【訃報】X線天文学を開拓、リカルド・ジャコーニさん

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12月9日、X線天文学の創始者の一人で、2002年に小柴昌俊さんらとともにノーベル物理学賞を受賞した天体物理学者のリカルド・ジャコーニさんが死去した。享年87。

【2018年12月17日 ヨーロッパ宇宙機関ESA

リカルド・ジャコーニ(Riccardo Giacconi)さんは1931年、イタリア・ジェノバ生まれ。イタリア・ミラノ大学で宇宙線を用いた核反応の研究で博士号を取得後、1956年にフルブライト奨学生として渡米した。米・インディアナ大学と米・プリンストン大学で研究を行った後、1959年に米・マサチューセッツ州のアメリカン・サイエンス・アンド・エンジニアリング社 (AS&E) に入社した。AS&E社は放射線や核分裂生成物の検出装置を開発する企業で、創業メンバーは米・マサチューセッツ工科大学の物理学者ブルーノ・ロッシの研究室の出身者が多く、ロッシと深いつながりがあった。

リカルド・ジャコーニさん
リカルド・ジャコーニさん(提供:R.K. Morris)

ジャコーニさんはAS&E社で、核実験で放出されるガンマ線を宇宙から監視する装置の研究に携わり、その過程でロッシから、X線を放射する天体を宇宙から観測するというアイディアを聞いた。当時は太陽がX線を放射していることは知られていたものの、それ以外のX線源が宇宙にあることは予想されていなかった。ジャコーニさんらは1962年にガイガーカウンターを観測ロケットに搭載して打ち上げ、きわめて強いX線源「さそり座X-1」を発見した。さそり座X-1はガンマ線バーストやX線新星などの突発現象を除くと全天で太陽に次いで強いX線源で、現在ではその正体は、普通の恒星と中性子星からなる「低質量X線連星」であることがわかっている。

1970年にはNASAのミッションとして初のX線観測衛星「ウフル」を打ち上げ、X線での全天サーベイ観測を初めて行った。「ウフル」は3年弱の観測期間に300個以上のX線源を発見し、X線源「はくちょう座X-1」がブラックホールである可能性がきわめて高いことを観測で初めて示した。

1973年にジャコーニさんは米・ハーバード・スミソニアン天体物理学センター(CfA)に移り、X線で天体を撮像する衛星のプロジェクトを開始した。X線は物質を透過してしまうため、レンズや反射鏡といった可視光線用の光学系では像を結ぶことができない。そこでジャコーニさんは、金属で作った深い放物面鏡の表面すれすれにX線を入射させることでX線を全反射させて焦点を結ばせるという方式のX線望遠鏡を1960年に提案していた。この方式のX線望遠鏡を搭載した衛星「アインシュタイン」はNASAによって1978年に打ち上げられた。

ジャコーニさんらは「アインシュタイン」と並行して、1976年には早くも口径1.2mのX線望遠鏡を搭載した次の衛星「AXAF」の計画をNASAに提案した。このミッションは、ガンマ線から赤外線までをカバーする4機の宇宙望遠鏡を打ち上げるというNASAの「グレート・オブザーバトリー計画」の一部として、「コンプトンガンマ線天文台」・「ハッブル宇宙望遠鏡」・「スピッツァー宇宙望遠鏡」とともに承認され、「チャンドラX線天文台」と改名されて1999年に打ち上げられた。「チャンドラ」は現在も運用されている。

1980年代以降、ジャコーニさんは数々の研究機関や天文台のトップとして招聘され、巨大科学プロジェクトの運営に携わった。1981年から1993年まで宇宙望遠鏡研究所(STScI)の初代所長を務めた後、ヨーロッパ南天天文台(ESO)の台長に就任し、口径8.2mの超大型望遠鏡(VLT)の建設と運営を主導した。1999年には米国に戻り、米国立電波天文台(NRAO)やアルマ望遠鏡を運営する非営利団体「アソシエイテッド・ユニバーシティーズ Inc.」の代表を務めた。

2002年、宇宙X線源の発見をはじめとする天体物理学への先駆的貢献に対して、宇宙ニュートリノを検出した小柴昌俊さん・レイモンド・デービスJr.さんとともにノーベル物理学賞が贈られた。1982年には英王立天文学会ゴールドメダル、1987年にはウルフ賞物理学部門賞を受賞している。また、1955年にインディアナ大学の天文台で発見された3371番小惑星が「Giacconi」と命名されている。

(文:中野太郎)