天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2007年4月5日発売「星ナビ」5月号に掲載

アンドロメダ大星雲の新星 2006-09c in M31

9月16日の帰宅時は、台風13号が石垣島から沖縄の西方海上に進んで来ている影響で、小雨が降っていました。昼過ぎに『今日は安心して寝れるや』と思って睡眠につくと、眼が開いたのはその夜の22時すぎでした。『これは寝すぎた』と思いながら、『ついでだからもう少し……』と再び寝ると、今度、眼が開いたのはその夜の00時を過ぎていました。『これは寝すぎた。しくじった……』と飛び起きて近くのコンビニに出向きました。買い物が終わってレジに行くと、あわてて家を出たせいか現金を持ってないことに気づきます。そこで『ちょっと家に戻ってお金を持ってくる』と商品をそのままにしていったん自宅に戻りました。そして、オフィスに出向いてきたのは9月17日01時10分のことでした。すると、その日の朝(昨日の朝)、08時11分に山形の板垣公一氏から氏が8月15日にアンドロメダ大星雲に発見した2006-08aの光度が、少し明るくなっているというメイルが届いていました(2006年11月号参照)。この新星は、板垣氏が発見した8月15日には17.9等でしたが、その後、19日に17.2等まで明るくなり、8月24日には19.0等まで減光していました。それが9月15日の氏の観測では、また18.3等まで明るくなっているというのです。そして、その15分後には、氏から「一時間後、社員旅行でソウルです。私はまだ何一つ用意していません! すべてこれからです。まだ山にいます。月曜日に戻ります。台風に向かって行くみたいです。それでは失礼」という連絡も届いていました。板垣氏のこの観測はその約1日後の9月18日03時47分にダン(グリーン)に送っておきました。

9月18日は、早起きして、20時05分に自宅を出て、2軒のスーパーで買い物をして、20時45分にオフィスに出向いてきました。すると、20時06分に板垣氏から「台風の影響もなく、ソウルから夕方戻りました。M31に別の新星が出ていますね。私も16日の早朝に見ているはずですので、これから山に行って調べてみます」というメイルが届いていました。その台風13号は、この日の朝に北九州を経て日本海へ抜けていきました。しかし、台風が向かったはずの山形は、晴れているようでした。

それから3時間後の9月18日23時34分に板垣氏から「アンドロメダ大星雲に新星を見つけました」という電話があります。氏の報告はすでに23時32分に届いていました。そこには「M31にまた別の新星を見つけました。発見光度は16.6等。9月15日には20.0等以下です」という発見報告とその出現位置が記載されていました。23時38分、氏に電話を入れ『この前の新星(2006-09a)じゃないの(先月号参照)』と問いかけると、「えっ、そんな……。ちょっと調べます」とのことでしたが、その4分後に「おどかさないでください。別のものです。30秒露光で写した8枚すべての画像に写っています。極限等級は20.0等です」という電話があります。それで安心して23時47分にダンにこの発見を連絡しました。このメイルは、確認のために上尾の門田健一氏にも転送しました。

深夜を過ぎた9月19日00時31分、門田氏より「今、向けているところですが、台風の余波で風が強く恒星が点像に写らず難儀しています。高度が低いP/2006 R2は観測できたのですが、鏡筒を立てると風当たりが強くなります」という連絡が入ります。しかし、その1時間後の01時39分には、確認に成功した氏より「風のやみ間を待って観測できました。報告の位置に星が存在します。30分間の観測中、移動は見られません。25-cm f/5.0反射+CCDで、極限等級は18.1等、位置はGSC-ACT、光度はTycho-2(V等級)で測定しました」という報告が入ります。そこで、02時01分に門田氏の確認観測をダンに報告しました。氏の観測光度は16.8等でした。その5分後の02時06分には、板垣氏より「メイルを拝見しました。本当にありがとうございます」というお礼状が届きます。

