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天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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086(2011年8〜9月)

超新星 2011fi in NGC 1954の発見

2011年8月下旬は、まだ残暑が厳しく暑い日が続いていました。8月27日の明け方は快晴、東に輝く三日月が大変きれいな朝でした。その晴天が続いていた1日後、8月28日明け方、05時31分に山形の板垣公一氏から「おはようございます。暗い星ですが、超新星状天体(PSN)がありましたので報告します。詳細は、のちほど送りますのでよろしくお願いします」という発見第1報が届きます。そして、06時16分に届いた報告には「2011年8月28日明け方、60cm f/5.7反射望遠鏡+CCDを使用して、03時32分にうさぎ座にある系外銀河NGC 1954を15秒露光で撮影した捜索画像上に17.8等の超新星を発見しました。発見後に撮られた7枚の画像上に、この超新星の出現を確認しました。30分間で移動はありません。この超新星の姿は、過去の捜索画像上、デジタル・スカイサーベイ(DSS)の画像上にもありません。超新星は銀河核から東に65"、南に92"離れた位置に出現しています。なお、2010年にこの銀河に出現のSN 2010koは確認済です」と書かれてありました。添付された画像を見ると、PSNは銀河核からかなり離れた位置に小さく輝いていました。氏の報告は、07時31分にダン(グリーン)に連絡しました。板垣氏からは、09時02分に「少し寝ました。2日で1時間。最近晴れなかったので……2夜にわたり徹夜をしてしまいました。報告を拝見しました。暗いし、お蔵入りになりそうですね」というメイルが届きます。発見報告を見た大崎の遊佐徹氏からは09時39分に「明け方の低空ですね。メイヒルが晴れましたら、確認させていただきます。ようやく講習が終わり、時間がとれるようになりました。昨日の夜はとても良い天気でしたので、板垣さんが何か見つけるのではないかという予感がしていました。M101のSNなど観測したい天体がありましたが、講習疲れ、そして今朝は娘の中学校の運動会準備などで、私は寝てしまいました」という連絡があります。

その夜(8月28日)20時31分になって遊佐氏からは「先ほどメイヒルで板垣さんのPSNを狙いましたが、高くなるのを待っていたら曇られてしまいました。大崎も曇天です。明日、もう一度出直します」という連絡があります。しかし、翌8月29日の夜も再び氏から「今日も板垣さんのPSNを狙いましたが、雲が多く断念しました」という連絡が21時14分にあります。しかし、そのメイルには「日本の昼過ぎにM101のSN 2011feを撮影しました。光度は12.4等です。さらに明るくなるのでしょうか……」と別の超新星2011feの観測が届きます。2011feは8月24日に発見された17.2等の超新星ですが、発見数日後のこの時期、12等級まで明るくなっていました。超新星は、31日にはさらに明るく10.8等、9月上旬には9等級まで明るくなりました。なお、この超新星については、9月1日朝、山口の吉本勝己氏からも8月29日に11.9等であったという観測が届いていました。

超新星2011fp in NGC 57の発見と2011fi in NGC 1954の公表

板垣氏のNGC 1954のPSN発見からちょうど2日後の2011年8月30日04時50分に、再び氏から携帯に電話が入ります。氏によると「NGC 57に超新星状天体を見つけた。のちほど報告を送ります」とのことです。氏の報告は05時29分に届きます。そこには「8月30日夜、02時02分に60cm f/5.7反射望遠鏡+CCDを使用して、うお座にある系外銀河NGC 57を15秒露光で撮影した捜索画像上に17.9等の超新星状天体を発見しました。このPSNの姿は、過去の捜索画像上、DSSの画像上にもありません。また、最近8月2日に行った捜索時にも出現していません。しかし8月27日と28日夜の捜索画像を調べた結果、この超新星は、それぞれ17.6等と17.7等で出現していました。超新星は銀河核から西に76"、南に31"離れた位置に出現しています」と書かれてありました。この氏の発見は、07時06分にダンに送りました。08時02分に板垣氏から「発見報告を受けとった」ことが知らされてきます。

さて、この夜(8月30日)は所用で京都まで出かけねばなりません。その前の22時33分に遊佐氏から「メイヒルは今日も天気が悪いようです」という連絡が入ります。その氏のメイルを見て、23時30分に京都に向け出発しました。京都には01時50分到着、所用を済ませて02時40分に京都を離れ、8月31日04時30分にオフィスに戻って来ました。しかし強行日程に疲れたせいか、8月31日午前06時から9月1日午前06時まで、まる1日の間眠ってしまいました。そして、再びオフィスに出向いてきたのは9月1日07時20分のことでした。眠りについていたまる1日の間に、板垣氏がNGC 1954に発見したPSNが8月31日14時39分到着のCBET 2800で公表されていました。そこには「オーストラリアのブリマコンブが8月28日19時58分に観測したところ、この超新星の光度は17.5等。8月29日にスペクトル観測が行われ、II型の超新星であることが確認された」ことが掲載されていました。この頃、南方海上にあった台風12号が四国沖まで接近してきていました。

