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天文雑誌『星ナビ』連載中「新天体発見情報」

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122(2015年4〜5月)

2015年10月5日発売「星ナビ」2015年11月号に掲載

超新星 2015K in NGC 7712

2015年4月23日から25日にかけて、神戸の豆田勝彦氏から今年の4月こと座流星群の活動について何通かの報告が届きます。実は、その5日ほど前に氏のふたご座流星群の観測を本誌6月号の原稿に入れました。しかし、4月25日17時19分に氏に送ったメイル『観測報告をありがとうございます。今月、ふたご座流星群の報告を星ナビの「新天体発見情報」に入れました。しかし文字オーバーでその部分がそのままカットされました。ウェッブ・サイト版には、入ると思いますので、後日にそちらの方をお読みください』のとおり本文には入りませんでした。最後に届いた氏の4月25日の報告には「掲載をありがとうございます。久しぶりにこと群の活動が見られました。4月23日未明、仙台方面で−8等級のこと座流星群の火球の出現があったようです。例年より少し活発であったように思います。次はみずがめ、ペルセウス流星群です」というメイルが届きました。

その日(4月25/26日)の明け方、05時12分に山形の板垣公一氏から携帯に電話があります。また超新星を見つけたようです。氏からの電話は「先ほど報告を送りました」との連絡でした。板垣氏の報告は05時09分に届いていました。そこには「今朝、2015年4月26日03時51分に50cm f/6反射望遠鏡でペガスス座にあるNGC 7712を撮影した捜索画像上に、16.3等の新星状天体(PSN)を見つけました。画像の極限等級は18等級です。発見後に撮影した4枚の画像上にその出現を確認しました。しかし発見後、空がすぐ明るくなって移動の確認ができていません。また、太陽の近傍から抜け出した空ですので、直前の捜索画像もありません。なおPSNは、銀河核から東に8.4″、南に15.2″離れた位置に出現しています」という発見報告がありました。発見画像を見ると、超新星は、銀河の南東に淡く出現していました。氏の報告は、05時38分に中央局(CBAT)のダン(グリーン)に送付しました。夜が明けた10時59分には、板垣氏より「拝見しました。ありがとうございます。夜明け直前の東の低空でスペクトル観測は難しいですね」という連絡がありました。この日の昼間は晴天であったせいか、日中の気温が26℃まで上昇し、4月としては暑い日となりました。

翌朝(4月27日)03時48分には、香取の野口敏秀氏より「板垣さん発見のPSNの観測です。23cm f/6.3シュミット・カセグレインで4月27日03時07分に撮影した画像では16.0等でした。香取は周囲の田んぼの田植えが終わり、毎夜、蛙の大合唱です」とその確認観測が届きます。03時52分にそれを見た板垣氏からは「確認観測ありがとうございます。こんなに低空なのに、いい画像が撮れましたね」というメイルが送られていました。そこで野口氏の画像を見てみると、確かに発見画像よりはっきりと写っていました。野口氏の観測は04時35分にダンに送付しておきました。

なお、この超新星の発見が公表されたのは、発見より2か月以上が経過した7月7日になってからのことです。02時59分に届いたCBET 4116には、発見後の海外での確認観測が報告されていました。また、東広島天文台の1.5m望遠鏡によるスペクトル観測の結果、この超新星はIc型の超新星出現であることが紹介されていました。それから3週間が過ぎた7月27日に、板垣さんが発見した超新星の中で新天体発見情報で紹介していなかった超新星と、CBETへの公表が遅れた4個の超新星(2014ee(CBET 4058)、2014ef(2015年6月号参照)、2015K、2015M)の発見を新天体発見情報No.224で報道各社に知らせました。

超新星 2015I in NGC 2357

連休中は晴天が続くということで、5月2日夜21時半過ぎ、ガソリン・スタンドに洗車に向かいました。向かう途中、21時35分と37分に携帯が鳴りますが、出ようとすると切れてしまいます。番号通知を見ると知らない番号からでした。車を洗車機に入れて、21時40分にそこに連絡を入れました。すると相手は「PSNを見つけました」と話します。『メイルで送っていただけますか』と頼み、最後に『ところでお名前は……』と問いかけると「香取の野口です。報告を送りました」と話します。『なぁ〜んだ。野口さんですか。今、外出しているのでオフィスに帰ったら処理します』と答え、22時にオフィスに戻ってきました。発見報告は21時35分に届いていました。そこには「2015年5月2日20時33分頃に23.5cm f/6.3シュミット・カセグレイン望遠鏡を使用して、ふたご座にある系外銀河NGC 2357を20秒露光で撮影した捜索画像上に、15.7等の超新星状天体を発見しました。このPSNは、3月25日に同銀河を捜索した画像上には、まだその姿は見られません。また、Digital Sky Survey(DSS)で保存されている同銀河の画像上にも認められません。小惑星・彗星・変光星を検索しましたが、該当する天体はありませんでした。最初の発見から約1時間後の画像上にもPSNを確認し、その間の追跡では移動は認められません。銀河核から東に65.9″、南に42.6″離れた位置に出現しています」と報告されていました。氏の発見は、22時26分にダンに送付しました。

