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- バーナード第2周期彗星 177P/Barnard 2
- 超新星 2006ep in NGC 214 & いて座の新星状天体
- アンドロメダ大星雲の新星 Nova 2006-09a in M31
- 超新星 2006et in NGC 232
バーナード第2周期彗星 177P/Barnard 2
2006年7月下旬、LINEARサーベイで、6月23日に偶然再発見された177P/バーナード第2周期彗星が、発見当初の17等級より急速に増光して、眼視光度で7〜8等級で輝いていました。早くこの彗星を捉えたかったのですが、今年(2006年)の天候は悪く、梅雨明け後もこの彗星をなかなか観測できませんでした。7月27日夜になって、ようやくその機会が訪れます。そこで、その夜23時02分、別件で用のあったダン(グリーン)に『今年の梅雨明けはずいぶん遅くなった。今夜も雲が多いが、これから177Pを観測するつもりだ』というメイルを送りました。
そして、たらりたらりと滴たる汗でまさに汗だくになりながら望遠鏡を組み立て、23時45分から観測です。『何といっても7等級だ。でっかく大きな姿が写るだろう』と大きな期待を持って177Pを撮影しました。ところが……です。『えっ、7等級というのにこんなに淡いのか……』と思うほど、わずかに青みのある彗星が淡くしか写っていません。ちょっとがっかりしました。しかし、画像をよくみると、核から伸びた淡いコマがどこまでも大きく広がっているように見えます。双眼鏡などの小さな機材で明るく観測されているのは、この大きなコマが見えているのかと納得するような姿です。撮影していると北側にあった明るい恒星に重なってしまいました。そのため、28日00時34分まで20枚のフレームを撮影してこの彗星の観測を終了しました。そして、4P/フェイ彗星、102P/シューメーカ第1彗星の捜索、73P/シュワスマン・ワハマン第3彗星のC核とB核などを撮影して、薄明が近づいた03時15分に最後のフレームを撮って観測を終了しました。
ところで、102Pを捜索中に、カメラを自動撮影にセットして、途中でオフィスに戻ってきました。そして、とにかく、初めてこの彗星に対面したのがうれしくて、01時16分、上尾の門田健一氏に『今夜は、ぼやっと全天晴れています。望遠鏡をセットして、汗だくになりながら……です。でも、昔の門田さんの苦労ほどではない……。177Pを撮りました。30秒露光では淡いねぇ……。これを測ってもきっと悪いだろうな……と思っています』というメイルを送っておきました。
観測が終了して望遠鏡を部屋に戻し、04時にオフィスに戻ると、03時05分にその門田氏から昨夜(7月26日)の177Pの観測が届いていました。氏のCCD全光度は10.4等となっていました。なお、氏は、すでに発見直後の6月27日にすばやくこの彗星を捉えています。さらに、7月13日、25日にも、この彗星の追跡観測を行っています。私には『さすが……』という以外言葉がありません。そのメイルに続いて、03時14分に「お疲れ様です。運搬やセッティングのことを考えると、観測前は気が遠くなると思いますが、彗星が写ったら苦労が吹き飛ぶでしょう。昨夜、観測できました。1枚の画像では小さく集光した姿です。コンポジットしてみると、淡いコマが5'角ほど広がっています。観測条件が抜群ですのでしばらく楽しめそうです。当分の間、仕事が忙しく、終電帰りが続いています。今夜は曇天ですのでこの辺りで作業を終えます」というメイルがありました。コーヒーを飲みながら氏のメイルを読みました。今夜の観測は、測定できるもの11フレームを測定しました。そして、1889年と今回の出現から計算した連結軌道をつけて、05時01分にブライアン(マースデン)に送っておきました。
