057(2009年6月〜7月)
ガラッド彗星(C/2008 Q3)[先月号の続き]
2009年6月12日06時13分にEMESを発行した後、06時23分にサイディングスプリングのガラッド(ゴードン)にこの彗星が北半球で観測されたことを知らせておきました。その日の夜、6月12日23時38分には、スペインのゴンザレスから「板垣氏の捜索望遠鏡の写真送付のお礼と板垣氏の天界の原稿は、たいへんおもしろかった」というメイルが届きました。同じ夜の朝、13日05時38分には、八束の安部裕史氏から「昨日はEMESありがとうございました。こうして観測の内容を発表してもらうと活動の励みになります。当方のCCDカメラもずいぶん古いので、門田さんや浅見さんと同じチップのST-9XEを購入しました。天気が悪いこと、少し忙しいこともあってまだ稼働できていません。これまでは1枚撮影するごとに50秒ほどの転送時間がかかっていました。これからは、この時間がほとんどなくなるので、暗い彗星も観測がしやすくなるでしょう。無線LANはまだ稼働していません。そのうちに外部アンテナを用意する予定です。来年のOAA総会ですが、予定どおり松江ということで、内々に準備を進めています。今年の静岡大会に出かけて参考にしたいと考えています。来年の大会の開催の正式決定とだいたいの開催月日が決まるのはいつごろと考えたら良いでしょうか。お知らせいただければ幸いです。よろしくお願いいたします」という返信が届きました。まず、ゴンザレスには、05時43分に『2008 Q3の光度は、私の予報光度より1等級ほど明るいものだ』というメイルを返しておきました。安部氏には、06時07分に『ゴンザレスの高山での眼視観測によると観測光度は同じ日に6.8等とのことです。発見時、微光の彗星でしたが、ずいぶん明るくなりましたね。これは、天文ガイド誌2009年7月号(天界7月号)に入れた光度予報より1等級ほど明るいものです。無線LANは、はやく試した方が良いでしょう。ずいぶん楽になります。総会の件はよろしくお願いいたします。今年の総会は、天界7月号にその案内を入れました。まもなく届くと思いますのでそれをご覧ください。松江大会は、すでに正式決定されたとお考えいただいてけっこうです。それでお進めください。開催日は、松江の方々の都合の良い日でかまいません。なるべく早く開催日を決められて、準備をすすめてください』というメイルを送りました。また、ゴードンからは13時22分に「軌道改良をありがとう。私の彗星が予想より明るく見えたのは幸いだっだ」というメイルが届いていました。
超新星2009gf in NGC 5525
6月16日夜、いったん自宅に戻って夜食をとっていると、00時46分に携帯に電話があります。山形の板垣公一氏からでした。『何か見つけましたか』と問いかけると、氏は「はい。NGC 5525に超新星状天体(PSN)です。これから送っておきます」と話します。食事を切り上げて、01時50分にオフィスに出向くと、板垣氏からの報告は、約1時間前の00時55分に届いていました。そこには「2009年6月15日23時33分に60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCDを使用して、20秒露光でうしかい座にあるNGC 5525を撮影した捜索画像に16.1等のPSNを発見しました。引き続き撮影した8枚の画像上にこれを確認しました。このPSNは、2009年6月1日に同銀河を捜索した画像上にはまだ出現していません。また、保有する過去の捜索画像上にもその姿は見られません。しかし、6月9日JST深夜に捜索した画像上にこの超新星がすでに出現していることを見つけました。このとき、超新星の光度は17.7等でした。なお、超新星は、銀河核から西に31"、南に8".5の位置に出現しています」という報告と出現位置と銀河中心の測定位置が書かれてありました。氏の発見は、6月12日02時02分にグリーン(ダン)に報告しました。発見前の観測があります。この超新星はこれで公表されます。
02時17分に板垣氏に『例の“夢か幻の600秒”(先月号参照)をぜひ、天界に取り上げさせていただきたいと思います。というのは、8月号には櫻井さんの例の新星を掲載する予定ですが、その「発見情報」の中に、次の同じような誤報(もう、時効でいいでしょう。これは青木昌勝さん)――1996年2月23日23時12分には、八ヶ岳の串田嘉男氏を通じて、超新星の発見の報告がありました。氏からのFAXには「うみへび座にある系外銀河MGC 1-24-1のすぐそばに10等級の明るい超新星の出現が報告されてきました」とありました。さらに「前もって撮っておいたイメ−ジはないが、GSCにはその明るい星が表示されない。移動はない」とのことでした。同時に送付されたイメ−ジを見ると、銀河のごく近傍に『これはすごいな』というイメ−ジで輝星が輝いているのがわかります――という原稿があるので、これに引っかけて、最近でもこういう話があったというように原稿を進めたいのです。よろしいでしょうか。つきましては、13等級の超新星の写真を1枚、お送りいただけませんでしょうか。どうぞ、ご承諾の上、よろしくお願い申し上げます。なお、青木さんの輝星のFAX画像を添付します。このころは、インターネットが発達していなかったので、FAXでの報告です』というメイルを送りました。
