069(2010年3〜4月)
マックホルツ彗星(2010 F4)
2010年3月26日UT、小惑星センターの地球接近天体の確認ページ(NEOCP)にObject Aという名称で12等級の天体が掲載されます。この天体には3月23日と26日の観測が報告されていました。明け方の低空を高速で動いていることと発見光度から考えて、新彗星の発見でしょう。
この日(3月27日)の朝は春だというのに外気温が0℃まで下がる寒い朝でした。こんなに寒い朝なのにツバメが夜中に玄関のまわりを飛んでいました。しかし空は快晴でした。天体は、この日の朝には、我が国では明け方の天文薄明時に地平高度が+11゚ほどの低空を約2゚の移動速度で動く天体でした。暫定的に計算した位置予報では、天体は太陽に向かって動き、翌日朝には高度が+10゚、翌々日朝には+8゚と次第に観測できなくなります。『この天体の観測はちょっと難しいなぁ……』と思っていました。
しかし27日04時50分と05時14分になって、守山の井狩康一氏から04時22分から04時51分にかけて行われた5個の観測が報告されます。氏の観測は世界で初めて行われた確認観測でした。氏のCCD全光度は13.9等と見積もられています。05時57分になって、上尾の門田健一氏からも、04時43分頃に行われた2個の観測が届きます。氏のCCD全光度は12.3等で、天体には90"のコマが見られています。さらに常日頃から彗星の眼視観測に励んでおられる山口の吉本勝己氏から08時22分にメイルが届きます。そこには「今朝、NEO Confirmation Page(NEOCP)に掲載されている天体Aを眼視観測しました。まだ発表されてない天体のようなので、こちらにご報告させていただきます。25cm反射望遠鏡による27日04時55分の観測では、天体は眼視全光度が11.0等、コマの視直径80"の彗星状で、東方向に移動しています」と書かれていました。彗星の初期の眼視観測は、その後の光度予報のため大変重要です。そこで、08時32分に中央局のダン(グリーン)に門田氏の観測とともに報告しました(なお、門田氏はすでにご自分で送られています)。そして09時40分に自宅に戻りました。
その日(3月27日)の夜は、19時45分に自宅を出て南淡路で買い物をして、最後に洲本のジャスコに寄って、21時40分にオフィスに出向いてきました。すると、吉本氏から12時19分に「観測をさっそく送っていただきありがとうございます。観測前にNEOCPで確認した位置と少し違っていたので心配でしたが、門田さん、井狩さんの精測位置と合っていたので安心しました」というメイルが届いていました。そしてその5分後の12時24分には、新彗星の発見を告げるIAUC 9132が届いています。そこには「米国のマックホルツは47cm f/4.8反射望遠鏡(77倍)を使用して、2010年3月23日にペガスス座を眼視捜索中に11等級の新彗星を発見した。発見時、彗星は拡散状で約2'のコマがあった。発見時、彗星の移動方向がわからず一旦見失われたが、発見者の捜索によって3月26日朝に同じ様な形状を持つこの彗星が確認された。このとき、彗星は太陽方向に急速に移動していた。なお、発見者の前回の発見以来(C/2004 Q2)、607時間後の新彗星発見となる。この彗星の確認は3月26日に守山の井狩康一氏、上尾の門田健一氏によって行われた。彗星のCCD全光度は、それぞれ13.9等と12.3等と観測されている。彗星は、また、山口の吉本勝己氏によって眼視確認された。氏は3月26日の全光度を11.0等(DC=3)、コマの視直径を1'.3と観測した」と公表されていました。
さらに17時59分には、スペインのゴンザレスからも17時59分に「彗星の眼視全光度を3月27日13時に10.7等と観測した」というメイルが届いていました。また、発見者のマックホルツは、同日に11.3等と観測しているとのことでした。3月28日の朝07時07分になって、栗原の高橋俊幸氏からも、27日朝に行われた8個の観測が報告されました。氏のCCD全光度は12.4等でした。そこで我が国の確認観測のみからその軌道を決定し、仲間にEMESで知らせました。さらに3月31日朝になって、再度EMESで新たな軌道を送りました。そこには『3月29日の上尾と栗原の観測が報告されました。門田健一氏のCCD全光度は12.0等でした。彗星はまもなく観測できなくなります』というコメントを入れておきました。
