061(2009年10〜12月)
230P/LINEAR周期彗星(2009 U6=1997 A2=2002 Q15)
2009年10月27日早朝05時27分、スミソニアン協会のロミラー女史から山形の板垣公一氏が発見した新彗星C/2009 E1(本誌2010年2月号参照)について、エドガー・ウィルソン賞の賞金授与の手続きに必要な書類が送られてきます。この書類は、板垣氏にも送られていました。そこで05時32分に『添付ファイルの書類に必要事項を記入して、ファックスかメイルで送り返してください。わからないことがあったら連絡ください』というメイルを板垣氏に送付しておきました。また、このことを05時37分にスミソニアン事務局に知らせておきました。すると、氏から「書類に書き込んだ見本が欲しい」という電話があります。そこで、その見本をファックスで送付しました。その約3週間後の11月17日、板垣氏から「先日は、お手配をありがとうございました。昨日、盾(だけ)届きました。謹んでお知らせ致します」という連絡がありました。そのメイルには、盾の写真が添付されていました。氏には『国内で何人かの発見者がこの賞をもらっていますが、盾を見せていただくのは初めてのことです。私のもらった盾より立派です。けっこういいですね……。私も欲しくなってきました』というお礼を送っておきました。氏からその後の連絡によると、多額? の賞金も無事に受け取ったとのことでした。
同じ時期、2009年10月31日02時58分、上尾の門田健一氏から小惑星センターに宛てた1通のメイルが届きます。そこには「10月20日04時過ぎに撮影した画像上に10月27日にLINEARサーベイで発見されたLINEAR新周期彗星(2009 U6)の発見前の姿を見つけた。彗星には25"ほどのコマと西に約40"の尾が見られる。なお、彗星のCCD全光度は16.8等であった」という連絡とともにその3個の観測位置が報告されていました。門田氏のこの発見前の観測は、氏の報告から約1時間後の04時06分に発行されたMPEC-U137(2009)に公表されました。ところで、この新彗星は、LINEARサーベイでしし座を撮影した捜索画像上に発見されたものです。彗星は、発見当初、18等級の小惑星状天体として報告されました。しかし、モスクワのクリャクコらが10月28日に30cm反射で行った追跡観測では、この天体には、拡散した8"のコマと西北西に30"の尾が見られました。また、ブルガリアのフラテフが10月29日に35cm反射で行った観測や、同日にブレッシがキットピークの1.8mスペースウォッチII望遠鏡で行った観測でも同様の形状が見られ、この天体は彗星であったことが判明したものです。
それから2日後の11月2日の朝は、北海道付近で低気圧が発達し、寒冷前線の通過のため明日朝には今シーズン一番の冷え込みになるとの予報でした。そんなとき、11月2日03時56分になって、門田氏から「10月20日に81P/ウィルド彗星を観測した画像上にこの彗星(2009 U6)が写っていることに気づきました」と連絡がありました。氏のメイルには「MPEC U137(2009)をご覧になってお気づきだと思いますが、81Pの視野に発見前の新彗星P/2009 U6が写っていました。81Pを測定した画像をご覧ください。右下に小さな像が確認できますが気がつきませんでした」と書かれてありました。さらに「既知彗星を狙った狭い視野に新彗星が飛び込んできたとはビックリでした。観測では目当ての彗星だけに注目していますので、捜索目的で画像を調べないと見つけるのは難しいと思います」と続いていました。
そこで、04時30分に門田氏に『はい。10月31日に報告いただいたとき気づいていましたが、29P/シュヴァスマン・ヴァハマン彗星の写野かな……と思いました。計算してみると、10月20日の新彗星の位置は、29PからΔα=-3゚.35、δ=+0゚.03ほど離れていますね。LINEARサーベイで発見された10月27日の新彗星の29PからのずれはΔα=-0゚.09、Δδ=0゚.00ですので、これだったら、もし、誰かが29Pを観測した画像であればこの新彗星に気づいたかもしれません。でも、LINEARは自動サーベイですので報告までわからなかったのでしょう。グリーンはCOMET_MLをあまり見ていないので、両彗星と新彗星の位置関係を知らないでIAUC 9090を編集したようです。