123(2015年5〜8月)
2015年11月5日発売「星ナビ」2015年12月号に掲載
51P/ハリントン周期彗星とその分裂核
[先月号からの続き][21年前のぼやけてきた記憶を頼りに2015年のC核とD核の同定まで]
前回1994年の回帰時に3個の核(A、B、C)に分裂したこの彗星は、2001年の回帰では、2001年6月5日に近日点を通過しました。しかしこの回帰では観測条件が悪く、近日点通過前後には太陽からの離角が50°ほど、予報光度も14等級、7月に入っても太陽からの離角が60°で、その光度も14等級後半と予報されていました。明け方の薄明の空に位置していますが、天文薄明開始時の彗星の地平高度は、6月30日に+16°、7月5日に+18°、10日に+21°と、彗星の明るさを考えると最悪に近い条件でした。そのため『観測は、早くても8月に入ってからだろう』と思っていました。
しかし、上尾の門田健一氏から7月2日早朝に「51Pらしき像を捉えましたので報告します。中央集光のある拡散状で、コマの視直径は0.4′です。西南西の方向に2′の淡い尾が見られます。低空の雲のため2フレ−ムしか撮影できませんでした。晴れ間を待って確認観測いたします」というメイルとともに、2日02時40分前に行われたこの回帰初となる2個の観測が届きます。氏のCCD全光度は15.1等で、ほぼ予報光度どおりでした。さっそく予報軌道(MPC 31664)からのずれを調べると、彗星の位置には4′ほどの少し大きなずれがありました。そこで、その確認のために門田氏の続く観測を待つことにしました。
門田氏から第二夜目の観測が届いたのは7月6日深夜のことです。氏の3個の観測は5日朝03時18分から30分にかけて行われたもので、CCD全光度は14.9等でした。翌7日夜になって、門田氏の7月2日と5日の観測と、1987年から1995年までのA核の観測から連結軌道を計算し、氏の観測とともにその軌道を中央局に連絡しました。7月8日00時52分のことです。もちろん、門田氏がこの彗星の観測に成功したことは、01時11分にOAA/CSのEMESにも入れて、仲間に知らせました。そこには『上尾の門田健一氏は、7月1日(UT:以下同)にこの彗星の今期初の観測に成功し、同4日にこれを確認しました。氏によるCCD全光度は、それぞれ15.1等と14.9等でした。コマが20″ほどで、中央集光のある拡散状、西南西の方向に1′〜2′の淡い尾が見られるとのことです。なお、1994年に分裂核A、B、C核が観測されています。氏の観測は、そのA核(主核)のようです。位置は、NK 678の予報軌道から赤経方向に+194″、赤緯方向に+63″ほど離れ、近日点通過への補正値はΔT=−0.14日でした。予報では、C核はA核からΔT=+0.86日の位置にいます』という注釈をつけました。
この後、門田氏からは7月13日と22日にもこの彗星の追跡観測が報告されますが、結局、7月の観測は門田氏から報告されたもの以外、世界中のどこからも報告がありませんでした。8月に入って久万の中村彰正氏が8月28日に16.1等、9月と10月には、日本では門田氏とダイニックアストロパーク天球館の杉江淳氏らがその光度は14等級と観測しています。それらの観測の中に、豊中の江崎裕介氏が10月13日に行った観測(光度13.7等)もありました。
先月号の原稿を書いたとき『そうか。彼も観測をやっていたのか…』と思いました。氏は、豊中の千里ニュータウン近くの街中にある観測場所でもこのような低空の彗星を観測できるエキスパートの一人でした。しかし氏からの報告は、2005年6月13日の観測群を送ってきた6月16日のメイルが最後となりました。その観測の中には、本誌2006年4月号(原稿を仕上げたのは同年2月13日)に紹介したとおり、当時確認作業中であったLINEAR彗星(2005 K2)の観測もありました。本誌のその原稿の中に『……。しかし、観測は思わぬところから届くものです。6月14日21時20分にオフィスに出向いてくると、その日の昼間12時55分に、2005年末に亡くなられた豊中の江崎裕介氏より、5個の彗星の観測が届いていました。その観測群の中に、6月13日夕刻に行われたこの彗星の4個の観測がありました』と書きました。
実は、この10日前の6月4日夜には、5日01時30分までに5件の無言の留守番電話が記録されていました。私がオフィスに出向いたのが02時00分であったために、それを受けることができなかったのです。しかし、翌日の6月5日夜21時15分になって江崎氏から電話があり、その無言の留守番電話の主が氏であったこと、そして、氏が当夜に私のオフィスを訪れてくれていたことを知りました。氏は21時から01時半まで、私がオフィスに出向くのを待っていてくれたのでした。その夜の氏からの電話では、約1時間半の間、氏の身の上話をただ聞くだけでした。しかし『あのとき氏の話をもっと真剣に聞いて、相談に乗ってやればよかった……』と、今までもまだ、思い出すときがあります。
