は05時03分にダンへ報告しました。そして、4月に計算した彗星の軌道を関係者に送付して、06時50分に帰宅しました。
その日の夜(4月29日)は、めずらしく早く、21時00分にオフィスに出向いてきました。帰宅時には曇っていた空も、その夜は良く晴れてきました。すると30日04時06分に板垣氏より「おはようございます。昨夜はありがとうございました。山形は不安定な天気ですが、M31のPNを観測しました。透明度がかなり悪く、位置の測定精度も昨夜より悪いと思います。少し暗くなった様ですが存在は確実です」というメイルとともに新星の光度が17.0等であることが報告されました。しかし、この夜は別の仕事で忙しく氏の観測を中央局に報告できませんでした。この日の朝は、良く晴れた空の下、07時00分に帰宅しました。自宅では犬ちゃんが待っていました。そこで犬ちゃんだけには『おい。板垣さんがまた新星を発見したよ』と話しながら天ぷら4枚とパンを1つあげました。
さて、板垣氏の第2夜目の観測をダンに報告したのは5月1日22時59分になってしまいました。ダンもM31の新星は珍しくないためか反応がありません。5月10日14時17分になって板垣さんより「本日、早朝はありがとうございました。あの銀河は思ったより遠いものでした(別の発見があった)。と……、すると、少し明るいですね。夜明け前の東の低空のために確認観測に時間がかかりそうです。アンドロメダM31の新星ですが、5月10日02時49分の観測では、新星は19.0等より暗くなり確認できませんでした」という報告が届いていました。さらにその41分後の14時58分に「別のウェブ・サイトにこの新星の発見が出ています」というメイルも届いていました。その発見時刻は、板垣氏の発見より2日半ほど早く、その発見光度も15.9等と明るいものでした。そこで、これらの情報を5月10日21時36分と21時48分にダンに知らせておきました。すると23時06分にダンから「まもなく我々のM31のウェッブ・ページにこの発見を入れよう。お前も知っているとおり、M31の新星は、15等級より明るくなければCircularには取り上げない」という連絡があります。とにかくダンには『ありがとう』と伝えておきました。23時09分のことです。
その夜(5月11日)の朝、08時41分には板垣氏からメイルが届きます。氏もM31のウェッブ・ページに氏の発見が掲載されたことに気づいたようです。そこには「何かとお世話になりましてありがとうございます。おかげさまで公表になりました。それも、第一発見者になっています。びっくりしました! すべて中野さんのお陰です。ありがとうございました」と書かれてありました。『良かったですね。板垣さん……』。