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超新星 2006gi in NGC 3147

この夜(9月18/19日)は、洲本はどんよりと曇っていますが、台風一過のおかげで関東以北は快晴だったようです。03時33分には、門田氏からクリステンセンが発見した彗星(P/2006 R2とP/2006 S1)の観測が届きます。その夜のできごとです。9月19日04時07分に山形の板垣公一氏より「今度は超新星です。発見光度は16.3等です」という連絡が入ります。M31に出現した新星の発見報告から、まだ5時間しか経っていません。そのため、氏の会話を「今度のものは超新星です」と勘違いしました。つまり「今度のM31の新星は、超新星でした」と聞こえてしまったのです。そこで、『M31に超新星……。これはすごい発見だ! でも、何でそれが超新星とわかるのよ……?』とたずねると、「いえ、さっきのものとは別ものです」とのことです。それで、『あっ、そうか』と納得しました。「報告は、メイルで送ります」とのことです。それを待つことにしました。

板垣氏からの発見報告は04時35分に届きます。そこには「9月19日03時49分、りゅう座にあるNGC 3147に16.3等の超新星を発見しました。発見後に撮影した10枚以上の画像上にそれを確認しました。30分間の追跡では移動は認められません。6月3日に捜索した画像にはその姿がありません。また、過去の多数の捜索画像も調べました」という発見報告とその出現位置、および、銀河中心位置が報告されていました。04時47分に送られてきた画像を見ると、超新星は、銀河中心から大きく離れてた位置に出現しており、このとき捜索すれば誰でも発見できるものでした。もちろん氏の発見を、すぐダンに報告しました。04時53分のことです。

さて、この日は、関東の空は本当に良く晴れていたようです。05時11分に門田氏から、明け方の低空にあるSWAN彗星(C/2006 M4)の北半球では初めてとなる観測、しかも7月27日以来途絶えていたこの彗星の観測が届きます。氏の観測は、9月19日04時25分前後に行われたもので、彗星のCCD全光度は7.9等と、増光していました(2007年3月号参照)。05時27分には、板垣氏から「M31のPNを、20枚以上撮影しました。慎重に測定をしましたが、明らかな光度変化は確認できませんでした」というメイルとともに、この新星の画像が届きます。門田氏の観測を含め、2006 M4の軌道改良が終了し、05時42分にその結果をOAA/CSのEMESに『9月中旬に各地で7等級で眼視観測されているこの彗星ですが、上尾の門田健一氏が9月19日JST早朝に位置観測に成功しました。氏のCCD全光度は7.9等でした。彗星は10月上旬に6等級まで明るくなるでしょう。なお、10月からは、夕方の低空にも観測できます。山本速報(YC)No.2520にある軌道からの門田氏の観測のずれは約3'、EMESにある最新の軌道からのずれは約36"でした』とコメントをつけて入れました.

ちょうどそのとき、05時41分に門田氏からは「彗星の形状を書かずに位置を報告したため、連絡しておきます。コマの視直径3'.5分角で集光が極めて強く、丸くて明るい姿です。位置角335゚の方向に長さ4'の幅が狭い尾が見られます」という形状が報告されます。『お〜い。もう出しちゃったよ』と上尾の方に大声で叫びました。『聞こえたでしょうか』。もちろん、聞こえなかったでしょうから、すぐ、05時54分に門田氏に『形状報告をありがとうございます。すでにEMESを出してしまいました。YCと『天文ガイド』誌には使わせてもらいます(星ナビでなく、すみません)。板垣さんは、最近よく見つけるねぇ……。いらんことに忙しくて観測ができません。『星ナビ』の原稿もあるし『天ガ』の原稿もこれからだし……。もう、超新星は、いらないと言いたいですね……』というメイルを出しておきました。そして、06時26分に板垣氏の新星の観測結果をダンに報告し、06時28分に板垣氏に『この新星、かわいいねぇ……。こんなに小っこいと自分の娘のようですね』というメイルを送り、06時50分に帰宅しました。関東以北は快晴というのに洲本はどんよりと曇った空のままでした。