5月25日になって、13時53分に届いたCBET 4106で野口氏の超新星(2015I)が公表されます。そこには、発見後5月16日までに国内外の観測者によって15等〜14等級で観測されたことが報告されていました。また、そのスペクトル確認が5月4日、5日、13日に東広島天文台や美星天文台などで行われ、極大近くのIa型の超新星であることが判明しました。翌5月26日夕刻になって、新天体発見情報No.223を発行し、氏の発見を報道機関に知らせました。その夜20時20分には、氏より「新天体発見情報No.223を受領いたしました。色々とお世話になりありがとうございました。また中野さんの生の声を聞けるように(発見報告ができるように)星捜しを続けていこうと思います」というメイルが届いていました。なお、野口氏による超新星発見は、2009年にNGC 5301に出現した超新星2009at以来のことです。

超新星 2015M=PSN J13003230+2758411

連休後、天候はいったん悪化しました。5月12日には台風6号が沖縄をかすめ、四国沖に達しました。台風は、夕方には温帯低気圧となって弱体化しました。しかしこの台風のおかげで、13日夕刻には快晴の空が広がっていました。その夜のことです。山形の板垣公一氏から22時19分に携帯に「いや〜、困った。PSNを発見してTOCP(未確認天体確認ページ)に入れたのですが、TOCPのリストを赤経順に並べると同じような位置にPSNがあったため、「これはミスだ」と思い、そのことをTOCPに書き込みました。しかし、よく見るとそのPSNは発見が2013年で、しかも出現位置がちょっと違っていました。訂正して、発見が正しいことを掲載してくれませんか」という電話があります。『早口でよくわからない。もう一度説明してください』と再度話を聞き、状況を認識しました。氏には『では、発見を送ってください』と話し電話を切りました。

しばらく待ちましたが報告は届きません。そこで、TOCPにある氏の発見に『この発見は正しく、上に記載されている2013年5月5日に発見されたPSN(PSN J13004114+2759518)とは別天体だ』ということを入れておきました。そして、このことを23時11分に板垣氏に『発見報告がまだ来ないので、とりあえず訂正を入れておきました。ゆっくりやってください』というメイルを送りました。その直後、2分前の23時09分に氏からメイルが届いていることに気づきます。氏の報告は「時間かかってしまいすみません。無名銀河(たぶんIC 4041か……)に超新星らしき天体です」から始まっていました。そして「2015年5月13日21時28分に60cm f/6.7反射望遠鏡でかみのけ座にある無名銀河を撮影した捜索画像上に、17.2等の超新星状天体を発見しました。4月22日に撮影した極限等級が19等級の捜索画像上にはその姿がありません。発見後、10枚以上の画像を撮影し、出現を確認しました。その間に移動はありません。なお、PSNは銀河核のすぐそばに出現しています」という発見報告がありました。板垣氏の発見画像を見ると、PSNの左上にかすかにぼやけている銀河があるように見えるものの、母銀河の存在はよくわかりません。そのため画像では、明るい超新星だけがはっきりと写っているように見えました。そして、この氏の発見は5月14日00時04分にダンに送付しました。その30分後の00時34分、板垣氏から「拝見しました。ありがとうございます。ところで今回、勘違いと判断ミスを2つもやりました。今後、充分に気をつけます」というメイルが届きます。

その夜(5月14日)21時07分には、香取の野口敏秀氏から「板垣さん発見のPSN情報をありがとうございます。現在、香取は雲が広がり、今夜の観測は望み薄です。観測できましたら報告いたします。銀河の密集地域で、どれが母銀河かわかりづらい場所ですね。先日の発見報告について、CBATへの報告とTOCPへの掲載にご尽力いただきありがとうございました。Atelによると、極大前のIa型超新星と分光されたようです。明るいものが見逃されており幸運でした。報告の際、発見と確認時に撮影したフレーム数と、直近の過去画像、および、DSSの極限等級などが漏れていました。基本的な報告内容を忘れたことを反省しております。でも、いつもお世話になっている中野さんに観測報告だけでなく、発見報告ができれば……と思っていました。不備もありましたが、やっと1つ願いが叶いました。これからもよろしくお願いいたします」というメイルが届きます。その3日後の5月17日に野口氏は確認に成功し、「5月17日19時56分に16.5等でした」という報告が20時37分に届きます。氏の報告は21時30分にダンに送付しました。翌朝09時03分には板垣氏からも「おはようございます。観測をありがとうございます」というお礼が野口氏に送られていました。