翌7月28日夜も何とか晴れていました。『観測するぞぅ……』とちょっと早めの21時15分にオフィスに出向いてきました。昨夜は各地が晴天だったようです。09時51分に雄踏の和久田俊一氏からもこの彗星の観測が届いていました。再び汗をたらたらと垂らしながら望遠鏡をセットして、22時50分から全天が曇ってしまった29日01時30分まで観測を行いました。観測が終了してオフィスに戻ると、23時46分に土佐の下元繁男氏からも昨夜のこの彗星の観測が届いていました。177Pは23時01分から00時01分まで22枚のフレームを撮りました。やはり大きく拡散しているイメージです。とにかくその中の7フレームを測定して、その連結軌道を計算し、02時50分にブライアンに送りました。ところでこの頃はまだ小惑星センター内部の動乱が続いている時期でした。そのため、ここでの業務、観測以外にも多くのメイルがセンターとの間で飛び交っていました。7月30日朝になって、その夜の業務の終了時に新たに計算した177Pの連結軌道を06時01分にOAA/CSのEMESに入れ、帰宅しました。
それから6日後の8月5日のことです。22時35分に自宅を出て、ジャスコで買い物をして、23時00分にオフィスに出向いてくると、21時44分にバンコクの蓮尾隆一氏から「またSWANです。次のウェッブ・サイトにあるSWANイメージの動画を見ていたら、黄経255゚くらい、黄緯+40゚くらいから+55゚くらいに向けて動いていく天体が写っています。太陽から離れる方向ですから、これも既知のものだと思いますが、暇でしたら調べてください。上から二つ目、左から三つ目の象限です。結構あるものだなぁ……と思っています。プラハへ行く直前でお忙しいと思いますので、無理していただくことはありません。きっと知られている彗星だと思いますので……。私もプラハへは数回行ったことがありますが、のべ1週間にもなりません。静かないい街ですよね。ボヘミア・グラスが安い。カフカの城の舞台になった城もそこへ渡る橋も素敵でした。川の城と反対側の通りを歩いていたときにフラッと入ったガラス屋だか骨董屋だか忘れましたが、東京オリンピックでチャスラフスカが取った金メダルが展示したあったりして驚いたものです。それより前にフィレンツェで見たガリレオの望遠鏡にも感動しました」というメイルが届きます。
SWANの画像を見ると、すぐ、177Pであることがわかります。そこで、23時17分に『出てきたばかりで、位置を赤経・赤緯に直していませんが、バーナード第2彗星ではありませんか。ところで、最初のチェコ訪問のときに、入国の際ビザが必要かどうかお問い合わせしたことがありました。いつのことだったのでしょうか? 確かオランダに在住の頃だったと思います。それ以来、私も、プラハ訪問は4回目になります。チェコとスロバキアに知人がいて、合計2か月は過ごしました。美人が多いですよね……。それと地下鉄の深いこと。ワシントンもそうですが、核シェルターなんだと思います。それにしても2週間以上も退屈な日を過ごすのはうんざりです……が、美人が多いのはただ一つの救いです』というメイルを送りました。蓮尾氏からは、8月6日01時04分に「山本速報の位置を見ると確かにバーナード第2彗星のようですね。お騒がせしました。しかし、ずいぶんと明るく見えるものですね。天文ガイド誌の彗星の動き(全天図)は見たのですが、それ以後に再発見された177Pを忘れていました」というメイルが届きます。
8月8日04時28分になって、ダンから「クレット天文台のティカから、8月19/20日に、きみを同天文台への旅行に招待するという案内が届いた。ブライアンと一緒に行ってこいよ」というメイルが届きます。離日の直前になって、マックノート彗星(2006 P1)の軌道についてロブ(マックノート)からの問い合わせがあったことは、すでに先月号(p.10)で紹介したとおりです。そして、8月14日出発、8月29日帰国の予定で、IAU総会に出席のため日本を留守にしました。この間のできごとは、すでに本誌2006年11月号にありますので、それをご覧ください。
なお、この177Pは、9〜10月にはまだ眼視光度では10等級と明るく観測されました。しかし、その後急速に減光し、2006年12月には19等級まで暗くなり、12月11日の観測を最後に私たちの視界から姿を消しました。次回の回帰は2127年4月頃となりますので、誰も再びこの彗星にお目にかかることはないでしょう。
超新星 2006ep in NGC 214 & いて座の新星状天体