一方、81Pからのずれは、10月20日にΔα=-0゚.14、Δδ=-0゚.20しかなく、あなたの方で81Pを観測した画像上に入ってきたものですね。なお、発見日の10月27日には、新彗星は、81PからΔα=-0゚.13、Δδ=+0゚.67の離れた位置にありました。この彗星が発見された星域は、天文ガイド2009年11月号にある全天図(10月)のとおり、多数の彗星が動いていました。とくに新彗星は、81Pと29Pの経路に交差するように動いていました。たくさんの彗星が集まっている星域、故に未知の彗星がいる可能性も大きかったのでしょうか。仮に半天が2万平方度、200個の観測(発見)可能な彗星がいるとすると、約10゚×10゚に1個の彗星がいることになります。しかし、実際の彗星の密度はこれよりさらに大きいかもしれませんね。なお、小惑星状天体として発見された新彗星は、以前に観測されている可能性が大きいために、過去に小惑星として写っていなかったかを調べましたが、今の軌道では出てきませんでした』という返信を送りました。山形の板垣氏からも09時00分に「おはようございます。拝見しました。こんな狭い視野に新天体が……、ゼロに近い可能性ですね! でも、門田さんは、それだけ多くの観測をされているから、そんな偶然も起こるのだと思います。今日の山形は雪の予報です。太陽の存在すらわかりません。楽しい話をありがとうございました」というメイルも届きます。
なお、この時期、29Pと81Pはともに増光中で、スペインのゴンザレスは10月26日の眼視全光度をそれぞれ11.3等と11.2等と観測しています。発見同日にグルガー氏が撮影した画像がhttp://astrosurf.com/obsdauban/images/cometes_img/にあります。29Pのアウトバーストの様子と81Pの増光の違いがよくわかる画像です。一度、ご覧になってください。この彗星の過去の天体との同定作業は、その後にも11月下旬に2009年10月19日から11月17日までに行われた91個の観測から決定された軌道から、過去に同定できる観測がないか調査を行いました。しかし、そのときも過去に同定可能な何の天体も見つかりませんでした。
それから約1か月が経過した12月12日朝のできごとです。この日の朝は、過去1か月間に発見・観測された18個の彗星の軌道改良を行いました。その中にこの周期彗星も含まれていました。彗星の追跡観測は2009年12月6日まで延びていました。この軌道から過去の観測の中にこの彗星と同定できる観測がないか、再びそのサーチを行うと、これまでに報告された1夜の観測群の中にある2002年8月20日(名称SEQYMHB)と同年9月9日の観測(SLY9QZA)が同じ近日点通過時刻の補正値(ΔT=+4.44日)を示していることを見つけます。2つの天体とも18等級の明るさでした。これらの観測の改良軌道からのずれは、2002年8月の観測に対して、赤経方向にΔα=+2゚.21、赤緯方向にΔδ=+0゚.32、2002年9月の観測に対して、赤経方向にΔα=+2゚.34、赤緯方向にΔδ=+0゚.17でした。先に、ΔTが同じことに気づかなければ、2つの天体の残差の大きさが違うため、他の多くの同定候補の中に埋もれて、気がつかなかったことでしょう。しかし、ΔTが同じことを先に見つけたのが幸運でした。
すぐ、2009年に行われた観測との連結軌道を計算すると、この同定が正しいことが確認できました。普通なら、ここで「過去の観測にこの彗星の出現を見つけた」と報告するところですが、小惑星として発見されたという経緯から、より過去に同じ天体があるかもしれないと、得られた連結軌道からもう一度、過去の観測をサーチしました。すると、1997年1月に報告されていた1夜の観測群中にも同定できる18等級の天体(7JO78Z)が見つかります。この天体の位置は連結軌道から赤経方向に+11"、赤緯方向に-2"の小さなずれしかありませんでした。これで彗星は、3回の出現を記録したことになります。過去の近日点通過は1996年9月4日と2003年3月3日でした。なかなか同定が出てこなかったのは、彗星が2007年9月3日に木星に0.88AUまで接近していたことによるためでしょう。さらに1997年1月と2002年の観測は、近日点通過から約5〜6か月離れていたことになりますが、それにしては彗星は18等級と明るい光度でした。
