7月7日は七夕。伝説では年に一度、おりひめ星とひこ星が天の川を渡って会うことのできる、特別な日です。
短冊に願い事を書いたら、空を見上げましょう。星を眺めることが少ない方にとって、七夕は良い機会です。
2024年の伝統的七夕(旧七夕)は8月10日。7月7日とともに、とくに星や宇宙に思いを馳せたい一日です。
目次
おりひめ星、ひこ星を見つけよう
せっかくの七夕ですから、夜空を見上げて、おりひめ星とひこ星を探してみましょう。
7月7日前後の21時過ぎ、東の空を見上げると、いくつか星が見つかります。
とくに明るい2つの星が「おりひめ星(織姫星、織女星)」と「ひこ星(彦星、牽牛星)」です。北寄りにあり、先に昇ってきて高いところに見える明るい方の星がおりひめ星です。
おりひめ星は西洋の名前で言うと「こと座」の「ベガ」、ひこ星は「わし座」の「アルタイル」です。さらに、おりひめ星とひこ星のほかにもう一つ明るい星が、左の方にあります。「デネブ」と呼ばれる「はくちょう座」の星です。
これら3つの星は星々の中でもとくに明るい「1等星」で、3つを結んでできる大きな三角形が「夏の大三角」です。
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新暦七夕(7月7日)と伝統的七夕(8月10日)
太陰太陽暦と太陽暦
おりひめ星(織女)とひこ星(牽牛)が年に一度だけ会うことができる七夕ですが、7月7日といえば日本列島の広い地域では梅雨のまっただ中で、例年この時季に2つの星を見ることはなかなか難しいものです。
ではなぜ、天候が悪いこの時期に「星のお祭り」をするのでしょうか。
実はこの問題は、明治の改暦(かいれき、カレンダーの決め方を変えること)に原因があります。もともとの七夕は太陰太陽暦(※)の「七月七日」に祝っていたものです。ところが、明治6年(1873年)からは太陰太陽暦ではなく西洋式の太陽暦を使うようになったため、七夕も約1か月早い時期に祝う行事となってしまいました。
現在でも、「太陽暦の7月7日」ではなく「太陰太陽暦の七月七日に相当する日」や「月遅れ(太陽暦の8月7日)」に七夕祭りを行うケースが多いようです。
※太陰太陽暦(たいいんたいようれき):太陽太陰暦とも。古来より日本では暦(カレンダー)を作るにあたって、月と太陽両方の動きを計算に入れてきました。太陽だけを基準にする現在の太陽暦(グレゴリオ暦)と区別するために旧暦とも呼ばれます。太陰太陽暦は何度か改良されていて、明治の改暦直前には天保暦(てんぼうれき)と呼ばれる暦が使われていました。現在のカレンダーに「旧暦」として掲載されている日付は、かつての計算法などを参考に算出しているものです。
新暦七夕と伝統的七夕の星空
太陽暦での7月7日は、まだ広い地域で梅雨が明けていません。また、たとえ晴れているとしても、日が暮れた1、2時間後ぐらいでは、おりひめ星とひこ星はまだ東の空にあります。見やすい高さではありますが、2つの星がもっと高く上る時間まで待っているとすると、夜半過ぎになってしまいます。
図は東京での21時の空を表した星図で、中心が頭の真上、円のふちが地平線に相当します。おりひめ星は東の地平線からだいぶ高くなり高度は60度を超えていますが、ひこ星はまだ35度くらいです。
太陰太陽暦の七月七日は、新暦では例年8月中旬ごろに当たります。梅雨もすっかり明けていることが多く、夏の暑さがピークを迎えているころです。ただし、日本の暦を定める国立天文台では太陰太陽暦の計算をしていません。そのかわり「伝統的七夕」という言葉を使い、旧暦とは別の方法で七夕の日を求めています。2024年の伝統的七夕は8月10日です。
8月10日の21時には、おりひめ星が頭の真上近くにあり、ひこ星も高く上っています。空気が澄んだところなら、おりひめ星とひこ星の間を天の川が流れているのも見えるかもしれません。深夜になり月が沈むと、より天の川が見やすくなるでしょう。
織女と牽牛の七夕伝説
七夕伝説のおこりは中国です。もともとは、中国の織女(しょくじょ)牽牛(けんぎゅう)の伝説と、裁縫の上達を願う乞巧奠(きこうでん)の行事とが混ざりあって伝わったものといわれています。
織女と牽牛は夫婦なのですが、仕事をせずに遊んでばかりいたので、年に1日のデート以外は仕事、仕事の毎日を強制されるという儒教的思想の色濃いお話。昔の農民が「仕事、仕事」の毎日を哀れむために作ったのが七夕伝説の最初なのではないかといわれていますが、中国の後漢のころ(1~3世紀)には作られていたようです。
日本へは遣唐使などによってもたらされ、日本に従来からあった棚機津女(たなばたつめ)の信仰とが混ざってできたとされています。もっとも、その他にも琉球地方には羽衣伝説などと混ざった形で七夕伝説が伝承されており、正確にいつ日本に伝わったかは定かでありません。
江戸時代には、書道学問の上達を願う行事となり、また、おりひめ星とひこ星を引き合わせるため、たらいに水を張って2つの星を映し、わざとたらいを揺らして2つの星があたかもくっついたようにすることも行われていたようです。
この物語にまつわるお話は様々なものがありますが、ここでは、現在広く語られている織女牽牛伝説を物語風にアレンジしてお話ししましょう。
織女と牽牛の七夕伝説
むかしむかし、天帝という神様が星空を支配していたころ、天の川の西の岸に、織女という天帝の娘が住んでおりました。織女は機織り(はたおり)がたいへん上手で、彼女の織った布は雲錦と呼ばれ、色も柄も美しく、丈夫で着心地も軽い、素晴らしいものでした。
一方、天の川の東の岸には、牛飼いの青年、牽牛が住んでおりました。牽牛は、毎日、天の川で牛を洗い、おいしい草を食べさせたりと、よく牛のめんどうをみる、働き者でした。
天帝は、くる日もくる日も働いてばかりいる娘を心配して、娘の結婚相手を探すことにしました。そして、天の川の向こう岸に住む牽牛をみつけると、二人を引き合わせ…
「おまえたち二人は、まじめによく働く。牽牛よ、わしの娘、織女と夫婦(めおと)にならぬか?」
牽牛は恐縮した様子で
「天帝様、私のような者には、夢のようなお話しでございます。ありがたくお受けします」
織女も、働き者の牽牛をたいへん気に入り、二人はめでたく夫婦となりました。
ところが、一緒に暮らすようになると、二人は朝から晩まで天の川のほとりでおしゃべりばかりをしています。
これを見た天帝は
「おまえたち、そろそろ仕事を始めたらどうだ?」
といましめますが、織女と牽牛は
「はい、明日からやります」
と答えるばかりで、いつになっても仕事を始める様子がありません。
織女が布を織らなくなってしまったため、機織り機にはほこりが積もり、天界にはいつになっても新しい布が届きません。また、牽牛が世話をしていた牛たちも、やせ細って、次々に倒れてしまいました。
業を煮やした天帝はとうとう、二人を引き離し、一年に一度、7月7日の夜だけ、天の川を渡って会うことを許しました。
今でも二人は、7月7日に会えるのを楽しみにして、天の川の両岸でまたたいているとのことです。
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