彗星の観測は、その後も芸西の関勉氏から3月28日、門田氏から30日と31日、そして高橋氏から4月3日の観測が報告されました。彗星のCCD全光度が3月28日に12.5等(関)、29日に12.0等(門田)、12.3等(高橋)、30日に11.8等、31日に11.9等(門田)、4月3日に11.5等(高橋)と観測されました。明るい彗星でしたが、発見後まもなく観測できなくなりました。我が国での最終観測は高橋氏によるもの、世界的な最後の観測は4月7日に行われたフランスのクーゲルから報告されたものでした。
バレス新周期彗星(2010 H2)
3月下旬には各地から桜が満開になったという情報が届きます。しかしここはまだ寒く、つぼみも硬い状態でした。しかしその桜も、4月1日には急に暖かな日となり、いっせいに開花しました。それから約2週間が経過した4月16日03時38分に上尾の門田健一氏から「中野さん、板垣さん。4月24日、25日に兵庫県で開催される彗星会議に参加します。会議終了後は高知県の実家に帰省して、28日の夜に戻る予定です。C/2009 R1はまだ観測できていません。3月30日と31日の早朝に狙ったのですが、高度が低く確認できせんでした。その後、明け方の晴れ間を待っているのですが、ずっと悪天候が続いています」というメイルが届きます。氏には04時40分に「了解いたしました。久しぶりの帰郷ですね。ゆっくりとされてください。C/2009 R1は観測がないですね……。いったいどうなっているのかとやきもきしています」というメイルを返しておきました。また、山形の板垣公一氏からも07時42分に「おはようございます。今、山から戻りました。昨夜、ほんの少しだけ晴れました。でも、捜索できたのは30分くらいです。なんともなりません……。山形は4月、5月が一年を通して一番晴れる時期なのですが、こんなの初めてです。今朝も曇天で寒いです。気温は0℃でした。門田さんの実家は高知ですか。良い所ですね」という返信が転送されて届きました。
その日(4月16/17日)の深夜のことです。01時05分に東京の佐藤英貴氏から、NEOCPに掲載されている12等級の天体(04F0011)の同日00時30分頃に行われた2個の確認観測が届きます。氏のメイルでは「天体は恒星状」とのことです。しかし、天体はほぼ衝位置を動いているもののその移動速度は11'と遅く、現在では、地球に接近して発見されるNEO以外、このような明るい天体の小惑星は残っていません。そのため、天体は新彗星が増光し、発見されたものと推測されます。続く観測を待っていると、その約1時間半後の02時29分に美星スペースガードセンターの浅見・坂本氏からも、02時前後に行われた同じ天体の6個の観測が届きます。彼らの光度は12.8等でした。さらに続く観測を待ちましたが、04時までありません。そこで04時07分にこれらの観測を小惑星センターに報告しました。すると06時46分に山口の吉本勝己氏からメイルがあります。氏のメイルは、そのときから2時間前の02時59分に発信されたものでした。そこには「先日は、C/2010 F4の観測報告の件で大変お世話になりました。先ほど25cm反射(102倍)で00時50分にNEOCPに掲載されている天体04F0011を眼視で観測致しました。眼視全光度は12.9等。天体は強く集光し、恒星状(DC=9)で明るく見えています。1時間で西北西に約60秒移動しました」と書かれてありました。氏によると、天体は恒星状ですが、やはり新彗星のようです。氏の報告は07時27分にダンに送付しました。そこには、美星で行われた観測も参考のために添付しておきました。
その日の夜(4月17日)は、早朝からの快晴が続いていました。しかし、天気予報では「暖かくなる」というもののまだ寒い夜でした。この夜は19時45分に自宅を離れ、南淡路で買い物をして、最後に洲本のジャスコを訪れ、オフィスには21時15分に出向いてきました。すると、それから約1時間後の22時17分、守山の井狩康一氏から、この夜21時49分に行われた2個の観測が届きます。さらに23時00分には、八束の安部裕史氏から22時29分に行われた3個の観測が報告されます。両氏のCCD全光度は12.3等と12.9等でした。その夜の深夜になって、スペインのゴンザレスから00時13分にこの天体の眼視観測が報告されます。氏の眼視全光度は12.7等で天体は恒星状でした。01時08分に門田氏からも、00時頃に行われた2個の観測が届きます。そこには「天体は、恒星状だが90"の淡いコマがあるようだ」というコメントがついていました。天体にコマを認めた初めての観測でした。