チェコからの帰国は8月29日でした。自宅には18時50分に戻ってきました。そして、洗濯をしてお風呂に入り、21時00分に睡眠につきました。その夜、30日01時に起床して01時30分にオフィスに出向いてきました。さっそく、お世話になったリボー(クバチェク)にお礼のメイルを出しました。8月30日03時44分のことです。そこには『私はジェームズ・ボンドでありたい。なぜなら彼は小さなアタッシュ・ケース1つで全世界どこにでも行くことができるから……』とつけ加えておきました。
それから1日後の8月31日夜は、20時30分にオフィスに出向いてきました。海外から帰っても海外に出かけても、どちらか一方が逆なら理解もできますが、いずれの地でも必ず早く起きます。これは、スミソニアンに在籍中の日米間の往復でも同じ現象でした。これが世間で言う「時差ぼけ」なのでしょうか。
その夜のことです。9月1日00時19分に山形の板垣公一氏より「アンドロメダ座にあるNGC 241に超新星を見つけた」という電話があります。発見報告を送るとのことですので、それを待ちました。氏の報告は00時59分に届きます。そこには「8月31日23時24分にNGC 214を30秒露光で撮影した捜索フレーム上に17.8等の超新星を発見しました。発見後、10枚以上のフレーム上にそれを確認しました。最後の捜索は5日前の8月26日です。昨夜から移動なしです……」と報告が続いていました。氏のメイルにある『なに「昨夜から移動なし」とは、いったいどういうことか』と思って、その下を見ると「昨夜、31日00時19分に撮影した捜索フレームに写っていました。光度は18.1等です。昨夜の捜索時には気づきませんでした」となっていました。『な〜んだ。そういうことか』と納得して、01時22分にダンにこの発見を報告しました。発見1日前に確認画像があるため、この超新星の発見はすぐ公表できます。この報告はその確認のために上尾、八ヶ岳、秦野に転送しておきました。
その5分前の01時17分に「8月30日21時58分にいて座を撮影した2枚の捜索フレーム上に9.5等の新星を見つけました。8月20日と24日に撮影された極限等級が11等級のフレームには写っていません。変光星、小惑星、IRAS天体のチェックはしました。見落としがありましたらご容赦ください。昨晩は、睡魔に襲われ点検を中断してしまったため、今日気づきました」という新星の発見報告がありました。
また、板垣氏の発見を報告した1分後には、氏から「この銀河(NGC 241)にしては、暗い超新星です。昨夜からあまり増光していないし、そんなに明るくならないのかな」というメイルとともに発見画像が送られてきていました。しかし、画像を見ると、18等近くの微光の超新星ですが、氏の60-cm反射ではみごとに(明るく)捉えられていました。01時46分には、上尾の門田健一氏より「晴れ間から彗星の観測中ですが、今夜は雲が多く18等の確認は無理そうな空です」という連絡があります。
さて、後に報告のあった新星状天体の件ですが、01時46分に中央局に報告しました。もちろんこの発見も、上尾、山形、八ヶ岳、秦野に転送しました。すると、01時58分に門田氏より「すぐ向けてみたのですが低空の雲の中でした」というメイルが届きます。その7分後の02時05分到着のCBET 609で板垣氏の発見した超新星が公表されます。そこには「この超新星は、KAITOサーベイとItagakiによって独立に発見された」と記述されていました。KAITOサーベイが第1発見で、発見時刻は8月30日17時半JST頃です。仮に板垣氏が発見前日の捜索フレーム上に見逃さず発見していたとしても、その時刻より早いものでした。いずれにしろ、板垣氏の超新星発見数はこの発見で20個の大台に乗りました。このCBETを見た板垣氏から02時22分に電話があります。そこで、後で報告のあった新星状天体の確認を再度頼んでおきました。この夜は、明け方になると、まだ眠くなるせいか、04時55分に小雨の中を帰宅しました。
