108(2014年1〜3月)
2014年8月5日発売「星ナビ」2014年9月号に掲載
いて座新星 Nova Sgr 2014
2014年1月下旬、日本列島は再び寒気に覆われ始めました。そのため、当地でも外気温が+1℃まで下がっていました。天候は冬型の気圧配置になったようです。しかし、1月27日は快晴であったものの翌1月28日夕方には曇りからちょこっと小雨が降りました。その日の朝(1月28日)のことです。06時40分に携帯が鳴ります。茨城県利根町の古山茂氏からでした。氏は「いて座に新星を発見しました」と話します。『観測を送ってくれましたか』とたずねると「これから報告します」とのことです。その氏のメイルは07時16分に届きます。そこには「昨日1月27日朝にいて座を撮影した捜索画像上に新星らしき天体(PN)を発見しました。ただ、今朝は私の所は曇り空で確認できませんでした。しかし、千葉県香取市に住む友人の野口敏秀さんに確認していただきましたので、報告させていただきます。なお、野口さんから依頼された大崎の遊佐徹さんは、メイヒルは曇り、また豪州は低空のため確認できなかったとのことです」というメイルに続いて「200mm f/2.8望遠レンズとCCDカメラを使用して、2014年1月27日05時33分に明け方の空、低空にあるいて座を10秒露光で撮影した2枚の捜索画像上に8.7等の明るい新星を発見しました。この新星の姿は、2012年8月以後に行った過去の20枚の捜索画像上には見られません。なお添付の画像は、ノイズ等の判別のために意図的に位置をずらして撮影しています」という発見報告がありました。
しかし、報告には野口氏が行ったという観測が見あたりません。また、位置を誰が測定したのかも書かれていませんでした。そのため、07時28分に古山氏に『これじゃ、困ります。これは自分で測定した発見位置ですか。それとも野口さんの位置ですか。野口さんの観測はどうなっているのですか』という問い合わせを送りました。すると、氏からは07時50分に「これらはすべて私が観測したものです。記述が至らず、ご迷惑をお掛けしました」という返答があります。明るい新星です。他の場所で発見される可能性があります。そのため、とりあえずわかっている情報を中央局のダン(グリーン)に送ることにしました。07時56分のことです。そこには『発見者によると、翌日7月28日に香取のNoguchiがこの出現を確認したことが伝えられている。しかし、その情報はまだ届いていない』ということを書き添えておきました。そして、古山氏には08時06分に『野口さんの観測、時刻、機材、極限等級、画像を掲載したウェブサイト名をください』という依頼を送っておきました。すると、08時49分に野口氏から「早朝、親の入院先より呼び出しがあり対応に追われ、報告が遅くなり申し訳ありませんでした。古山さんのPNですが、1月28日05時19分に23cmシュミット・カセグレン望遠鏡で10秒露光で撮影した画像上にこの新星の出現を確認しました。新星は、このとき9.6等でした。画像の極限等級は13.5等級です。撮影した6枚の画像上、すべてに写っています。なお、変光星カタログなどを調べましたが、該当天体はありません。また、1991年に撮影されたDSS(Digital Sky Survey)の画像上にも発見位置に13等級より明るい恒星はありません」という確認報告が届きます。09時32分には、古山氏より「未確認天体確認ページ(TOCP)への掲載ありがとうございました。メイルでの報告の直後に掲載されていたのでビックリしました。迅速な対応ありがとうございました。心からお礼を申し上げます」というメイルが届きます。なお、野口氏の観測は、12時35分に中央局に送っておきました。
そして、13時00分に野口氏宛てに『それは大変でした。古山さんが持っているのかと思っていました。申し訳ありません。私も、約1年前に母が入院してしまい、昼間も起きなければならず大変です。島には私しか残っていないので……。ただ、親父は「俺はこれで死ぬのか」と尊厳を持って死んでくれましたが、女性は入院するとあんなに弱くなるものかと、腹立たしくも思っています。はっきりとした気の強い母でしたが……。ところで、お仕事が……』という返信を送っておきました。
それから約1週間が過ぎた2月4日04時00分に、上尾の門田健一氏から1通のメイルが届きます。そこには「古山氏が発見した新星を2月3日05時40分に25cm反射望遠鏡で観測したところ、この新星は10.7等でした。ところでご無沙汰しております。新製品の開発で仕事が慌しく、明け方まで観測できる日と晴天夜が合致しなかったのですが、ようやく、この新星を観測できました。南側のルーフに視野を遮られて、薄明開始から25分ほど経過してやっとクリアな像が得られました。かなり低い空の天体ですので、スペクトル観測は難儀するのではないでしょうか。天の川が見え始めたばかりの超低空での発見は『お見事でした』の一言に尽きると思います」という観測報告がありました。氏の観測は、その日の13時40分に中央局に送っておきました。
