天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

004

2005年11月5日発売「星ナビ」12月号に掲載

超新星 2005W in NGC 691

2005年1月31日から2月上旬にかけて、我が国には、この冬一番の寒波がやってきました。1月31日夜は、ここ(兵庫県洲本市)でも、夜半すぎに雪が降りました。04時頃に『わぁ〜い。雪だ!』と喜んでいると、その雪は、すぐやんでしまいました。その日の朝のことです。2月1日04時56分に中央局のダン(グリーン)から一通のメイルが届きます。そこには「Syuichi,串田夫妻か、他の誰かに系外銀河Apr299とNGC 2146を見てくれることを頼んでくれないか。そして、これらの銀河に光学的に何か新しいものが見えるならば、連絡して欲しい」というメイルが届きます。彼のメイルには、超新星という言葉は、書かれてありません。しかし、たぶん、超新星状天体(PSN)なのでしょう。でも、この寒波の襲来で、どう考えても、晴れているところがあるわけはありません。しかし、05時11分にこのメイルを上尾の門田健一氏と八ヶ岳の串田麗樹さんに転送しておきました。その後、八ヶ岳の串田さんから「もちろん、晴れていません」と返事がありましたが、一応、『今夜、晴れたら、これら2個のPSNを確認して欲しい』ことを頼みました。そして、業務の終了間際の06時02分にダンに『依頼の件は、上尾と八ヶ岳にその確認を頼んだ。ただし、大きな期待をするな。今、日本全域で、大雪が降っている。ここもだ……。冬になると、いつもケンブリッジの雪がなつかしいよ。ところで、コメット・ハンドブック(HICQ 2005)に載せる彗星リストの第一便を受け取った。第二便、第三便が、まもなく届くことを祈っている』というメイルを送っておきました。毎年、年末に発行しているHICQですが、この年は、発行が2ヶ月近く遅れているのでした。業務を終了して、06時30分に新雪を踏みしめて帰宅しました。車が……です。

帰宅して、エアコンで外気の温度を表示すると、外気温は−1℃となっています。『うぅ〜ん。この冬一番の寒波ということは確かだ。でも、ちょっと前に−2℃と表示された日もあったぞ……』と、ケンブリッジで毎年−20℃以下を体験している私にとっては、この気温には、ちょっと、がっかりしました。ところで、今日は、2週間に一度の大掃除、さらに2ヶ月に一度の8枚のマットを洗濯する日でした。07時から始めて10時に掃除と洗濯が終り、眠ることにしました。その頃には、奇麗な晴れわたった青空が広がっていました。

2月1日は20時に起床しました。あたり一面、銀世界になっていることを期待して、すぐ、外を見ましたが、『大変、がっかり……』でした。雪の姿がどこにもありません。それどころか、きれいな星空が、ほぼ、半天に広がっていました。ジャスコで買い物をして、強い風の中をオフィスに出向いてきたのは21時40分のことです。

すると、茅ヶ崎の広瀬洋治氏より20時45分と21時19分に2通のメイルが届いていました。その20時45分のメイルには「おひつじ座にある系外銀河NGC 691に超新星らしき天体を発見しましたので報告します。発見日は、2005年2月1日19時37分JSTで、その光度は15.2等、銀河核から東に4".1、南に1".1の位置に出現しています。35-cmシュミット・カセグレンでの発見です。発見フレームは8枚で、その極限等級は17等級、小惑星と発見済の超新星のチェックは行ないました。極限等級が16.5等級の1月24日の捜索画像、DSSにはその姿がありません。あとで、画像を送ります」という発見報告と、氏による出現位置と銀河中心の測定値が書かれてありました。2通目のメイルには「画像を送ります。1時間半ほど追跡しましたが、移動はありません」と報告されていました。

そこで、中央局への発見報告を仕上げていると、22時00分に麗樹さんより電話があります。女史は「広瀬さんのPSNですが、今、曇っています」とのことです。『ここは、晴れていますよ。今、発見報告を書いています。そちらにも転送します』と話をしながら、報告文を仕上げ、22時12分に広瀬氏の発見をダンに連絡しました。もちろん、このメイルは、広瀬氏と門田氏にも送っておきました。