まだ早起きの傾向が続きます。その日(9月1日)の夕刻は早起きしたことを幸いに、16時50分に自宅を出て眼科医に出向き、途中で地元のスーパーで買い物をして18時25分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の朝の06時32分に新星状天体発見の報告者から「発見光度が9.5等と明るいのに、どこからも報告がないので不思議に思い、改めて小惑星をチェックしてみました。ふだんは変光星と小惑星はGuide8でチェックしていますが、念のためと思い小惑星チェッカーを起動してみると、3″ほど離れた位置に(15) Eunomiaが表示されました。明るさからみてもまちがいありません。その後、再びGuide8を調べてみると、小惑星表示に設定してあるにもかかわらずまったく表示されません。ほかの天体はすべて表示されるのに、小惑星だけがだめなのです。8月14日までは正常だったのは間違いないのですが、どうやら過日の停電でソフトに異常が発生したようです……」というメイルが届いていました。
『これはしまった。すでに中央局の未確認天体のリストに入っているのに……』です。もし、報告の中に「小惑星のチェックはしました」という記述がなければ、ダンに報告の前にそれをチェックします。しかし「チェック済」と書かれていたため、それを怠ってしまったのです。そのため、18時34分にダンにこのことを知らせ、この発見をキャンセルしました。すぐその後、板垣氏は、この発見位置を撮影してくれたようです。19時08分に届いた氏のメイルには「今、撮影して見てみましたが、(15)番小惑星だけですね。残念でした」と書かれてありました。
アンドロメダ大星雲の新星 Nova 2006-09a in M31
それから2日後の9月3日は、時差ぼけのおかげで『早起きってこんなに壮快なんだ……』と思いながら、18時30分に自宅を出て南淡路のジャスコと地元のスーパに出かけました。20時15分、いったん自宅に戻り、20時45分にオフィスに出向いてきました。コーヒーを飲んでひと休みしていると、21時38分に山形の板垣公一氏から「M31に明るい新星を見つけました。すぐ報告します」という電話があります。そして、21時52分に「9月3日21時29分にM31を撮影した捜索フレーム上に明るい新星らしき天体を発見しました。9月1日23時に撮影したフレーム上にはその姿がありません。取り急ぎ報告します。今、明るさを追っかけています。ただし、10分間では光度の変化見られず……」という発見第一報が届きます。アンドロメダ銀河に出現する新星としては明るいために、22時03分にこの発見をダンに連絡しました。22時24分には、上尾の門田健一氏から「今夜は、雲が多く晴れ間が続かない空ですので、確認観測は微妙です。夕方、ルーフを開けて観測を始めたのですが、すぐ曇ってしまいました」というメイルが届きます。
その10分後の22時34分には、板垣氏から「すごい増光中です。今、22時31分、16.1等まで増光しました。楽しく追っかけています。また、報告します」というメイルが届きます。そこで、22時44分に氏のこれまでの光度観測をダンに報告しました。ところで、アンドロメダ大星雲には、多くの新星が出現するために、それらすべてをCBETやIAUCに掲載することはしません。しかし、この新星は、16等級前半に達したために、CBETに公表される資格を得ました。そこで、板垣氏には、今後も追跡してくれるように電話を入れておきました。23時33分に板垣氏から「22時50分に16.0等ですが、このくらいで停滞感があります。16.0等の明るさからIAUC扱いになるようですので、報告の方、よろしくお願いします。大きく変化したらまたお知らせしますが、後は明日まとめて報告します」というメイルが届きます。
そこで、この観測を23時42分にダンに送りました。すると、板垣氏から23時52分に「メイルを拝見しました。ありがとうございます。16.0等が最大光度のようです。超新星の可能性はなくなりましたが、朝まで追っかけます」という連絡がありました。その約30分後の9月4日00時15分には、ダンは氏の発見をCBET 615で公表してくれました。このCBETを見た板垣さんから00時25分に電話があります。そのとき「M31の新星が回報に公表されるのはめずらしいことですね」。『そうですね。でも、前にも数件ありましたよ。とにかく良かったですね』という会話がありました。その後、01時47分には、晴れ間が訪れた門田氏から「00時半ごろから晴れ間が見られ、急いでスタンバイしました。報告の位置に星が存在します。9月4日00時51分に光度は16.2等です。15分間の観測中、移動は見られません。フレームの極限等級は18等級です。晴れ間は1時間ほどで、もう曇ってしまいました」という報告が届きます。氏のこの観測は、02時40分にダンへ送りました。