古山氏の新星発見がまだ公表されない2月7日には「低気圧が発達しながら太平洋沿岸を通過し、九州、四国、関東まで大雪になる」という天気予報が出されていました。確かにこの夜は外を見ると、粉雪が深々と降っていました。さらに天気予報は「2月8日からは当地も20cmもの積雪になる」という予報に変わっていました。『これは、積もるぞぅ……』と楽しみにその夜を過ごしました。しかし、2月8日朝になって外を見ると、『いったいあの予報は何だったんだ』と思うほど雪など1cmも積もっていません。しかし、峠を越えて南淡路に買い物に出かけると少し雪が積もっていました。さらにその後、ヤマト運輸に荷物を持っていくと、明石海峡大橋が雪のため通行止めで荷物の発送は明日以降になるとのことです。『そうか、降るところは降ったのか……』と思って、夜のニュースを見ました。すると「この日の夕方から関東地方は大雪となり、東京でも27cmの積雪となった」そうです。せっかく楽しみにしていた雪は関東地方に盗られたようです。『何とうらやましいことでしょうか』。
寒気だけが残っていた2月9日15時45分には、古山氏の新星発見を告げるCBET 3802が届きます。CBET 3802によると、以上の観測以外にも、この新星は国内外で観測されていました。それらの観測によると、新星は2月上旬には10等級の明るさのようでした。また、1月31日朝に西はりま天文台でスペクトル確認が行われ、極大光度を過ぎた新星であることが確認されていました。なお古山氏は、これまでに新彗星(1987 W2)と超新星(2011ir)を発見しており、この新星の発見で、高見沢今朝雄氏、板垣公一氏、菅野松男氏らに次いで発見三冠(彗星・新星・超新星)を達成しました。
このことについて、古山氏から17時25分に「CBET 3802が届きました。中野さんには、今回の件では大変お世話になり、誠にありがとうございました。迅速な対応に心からお礼を申し上げます。2011年に超新星を発見後、今度は新星を発見して『三冠』になろうと思い、2012年8月から新星の捜索を始め、約1年5か月の期間、478時間の捜索で今回の幸運に恵まれました。私の場合は、高見沢さん、板垣さん、菅野さんのような立派な成績ではなく、最低限の「三冠」ですので、お恥ずかしい限りです。微力ではございますが、今後も彗星・新星・超新星の捜索を続けていきたいと思っていますので、ご指導をお願い申し上げます」というメイルが届きます。『そうか……。彗星1個に超新星1個の発見に今回の新星1個の発見で発見三冠達成か……。それにしても、それを意識して新星を発見できるとは、何とすごいことか……』と氏のメイルを読みました。さらに野口氏からは17時36分に「茨城県の古山茂さん発見の天体がCBET 3802でNOVA SAGITTARII 2014として公表されました。中野さんを始め、みなさんにはご尽力いただき、ありがとうございました。今回の発見で、彗星・超新星・新星の三冠達成です。古山さんは長年、ご両親の介護の傍ら新天体捜索を続けておられました。昨年暮れにお父様を亡くされ、ご本人も疲れからか眼を傷めてしまい心配していました。そんな中での今回の快挙です。地元の同好会仲間として、大変うれしく思います。ところで、関東は数年ぶりの大雪です。香取は海に近いので雨でした。早朝に雪が舞ったようで一部白くなっていましたがすぐ融けました。古山さんの所とは20km位離れているのですが、積雪は30cmほどのようです。数センチで大雪の関東地方ですので、明朝の凍結が心配です……」というメイルが届きます。次の日、2月10日11時12分には、古山氏の新星発見を告げる「新天体発見情報No.211」を発行し、この発見を報道各社に連絡しました。
LINEAR彗星(2012 X1)のその後
本誌2014年3月号と4月号に紹介したとおり、2013年10月にこの彗星の増光が東京の佐藤英貴氏によってとらえられました。そのとき彗星は、10月20日に8.5等まで増光し、丸い85"のコマが見られました。当時、彗星は太陽との合を終え、明け方の東の空に姿を現したばかりで、明け方の東の超低空を動いていました。HICQ 2013にあるこの頃の光度予報(H10=8.0等)では14等級でしたので、6等級ほど増光し、H10=2.0等ほどまで明るくなったことになります。佐藤氏の観測依頼を受けた上尾の門田健一氏は、10月20日にそのCCD全光度を8.2等、彗星には5'のコマを観測しています。なお佐藤氏は、10月21日にもこの彗星を観測し、その光度を8.3等と観測しました。山口の吉本勝己氏は10月22日朝にこの彗星を眼視でとらえ、その眼視全光度を8.4等、視直径を3'と観測しています。なお、彗星はSWANカメラ上にもとらえられ、佐藤氏によると、バーストは10月15日〜16日頃に起こったようでした。