02時12分、上尾の門田健一氏から「おおっ! 限られた晴天日と短い夜にも関わらず、またまたご発見とは驚きました。関東地方に雲が居座っているようで、今夜は雨が上がりの曇天です」という「今夜の確認作業はできない」と連絡があります。そして、ダンへの報告を見た板垣氏からは、03時26分に「拝見しました。ありがとうございます。それから“夢か幻の600秒”ですが、えぇ〜、この前のを……ですか! 私はかまわないですが、あれをですか。そのままでいいんですか? 少し手直ししましょうか。画像は了解しました」という連絡があります。そこで、03時38分に『非常に面白いと思います。しかも、青木さんと板垣さんは、わが国の超新星発見の1位、2位ですから……。ただし、青木さんは、出始めのころで、私はこのとき怒りました! そのあと、本当の発見が続きます。“夢か幻の600秒”は、もちろん書きなおしていただいてけっこうです。そのあとに私の顛末記(同じM31の超新星)を入れます。それで、報告側(=板垣)と受け側(=中野)の話にしたいと思っています。なにとぞよろしく……』という返答を送りました。04時53分になって、九州の西山浩一・椛島冨士夫氏から「同夜6月16日02時21分にアンドロメダ銀河に17.8等の新星(N 2009-06a in M31)を発見した」という報告が届きます。そこで、この発見は05時09分にダンに送付しておきました。
さて、予想どおり、板垣氏の発見したこの超新星は、07時03分到着のCBET 1844で公表されました。それを見た板垣氏から07時55分に「改めておはようございます。昨夜のPSNは、おかげさまで2009gfになりました。6月9日の見逃し画像(50-cmです)があったので、あっと言う間に公表になったようです。門田さん。見逃し画像も見てください。私、まだまだ修行が足りません。ありがとうございました」というお礼状が届きました。
続く6月17日の夜は、梅雨どきだというのに良く晴れていました。その夜、オフィスに出向いてくると門田氏より12時43分に「連続の超新星ご発見、まことにおめでとうございます! 短期間に驚くべき成果を挙げられたことは、努力の賜物でしょう。すばらしいです。いつものお願いでお手数をおかけしますが、アストロアーツのWEBニュースに、発見画像を添えさせていただこうと思っています。よろしければ、画像をお借りできないでしょうか」という板垣氏宛てのメイルが転送されて届いていました。そのあと、門田氏と板垣氏のメイルのやり取りが続いていました。その夜になって、板垣氏からの原稿が届きます。それを見た門田氏から6月17日00時48分に「今夜は小雨が降っています。昨夜報告を受けた、M31の新星の確認は見送りです。中国の星明天文台で明るい彗星(2009 L2)が発見されたようですが、残念ながら悪天候が続いています。原稿は、とても興味深い記事になりそうですので期待しています。人生は山あり谷あり、捜索には発見あり誤報あり、そして努力ありで、成長していくのでしょうか」というメイルが届きます。
門田氏のメイルにある新彗星(2009 L2)の確認観測が00時17分に美星の坂本・浦川両氏から「観測報告(速報分)をお送りします。NEOCPにあるgood01の観測です。わずかにコマ状構造が見えるような気がしますが、確かではありません。1.0-m望遠鏡でも確認しましたが、はっきりしませんでした」というメイルとともに届いていました。そこで、03時13分にこの確認観測を小惑星センターに送付しておきました。関東は、まだ小雨のようですが、すでに西日本に晴間が広がってきていました。その合間に観測してくれたようです。彗星の光度が15等級(核光度)と明るいために03時34分、板垣氏に『ほぼ、衝位置ですが、捜索していませんでしたか』という問い合わせを送っておきました。04時04分になって、西山氏から昨夜のM31の新星の確認観測が届きます。この確認は、04時11分にダンに送付しておきました。
超新星2009hi in NGC 7647
この発見に入る前に6月下旬から話を続けましょう。新彗星の発見は、6月17日05時01分到着のIAUC 9052で公表されます。その確認観測は、美星の観測以外に我が国でも、宇都宮の鈴木雅之氏、守山の井狩康一氏らによって行われました。そこで、その後の追跡観測を含め、6月20日01時21分に『発見後、我が国でも多くの観測者によって観測されています。スペインのゴンザレスによる6月17日の眼視全光度は12.9等、上尾の門田健一氏による6月18日のCCD全光度は13.0等と観測されています』というコメントをつけEMESに入れました。