その日(9月19日)の夕刻は、21時20分に自宅を出て、ジャスコでその夜と朝の食料品を購入して、22時05分にオフィスに出向いてきました。すると、11時33分に板垣氏から「昨夜は本当にありがとうございました。おかげさまで新星は公表されました」というメイルが届いていました。氏の送ってくれた資料によると、この新星は、10時間ほど早い時刻の独立発見がテキサスから報告されたものの板垣氏の発見が第一発見として公表されていました。さらに19時06分には、氏からNGC 3147の新星の確認観測が「西の空で観測するために昼から準備をしていました。複数の画像で存在を確認しました。一応測定しましたが、低空の為に昨夜(早朝)より精度が悪いと思います」というメイルとともに届いていました。板垣氏のこの確認は22時36分にダンに連絡しました。

深夜が過ぎた20日00時18分に門田氏から「今夜の観測を始めたのですが、しばらくしたら曇ってきました。明日は早朝から出張しますので今日はこの辺りで作業を終えます」という連絡があります。さらに00時28分には、朝の私のメイルへの返信が届きます。そこには「形状報告が遅くなって申しわけありませんでした。低空の雲を避けながら観測しつつの測定で、バタバタしていたためあわてて位置だけ先に報告しました。板垣さんは絶好調ですね。(星ナビ)編集部でも立て続けの発見に驚いていました。国内の彗星観測が低調ですので、たまには腕試しに微光彗星をねらってくれるといいのですが……」と書かれてありました。

そして、02時43分に板垣氏から「こんばんは。中野さんには、このたびも本当にお世話になりました。PSN in NGC 3147は、おかげさまでSN 2006giになりました。取り急ぎお礼まで」というメイルが届きます。そのメイルを見て、この超新星の発見の公表を知りました。届いていたCBETを見ると、板垣氏の発見を公表したCBET 630は、9月20日01時05分にすでに到着していました。この夜は、各誌の原稿締め切りが重なった忙しい夜でしたが、それらを終了し、07時20分に帰宅しました。しかし、そのおかげで、今秋、初めての秋晴れの快晴の空でしたが観測できずに帰宅するハメとなりました。しかし、その快晴は、この夜(20/21日)も続き久しぶりに観測を行うことができました。

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超新星 2006gs in NGC 3977

その快晴の空は、9月22日の朝まで続いていました。しかしこの夜は、まだ残っていた原稿書きに忙しく観測はできませんでした。その日の朝は06時45分に帰宅しました。今日は、大そうじの日です。結局、夕方近くまで起きていることになりました。その夜に眼を覚ましたのは23時半でした。しかし、数年前まではこんなに遅くまで眠ることは皆無でした。体力がなくなったというか、死期が近いというか、このままでは眠ったまま死んでしまう危険性もあります。でも、そうなると“こと”です。世間つきあいをしていないために誰も気づいてはくれず、その死から1か月が過ぎて、次の原稿が届かないと編集部が騒ぎ出すまでわからないかもしれません。とにかく急いで起床し、近くのコンビニでこの夜の食料品を購入して、9月23日00時10分にオフィスに出向いてきました。

すると、その夕方16時04分に山形の板垣公一氏から2通のメイルが届いていました。それらは、板垣氏が超新星の出現を報告したものの発見が公表されず、中央局の未確認天体のリストに残っている2個の超新星状天体についてのものでした。その1通は、「特異な超新星 2006jc」のものです(次号で紹介します)。もう1通は、NGC 3412の近くにある無名銀河に出現した超新星でした。これらは、すでに2年近くも中央局のリストに残っているものですが、そろそろ整理されるので、氏がそれらの観測をまとめたものです。この夜は曇り空でした。そのため、観測を考えることもなく久しぶりにのんびりと自分の仕事に没頭していました。しかし、それも長くは続きません。

その夜の朝、9月23日05時42分に電話が鳴ります。『何だろう……』と受話器をとると、「あぁ……、中野さん」と、また板垣さんのようです。『どうしましたか。また何か見つけましたか』と問いかけると、「はい。おおぐま座にあるNGC 3972のそばの無名銀河に超新星です。これから報告します」という連絡でした。『めずらしいな。板垣さんがNGC以外に超新星を見つけるのは……』と思っていると、「無名ではなくて、NGC番号がありました。NGC 3977です」と電話があります。その氏からの報告は06時12分に届きます。そこには「発見時刻は9月23日04時14分、発見後に撮った露光15秒の10枚以上のフレーム上にそれを確認しました。30分間の追跡で移動は認められません。最近の捜索は9月22日に行なっていますが極限等級が17.5等と浅く、参考にはなりません。それ以外の過去の多数のフレーム上には、その姿は見られません」という報告と、超新星の出現位置と銀河中心の測定位置が書かれてありました。