もちろん、この同定は、12月12日07時51分に天文電報中央局とドイツのマイク(メイヤー)に送り、これを知らせました。また、08時40分には、18個の彗星の改良軌道の中にこれを含め仲間に知らせました。ダン(グリーン)は、12日08時22分にCBET 2072を発行し、この同定を公表しました。なお、1997年の天体には1997 A2、2002年の天体には2002 Q15の彗星符号が与えられました。
同定公表から1日が経過した12月13日21時23分には、大泉の小林隆男氏から1通のメイルが届いていました。そこには「P/2009 U6の同定おめでとうございます。この彗星と同定された1997年の彗星(1997 A2)の位置を見ると、私が取り逃がしたC/1997 A1の発見位置に比較的近い(5゚以内)ことがわかります。それで、1997年の画像をチェックしようと思いましたが、残念ながら消去されていて確認することはできませんでした。彗星は1月15日に発見した小惑星群(CP192、CP193、CP194、CP198)の発見位置に2゚近くまで接近しています。また、明るさも18等前後と当方の極限等級より若干明るいために、もしかしたら写っていたかもしれません。しかし、画像がないためあとの祭りです。しかし、こんな狭い範囲に彗星が2個もいて両方とも取り逃がしたというのは、残念というより情けない限りです。なお、COMET HANDBOOK 2009/2010、および、授賞式の写真が昨日届きました。わざわざ送付くださりありがとうございます。ハレー彗星は28.7等なのですね。すばる望遠鏡なら観測可能でしょうか……」と書かれてありました。『小林さん。だから言ったでしょう。画像は残しておくものだ……」と。『自慢じゃありませんが、あなたの画像に比べると総容量は格段に小さいものの、CCD観測を始めた1993年以後の画像はすべて残してありますよ。ゴミも宝物になることがありますから……』。
超新星2009kr in NGC 1832
さて、話を11月上旬に戻しましょう。2009年11月7日03時28分に山形の板垣公一氏から「2009年11月7日深夜、02時30分頃に60cm f/5.7反射望遠鏡+CCDを使用して、うさぎ座にあるNGC 1832を15秒露光で撮影した捜索画像上に16.0等の超新星状天体(PSN)を発見しました。この超新星は、今年10月4日に同銀河を捜索したときには、まだ出現していませんでした。また、過去の多くの捜索画像上、および、DSS(Digital Sky Survey)にも、その姿は見られません。発見後、30分間の追跡で移動はありません。フレームの極限等級は19.0等です」という発見報告が届きます。氏のこの発見は03時41分にダンに送付しました。それを見た板垣氏からは04時04分に「おはようございます。拝見しました。ありがとうございます」という内容確認の連絡、04時12分には、上尾の門田健一氏から「今夜は雲が多く、確認観測は見送りになりそうです。だいぶ秋が深まったのですが、まだ湿度が高く晴天日は長続きしない状態です」というメイルも届きます。
その夜(11月7日)、オフィスに出向いてくると、板垣氏からは、発見日の朝09時03分に氏の発見した超新星の確認依頼が大崎の遊佐徹氏にも送られていました。確認依頼を受けた遊佐氏からは21時24分に「板垣さんより確認依頼のあったNGC 1832の超新星らしき天体について、米国ニューメキシコ州メイヒルの25cm f/3.4反射望遠鏡を使ったリモート観測で確認しましたので報告します」というメイルとともに「11月7日18時45分頃に撮影した7枚の画像上にこの超新星の出現を確認した。超新星の光度は15.7等でした」というメイルが届いていました。氏からは11月8日00時08分に再測定の位置が届きます。その報告を見た門田氏からは11月7日21時43分に「無事に存在が確認されて、安心しました。板垣さん。発見おめでとうございます! 中野さん、いつも的確な対応ご苦労さまです。こちらは夕方からスタンバイしているのですが、雲が多く観測できるかどうか微妙な状況です」という現状報告があります。ただ門田氏も観測できるかもしれません。出現位置のうさぎ座は、このあと02時頃に南中します。そこでダンへの報告はしばらくあとにすることにして、この夜は別の作業に熱中していました。すると、午前03時になろうとしていたとき、門田氏と板垣氏からメイルが届いていることに気づきます。