メイルを見た門田氏より、22時25分に「ご連絡ありがとうございます。しかしながら、まだ会社におりますので、今夜の観測には間に合いません。今は、まだ観測可能な位置ですので残念です」というメイルが届きます。これで、一応、処理が完了したので、広瀬氏の送ってきた画像を測定することにしました。すると,氏から報告された位置は、1"以内に良くあっていることがわかります。また、測光した光度も15.0等と氏の報告と大差はありません。念のため、この結果を『Hiroseが送ってきたJPEGイメージからその出現位置を測定した。この超新星のすぐそば、西北5"の位置に17.6等の恒星がある。Hiroseが報告した東への離角の単位は時間の秒(4s.1)であった。これは、正しくは56".4だ』というメイルとともにダンに連絡しました。22時43分のことです。そして、22時58分に広瀬氏に『ご報告、ありがとうございます。明日、もう一度、確認してご連絡ください。各地とも、曇っているようです。ここは、晴れていますが、風がとても強いです。ところで、つぎの確認依頼が来ています。時間があれば、見ていただけませんか? なお、Apr299は、ウェッブ・サイトにあるリストから消えています。可能でしたらよろしく』と、茅ヶ崎が晴れていることを考えて、早朝にダンから依頼のあった2個のPSNの確認を氏に依頼しておきました。氏からは、23時02分に「PSNの銀河中心からの離角は、時間の秒で測ってしまいました。訂正ありがとうございます。私の位置、光度測定はアストロメトリカです。過去画像を調べましたら、1月24日の他、1月21日、1月11日にも撮影していました。しかし、発見位置には何も写っていませんでした。イメージの良い日で極限等級は17等級くらいですが……」というメイルが届きます。広瀬氏のこの過去画像の調査をダンに連絡したのは23時35分のことです。

日付が変わった2月2日00時40分に思わぬ人からメイルが届きます。群馬の小林隆男氏からです。氏のメイルには「突然ですが、三洋電機には「リフレッシュ休暇制度」というのがあって、5年、または、10年ごとにまとまった休みが与えられます。私は、途中何回か会社をさぼりましたが、さぼった年数も勤続年数に含まれますので、昨年の4月で勤続21年となりました。それで、今年度10日の休みを取ることができます。この休みを2月上旬に取る予定でいます。まだ、予定ですが、休みが取れたら、来週2泊ぐらいで遊びに行こうと思いますが、いかがでしょうか? ちょうど新月の時期ですから、お忙しいでしょうか……」と書かれてありました。これは、もちろん、大歓迎です。

そこで、00時44分に『いいなぁ……。サラリーマンは……。もちろん、大歓迎です。2泊と言わず、もっといてくれてもかまいません。2月は、空いていますので、新月でも、いつでもけっこうです』というメイルを送っておきました。すると、00時54分に「さっそくのご連絡ありがとうございます。明日出社したら、休暇申請の手続きに入ります。来週後半は、地元の天文同好会のイベントに出席する用がありますので、行くのは前半になると思います。ところで、交通手段は新幹線と飛行機(関空、伊丹)では、どちらが良いのでしょうか? ただし,飛行機は苦手です……」という返信が届きます。『何を言ってるの……。中国大陸に何度も出張するくせに……』と思いながら、01時12分に『私は、いつも飛行機を使いますが、新幹線が便利です。東京から新神戸まで3時間弱、新神戸から洲本行きの高速バスが(07:00, 07:30, 08:00, 08:30, 09:00, 毎時00分, 21:00, 21:30)まであります。所要1.5時間弱です。東京駅から5時間弱で着きます。高速バスに乗るときは、新神戸の緑の窓口で、必ず、チケットを買って、1階のバス乗り場に降りて下さい。新神戸からは、だれも、乗ってませんが、全席指定です。三宮まで出ると、もっとたくさんのバスがありますが、その必要はありません。ところで、cfa1が調子が悪く、この前、コンソールがハングアップして、立ち上がらなくなりました。リセットすると今度は、システムが立ち上がらなくなりなりました。ご存知のように、OS/2のマシンからの外部メイルは、すべて、このcfa1からメイル配信をしています。もちろん、メイン・サーバcfansは、生きているので、ウィンドウ・マシンから送れば問題ないのですが……。ウィンドウ・マシンのメイラー(このOUTLOOKです)の使い勝手が悪く、そういう発想が思い浮かばないのです。さらに、困ったのは、cfansから、外部メイルをすべてのマシンに再配送(私のだけでなく、浅見氏や他の一部のユーザ)しているので、その中のcfa1への配送を遮断するのが、今では,何も、記憶に残ってなくって、これまた、大変でした。年のせいか、もう、頭脳メモリーがいっぱいで、記憶できる余地がないのです。また、残った頭脳メモリーも記憶密度が悪くって、中々、覚えておけません。もちろん、古いのから順に消去しているのですが……。やっとのことで、すべてcfa1への回避を行なったつもりで、家に帰ってから『あっ……、いけない。うちのウェッブは、cfa1にあった』ことに気づき、青くなりました。今も、また、コンソールがハングアップしています。端末は、生きていますので、うちのウェッブのコピーをcfansにとって、バックアップを作りました。でも、1つのサーバが止まってこれですから、企業は、いったい、どうしているのでしょうか?』という返答を送っておきました。

