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天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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083(2011年3〜4月)

250P/ラーソン周期彗星 P/2011 A1=5CM197(1995)=E1Sf09(2004)

2011年3月19日、震災後、少しは落ち着いたのか、大崎生涯学習センターの遊佐徹氏から仲間にメイルが届きます。そこには「今回の被災にあたっては、ご心配やお見舞いのお言葉をいただき、ありがとうございました。点検の結果、天文台施設には幸いなことに大きな損傷はありませんでした。望遠鏡も冷却CCDカメラも、PCも回線も無事でした。センター職員は全員無事です。ただ、ガソリンの供給が極端に悪く、通勤できない職員もいます。私も片道4.4kmの自転車通勤です。昨日の朝、ようやくインターネット・サーバーが復旧しました。外構の亀裂・地割れに伴い、水道管も数か所断裂しましたが、昨日復旧しました。これで、水道・電気・電話・ネット等のライフラインは元通りになったことになります。プラネタリウム館・多目的ホール棟のボイラー・冷温水器は、まだ動きません。プラネタリウムは、電源は入り星も映るようですが、本体ディセンダーが動かない状況です。復旧の見込みは立ちません。アストロビジョン投映機は異常はありませんでした。外構、ホールの可動椅子棟に大きな被害があり、開館の見通しは立ちません。今月と来月の事業はすべて中止。機械が復旧しても、県内は相当の長い間、星どころの状況ではありません。プラネタリウムも相当期間、中止ということになるでしょう。市内の停電もほぼ全面的に解消し、電話回線もかなり安定してきました。断水している箇所はかなりあるようです。市内中心部の古い住宅地では半壊・全壊家屋が目立ち、小中学校や公民館等の避難所には、まだ相当数の被災者がいます。私の娘たちも小学校卒業ですが、卒業式がいつできるか不明で、中学校は建物自体の損傷で入学式の見通しもまったく立っていません。当センターも安全対策が完了後、避難所となる可能性があります。当分、観測はむずかしい状況になってしまいました。全面的な復旧には、相当な時間がかかりそうです。かなり前に、八ヶ岳の串田嘉男さんの地震予知実験情報を拝見したことがあります。串田さんの本も読みましたが、とてもすばらしい可能性に感動したのを覚えています。今回の地震前兆は串田さんは捉えていたのでしょうか。地震予報が実用化していれば、今回も大地震も減災されていたのではないかと歯がゆい思いです。今はただ、一日一日の生活だけで手一杯です。皆さまにおかれましても、どうぞ安心・安定した生活、業務ができる日が一日も早く訪れますように……」と震災後の被災状況が報告されていました。『予想より早く復旧できそうだなぁ……。良かった』と氏のメイルを読みました。

3月22日20時52分には、上尾の門田健一氏からも「地震の被災や影響につきまして、心よりお見舞い申し上げます。地震発生時は、東京・渋谷のオフィスで仕事中でした。これまで経験したことがない程の激しく長い揺れが起きて、本棚が倒れそうになり身の危険を感じ、慌ててビルを飛び出しました。しかし関東地方は震度5弱で、机付近に積み重ねてあったものが落下しただけで、破損などの被害はありませんでした。発生当日は電車の運休で帰宅難民となり、オフィスで眠れないまま朝まで過ごしました。電車の運行再開の頃合いを見て会社を出ました。駅は大変な混雑で、電車の運行は乱れて最寄駅までは辿り着けず、別路線を経由して、下車後は徒歩1時間で帰宅に5時間半を要しました。週明けの3月14日は電力不足で電車が止まって、今度は出勤難民となって自宅待機でした。埼玉県上尾市の自宅は、本や書類が落下した程度で無事でした。地震の翌日(3月12日)は帰宅の疲れで観測所の様子を見る元気がありませんでしたが、3月13日に確認してみると、望遠鏡は設置したままの状態で、心配だったピラー脚の取り付け部分も大丈夫でした。導入や撮像は問題なくできたので、故障はないようです。極軸はたぶんずれていますが、まだ時々余震に見舞われますので、そのまま放置しています。その後は、計画停電と生活物資の不足で落ち着かない日々を送っています。ガソリン不足でスタンド付近は給油待ちで大渋滞が発生しています。また交通事情も悪く、加えて計画停電による信号機休止で事故が起きそうで、休日でも出掛ける気分になりません。さらに福島原発が深刻な状態に陥っていますので、放射性物質の拡散による影響が心配です。計画停電の当初は、公表されたグループ分けの情報に不備があり、いつ停電するのか不明で困りました。停電は当面続くとのことで、日常生活に支障をきたす状態は長引きそうです。生活物資は、米やパン類、カップ麺、レトルト食品や冷凍食品、さらに牛乳や納豆、豆腐、果てはトイレットペーパーまで品切れ続出です。計画停電の影響で明かりを落とした薄暗い店内の陳列棚は、まるで略奪された後のようでした。物資の不足は解消されつつありますが、入荷が少ない商品は、1人1個の個数制限があっても開店直後に売り切れます。3月19日からの3連休は、毎朝9時ごろからスーパーなどを自転車で巡ってなんとか数日分を確保しましたが、冷蔵庫をチェックして、食料の残りを気にする日々が続きそうです。ということで、ライフラインは停電を除き問題はないですが、停電や電車運行の情報収集、生活物資を確保するための早起きに加えて、地震発生を挟んで2週間ほど入院していた子供の対応などで、観測を見送ったり測定が遅くなったりしています」と近況が書かれてありました。