なお、この超新星の発見が公表されたのは、2か月以上が経過した7月27日になってからのことです。14時26分に届いたCBET 4123には、板垣氏がTOCPに記載したあと2つの独立発見があったこと、5月17日までに国内外から複数の観測が報告されたこと、海外で複数のスペクトル確認が行われ、Ia型の超新星出現であることが報告されていました。

51P/ハリントン周期彗星とその分裂核

[21年前のぼやけてきた記憶を頼りに2015年のC核とD核の同定まで]

この彗星は、1953年当時にパロマー天文台で行われていたNGSスカイサーベイ(IAUC 1417)で、1953年8月14日に発見されたものです。発見等級は15等級でした。発見後には、ヨハネスブルグで8月5日に撮影されていた2枚のプレート上に発見前の観測が見つかっています。それ以来、1994年の出現で5回の出現を記録しています。なお、回帰回数は7回で、途中の1967年と1974年の回帰には観測されていません。

1994年8月に回帰予定だった彗星は、キットピークの91cmスペースウォッチ望遠鏡で、スカッチによって1994年5月1日にやぎ座に検出され、氏は翌2日にこれを確認しました。検出光度は、CCD全光度で1日に18.5等、2日に18.6等、彗星は拡散状で10″ほどのコマがあったとのことです。なお、検出時には下弦の月が空に見えていました。しかも5月1日には角距離で25°、2日にはわずか13°の彗星のごく近傍にあって、強烈な月光のもとでの検出でした。久万の中村彰正氏もこの検出のすぐあと、5月8日(CCD全光度18.7等)と22日(17.5等)、さらに6月5日(17.5等)と観測しています。この検出で、1953年の発見以来5回の出現を記録したことになるわけです。太陽のそばに来て急速に明るくなる彗星の一つで、1994年秋にはほぼ衝位置に来て、14等級まで明るくなることが予報されていました。これは、この彗星としてはほぼ最良の回帰となります。

近日点を通過したこの彗星が予報どおり明るくなってきたという報告が、9月13日に中村氏と千ヶ峰の伊藤和幸氏から届きます。1994年7月には16等級、8月には15等級でしたが、9月8日に13.7等(中村)、11日に14.6等(伊藤)、13日に13.8等(中村)、10月1日に13.7等(伊藤)、2日に12.7等(中村)、4日に12.8等(キットピーク)と増光しました。これは、HICQ 1994にある当時の予報光度より2等級ほど明るくなっていることになります。その頃の眼視光度観測として、8月7日に13.1等(ヘール;米国)、14日に13.2等、9月7日に14.1等(サーネツキー;ハンガリー)、9日に12.9等(ヘール)が報告されました。

増光の過程で、彗星には副核が見つかっています。スカッチは、10月4日のキットピークで得られたCCDイメージ上に、主核(A)から位置角で245°の方向、約23′ほど離れた位置に2個の副核を発見しました。2個の副核の位置は、A核の近日点通過(8月23.230日;MPC 18258)をB核は23.516日、C核は23.518日と補正して表現できました。なお、2個の副核は9″ほど離れ、その全光度はA核が12.8等、B核が21.3等(m2=22.5等)、C核が20.8等、A核とC核にはそれぞれ西の方向に10′と1′の尾があったと報告されました。スカッチは、ジェディキがキットピークで翌10月5日に撮影した画像上にこれらの核の存在を確認しています。副核は1994年10月4日と5日のみの観測でしたが、その後、C核にはキットピークで同年6月13日に撮影された画像上に発見前の観測が見つかっています。このときC核の光度は22.1等でした。

当時、CCD観測が本格的に始まって間もない時期でしたが、この頃以後、彗星には副核の存在が観測されるようになってきました。これまでの写真観測では、2枚以上のフィルムを比較して眺めるということは非常に困難でしたが、CCD観測は、より微光の暗い天体が撮影できる上、得られた画像を連続して動かして眺めることも可能にしました。これは、彗星に副核が存在する場合、簡単にそれを発見できることをも意味します。特に、周期彗星には何個かの副核が存在していることがごく一般的な事実となってきたような気がします。

彗星は、その後も10月5日に12.5等(クレット)、12.8等(キットピーク)、7日に12.8等(クレット)、14日に12.8等、30日に13.3等、11月4日に14.4等、8日に13.7等(中村)と観測されました。しかし、12月には15等級へと減光していきました。日本では、翌年1995年になって伊藤氏が1月2日に16.2等と最後の観測を行っています。そして、1月28日にキットピークで行われた観測(19.0等)を最後に、次回の回帰で、2001年7月1日に上尾の門田健一氏によって捉えられるまで、我々の視界から姿を消しました。[次号に続きます]

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