門田氏のメイルは、そのときから約2時間前の00時59分にすでに届いていました。そこには「晴れ間が広がってきました。PSNを確認できました。発見位置に明瞭な恒星像が存在します」という連絡とともに「11月8日00時01分にこの超新星の出現を確認しました。光度は15.6等です。60秒露光、16フレームをコンポジットして測定しました。極限等級は18.0等でした」という確認観測がありました。『ありゃ……、報告が予想より早かった』と思いながら氏の報告を読みました。板垣氏から02時24分に届いたメイルは、その門田氏への返信でした。そこで、遊佐氏と門田氏の確認観測をまとめて03時22分にダンへ報告しました。
その夜が明けた08時10分に板垣氏から「おはようございます。今起きました。中野さん。拝見しました。いつもありがとうございます。一昨日から風邪でふらふらしています。昨夜は早朝の捜索に備えて「少し寝たつもりがおおまちがい……」でした。こんなに寝たのは「風邪薬」のせいかもしれません。遊佐さん、門田さん。ほんとうにありがとうございます」。さらに、08時41分には遊佐氏から「皆さまおはようございます。中野さま。中央局への報告拝見しました。ありがとうございます。報告の差し替えたいへん失礼しました。昨日はプラネタリウム投影や星をみる会の合間に時間をとって撮影・測定などをしていました。そのため、集中を欠いていました。門田さま。観測ご苦労さまです。24時までねばられたのですね。こちらは、日中は晴天でしたが星をみる会の開始とともに一面の雲になり、一晩中べた曇りでした。板垣さま。風邪はだいじょうぶですか。ゆっくりお休みになってください。昨夜の画像にフラット補正処理をした画像をお送りします。月の影響か、すぐ南の輝星の迷光か、しっかり補正しきれていません」というメイルが届いていました。ダンは、この超新星の発見を11月8日10時42分到着のCBET 2006で公表しました。
それを見た板垣氏からは11時19分に「こんにちは。おかげさまでSN 2009krとして公表されました。ありがとうございました」。さらに遊佐氏からは13時17分に「SN 2009krを報じるCBET 2006 拝見しました。53個目の超新星発見、おめでとうございます。すばらしい快挙に感服の至りです。その場に微力ながら関わらせていただいていることに、大きな幸せを感じております。ところで、昨日到着した「天界」をただいま拝読しています。板垣さんが発見した超新星・新星に関する中野さんの記事をたいへん興味深く拝読いたしました。また、読み応えがあります。何度もじっくり読み返しています。次号以降の天界も楽しみにしております。今後とも、よろしくお願いします」というメイルが届いていました。
たて座新星 V496 Scuti=Nova Sct 2009
板垣氏の超新星2009krが確認・公表された夜(11月8日)のできごとです。この日の夕刻は、20時00分に自宅を出発し、南淡路まで出かけました。最後に洲本のジャスコで買い物をして、21時50分に自宅に戻ってきました。空は曇っていました。そして、自宅で出発の準備をしていた23時18分に携帯が鳴ります。『また、板垣さんか。でも、まさか……』と思って携帯を取ると、掛川の西村栄男氏からの連絡でした。氏は「たて座に何か新しい天体の出現があるでしょうか」とたずねます。『いや、今日朝まではなかったと思います』と話すと「今夕18時前に撮影した画像上に8等級の明るい新星状天体(PN)を見つけました」と話します。そこで『これからオフィスに出向きますので、報告を送ってください』とお願いしました。
急いで身支度を整え、その夜オフィスに出てきたのは23時40分のことです。西村氏の発見報告はまだ届いていませんでした。氏の報告が届いたのは23時48分のことです。そこには「Canon EOS 5Dデジタルカメラとミノルタ120mm f/3.5望遠レンズを使用して行っている新星サーベイで、11月8日夕刻、17時52分にたて座を10秒露光で撮影した2枚の捜索画像上に8等級の新星を発見しました。発見前日の11月7日にも同領域を捜索していましたが、その画像上には11.5等級より明るい新星の姿は見られません。また、2008年に行った多くの捜索画像上にも、その姿はありませんでした」という発見報告がありました。さらに23時54分には、発見画像が氏から届きます。前日の捜索画像に新天体の姿がないということは、新星はこの1日の間に急激に増光したことになります。処理は急がねばなりません……(以下、来月号に続きます)。