その日(3月23日)の明け方、最近発見された新彗星の軌道を改良し、同定検索を行いました。すると、2011年1月10日にカテリナ・スカイサーベイの68cmシュミットで こじし座としし座の境界付近を撮影した捜索画像上にラーソンが発見した19等級の新彗星(2011 A1)が、過去に発見されていた1夜の小惑星2個と同定できることを見つけました。発見当時、この彗星には西に20"ほどの細い尾が見られました。レモン山の1.5m反射を使用して1月11日に行われたコワルスキの観測では、12"ほどの楕円形のコマと西に直線状に伸びた30"の尾が見られています。また、同日、マグダレナリッジのライアンが2.4m反射を使用した観測でも、明瞭な尾が見られました。なお、小惑星センター(MPC)での調査では、カテリナで行われていた2010年12月11日の1夜の観測の中にこの彗星の発見前の観測が見つかっています。つまり、彗星には、それより過去にも恒星状天体(小惑星)として見逃されている可能性があったことになります。発見初期には、門田氏が1月16日にCCD全光度を18.7等と観測しています。また、我が国での位置観測は、美星スペースガードセンターから1月11日、芸西から12日の観測が報告されていました。これらの観測から、彗星は周期が約7.2年の新周期彗星でした。

過去の1夜の観測群から見つけた観測は、1995年12月22日と2004年2月29日にキットピークで発見されていた天体です。これらの天体は、それぞれ5CM197(20.6等)、E1Sf09(20.5等)という名称で報告されていました。計算された軌道からの2つの天体のずれは0゚.13と0゚.07で、近日点通過時刻への補正値は、ΔT=-0.33日と-0.17日でした。なお、過去の近日点通過は、1996年5月31日、2003年8月30日でした。この同定は、07時36分にドイツのマイク(メイヤー)に送付しました。というのは、彗星には過去に2回の回帰があるものの、両方とも1夜の観測だったからです。氏には『2011 A1の同定を見つけたが、この同定は少し弱い。過去のプレートを調べて、その画像を見つけてくれないか。最近の光度観測から、彗星の核光度は、1995年末には19.0等、2004年初には19.1等くらいだったものと思われる』という調査依頼を送りました。同時にこの同定を仲間に知らせました。すると、氏からは、14時27分に「NEATサーベイで行われた未報告の画像の中にこの彗星の過去の画像を見つけた。数時間の内にそれらの位置を送るよ」という連絡があります。そして、それから約30分後の15時09分には、氏からその位置が届きます。それらは、2002年10月9日と29日にパロマーで行われていたNEAT画像から見つけられたものでした。その光度は、核光度で約20等でした。

その日の翌日(3月24日)、明け方になって新たな連結軌道を計算し、それらをマイクと中央局のダン(グリーン)に送付しました。ダンからは、05時09分に「同定を受け取った。ところで、7月に来日する際(2011年10月号、本連載特別編参照)の東京周辺の水や食料の放射能汚染は大丈夫なのか。必要なら滞在中の食料を持っていくことにしたい」というメイルが届きます。そこで、05時25分に『海外で伝えられているとおり、地震発生後に起こった一連の原発事故により相当量の核分裂生成物が放出された。放射能汚染は想像以上にひどい。我々の政府は国民を欺いている。ただ、食料品を持ってくるかどうかは、きみの判断だ』という返信を送っておきました。そして、08時08分にOAA/CSのEMESでこの同定を正式に伝えました。この同定は、3月25日05時18分到着のMPEC F21(2011)で公表されました。しかし、それを見た大泉の小林隆男氏から19時08分に「このMPECは酷いですね。手柄(功績)を横取りしているようで、非常に不快です。中野さんの軌道とともに、IAUCに掲載すべき内容と思います」というメイルがあります。そこで、私も『まったくですね。気づいていないかもしれませんが、周期彗星番号も公表順になっていないし、この彗星については、1つ前の回帰には、2夜の観測があるのだから、新たな仮符号を与えるべきです。マースデンの積み重ねてきたポリシーが完全に無視されています。軌道改良できない彗星の軌道は公表しないし、今後はもっとメタメタになるでしょう。今後は小惑星センターを無視して、私たちは別の道を歩むしかないでしょう』という今後の私の方針を返信しておきました。

