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天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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087(2011年10〜11月)

253P/PANSTARRS周期彗星(2011 R2=1998 RS22=FC0Z1u)

2011年10月9日の明け方は雲ひとつない空でしたが、秋の快晴とはいえない空でした。この日の朝から、この1か月間に観測された彗星の中で残差の大きな彗星の軌道改良を始めました。一通りの計算が終了した翌日10日の朝、計算された彗星が過去に観測されていないかどうか、同定を調べました。すると、2011年9月4日にPan-STARRSサーベイでみずがめ座を撮影した捜索フレーム上に発見された18等級の新彗星との同定がみつかります。この彗星は発見当時、中央集光のあるコマが西に広がっていました。マウナケアでの9月6日の確認によると、彗星には西南西に15"の尾が見られたとのことです。この彗星は、我が国でも9月6日に美星の西山・橋本氏によって1.0m反射で観測され、そのCCD全光度は18.2等でした。また、9月17日になって東京の佐藤英貴氏がこの彗星を観測し、彗星には25"の集光したコマと西に30"の淡い直線状の尾が見られたと報告しています。

同定を見つけたときの軌道の最終観測は、八束の安部裕史氏が10月4日に行った観測でした。つまり、わずか1か月ほどの短い観測期間の軌道から、2回帰前、つまり13年も前の過去の同定を見つけたことになります。『これはラッキー』でした。最初に見つけたのは、1998年9月14日と18日にレモン山サーベイで発見されていた小惑星1998 RS22です。この小惑星の位置は、初期軌道から、赤経方向に−0゚.43、赤緯方向に−0゚.43のずれがありました。これは近日点通過日の補正値にして、ΔT=−2.29日となります。1か月ほどの軌道からのずれにしては、初期軌道は良く決まっていました。そしてもう一度、この小惑星を連結した軌道から再度、同定を探しました。すると、キットピークで1回帰前の2005年12月1日に発見されていた一夜の天体(FC0Z1u)もこの彗星と同一天体であることが判明しました。そこで、再度、連結軌道(NK 2128)を計算しました。なお、彗星の過去の近日点通過は1998年12月14日、2005年6月4日で、1998年の観測光度は18等級、2005年のそれは19等級でした。彗星は、これで3回の出現を記録したことになります。そして、その結果を10月10日09時49分に中央局に送付し、ドイツのメイヤーに『過去の画像を調べて欲しい』ことを伝えました。また、OAA/CSのEMESでもこの同定を知らせました。メイヤーからの返信が同日13時18分にあります。彼の調査では「残念ながら過去のNEAT、DSS画像には彗星の姿は見つからなかった」とのことでした。

254P/マックノート周期彗星(2010 T1)

それから3週間が過ぎようとしていた2011年10月29日19時27分に、マイク(メイヤー)から1通のメイルが届きます。そこには「2001年10月23日と12月18日に撮影されていたハレアカラのNEATサーベイの画像上にこの彗星のイメージを見つけた。10月23日の彗星は明るく少し拡散状であった。しかし、12月18日には淡くなっていた。光度はそれぞれ19.5等と20.7等であった。計算された連結軌道から、彗星は、さらに1980年10月5日に撮影されていたサイディング・スプリングのプレート上にも写っていることを確認した。このとき、彗星は18.9等であった」というメイルとともにそれらの観測がありました。

この彗星は、サイディング・スプリングの50cmウプサラ・シュミットを使用して行われているスカイサーベイで、2010年10月4日にみなみのうお座を撮影した捜索画像上にマックノートが発見した18等級の新彗星でした。観測条件の良くなった10月5日の観測では、彗星には約12"の拡散したコマが見られました。発見報告直後に小惑星センターから、この彗星は同所で9月11日に撮影された画像上に入っていることが指摘され、マックノートは同画像に写っている同じような形状を持つ同彗星の姿を見つけました。

もちろん私も、この彗星についての同定は、新しい軌道を計算するごとに探してはいます。このとき彗星には、2010年9月11日から2011年10月23日まで、1年以上の期間の観測が報告されていました。そのため、もし報告された観測の中に彗星の観測が含まれているならば、簡単に見つけられるはずです。しかし観測が報告されていない彗星については、探しても見つかりません。そのため、この種の同定はマイクの独壇場です。

その日(10月30日)の朝になって、マイクから送られてきた観測を使用して連結軌道を計算し、06時53分に氏に『小惑星との同定を探したが見つからなかった』という連絡とともに送付しました。ほぼ1年の観測期間から計算した軌道(NK 2131)からの2001年の観測のずれは、わずかに赤経方向に−0゚.06、赤緯方向に−0゚.03、1980年の観測のずれでも、−0゚.26と+0゚.02でした。これは近日点通過時刻への補正値にして、それぞれΔT=+0.43日と+1.01日となります。なお、過去の近日点通過は、1980年9月25日、1990年10月15日(観測されていない)、2000年10月9日で、この同定で彗星は3回の出現を記録しました。その後の観測を加えた連結軌道がNK 2171にあります。

