なぜ梅雨どきに七夕祭り?
太陰太陽暦から太陽暦に
おり姫星(織女)とひこ星(牽牛)が1年に1度会うことができる七夕ですが、7月7日といえば日本列島のほとんどの地域は梅雨のまっただ中。例年、この時期に2つの星を見ることはなかなか難しいのです。
ではなぜ、天候が悪いこの時期に「星のお祭り」をするのでしょうか?
じつはこの問題は、明治の改暦(かいれき、カレンダーの決め方を変えること)に原因があります。もともとの七夕は太陰太陽暦(※)の7月7日に祝っていたものです。ところが、明治6年(1873年)から、太陰太陽暦ではなく西洋式の太陽暦を使うようになったため、七夕も約1か月早い時期に祝う行事となってしまいました。
現在でも、「太陽暦の7月7日」ではなく「太陰太陽暦の7月7日に相当する日」や「月遅れ(太陽暦の8月7日)」に七夕祭りを行うケースが多いようです。
※太陰太陽暦(たいいんたいようれき):古来より日本では暦(カレンダー)を作るにあたって、月と太陽両方の動きを計算に入れてきました。太陽だけを基準にする現在の太陽暦(グレゴリオ暦)と区別するために旧暦とも呼ばれます。太陰太陽暦は何度か改良されていて、明治の改暦直前には天保暦(てんぼうれき)と呼ばれる暦が使われていました。現在のカレンダーに「旧暦」として掲載されている日付は、かつての計算法などを参考に独自に算出しているものです。
新暦七夕と伝統的七夕の星空
現在ではごくあたりまえのようになった太陽暦ですが、太陽暦での7月7日はまだ大部分の地域で梅雨は明けていなく、また、たとえ晴れていたとしても、日の暮れた1、2時間後ぐらいでは、おり姫星とひこ星はまだ東の空の低いところにあります。もし、2つの星がもっとも高く昇る時間まで待っているとすると、夜半過ぎになってしまうのです。
右の図は夜9時の時点での空をあらわした星座早見で、画面の中心が頭の真上、円のふちが地平線に相当します。おり姫星は東の地平線からだいぶ昇っていますが、ひこ星はまだまだ低いことがわかります。
ちなみに太陰太陽暦でいう七月七日は、新暦では例年8月上旬ごろにあたります。梅雨もすっかり明けて、夏の暑さがピークを迎えているころです。ただし、日本の暦を定める国立天文台では太陰太陽暦の計算をしていません。そのかわり、「伝統的七夕」という言葉を使い、旧暦とは別の方法で求めています。2014年の伝統的七夕は、8月2日です。
参考:国立天文台ウェブページ
8月2日の夜9時には、おり姫星がほとんど頭の真上にあることがわかります。ひこ星も高く昇っていて、天の川がちょうど北から南へ空を横断しています。