人工衛星 Chandra spacecraft

南淡路に買い物に出かけ、自宅に戻って休息していた3月28日、00時31分に山形の板垣公一氏から携帯に連絡があります。『また超新星を見つけたか……』と思って電話に出ると、氏は「11等級の高速移動天体を見つけた」と話します。氏によると「人工衛星かもしれない」とのことです。その位置が00時34分に届きます。天体の動きを見ると、日々運動が46゚で南南東に動いています。これは、天体が1時間に約2゚の高速で空を移動していることになります。対地心軌道を計算しましたが、うまく決定できません。それは、この天体が小惑星である可能性が大きいことを示します。そのため、氏の小惑星符号IG009をつけて、04時23分に氏の発見をセンターに報告しました。そこには『これは自然の天体と思われる』というコメントをつけておきました。報告が遅れたのは、この時期、ある原稿に追われていたからです。

04時39分に局長スパールから「私も、天体が人工物でないことに同意する。良い天体だ。NEOCPにも入れたよ。もっと観測があれば送ってくれ」と連絡があります。そこで04時46分に『Itagakiは60cm望遠鏡で追跡観測を行っている。しかし、速くて測定が困難だ。そのため、測定を美星に依頼した。彼らは長く伸びた人工天体の位置を測定できる。Itagakiは05時頃に再観測の予定だそうだ。もし、観測が届けば報告する。ただ、南半球でとらえられるのではないか』という返信を送っておきました。そして板垣氏からは、その時刻に行われた3個の観測が05時00分に届きます。そこには「こんなに速い小惑星があるのかな……。あとで画像を送信します」というメイルがあり、その後4枚の画像も届きました。明るく大きく移動している見事な天体です。『これはいいなぁ……。掃天を続けている成果だ』と嬉しくなりました。

ところが……です。05時58分にMPCのギャレット(ウィリアムズ)から「これはChandra衛星だ」というメイルが届きます。彼によると「衛星の軌道から位置推算で同定した」とのことです。知ってのとおり、人工天体は1分間に空を大きく動きます。従って位置推算から人工衛星を同定するのは、中々難しいことです。しかし、彼によると「間違いない」とのことでした。06時25分になって、美星の浦川氏からも「Chandra衛星の可能性が高そうですが、板垣さんの画像をせっかく測定しましたので、一応報告いたします。一瞬、NEOCPにアップされたIG009の軌道データを用いて美星でも即座に観測しましたが、視野内に13等級より明るい移動天体は検出されませんでした。つまり、地表面から離れた天体ではありません」と報告されていました。残念ながら、今回、天体は人工天体でしたが、近い将来、板垣氏の捜索で明るい高速移動天体が発見されることでしょう。

ところで、震災後に最後まで連絡がつかなかった栗原の高橋俊幸氏から、4月2日になって、3月28日に行われた観測が送られてきます。震度7と報道されていた宮城県栗原市ですが、氏も無事だったようです。そこで4月3日05時39分に『返信が遅くなり、申しわけありません。ちょっと原稿(16ページ)を書いていました。やっと終わりました。この間、門田さんの状況報告にも返信を出していません。とにかく、ご無事だったのですね。心配していました。復旧には時間がかかるかもしれませんが、また、頑張ってください』というメイルを送っておきました。すると氏からは、その日の午後に「メイルをどうもありがとうございました。ご心配かけて申し訳ありません。幸い宮城県内陸部は被害が比較的少なく、栗原市の死者・行方不明者はありませんでした。3年前の岩手・宮城内陸地震が何らかの教訓になっていたのかもしれません。沿岸部の厳しい状況を思うと声もありませんが……。観測所の方は3月27日に何とか復旧し、観測を行えました。そのデータは、中野さんやMPCにも送ってあります。当観測所の機材は小口径で、ドームの内径も2.1mと小さいので、被害はほとんどありませんでした。しかし地震当日には、鏡筒や赤道儀がプラスチック製で柔らかいドームの壁にもたれかかるように倒れていました。その夜の内に、冷却CCDカメラや鏡筒などを外して赤道儀とピラーを起こしました。しかしライフラインも止まっており、観測どころではありませんでしたので、1週間ほどドームには近寄りませんでした。「何時になったら観測できるかな」と思っていましたが、比較的早く復旧できてホッとしています。観測機材の方は、ファインダーの調整ネジが1本曲がっている程度で、被害はいたって軽微でした。C/2011 C1や27P(未検出ですよね……)など注目すべき彗星が沢山あるので、頑張って観測に臨みたいと思います。これからもよろしくお願いします。なお、これから3月28日夕方と4月3日朝の観測を送ります」と観測が再開できたようでした。とにかく、仲間みんなに大きな被害がなかったのはなによりでした。『みなさん。これからも、頑張ってください』

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