超新星 2011hk in NGC 881

10月30日朝は曇り空でした。天候はその後悪化し、雨となりました。しかしその雨も10月31日明け方には上がり、所々に青空も見えていました。その夜のことです。11月1日夜半に1階に降りて、2台の車を洗い始めました。その最中の01時01分に山形の板垣公一氏から電話があります。『何か見つけましたか』と問いかけると、氏は「NGC 881に超新星状天体(PSN)を見つけました。今、送りました」と話します。『ちょっと1階にいるので、あとでオフィスに戻ります』と返答して電話を切りました。2台の洗車が終わり、オフィスに戻って板垣氏のメイルを確かめようとしました。氏のメイルは、確かに11月1日00時59分に届いていました。しかし、その何通か前に「超新星らしき天体発見報告」というタイトルのメイルが11月1日00時10分に届いていました。茅ヶ崎の広瀬洋治氏からです。発見位置を比べると、二人の見つけたPSNは同じ天体でした。

まず、広瀬氏の報告には「2011年10月31日23時03分に35cm f/5.7シュミット・カセグレン望遠鏡+CCDカメラを使用して、くじら座にある系外銀河NGC 881を撮影した6枚の捜索画像上に16.2等の超新星状天体を発見しました。この超新星は、2011年9月19日(極限等級17等級)にこの銀河を捜索したときには、まだ出現していません。超新星は、銀河核から西に7".5、南に6".5離れた位置に出現しています」となっていました。氏から送られてきた画像を見ると、PSNは小さな銀河の東南に小さく輝いていました。一方、板垣氏の報告は「60cm f/5.7反射望遠鏡+CCDで同銀河を15秒露光で撮影した捜索画像上に16.1等の超新星状天体を発見しました。その後に撮影した10枚の画像上にこの出現を確認しました。この超新星は、10月18日夜にこの銀河を捜索したときには、まだ出現していませんでした。なお超新星は、銀河核から東に9".3、南に9".9離れた位置に出現しています」とありました。

さっそく、二人の報告をダン(グリーン)に連絡することにしました。そのとき、二人の銀河核からの離角の方向が広瀬氏が西、板垣氏が東となっていることに気づきました。これは、超新星の赤経が銀河核より大きいので東が正しいことになります。そして、この発見をダンに送ったのは05時09分のことでした。しかしそのとき、このミスを記載しませんでした。その日の朝、06時41分には板垣氏から「おはようございます。今、起きて拝見しました」。08時54分には広瀬氏から「おはようございます。板垣さんも発見されているとのこと、心強い限りです」という返信があります。

その日(11月1日)の夕方、17時22分に大崎の遊佐徹氏から「先ほどダンへ報告しました。昼過ぎにメイヒルで広瀬さんと板垣さんのPSNを観測しました。中央局の未確認天体のページ(TOCP)には、エレイン氏による15.6等の確認観測がありますが、私の11月1日16時03分の観測では、USNO-Bカタログで16.9等、UCAC3カタログで17.0等となりました。佐藤英貴さんもメイヒルのG4望遠鏡で多色測光されていましたね。私も英貴さんの後に同じ望遠鏡で観測しましたが、2度もオートフォーカスが不調で、G5望遠鏡に切り替えて観測しました。英貴さんはいかがだったでしょうか……」という報告が届きます。そして、その佐藤氏からも19時06分に遊佐氏へ「PSNがG4望遠鏡のフィルター観測では中心に近いこと、暗いことから、まともに観測できませんでした。辛うじてIバンドでのみ測定できました。11月1日16時03分に15.9等でした。なお、今年(2011年)初めに16等の小惑星(49969)Hidetakasatoのライトカーブと色指数測定を行ったときには、同じ露出時間でうまくいきました。しかし、今回は写りが悪くなっていました。なぜでしょうね。このあと50cmで追加観測をしてみます。存在は明らかなので、今後の分光待ちですね」という返信が送られていました。同じ夜、21時03分に香取の野口敏秀氏から「23cmシュミット・カセグレンで観測しました。11月1日20時21分に16.9等でした」という報告が入ります。また、11月2日01時53分には、上尾の門田健一氏から「25cm反射望遠鏡+CCDで11月2日01時頃に撮影しましたが、銀河中心が明るいためにPSNと分離できず、測定は無理でした。ピクセル分解能は3".3角です。板垣さん・遊佐さんの画像と目視で比べると、発見位置に銀河中心からピョコンと出っ張った恒星らしき像があります」という報告も届きます。