超新星 2006et in NGC 232
この新星の処理が一段落した03時38分、板垣氏から「くじら座にあるNGC 232に超新星を発見しました。あとで報告を送ります」という連絡があります。『発見が続くなぁ……。でも、何も板垣さんだけでなくっても良いのに。新発見はみんなに平等に感染するのに。私の経験では……』と思いながら、氏の報告を待つことにしました。ところがです。04時半まで待っても氏の報告が届きません。イライラがつのり、04時40分に氏に催促の電話を入れました。しかし、05時06分、氏の報告が届くとその理由がわかります。どうも、過去のフレームの調査に時間がかかったようです。氏のメイルには「発見は2006年9月4日03時24分に撮影のフレームからです。発見光度は16.1等。20秒露光でフレームの極限等級は19.0等です。10枚以上のフレームを撮影しました。60分間の追跡で移動は見られません。10日前の8月25日に捜索したときは18.5等以下で、その姿が見られませんでした。しかし、8月31日01時13分に撮影した捜索フレームには17.0等で写っていました」と報告されていました。これは、前述の超新星2006epの発見前の画像と同じ日の捜索です。同じ夜に、続けて2つの超新星を見逃すのは板垣さんらしくありません。この夜はどこか調子が良くなかったのかもしれません。とにかく、これで2夜の観測が揃いました。氏の発見をすぐ公表できます。そこで05時19分にダンにこの発見を連絡しました。
ところでこの頃、05時10分と05時41分には、板垣氏からM31の新星について10個の光度観測の結果が届きます。そこには「新星は、60枚くらい撮影しました。その光度変化です。60枚から測定したすべての光度がきれいなカーブを描きます。今までこんな観測があるのでしょうか。16.2等が一番長い時間一定でした。我ながらすごい観測です! 画像は大事に保存します。まさに教科書にあるとおりの光度変化です。明るい新星は短時間で暗くなるとのことです。230万光年先での16.0等の新星はかなり明るい新星です。とても、とても、楽しみました。中野さん本当にありがとうございました」と報告されていました。この夜は、超新星の発見の公表を待たずに05時45分に業務を終了し、『あぁ……、今日は大そうじの日だ』と思いながら帰宅しました。空は良く晴れていました。
その日の夕刻は、20時40分にオフィスに出向きました。すると、06時54分に板垣氏から門田氏と私宛に「おはようございます。門田さん、M31の新星らしき天体の観測をしていただきありがとうございます。私の観測とほぼ同じ位置を拝見して安心しました。中野さんの英文のメイルをチラリと拝見して、門田さんの観測を今まで独立発見と思っていました。先ほど電話さし上げたときもです。お笑い下さい。今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました」というメイルが届いていました。そして、10時55分到着のCBET 616に板垣氏の超新星発見が公表されていました。それを見た板垣さんからは、11時29分にお礼状が届いていました。その夜の21時10分には、門田氏から「発見おめでとうございます。一晩にM31の新星、超新星の2つを見つけられて、まさに八面六臂のご活躍ですね。微力ながら発見の現場に立ち会うことができて光栄です。これからもがんばってください。当方も発見には興味があるのですが、国内では彗星の位置や光度の報告が減少していますので、少しでも観測の世界が賑わうようにと既知天体の追跡に注力しています。「久しぶりの観測なので写るかな」とか「もう暗くてダメかもしれないけれど、一応向けておこう」と一喜一憂しながらやっています。では、今後ともよろしくお願い申し上げます」というメイルが届きます。なお、板垣氏は、その後もこのM31の新星の光度観測を続けています。もちろんそれらはダンに報告しておきました。