そして、01時48分に門田氏から吉本氏に宛てた「昨夜はNEOCP天体のご報告、ありがとうございました。季節外れの雪が降っていましたので、早めに休んでいました。今夜は夜半前から晴れてきましたので、早速観測してみました。画像のコントラストを上げると淡いコマが写っているようなので、彗星として全光度で報告しました」というメイルが転送されて届きます。03時15分には井狩氏からこの夜の観測が届きます。また、吉本氏からは03時33分に「今晩も04F0011を眼視観測しました。4月18日01時49分に12.3等、眼視では未だ恒星状ですが、昨晩より少し明るくなってます。なんとなく滲んでいるようにも見えますが確信は持てません。CCDでバンド測光したい対象なのですが、時間が取れません」というメイルが、さらに04時41分には安部氏からも観測の報告があります。そして、04時48分に美星スペースガードセンターの浅見・坂本氏からも「NEOCPにある04F0011には、直径28"のコマが認められます」というメイルとともに4個の今夜の観測が報告されます。彼らのCCD全光度は12.2等と昨夜より0.5等ほど増光していました。美星の観測は04時54分にダンに報告しておきました。しかし美星の観測は、04時52分到着のMPEC H12(2010)、05時02分到着のCBET 2249には間に合いませんでした。CBET 2249には「2010年4月16日、チャニーバーから12等級と異常に明るい小惑星状天体の発見が報告された。4月17日に各地で行われた観測の結果、天体は近くの同程度の恒星より多少ぼけており、彗星のダストが認められる。上尾の門田健一氏は1'.5のコマがあるようだと報告している」と公表されていました。
同号に公表されたその軌道を見ると、この彗星はヒルダ型の小惑星の軌道近くを運行する彗星で、突然アウトバーストを起こし、その直後に発見されたものと推測されました。そこで私の方でも軌道を計算し、EMESでその軌道と予報位置を仲間に伝えました。06時11分のことです。そこには『位置予報のとおり、彗星はしばらく12等級で明るく観測できます。しかし今後、次第に拡散していくでしょう』というコメントをつけておきました。
さそり座新星 Nova Sco 2010 No.2=V1311 Sco
4月16日早朝に届いた門田氏のメイルにあるとおり、4月24日には近くで彗星会議が開催されます。その日の朝、05時40分に天文ガイドの佐々木夏氏より「これから出発します」という電話があります。彼らは4月24日に同会議を取材して、その夜に来島する予定です。そこで『大橋を通過する頃に起こしてくれるよう』に頼み、早めに眠りにつきました。その夜の20時05分に佐々木氏から電話があり「これから洲本に向けて出発する」とのことです。彼らは淡路サービスエリアで大橋を見学し、21時55分にオフィスに到着しました。4月25日朝、サントピア・マリーナの喫茶で彼らと朝食をすませ、09時40分に彼らは東京に向けて帰っていきました。
その日(4月25日)の夕方は20時00分に南淡路に出かけ買い物をすませ、21時45分に一旦自宅に戻り、オフィスに出向いてきました。すると22時35分に東京の佐藤英貴氏から「先日、2009 UG89として報告した彗星状天体ですが、本日4夜目の観測を得ることができました。形状は拡散した彗星状で12"程度のコマが写ります。4月22日はシーイングが悪く、彗星状かどうか判断はできませんでした。しかし4月21日、4月23日は彗星状と報告しています。モーションは2009 UG89のものとほぼよく一致していますが、3月21日〜25日までの位置観測は、MPCの予報位置よりも徐々に離れており、同一天体なのか確信は持てません。軌道を計算すると離心率がかなり大きな軌道解となります」というメイルが届いていました。氏のメイルを読んだあと、一旦、観測のために自宅に戻りました。そして4月26日03時40分にオフィスに戻り、04時02分に佐藤氏に『いつも観測をお送りいただきありがとうございます。今夜は自宅で観測していました。いつも使用している無線LANが不調で、外部との連絡が取れませんでした。以下の件ですが、2009 UG89と同一天体ですので、もう一度MPCとCBAT宛に彗星だというメイルを書けば良いと思います』という返答と氏の観測から計算した軌道と残差を返しておきました。
