再び、フクシマから宇宙へ 甦った望遠鏡「絆」
【2012年7月6日 星ナビ編集部】
震災から1年半、福島県田村市星の村天文台の口径65cm反射望遠鏡が1日にリニューアルオープンを迎えた。復興への願いを込めて、その架台には新しい愛称「絆」が刻まれている。
2011年3月11日、東日本大震災。「施設内の事務所にいたのですが、建物全体がギシギシと音を上げていて、立っていられないほどの揺れでした」と振り返るのは、福島県田村市星の村天文台の大野裕明台長だ。揺れが一度収まるのを待ってすぐに天文台へ向かったが、そこで目にしたのは、立ち込めるほこりの中、極軸が折れて落下し、地震の直前まで台長が太陽観測のため座っていた椅子を押しつぶして床にめり込んだ口径65cm反射望遠鏡の姿だった(「星ナビ」2011年5月号参照)。
その後も続く余震と地鳴り、そしてわずか33kmの距離にある福島第一原子力発電所の事故で、望遠鏡の修理などとても考えられる状況ではなかったが、大野台長をはじめとした天文台のスタッフは手さぐりのまま復旧に向けて動き出す。「スタートラインに早く立ちたかった」と振り返る台長の言葉通り、約1か月後の4月半ばには施設の安全点検を完了して一般への公開を再開、壊れたプラネタリウムも修理して、5月1日には投影もスタートさせた。また、破損を免れた小口径の望遠鏡を使って台内で観望会を始めるかたわら、避難所へ出向いての観望会も行った。
そして少しずつ光が見えてきた。望遠鏡を調べた結果、主鏡・副鏡とも損傷はなく、再利用できることがわかった。また、全国各地の公開天文台やプラネタリウム、天文ファンから続々と応援のメッセージや寄付金が寄せられただけでなく、避難生活を送る地元の人々からも「望遠鏡は直らないの?」「まだ再開しないんですか?」といった問合せが相次いだという。
9月には市議会で予算が認められ、修復へ向けた具体的な動きが始まった。今年3月26日にはクレーンを使って望遠鏡が運び出され、そして5月31日、ついに新しい鏡筒と架台が搬入された。「鏡筒が設置されたときは目頭が熱くなりました」と話す大野台長。閉館まで覚悟したあの日から1年半近く、ここまで来たという思いもひとしおだったに違いない。
多くの人の応援によって支えられた復活に「人と人とのつながり」を改めて感じたこと、また、天文台がこれからも「宇宙とのつながり」となってほしい、そして震災復興のシンボルとして永く受け継いでいきたい、という願いから、新しい望遠鏡の愛称は「絆KIZUNA」に決まった。望遠鏡の架台には、その名前がしっかりと刻まれている。一般へのお披露目は7月1日に行われた。
星の村天文台にとって、そして被災者にとって、望遠鏡の復活は復興へのスタートラインである。再び宇宙へ開かれた瞳が、前に進むための微かな光を人々へ届ける役割を、これから先も担っていってくれるだろう。
(本記事は「星ナビ」8月号掲載「NEWS WATCH」に加筆したものです。)
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