さて、その夜の02時46分になって、門田氏から「NGC 2146のPSNを観測しました。銀河の中心核付近に明るい集光部があります。しかし、中心核との分離が確認できず、超新星かどうかはっきりしません。同一光学系の過去画像はありませんでした。なお、25-cm f/5.0反射、極限等級17.5等、ピクセル分解能3".3です」というメイルとともに、この銀河に出現した超新星の測定位置が届きます。氏の光度は14.0等と明るいものでした。そして『この銀河、こんな北天(δ=+78゚)にあるのか』ということを初めて知りました。もちろん、氏の確認は、03時45分にダンに報告しました。すると、業務終了間際の05時54分にIAUC 8474が届きます。そこには、門田氏が確認観測を行なったPSNが超新星2005Vで公表されていました。そして「中央局の要請で、ボレス、パッケト、門田氏がこの超新星を確認した。しかし、出現位置が銀河核に近いために、明るい中心核からの分離ができなかった」と記載されていました。

2月2日夕刻も快晴でした。『あの雪はどこへ行ってしまったのだろう』と思いながら22時35分にオフィスに出向くと、小林氏からの伝言が留守番電話に残っていました。しかし「もう一度かける」とのことですので、それを待つことにしました。また、ダンからは、HICQ用の彗星リスト第二便が14時38分に届いていました。ケンブリッジでは、深夜00時38分ESTです。『がんばっているな。ハッハッハ……。そろそろ、お尻に火がついてきた』と思いながらそれを読みました。19時42分には、広瀬氏から「昨夜はいろいろとありがとうございました。先ほど帰ってきて撮影してみました。昨夜より少し明るくなっていました。撮影時刻は、2月2日18時58分で14.9等です。画像を添付します」というメイルも届いていました。

ところで、氏のメイルのサブジェクトは、すでに「SN 2005W」となっています。『そうか。確認されたのか。良かった』と思いながら、15時22分に到着していたIAUC 8475を見ました。2夜目の確認を待たずに公表されたのは、2月2日13時すぎに撮影されたKAITO超新星サーベイのフレーム上に14.7等で写っているこの超新星の観測が報告されたからです。もちろん、広瀬氏の第2夜目の観測は23時27分にダンに報告しました。そのメイルには『彗星リスト、第二便をありがとう。あと、三便と四便が届くのを待っている』ということをつけ加えておきました。広瀬氏には、3日01時24分に『おめでとうございました。添付ファイルの発見情報を報道各社に送りたいのですが、何かミスがあれば、ご連絡ください』というメイルを送りました。しかし、それから1時間待っても連絡がありません。そこで、02時22分に氏に『先ほどのメイルの件ですが、たぶん、お休みと考えて、02時20分にFAX送信を開始しました。お送りした添付ファイルの一行を変更しましたが、他は同じです』というメイルを送り、報道各社に氏の発見を連絡しました。広瀬氏からは、2月3日22時39分になって「報道の件、ありがとうございました。今日も見てみましたが、また少し明るくなっていました。2月3日20時に14.8等でした」というメイルが返ってきました。

このページのトップへ戻る

超新星 2005ab in NGC 4617, 2005ad in NGC 941

2月4日は、22時40分にオフィスに出向いてきました。すると、その日の午前、10時30分には、ダンからHICQ 2005用の彗星リスト第三便が届いていました。そして、そのメイルには「やった。これがファイナルだ。第四便はない。光度パラメータが書かれてないものはテスト用の位置推算リスト内のものを使え。今年発見の2005 A1と2005 B1は、お前がHICQ 2005に含めたいなら入れる。その場合は、知らせること。これから削除された彗星リストを調べる……」と書かれてありました。そして、10時47分に、その前に私が送ってあった「削除した彗星の中の復活彗星」について、彼の意見が届いていました。さらに12時09分には「やっぱり、第四便があった。これが本当のファイナルだ」というメイルとともに、2005年に発見された2005 A1と2005 B1の新しい光度パラメータが送られてきていました。