毎週のように深夜に愛車のポルシェに乗ってやってくる江崎氏とは、コーヒーを飲みながら会話する美味しいコーヒーの愛好仲間でした。車をポルシェに変えてからは、オフィスにやってくるとまず『何……、豊中から20分で走ってきた』「はい、時速250kmを出しました」『つかまるぞ』「オービスがピカピカ光ってますが、サンバイザーを降ろしているので、顔は撮れません」という会話をするのが楽しみになっていました。その江崎氏からのメイルは、この日(6月16日)を最後にパッタリと来なくなりました。そして、暮れの悲報が届きます。『あのとき、もっと早起きして会えていたら、相談に乗ってやれたのに……』と今でもその悔やみが脳裏に残っています。そんなことを考えながら書いた先月号の原稿の中で、大きな間違いをしました。同じ関西に住む千ヶ峰の伊藤和幸氏の「伊藤」の文字が「江崎」に見えてしまい、間違って「故人」と注釈を入れてしまいました。「存命」のご本人には大変申し訳ないことをしてしまいました。お許しください。
さて、スペインのモンテカは、12月6日にこの彗星を撮影した画像上に彗星が2個の核、A核(主核)とD核に分裂していることを見つけました。D核はA核の西に10″ほど離れたところに見られ、そのCCD全光度はA核が17.4等、D核が17.0等と、主核と変わらない明るさでした。モンテカは、10月の彼のフレ−ム上にもこれら2つの核を見つけ、10月19日にA核が15.8等、D核が15.9等、離角6.0″、25日にA核が15.7等、D核が15.8等、離角8.6″と報告しています。分裂核の観測は、日本でも門田氏からも12月9日と11日に行われた観測の報告がありました。その後の12月15日までの観測では、2つの核の光度と離角は、ほとんど変わらずに16等級、約10″で観測されています。JPLのセカニナは、この分裂は9月5日頃に起こったことを指摘しています。というのは、9月24日の門田氏の光度が14.3等、8月27日の中村氏の光度は16.1等とこの間に2等級ほど増光し、この頃、分裂したと考えるのが妥当のようでした(ただ後述のとおり、実際にはそうではなかったようです)。2つの核は、2002年2月7日に中村氏、D核は3月10日にマウナケアでとらえられたのを最後にこの回帰での観測は終了しました。
次の2008年の回帰には、彗星は2008年6月18日に近日点を通過しました。この回帰でも、近日点通過後の2008年7月28日にカテリナ、7月29日にクレットで再観測されます。CCD全光度は、カテリナでは15.8等、クレットでは14.8等と観測されました。近日点通過は2008年6月19.364日と予報(NK 961)されていました。再観測の位置には、その予報軌道から赤経方向に+0.36°、赤緯方向に+0.14°のずれが見られ、近日点通過の補正値にしてΔT=−0.93日でした。従って、実際のT=2008年6月18.434日くらいとなります。ΔTが大きかったのは、1994年にB核とC核、2001年にD核に分裂しており、さらに2003年10月24日に木星に0.37auまで接近した影響によるものなのでしょう。なお、前述のとおりD核は2001年の分裂時には15等級(そのときのA核とほぼ同程度)と明るく観測されています。もし、このD核が生き残っているならば、その近日点通過(NK 961D、T=2008年6月19.168日TT)には、A核と同程度のずれが推測され、6月18.24日くらいの位置を動いていることになります。しかしD核は、この回帰では再観測されていません。そのため、多分消滅したものと考えられていました。彗星は、2009年2月21日にレモン山サーベイでとらえられたのを最後に我々の視界から姿を消しました。
そして、今年2015年8月12日に近日点を通過する約3か月前の2015年5月6日に、チリのアタカマ高原にある40cm望遠鏡で再観測されます。彗星は、この回帰で8回目の出現を記録したことになります。さらに八束の安部裕史氏も5月25日に早々とこの彗星をとらえ、その全光度を16.5等と観測しています。予報軌道(NK 2314(=HICQ 2014))からのずれは、赤経方向に−375″、赤緯方向に−130″で、近日点通過時の補正値にしてΔT=+0.26日でした。
それから約1か月が経過した6月2日00時50分に、東京の佐藤英貴氏がドイツのメイヤー氏が主催するCOMET_MLに投稿したメイルが送られてきます。その中で氏は「彗星確認ページ(PCCP)にあるハレアカラで発見された22等級の彗星状天体(P101s67)は、51P/ハリントン彗星から約33′の位置をともに動いており、この天体は2001年/2002年に観測された分裂核(=D核)と同じものでないか」ということを指摘していました。なお、このP101s67は主核から赤経方向に+1416″、赤緯方向に+574″、ΔT=−0.86日の位置を動いていました。