ところで、この2日前の6月18日にダンから「上海には来れないのか」というメイルが届きます。「皆既日食(7月22日)を見て、ICQの会合(IWCA IV;7月23日)に参加しないか、日食を一緒に見よう」というメイルでした。
実は、このころ、皆既日食を見ようという気になってきていました。そこで『奄美空港ならば、皆既日食を見て日帰りできる。これは調子がいいや……』と、航空券を探しましたが、前後の数日、いや1週間の期間を含め、全滅でした。種子島、屋久島などを見ましたが、席は何も残っていませんでした。『ありゃ〜。すさまじいもんだ。やっぱり無理か……』とあきらめたところでした。しかし、まだ『フェリー等を使って、どこかに渡れないか……』というはかない野望を思っていました。そのとき「上海に来ないか」という誘いのメイルです。そこで6月18日明け方、ダンに『お前は、事情を何も理解していない。日食があるんだぞ。国内便すら満席だった。この時期、そんなもの予約できるはずがない』というメイルを送っておきました。
それから3日後の6月21日のことです。やはり、上海へ行ってみようとICQで指定されているマリオット・ホテルを見ました。すると、まだ、予約できます。しかし『国内便すら満席なんだ。きっと航空券が……ない』と思ってそのままにしました。しかし、6月24日になって『やっぱり行こう』と英語のウェッブ・サイトを探し始めました。
すると『何と……、航空券はまだ取れます。日食があるから、他は、いっぱいだろう。これで、いいや……』とJALの航空券(6.8万円)と以前に米国で使っていたMarriott Awardがあるため、ICQ指定のホテルであるマリオット・ホテルを迷わず予約しました。期間は、7月20日から24日です。しかし、『何で、こんな時期に予約できたのか……』と不思議に思い、あとで、日本語のウェッブ・サイトを開いて調べると、航空券は2.2万円から残っていました。ホテルも、同じホテルを9,000円で予約できる日本語サイトがありました(当時)。さらに、そのときでも、航空券4万円、宿泊1万円足らずの予約ができます。3泊4日で動くと、7万円ほどで日食が見られます。これでは、日食ツアーに予約した人は、かなり高額の出費となってしまったと何か得をした気分でした。
7月1日朝、04時57分には、九州の西山・椛島氏からまた別のアンドロメダ銀河に出現した新星(N 2009-06b in M31)の発見報告が届きます。この発見は04時57分にダンに送付しておきました。そんな時期、7月11日夜、またまた自宅で食事をしていたとき、山形の板垣公一氏から02時50分に携帯に連絡があります。『何か、見つけましたか』と問いかけると氏は「はい。NGC 7647にPSNです」と答えます。『では、送ってください』とお願いして、すぐオフィスに戻ってきました。03時00分のことでした。しかし、板垣氏からの報告はまだ届いていませんでした。氏に催促の電話を入れ、その発見報告は04時04分に送られてきました。そこには「2009年7月11日02時23分に60-cm f/5.7反射望遠鏡+CCDを使用して、ペガスス座にある系外銀河NGC 7647を撮影した15秒露光の捜索画像上に18.0等のPSNを発見しました。発見後に撮影した10枚以上の画像上にその出現を確認しました。この超新星は、過去の捜索画像上には、その姿は見られません。しかし、発見後に最近の捜索画像を調べたところ、この超新星は、7月6日早朝に行った捜索画像上に18.7等の明るさで、すでに出現していることを見つけました。超新星は、銀河核から西に17"、南に8"の位置に出現しています」という報告とその出現位置と銀河中心の測定値が書かれてありました。氏の発見は、04時18分にダンに送付しました。この超新星も、発見前の観測があるために即座に公表されるはずです。板垣氏からは、04時53分に「おはようございます。拝見しました。ありがとうございます。またしても見逃してました。このところ注意力が足りないようです」というメイルが届きます。