この彗星の増光は、2013年末、そして2014年春になっても続き、彗星は9等級から10等級で明るく観測されていました。そんな時期、この彗星の増光に気づかずに新彗星として発見したという報告が2013年12月4日にあります。さらに2014年2月21日には新星として発見したという報告もあります。そして、2月22日には新星としてTOCPにも掲載されました。特に最後の報告では、掲載者から「TOCPへ新星として報告した天体が本日朝(2月23日)には存在しません。彗星でしょうか……」という問い合わせがありました。そこで『天体は、現在増光中のこの彗星である』ことを伝えました。報告者からは「ご教示ありがとうございました。まさしくLINEAR彗星(2012 X1)でした。軌道要素は入力してありますが機能しませんでした(小惑星は機能しています)。ありがとうございました」という連絡と、さらに群馬の小嶋正氏からも2月22日21時30分に「TOCPにあるこの天体は増光中のこの彗星の位置に極めて近いです」という指摘があります。なお、この氏のメイルの到着は2月24日02時40分と送信から約2日近く遅れて届きます。メイルに気づいて氏には『はい、そうです。LINEAR彗星です。6枚も撮っているのに移動がなしとのことです。そんな馬鹿な……』というメイルを送っておきました。小嶋氏からは2月24日17時30分送信のメイルが2月25日22時08分に、これまた1日以上遅れて届きます。そこには「ありがとうございました。こちらからの最初のメイル(22日夜送信)が何かの障害で遅れて配信されたようです。嬬恋村は、15日に積雪が約120cm、最近数日−15℃まで冷え込んでいます。平年、雪はそれほど多くないのですが……」という返信が届きます。なお、みなさんも、捜索時には既知の天体の動向にじゅうぶん注意を払ってください。
266P/クリステンセン彗星の同定(2006 U5=2012 P1=as200(1994))
2014年3月4日なって、新しく観測が増えた彗星について軌道改良を行いました。その結果は、15時44分にEMESで仲間に送付しました。そして、計算した新しい軌道から小惑星として報告された観測の中に同定できる天体がないかチェックしました。すると、2007年と2013年に回帰が記録され、登録番号が与えられた266P/クリステンセン周期彗星に、同定可能な1994年に発見された天体(as200)の観測が見つかります。この観測は、1994年1月8日にスペースウォッチサーベイから報告されたもので、光度が18等級ともしこの彗星の出現ならば、比較的明るい光度で観測されていました。
2007年と2013年出現時に行われた451個の観測から計算した連結軌道(平均残差±0".93)からのこの観測のずれは、わずかに赤経方向に−0゚.16、赤緯方向に+0゚.05で、近日点通過に補正値ΔT=−0.28日を加えると、赤経と赤緯の残差は、ほぼ±0"になります。つまり、同定はまず間違いありません。いつものことですが、過去の観測の中から彗星と同定可能な天体が見つかると、毎回わくわくしながら、軌道改良を行います。しかし、彗星の3回の出現を結ぶためか、重力のみの軌道改良では満足できる軌道が求まりません。『あれ〜。ダメなのかなぁ……』と思いながら、仕方なしに非重力効果を加算しました。すると、3回の出現が見事に連結されます。1994年の3個の観測を加えただけですが、軌道改良に使用された観測数も2回の出現を結んだ軌道(451個)より増え、476個の観測(平均残差±0".89)が軌道改良に使われています。つまり、より多くの観測の残差が小さくなったのです。非重力効果の係数も、A1=+0.89、A2=+0.8252と小さく、論理的なものです。そして、この出現の近日点通過は1993年11月19日で、as200の観測は、その近日点通過から2か月足らずあとに行われたものでした。
これで、1994年の観測がこの彗星の観測であると考えても問題ないかもしれません。しかし、一夜の観測であることが少なからず不安です。『うぅ〜ん。同定を完成させるには2夜の観測が欲しい……』と考え、ドイツのマイク(メイヤー)に過去の他の観測を探してもらうことにしました。そこで、以上の情報をつけて氏への依頼は17時57分に送りました。その間、時間が空いたので、その日の朝06時25分に観測とともに届いていた栗原の高橋俊幸氏の「2月26日夕方の観測を報告します。この日は25D/ニェウイミン彗星の捜索もΔT=0日から+8日まで行いましたが、この範囲でそれらしき天体は見つかりませんでした。やはり、予報位置の変化量が大きいので、大規模サーベイで偶然見つかるのを待つしかないのでしょうか。なお、先ほどまでSTEREO彗星(2014 C2)などを観測していました。できるだけ早く報告いたします」というメイルでの報告について『25Dの捜索、ご苦労様です。そうですか。近いところにはいませんか。無理もないです。70P/小島彗星の発見時にも、かなりの範囲を写真捜索したはずです。きっと、生きているにしてもずいぶん離れたところにいるんでしょうね。佐藤氏も捜索しているはずですが、何も報告がありません。連絡、ありがとうございました』という返信を送っておきました。18時02分のことです。
さて、マイクからは18時25分に「今外出中で、家に戻り次第探してみる」というメイルが届きます。そしてその夜、3月5日01時57分にマイクからの結果が送られてきますが、「Syuichi、残念ながらなかった……」という内容でした。もちろん、お礼状は送っておきました。そのため、1994年の観測との同定は、次回の回帰(2020年)まで伏せておくことにしました。