その発見画像が06時21分に届きます。超新星は銀河の東北東に小さく輝いています。『うん。これは、板垣さんでなければ発見できないイメージだ』と納得しました。もちろん、氏の発見をすぐダンに連絡しました。06時30分のことです。すると、そのメイルと入れ替わりに板垣氏から「私、明日から一週間くらい入院します。この天体の確認が気になりますけど、よろしくお願いします」というメイルが届いていました。『えっ、どうして……』と思いながらも、『こんなに発見を続けている時期にもったいない』と思ってしまいました。この夜はこれで業務を終了し、06時40分に帰宅しました。あんなに晴れていた空もこの日の朝はすでに曇っていました。

しかし、その日の夕方には再び天候が回復していました。この日は17時15分に自宅を出て、たまっていた世俗との用をすませ、19時25分にオフィスに出向きました。明け方、オフィスを離れた直後の06時39分に板垣氏よりメイルが届いていました。そこには「直前の観測の日付が9月22日なのに9月19日になっている」と書かれてありました。しかし、私には、氏が何を言っているのかわかりませんでした。私は、板垣氏の発見報告にあった日付を1日戻し、世界時にして9月21日と書いたつもりでいたのです。ダンへの発見報告を見直しましたが、その報告にある「9月19日」が私の網膜には「9月21日」と映りました。そのため、19時34分にダンに出した訂正のメイルも、そのような理由を書きましたが、いくらなんでも、JSTからUTへの変換が9月22日から9月19日に戻るはずがありません。当然、ダンから「お前、何を言っているのだ。理解できない。アホ……」というメイルがあとで戻ってくることになります。19時51分には、板垣氏から「今、PSNを10枚以上撮影して存在を確認しました。慎重に測定して報告します」というメイルが届きます。

とにかく、今夜(23/24日)は観測に没頭することにしました。観測開始が21時40分、177Pから始め、P/2006 HR30、4P、73P、29P、76P、C/2005 E2を交互に撮影し、途中で板垣さんのM31の新星、NGC 3977の超新星の確認画像を撮りました。でも、M31とNGC 3977の画像は、とてもとても確認画像とはならないひどいものでした。いや、焦点距離の短い反射鏡(1.2-m)ではそれくらいにしか撮れないのです。そして、明け方04時半すぎには東の空から昇ってきた84Pまで到達しました。そのあと、C/2006 M4を観測するため、そのまま待機しましたが、大阪湾側にある建物に邪魔され、05時14分、彗星の位置が観測可能になったときは、バックはすでに青空でした。そのため、次回のこの彗星の観測は、サントピア・マリーナで行うことにしました。

その観測中にオフィスに戻ると、板垣さんの超新星確認のメイルが21時05分に届いていました。そこで、その結果を『Itagakiは、明け方の空に超新星を発見し、夕方の空でそれを確認した。でも、確認時の高度は低いと思うよ』という注釈をつけて9月24日01時12分にダンに送りました。氏の観測光度は17.0等でした。板垣氏の報告からすでに4時間が過ぎていました。『ごめんなさい。板垣さん……』です。

そして、また観測に出かけます。今度、オフィスに戻ると、上尾の門田健一氏からは、ダンへの板垣氏の確認を報告した直後の01時30分に「透明度が良い明け方に向けてみようと思ったのですが、現在は曇天です。まだ天候が不安定な日が続いています」というメイルが届きます。そして、01時33分にダンから「日付の訂正は、意味がわからない」というメイルが届いています。このときも、私は、まだ、ミスしているということに気づかず、『なぜ、わからないんだ』と自分の報告に自信を持っていました。そして01時41分には、板垣氏から「このところ、山形は良く晴れました。普通ならこの位置は朝も夕方もまず見ることできないところです。本当に天気と運に恵まれました。明日は11時に病院です。パソコンは持って行きますのでよろしくお願いします」というメイルが届いていました。