佐藤氏の指摘を確認するために、D核の2001年からの観測とP101s67の一夜の観測を連結することにしました。複数の出現を結ぶ連結軌道(軌道改良)の計算は、最近ではコンピュータが速いため、たいていの場合ホンの一瞬で終了します。そこで、連結(改良)したい観測群には、改良する出現より1つ前の出現、あるいは2つ前の出現の古い観測群を一緒に入れます。うまくすると、そこまで連結できるかもしれないからです。この彗星の場合、前回の回帰の2001年/2002年のD核の観測だけでなく、1994年のB核とC核の観測もともに入れておきました。つまり、苦労せずに一石二鳥をねらうわけです。すると、1994年に観測されたC核(あるいは、B核)も同様に連結できることがわかります。そこで、1994年(C核)と2001/2002年(D核)と2015年の観測を連結して、得られた連結軌道から新たな同定がないかサーチを行うと、何と分裂核が観測されていなかった2008年に新たな出現が見つかりました。これは思いもよらない大収穫です。見つかった観測は、レモン山サーベイで2008年9月29日にA核を撮影した画像上に発見されていた一夜の天体(8SA248F)です。同サーベイでは、このときのA核の光度を14等級、この天体の光度を20等級と観測していました。
これで、この分裂核(C核とD核)は1994年、2001年、2008年、2015年の4回の出現を記録したことになり、この同定は確かなものとなります。ただ、2001年/2002年の出現のD核の標準等級は、他の2回の出現(1994年と2008年)と比べ7等級以上も明るく、各回帰での標準等級は一致しませんが、連結軌道(NK 2919)ではこれら4個の天体は同じものとなります。ところでD核の軌道は、以前に1994年の主核の観測と結んだ軌道を2002年1月と2003年10月(NK 961D)に計算していました。それぞれの軌道からの予報される今年の近日点通過は、2015年8月14.46日と8月14.50日でした。しかし実際には、主核が2015年8月12.70日、D核が8月11.55日でしたので、予報は逆の方向にずれていたことになります。このときの計算の際、1994年に観測されたB核とC核はあまりにも暗く、すでに消滅しているという意識が強く、それらと結んでみようという気は起こりませんでした。
もちろん、この結果は、6月3日20時16分にダン(グリーン)とギャレット(ウィリアムズ)に送っておきました。6月5日00時44分には、EMESに入れて仲間にも知らせました。大泉の小林隆男氏から17時25分にメイルがあります。その返信として17時45分に『うぅ〜ん……。不思議なのは、B核とC核の観測は、1994年10月の同じ二夜の観測とはるか離れて、C核の6月の観測があることです。誰がこの6月の観測がC核であると断定したのでしょう。これを行った人は、見事というしかほめ言葉がありません。この観測がなければ、B核あるいはC核のどちらでも連結できたでしょう……』を送っておきました。6月9日になって17時14分に佐藤氏から「先日は、私がメイヤー氏のCOMET_MLに書き込んだP10ls69との同定計算を行っていただき、ありがとうございました。2008年の観測も一夜の観測の中から見つけられたこと、おめでとうございます。もう1〜2夜の観測が要されると思っていたので、あんなに早く公表されるとは思いませんでした。しかも、あのような形でMPEC L08(2015)に名前が載るとは思いませんでした。中野さんがグリーンに報告を書いてくださったおかげです。ありがとうございました。主核は全光度16等の堂々たる姿ですが、D核の方は70cmでも写るでしょうか。これは難物です。しかし何公転も小さな副核が生存しているとは驚きでした。73PのB核も前回帰時に相当に捜索しましたが、見つかりませんでした。でも、条件がよい回帰の時に変わり果てた姿で見つかるかもしれません。それに比べて、同じ分裂彗星でも205Pは貧弱です。これが定常の姿なのでしょう。近くに分裂核は影も見つかりません……」が届きます。そこで18時38分に氏には小林氏に送ったメイルと同じような返信を送っておきました。
佐藤氏は、引き続きこの彗星の最近の観測を報告しています。氏の観測によると、A核は7月14日に18.6等、7月28日に18.1等、C-D核は19.4等でした。A核は、7月14日には集光のある伸びた15″のコマと西に1′の扇形状の尾、7月28日には集光の弱い8″のコマと西南西に約5′まで伸びた長い顕著な尾が見られ、C-D核は西に広がった30″の扇形の尾が見られたとのことです。さらに氏は、分裂核C-D核を8月17日に19.3等と観測しました。このC-D核には集光した8″のコマと西に50″の淡い尾が見られました。なお、8月12日と21日に別の核(21等級)が観測され、この観測には、核Bが振られていますが、この核と1994年に観測されたB核とが同じ核であるかは定かではありません。彗星は、しばらく衝位置近くを動いていますので、まだ観測可能です。