その日の朝のことです。4月26日05時33分に掛川の西村栄男氏より「さそり座に新星状天体(PN)を発見しました。このあと発見報告を送ります」という電話があります。氏からの発見報告は05時53分に届きました。そこには「2010年4月26日03時19分にCanon EOS 5D Digital+ミノルタ 120mm f/3.5望遠レンズを使用して、13秒露光で撮影した2枚の捜索画像上に8.3等のPNを発見しました。このPNは、03時44分に200mmレンズで撮影した画像上に確認しました。4月25日03時44分に撮影した極限等級が11等級の画像上には出現していません」という報告がありました。続いて、氏からは本日の3枚の画像が送られてきました。AAVSOのウェッブ・サイトで発見位置の近くに変光星が存在しないことを確認して、氏の報告は06時19分にダンに送付しました。そこには『こちらでも出現位置を測定してみる』と知らせておきました。
西村氏から送られてきた画像を測定を始めたそのとき、06時27分に群馬(嬬恋村)の小嶋正氏から同じ天体を発見したという連絡があります。氏の報告には「02時42分にCanon ESO 40D Digital+50mm f/2.8レンズを使用して撮影した捜索画像上に8等級のPNを発見しました。この星は、4月25日02時16分に撮影した画像上にはその姿がありません」と書かれてありましたが、発見確定に必要な発見画像の枚数が報告されていませんでした。しかし同一天体の発見ですので、その存在はまちがいありません。そこで、06時42分に氏の発見をダンに知らせました。その報告後の07時03分には「発見画像は2枚」であることが伝えられました。
その間、出現位置の測定を行っていました。しかし、西村氏の画像からは、その状態が悪く測定できません。そこで、小嶋氏の50mmレンズで撮影された画像を測定しました。出現位置は赤経α=16h55m13s.46、赤緯δ=-38゚03'44".7となります。光度は8.8等と測光できました。位置の精度誤差は±5"、光度のそれは±0.3等ほどでした。一昔前のフィルム時代には、50mmレンズで撮影された画像からはこのような高精度での測定は不可能でしたが、CCD撮影になってからは、わずか50mmレンズでもこれくらいの精度で測定できるようになりました。実はこのPNは、九州の西山・椛島氏も03時54分に発見していました。そこで07時34分に小嶋氏には「おそらく第1発見があなた、第2発見が西村、第3発見が西山・椛島になるのでしょう』と伝えておきました。しかしダンに伝わっていない発見データがあることに気づき、07時55分に『Kojimaの発見画像は2枚、私の測定では、彼の極限等級は11.2等』、11時03分に『Nishimuraは、発見直後に200mmレンズでその存在を確認している』ことを伝えておきました。ダンは、同日12時28分到着のCBET2262でこの発見を新星状天体として公表しました。
その夜(4月26/27日)にオフィスに出向くと、水戸の櫻井幸夫氏からも「4月26日朝、02時38分にFuji FinePixS2+ニコン 180mm f/2.8レンズを使用して、さそり座に新星状天体を発見しました。前日25日の捜索画像にはこの星の姿はありません」という報告がありました。氏の発見は、第1発見者より早い時刻の発見となります。そのため4月27日05時39分になって、この事実のみをダンに知らせておきました。また22時41分には、西村氏より「さそり座新星ですが、ご処理いただきありがとうございました。中野さんのご対応で今回も発見者となることができました。何とお礼申し上げてよいかわかりません。一生懸命、星を捜すしかないと思っています。本当にありがとうございました。今夜は雨になりそうなのでゆっくり休んで晴れの日に備えようと思います。新天体には、何回出逢っても気持ちが高ぶります。時々そんな気持ちにさせていただけるのも、中野さんのお力だと感謝しております。季節の変わり目です。お体を大切にして下さい」というお礼状が届いていました。4月27日05時55分には新天体発見情報No.159を報道各社に送付し、この新星の発見を知らせておきました。
07時15分になって、ダンから「Sakurai発見の画像からの細目な情報を報告してくれ」という連絡があります。そこで07時43分に「Sakuraiは、180mmレンズで20秒露光で、4月26日02時38分に撮影した2枚の画像から発見した。また、前日には見られないことを報告している」と私の測定値、α=16h55m13s.07、δ=-38゚03'45".3(誤差±3")、光度が8.8等(±0.3等)、画像の極限等級は10.2等であったことを連絡しておきました。ダンは櫻井氏のこれらの観測を、5月5日に発行されたIAUC 9142で独立発見として公表しました。なお、西村氏は2010年2月19日発見のへびつかい座新星No.2(2011年3月号参照)、小嶋氏は3月12日発見のはくちょう座の再帰新星(2011年4月号参照)に続く、新星発見となります。