しかし、ダンはこのころ忙しく、氏の発見が公表されたのはそれから1日半も過ぎた7月12日13時53分到着のCBET 1872になってしまいました。そこには「この超新星は、KAIT超新星サーベイでも、7月10日と11日21時ごろに撮影された捜索画像上に独立発見された」ことが報告されていました。このとき、超新星の光度は、17.6等、17.7等でした。7月13日03時16分になって、上尾の門田健一氏から「暗い超新星でしたので、確認観測を心配していたのですが、KAITの独立発見があり、すぐ公表されましたね。おめでとうございます。上尾がもし晴れていても、この時期の限界等級は18等くらいですので、こちらでは確認できなかったでしょう。画像ありがとうございます。WEBニュースで公開させていただきます。つい先日、49個目のご発見でしたので、驚くべきペースで50個に達してますます好調ですね」というメイルが転送されて届きます。門田氏のメイルにもあるとおり、板垣氏の超新星発見は、これで、50個の大台に乗り、氏が持つ我が国での超新星、最多発見数をさらに更新しました。
7月20日、『さぁ……、日食を見るぞ』と関西空港を出発しました。しかし、日食当日は上海近郊は大雨だったとのことです。『だった』というのは、私は、前日に上海は雨だということで、IWCA参加者の誘いで武漢に出向いて皆既を見てきたのです。そして、IWCAの会合に出席して7月24日19時25分にオフィスに戻ってきました。すると、19時09分にオランダの蓮尾隆一氏から「中野さん。上海はダメだったようですね。まさに日ごろの行いが……ですね。お疲れ様でした。船は◎でした。板垣さんや塩田和生さんのようなまじめで強運な方が一緒だったのが良かったと思っています。これで、2勝1敗になりました。塩田さんの写真が世の中に発表されると、とても恥ずかしくてどこにも出せないので、その前にと思って、ちょっと縮小しただけの写真を1枚送ります。ところで、板垣さん、塩田さん。本当にお世話になりました。ありがとうございました。直接、いろいろとお話をお伺いすることができて、それだけでも収穫があったと思ったものです。これを機に、また、引き続きよろしくご指導ください。ほんとうにありがとうございました。船旅は初めてのようなものでしたが、食事もおいしかったし、結構、いいものですね。女房は初日の揺れで参っていましたが……」というメイル、さらに板垣氏からは、20時20分に「こんばんは。蓮尾さん。楽しい船旅でした。ありがとうございました。あれから家内のために三越に寄りました。疲れました。でも、午後04時過ぎには家に戻りました。オランダ、素敵なところのようですね! 公私ともにご活躍をお祈り致しております。奥さまに宜しく! 中野さん。国際会議、ごくろうさまです。日食はやはりだめだったの? もしかしたら、心がけが……? それは別にして。少なくとも、私が捜索をやめるまでは今のままで頑張っていただかないと困りますので、お体をおだいじに。これからもよろしく!」というまるで「私の日ごろの行いが悪い(実際、そうですが……)ために雨が降ったんだ。ざまみろ〜」というようなメイルが届いていました。
そこで、日食のメイルをいただいたみなさまには、7月25日10時45分に次のメイルを送っておきました。そこには『皆既の画像を送ります。50-mmに短レンズで撮影したもので、お見せできるものではありません。でも、50-mmレンズでもけっこう大きく写るもんだと思います。さて、上海では、電話番号の分かっていた近藤二郎さんには、7月21日朝に電話しました。ホテルのフロントにかけた後、どこかに2度回され、ようやくつながったと思って、「This is Syuichi」と言うと電話を切られました。誰だったか、わかりませんが、二郎さんの声のようでした。品川征志さんには、7月22日夜遅くに同じくホテルのフロントに電話の後、電話を3度回され、ようやくつながりました。長話をしました。日食の途中に大雨が降ったとのことでした。私の方は、遠くへ出かけ連絡できませんでした。上海が雨だということで、急きょ、7月21日朝10時に武漢に向かって車で出かけました。と言っても、武漢の場所をはっきりと知りません。「武漢ってどこだったろう……」と思って地図を見ると、上海のず〜と西、武漢までは直線距離で約800-kmもあります。つまり、おおまかに東京-福岡の距離を走らなければなりません。「そんなの不可能だ……」と車に乗って14時間、7月22日00時にようやく武漢のホテルに到着しました。しかし、衛星画像を見るとここも天候は良くありません。そこで、午前04時にもう一度協議することにして休息しました。議論の結果、衛星画像に写っている60-kmほど南の晴間のスポットに向かうことにしました。約1時間走って予定の20-km手前まで来た時に時間切れとなり、そこで観測することになりました。そこでは、半天が晴れ半天が曇りでした。雲の動きを見て場所を選び、観測体制に入ったのが08時50分。しかし、雲の動きが微妙になり、結局、皆既の位置では、雲間に見る羽目になってしまいました。身体がだるい中、1日に約2,000-km近くを走りました。疲れました……』というメイルを送っておきました。とにかく、これで私は、皆既日食を見ようと出かけたタイ、モンゴリア、ターキ、武漢のいずれでも見ることができました。皆既は、双眼鏡で見るのが一番ですね。