この夜は、ダンから送られてきた光度パラメータを使用して、置き換えられた光度パラメータが正しく機能しているかをチェックするために位置推算を計算して、それを5日02時09分にダンに送付しました。HICQ 2005に入れる全彗星160個を再チェックするための20日ごとの光度予報ですが4400行にもなっていました。そのメイルには『ざ〜と、見たが、新しい光度パラメータはうまく動いているようだ。ここにHICQ 2005に掲載する順番別に彗星を並べた。光度予報と彗星をもう一度チェックのこと。昨年10月、最初に送ったテスト用位置推算のあとに、私が変更した光度パラメータがあることに、特に注意のこと。もし、きみから新しいパラメータが指定されていない場合、これらは、置き替わっている可能性が大きい。以下の件を再考のこと。1.我々がHICQ 2004で削除した2003 R1が2004年に観測されている。ただし、HICQ 2004でミスした彗星をすべて調べたわけでない。2.160Pが#76と#156にだぶっている。私は#156を削除した。3.#132と#134に同じパラメータが使われている。これは正しいのか。4.1977 C1には、タイトルにNOTEを入れるべきだ。ところで、掲載する期間を2004年12月1日〜2006年2月4日、2004年12月21日〜2006年2月24日のどちらにするのか。それと、おっ〜と、心配するな。私の方で、位置予報の最後にページ数を入れることは覚えているよ。私は、軌道の選別と編集、印刷に4日が必要だ。そして、UPSで2月10日に印刷原稿を送れるだろう。だから、そこには2月12日に到着する。ただし、この日は土曜日だ』という私の意見をつけて、送付しました。すると、04時18分にダンからその返答が「1.2003 R1は、2005年にはもう暗い。2.はOK。3.はそうだ。4Pと135Pは、同じパラメータだ。4.はOK」。そして「元期は2005年8月18日、2ヶ月以上発行が遅れているので、位置予報の期間は後者にしよう。光度予報のチェックは、今夜に行ない。すぐメイルする。2月10日にそこを出発するのは大歓迎だ。送り先を自宅にしてくれ。それで土曜日に受け取れる」というメイルが戻ってきました。

さて、この夜は、群馬の小林隆男氏から、待っていた2003 T4の観測が06時05分に届いた以外、誰からも妨害されることなくHICQ 2005の編集作業に没頭できました。小林氏の観測から、あらためて、この彗星の運動がCOの昇華による非重力効果でしか表現できないことを確かめ(本誌9月号ウェッブ版を参照)、ニタニタしながら、この日の朝は、06時30分に帰宅しました。

しかし、発見は続くものです……。その2月5日の夜、オフィスに出向いて来たのは、23時35分になっていました。すると、その日の朝、06時45分に一通のFAXが届いていました。そこには「2005年2月4日22時45分にしし座にあるNGC 2930を撮影した捜索フレーム上に15.8等の超新星状天体を発見しました。23時間追跡しましたが移動はありません。今年1月7日撮影した極限等級が17.5等級のフレームには、その姿が見られません」という超新星の発見が報告されていました。『今日が2月5日で、朝07時にFAXが到着。2月4日22時発見。23時間追跡したということは、発見は2月3日か……』と思いながら、これまでに発見されている超新星を調べました。すると、2005年1月19日に発見された超新星2005Mがこの銀河に出現していることに気づきます。発見光度は18.8等ですが、銀河核からの離角があっています。2月4日までのほぼ2週間の間に約3等級増光して、15.8等となったのでしょう。そこで、このことを報告者に連絡しようとして、FAXを送りましたが、通じません。そのため、本人の携帯を呼んでこのことを伝えました。なお、この増光は、6日00時10分にダンに伝えておきました。

小林氏からは、22時39分に「お世話になります。以下の日程で訪問いたしますので、よろしくお願いいたします。2月7日(月)新神戸18時、または19時発の高速バスで洲本へ。2泊して、2月9日に帰宅予定です。なお、2月7日は、秋葉原に寄ってから行きます。何か必要なものがありましたら、お知らせ下さい」というメイルが届きます。