ダンからの「お前、何に言っているんだ。アホ……」というメイルへの返信は、これまでの発見報告の中の「9月19日」の日付を「9月21日」に書き直して送っておきました。03時13分のことです。しかし、このときにも、私の眼には「9月19日」が、まだ「9月21日」に見え、みんなが何を言っているのか、皆目わかりませんでした。でも、この訂正のメイルでは、確かに9月21日に書き換えてあります。今見ると……。そして、また観測に出かけました。

しかし、目的のC/2006 M4が観測できず、がっかりしてオフィスに戻ってくると、04時33分に門田氏から「晴れ間を待って25-cm反射を向けてみたのですが、銀河中心に近いため出現位置が分離できず、こちらの機材(ピクセル分解能3".3角)では、観測できませんでした。参考にはなりませんが銀河中心の位置です」という報告が届いていました。『門田さんでもやはりそうか。板垣氏の望遠鏡のように焦点距離が長くなければこの超新星の発見は無理だ』と納得しました。さらに氏からは、04時54分にC/2006 S4の追跡観測が届いていました。この彗星はその前日の9月22日UTにクリステンセンによって発見されたものです。『う〜ん。ライバルはなぜ17.3等の彗星をいとも簡単に観測するのか……』という思いでしょうか。でも、氏が私をライバルと思っていてくれているか、はなはだ疑問です……。

ところで、オフィスに戻って来たときには、05時34分到着のCBET 640で板垣氏の超新星発見がすでに公表されていました。そこで05時56分にダンに「SN 2006gsの公表ありがとう。今夜は良く晴れていたので一晩中観測していた。C/2006 M4まで待ったが、空が明るくなるまで前の建物に邪魔されて観測できなかった。次回空が晴れたときサントピア・マリーナで観測を試みるつもりだ。日付のミスについては申し訳なかった。ところで、ICQの眼視観測のうち、ICQ 134以後の観測データを送って欲しい」というメイルを送っておきました。そして、門田氏のC/2006 S4の観測を加えた改良軌道を07時05分にEMESに入れ、07時40分に帰宅しました。この夜もオフィスに出向いてきたのは、日付が変わった00時10分になりました。すると、その日の朝、08時45分に板垣氏から「おはようございます。まだ山にいます。まもなく自由の身でなくなります。おかげさまで超新星2006gsになりました。夢の夢の……また夢のようです。ありがとうございました」というお礼状が届いていました。

この時期は、毎年、秋雨の季節となりますが、今年の9月下旬は、我が国では晴天に恵まれました。9月25日05時56分には、入院中の板垣氏から「昨夜は、山形も快晴」というサブジェクト付で「おはようございます。このところ大変お世話になりました。ありがとうございます。中野さんのメイルにあった『今朝は水平線まで快晴でした。こちらでも、今朝、C/2006 M4を撮ってみましたが、前の倉庫の屋根を上ってきたのが05時15分(日の出は05時45分)でダメでした。今度、晴れたらD61 Suntopia Marina, Sumotoで撮ってみるつもりです』の件ですが、中野さんもやってますね! ブルーで尾を引いた姿、やはり彗星は魅力が違います。今はリタイアーしましたが、30年以上もこの姿を追っかけてきたことをなつかしく思います。今日は手術です。05時に起こされました。昨夜は山形も快晴、病院の窓から星空を見上げていました。一週間くらい捜索は休みます。でも、M31だけには超新星でないように祈っています」というメイルが届きます。また、9月28日には高速移動天体の確認依頼もありました。でも、ねらっていたC/2006 M4は、まだ観測できていません。9月20日には門田氏、23日には門田氏と土佐の下元繁男氏、27日には門田氏がその観測に成功しているというのにです。特に9月27日の門田氏の観測では、そのCCD全光度は7.0等級まで明るくなっていました。でも、その1日後の9月28日朝、私も、ようやく2006 M4に対面できることになります。

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