その日(8月31日)夕刻18時02分には板垣氏から「このたびも本当にお世話になりました。お陰さまでSN 2011fiとして公表されました。今まで『発見したよ……』と母に教えるととても喜んでくれました。ついこの前『もう1つで70個だね』と私より覚えていて、私の発見を楽しみにしてくれていました。こんなとき、いくつになっても「親子」でした。そんなことで喜んでくれる人がいなくなったことは、本当に寂しいものです。また、母の部屋から私の新聞記事がたくさん見つかり涙してました……」という悲しいメイルも届いていました。板垣氏の発見を伝える新天体発見情報No.181を発行したのは、9月1日08時33分のことでした。

その夜、22時44分には、遊佐氏より「板垣さんのNGC 57のPSNですが、メイヒルは今日もルーフが閉まったままでした。しかし、北海道での発見前の観測や、オーストラリアでの確認観測があったようですね。明日晴れましたら、再度チャレンジしたいと思います。そちらに台風が近づいています。被害がありませんように……」というメイルが届きます。最近のメイヒルは天候が悪いことが多いですが、当地の8月から9月にかけては、サンダーストームの季節なのです。ところで、遊佐氏のメイルにあるとおり、9月2日になって四国沖をのろのろと動いていた台風12号が北上を始めました。その夜になって、台風がまだ当地より離れているのに風雨が急に強くなってきました。そのため、南淡路に買い物に行く予定をあきらめて自宅に待機しました。しかし、台風の影響が現れ始めたのはそれから半日後のことです。9月3日09時頃には『これは、やっぱり台風か……』と思うほどの大嵐になりました。しかし、最近の台風は少し変です。ほとんどの台風が中国大陸に向かうのは、中国の工業化が進み、大陸上に巨大な上昇気流が発生し、それに引きつけられる……かどうかはともかく、台風の進行方向の前面はその勢力が強いものの、あと半分は風も吹きません。そう思うのは私だけでしょうか。

りゅう座の新星状天体

台風の後に残っていた雨も、9月4日朝にはあがっていました。9月5日には、ゆっくりのろのろと動いていた台風も、やっと日本海に抜けていきました。その夜は快晴でした。この晴天は、静岡まで続いていたようです。その夜、9月6日01時12分に掛川の西村栄男氏から1通のメイルが届きます。そこには「今夜21時42分頃にキヤノン・デジタルカメラ+200mm f/3.2レンズでりゅう座を撮影した2枚の捜索画像上に、11.8等の新星状天体(PN)を見つけました。この星は、8月11日と24日に撮影した画像上には写っていません。ただ、いつもはあまり撮影しない位置なので、過去画像が少なく判断があまいことをお許しください。この星は、発見4時間後に撮影した画像上にも写っています。何枚かのDSS画像を見ましたが、焦点距離が短く判断できません。矮新星の可能性もあるかもしれません」と書かれていました。氏の画像からその出現位置を測定し、氏の発見をダンに報告したのは05時02分のことでした。なお、この夜は美星からも高速移動天体の発見報告がありました。晴れ間は、西の地方にも広がっていたようです。

その夜、22時37分に大崎の遊佐徹氏から「30cm望遠鏡で9月6日20時42分に撮影した画像上にこの星の出現を確認し、光度が11.9等であった」という報告が届きます。さらに9月7日20時17分に香取の野口敏秀氏から「9月7日19時47分に西村さんのPNを観測しました。光度は12.4等でした」という報告があります。さらに21時14分には、再び野口氏から「8月20時37分に板垣さんのPSNを観測しました。光度は17.9等でした」という観測も届きます。そして、22時20分に西村氏から「今回も早速ご処理いただき、お陰さまで矮新星との出会いが2つ目となりました。ところで、昨夜に発見された別の新星ですが、昨夜、私も気づきました。しかし、低空で報告する気持ちが起きませんでした。発見なんてこんなものなんですね。仕事が忙しいのですが、透明度がよくなる季節なので彗星捜しにウエイトをかけようと思っています」というメイルがあります。その返信として、遊佐氏からは22時25分に「このたびも新天体発見の快挙、お祝い申し上げます。岡山藤井観測所や美星、京産大などで、矮新星を推定させる分光観測がなされているようですね。公表間近だと思います。一足先に、おめでとうございます」とメイルが送られていました。さらに板垣氏から9月8日00時13分に野口氏宛てに「こんばんは。拝見しました。私のPSNは少し暗くなってます。これは、お蔵入り確定ですね。残念です。ありがとうございます」というメイルが送られていました。これらの観測は、05時22分にダンに送付しておきました。