明け方05時18分になって、板垣氏から「すみません。ろくに調べもしないで、別のPSNをTOCPに報告してしまいました。このPSNはLBV(大型変光星)でした。近い銀河ですので反応があると思います。下記の報告をTOCPの観測欄に書き込んで下さい。また、削除のお願いも頼みます」という連絡があります。そこで、野口氏の観測と板垣氏の一件を06時02分にダンに知らせました。この日(11月2日)の朝、帰宅したのが09時50分でした。昼になって、メイルのチェックを行っていると、12時53分にダンから「スペクトル確認が報告されたので、二人の超新星を公表するが、Hiroseから報告のあった銀河核からの離角の方向が二人の超新星と銀河中心位置から計算したものと異なることに気づいた。これは、東なのか西なのか」という問い合わせが届きます。そこで13時17分に『Hiroseの単純なミスなのだろう。銀河核と超新星の位置からこれは東が正しい』というメイルを返しておきました。ダンは、15時23分に到着のCBET 2892で二人が発見した超新星を公表しました。そこには、この超新星がマウント・ホプキンスの1.5m望遠鏡で11月1日UTにスペクトル観測が行われ、極大光度より数日が経過したIa型の超新星らしいことが報告されていました。なお、板垣氏の超新星発見は、これで73個目。広瀬氏の超新星発見は、超新星2008ie以来、これで6個目となります。

その夜、20時35分には、遊佐氏から「SN 2011hk in NGC 881として公開されましたね。広瀬さん、板垣さん、おめでとうございます。極大数日後のIaタイプの超新星とのことですね。NHKコズミックフロントの予告版が出ています。“超新星を見つけ出せ!Itagakiの挑戦”。楽しみです。なお、放送は11月8日(火)午後9時00分、12日(土)午前0時00分、14日(月)午前8時30分からです。録画予約しておきます」という連絡、23時07分には板垣氏から「こんばんは。いつもありがとうございます。お陰さまでSN 2011hkとして公表されました。山形もこのところ少し晴れています。透明度がいいと捜索すること自体、とても楽しいです。昨夜はとんだ馬鹿をやってしまい、ごめんなさい。お陰さまですぐに削除されました。NHKコズミックフロントの件ですが、とにかく穴があったら入りたい気持ちです」という返信が遊佐氏に送られていました。

その夜が明けた11月3日06時20分に二人の発見を伝える新天体発見情報No.184を発行し、この発見を報道各社に知らせました。09時05分には、広瀬氏から「超新星 2011hk発見では大変お世話になり、ありがとうございました。約3年ぶりの発見で、報告など少々不安でしたが、板垣さんも発見されたと知り、安心した次第でした。一昨年3月末で定年退職しましたが、フルタイムの再任用で同じ仕事を現在も続けています。従って捜索時間はあまりとれませんが、これからも細々と続けていきたいと思っています。また、ご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしくお願いします」というメイルが届きます。また、板垣氏からもメイルがありました。『ご両人。今後もがんばってください』。

スペースウォッチ周期彗星(2010 UH55)

2011年11月5日15時02分に東京の佐藤英貴氏より11月3日に行われた天体の位置観測が報告されます。その中で小惑星2010 UH55には「この小惑星には、集光した淡い40"のコマと西北西に55"の尾がある」というコメントがつけられていました。この小惑星は、スペースウォッチ・サーベイでそれより約1年前の2010年10月29日に、おうし座とおひつじ座の境界近くを撮影した捜索画像上に発見された19等級の小惑星でした。

実は、天体は彗星であるという氏の報告はこれが初めてではなかったのです。発見直後の2010年11月17日と18日にこの小惑星を観測した佐藤氏によると、この天体には7"ほどのコマが見られました。さらに11月17日の観測では、小惑星の西がぼやけ、12"の尾が伸びているように見えました。しかし、翌18日には月明かりに阻まれて確かなことはわかりませんでした。

それから約1年が経過した2011年10月29日と30日にこの小惑星を観測した佐藤氏は、10月29日には西北西に30"の尾らしきものが見られたこと。30日には15"のコマがあることを観測し「この天体は彗星である」ことを10月31日16時29分に小惑星センターに報告していました。

しかし、その後もセンターからは何の反応もありませんでした。そのため、2011年11月7日05時58分になって、ダンに『お前は、小惑星2010 UH55が彗星だというSatoから送られている情報を知っているのか』というメイルを送りました。すると、11月8日09時30分なってダンから「もちろん知っている。しかし、センターにも伝えておくつもりだ」という返答が届きます。しかし、その後もしばらくこの天体のことは公表されません。その間佐藤氏は、11月1日と7日にも似たような形状を観測しています。その後この小惑星は、イタリーやロシアの観測者によって形状が観測されました。彗星であることが他の観測者によっても確認され、11月30日12時02分到着のCBET 2923で、彗星であることがようやく公表されました。

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