その夜(9月8日)に東京の大塚勝仁氏から、この年回帰が期待されていたSOHO彗星(1999 R1=2003 R5=2007 R5)について「すでにご存じだと思いますが、4度目の回帰となったようですね」というメイルが届きます。そこで『はい。知っています。ありがとうございます。のちほど連結軌道を計算してみます。しかし、本当にこういう天体が存在しているとは、驚きですね……』という返信をしておきました。この夜は、久しぶりにベランダで鈴虫が鳴いていました。これで、今秋3回目のことです。しかし、最初の鈴虫(8月10日)の鳴き声が一番見事でした。でも、それも2夜だけ。次の鈴虫も8月30日の1夜だけでした。『これでは、雌は寄って来ないなぁ……』と思うほど、今回の鈴虫は鳴き声がよくありません。それでも、『何日いてくれるのか』と思っていると9月10日にはいなくなりました。

その9月10日になって、9月9日にはくちょう座に発見された10等級の新星状天体の発見報告が伝わってきます。しかし、群馬の小嶋正氏から9月10日22時25分に届いた報告では「TOCPに載ったこの新星状天体ですが、昨晩(9月9日)とその前日(9月8日)の20時半頃、月明かりと薄雲で条件が良くありませんが、キヤノン・デジタルカメラ+50mm f/2.8レンズで出現星域を写していました。今晩は曇っています。両夜の極限等級が11等級ですが、その付近から該当天体は見出せませんでした。もう少し暗いのか、位置が少し違う可能性もあるかもしれません」という報告があります。さらに22時30分に届いた野口氏の報告では「TOCPに掲載されていた新星状天体ですが、この位置周辺で10等級の新星らしき天体を捉えることはできませんでした。位置精度が低いとのことで、広角の90mm f/2.8+CCDで広範囲を捜してみましたが見つかりません。10等級なので簡単に見つかると思ったのですが……。探し方が悪いのでしょうか。ただ、気になったことがあります。それはCCDカメラによる写りの違いです。いつも使っている23cm f/6.3シュミット・カセグイン+CCDでは10等で写っている星が、広角90mm f/2.8+CCDでは全く写らないということがあります。発見直後の姿を捉えることは、発見時間や出現位置等、自分の捜索に大変参考になります。暗くて捉えられなかった星は数多くありましたが、今回のような明るさで捉えられなかった経験がありません。そんなわけで未熟な私が簡単に『ありません』と断言できません。他の方の報告を待ちたいと思います」という確認結果。また、翌朝11日06時23分に届いた山口の吉本勝己氏からの報告では「昨晩にM101のSNを撮影中にTOCPに掲載されているに気づき、望遠鏡を向けてみました。すでに板垣さんやコフマンの観測が掲載されていますが、何かご参考になればと思い結果を報告致します。私の観測は、9月10日20時44分に撮影の6コマのコンポジット画像で報告位置を確認してみました。しかし、5'角以内に11等より明るい星はありません。極限等級は16.5等です。視野内(35'×35')は微光星だらけですべての確認はできませんが、星図と比較したところ10等級の新たな星はないようです。ただ、16'ほど離れたV1864 Cygと6'ほど離れたV1861 Cygが、それぞれ、9.6等、11.4等で、かなり明るく写ってます。なお、今朝は明け方低空の45Pに眼視でチャレンジしましたが、雲に妨げられました」という連絡が届き、この星は存在しないようでした。

さて、西村氏の発見したPNは、9月7日にアジアゴ天文台の1.22m望遠鏡でスペクトル観測が行われ、9月12日04時29分到着のCBET 2818に「りゅう座の激変星」として公表されます。

高速移動天体A03772と超新星2011fp in NGC 1954の公表

9月10日から15日までは全国的に晴天が続いていました。その9月14日/15日夜、美星からは、多くの未確認天体の追跡観測が報告されていました。そして彼らからは、00時59分に11等級の明るい高速移動天体の発見が報告されます。この天体は、14日23時39分に発見されたときは11.4等、その後、次第に光度を下げ、15日00時04分には14.5等まで暗くなっていました。『新高速小惑星か……』と期待して、報告された24個の観測から軌道を決定すると、軌道長半径a=1.1357 ER(=7270km、地表からの近地点距離870kmほど)、離心率が0.8133ほど、周期が1267.7分(約21時間)の地心を中心とした長円軌道が求まります。つまり、この天体は人工衛星でした。そのことを美星に連絡しました。

さて、板垣氏の超新星の発見が公表されたのは、氏の発見から3週間が過ぎた9月20日11時47分に到着のCBET 2820でした。そこには「9月2日にスペクトル観測が行われ、Ia型の超新星であると確認されたこと。8月22日に発見前の観測が国内から報告されたこと。さらにオーストラリアのブリマコンブが8月31日01時43分に観測したところ、この超新星の光度は18.1等であった」と報告されていました。板垣氏によると、この発見は、第71個目の超新星発見だそうです。ちょうどこの時期、奄美大島東海上に停滞していた台風15号が北上を始めます。中心気圧も当初995hPaであったものが、この夜には940hPaまで発達していました。台風は9月21日昼には紀伊半島をかすめ、ここも大雨となりました。台風はその後、東海・関東へと動いていきました。そして、遅くなりましたが9月24日07時56分になって、板垣氏の発見を報道各社に伝える新天体発見情報No.182を発行しました。

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