その夜のことです。2月6日01時15分に山形の板垣公一氏から「あぁ〜。中野さん。今、宇都宮の新しい観測所にいます。超新星を1個、見つけました。あとで、メイルしますのでよろしく」という電話があります。01時51分に氏からのメイルが届きます。そこには「りょうけん座にあるNGC 4617に超新星を発見しました。発見時刻は2005年2月6日00時13分JST、光度は16.7等です。10枚以上のフレームで存在を確認、60分間の観測中に移動なし。2001年11月25日の極限等級が18.5等級の捜索フレームには写っていません。DSSとも比べました。最近、1月にパトロールしていますが、写りが悪く参考になりません。なお、栃木県高根沢町に建設した新しい観測所の30-cm f/7.8反射で発見したものです」という報告とその出現位置と銀河中心の精測位置がつけられていました。氏の報告は、02時19分にダンに知らせました。もちろん、そのメイルは、確認のために上尾の門田健一氏と八ヶ岳の串田麗樹さんにも転送しておきました。

すると、02時59分に門田氏から「確認を開始したのですが、風が強く望遠鏡が揺れて、像がボケボケの状態です。微光星が写りませんので、しばらく風が弱まるのを待ってみます」という連絡があります。門田氏は、何とか確認できそうです。しかし、03時27分には「いびつな星像が写ったフレームを捨てながら、撮像を繰り返していますが、断続的な強風がおさまりません」というメイルが届きます。そこで、03時30分に『板垣さんの発見ですので、位置は、確かだと思います。明日の確認をお願いします。今日は、条件が悪そうですので、休んでください』というメイルを送っておきました。しかし、氏からは「ご配慮、ありがとうございます。粘った結果、なんとか点像のフレームが得られましたので、測定中です」という連絡がありました。それを待つことにしました。04時11分には、板垣氏から「何かとありがとうございます。門田さんが確認観測して下さっていること、本当にありがたく思います。このPSNはDSSとの比較だけではないかと思われるかも知れません。ちょうど、発見位置付近に銀河の明るい塊があります。私の画像もあまり良くないですが送ります」というメイルとともに、その発見画像が送られてきます。そして、04時12分には、門田氏より「発見位置に恒星状天体が確認できました。18分間に撮像した3フレームすべてに写っており、移動は見られません。フレームの極限等級は17.8等です」というメイルとともに、超新星と銀河中心の測定位置が報告されます。そこで、04時59分にダンに門田氏の確認を伝えておきました。板垣氏からは、06時11分に「門田さんの観測、ありがとうございました。安心しました。門田さんによろしくお伝えください」というメイルがありました。

06時31分には、編集中のHICQ 2005のサンプルコピーをFAXでダンに送付し『今、FAXで、カタログ・ページと位置予報のサンプルコピーを送った。数値は気にしないで、レイアウトだけを見てくれ。これでOKか』というメイルを送り、07時15分に業務を終えて帰宅しました。HICQの編集は、急がねばなりません。明日には、小林氏がやってきて、そのための時間が取れなくなるからです。

その日(2月6日)の夜は、20時20分にオフィスに出向きました。ちょうど、そのとき、留守番電話が何かを録音中でした。録音音声を止めてあるために誰からのメッセージを録音中かわからないのです。録音が終って、最後の記録を聞いてみると、それは板垣氏からのものです。氏は「もう1個、別の超新星を見つけた。報告をメイルで送りました」という連絡でした。

ダンからは、10時52分に返信が届いていました。そこには「ページはあれでOKだと思う。ページの構成は1/2ページを適当に入れ替えても、また、1/3ページと2/3ページを組み合せてもかまわないが、位置予報の開始日に注意してくれ。もうすぐ、新しいCircularを発行し、Itagakiの発見を公表するつもりだ」という連絡が書かれてありました。

板垣氏からの発見報告は、20時17分に届いていました。そこには「恐れ入りますが、もう一つお願いします。くじら座にあるNGC 941に超新星を見つけました。発見時刻は2005年2月6日18時39分JST、光度は17.4等です。10枚以上のフレーム上で存在を確認。60分間で移動はありません。DSSと2003年9月29日の極限等級が19.5等級のフレームにはその姿が見られません。1月8日の捜索フレームには写っていません。1月22日にも捜索していますが、写りが悪くわかりません。発見は栃木県高根沢町で、機材は同じものです」という報告と、その出現位置と銀河中心位置が書かれてありました。この氏の発見は、20時51分にダンに送付しました。その確認のため、門田氏と麗樹さんにもこのメイルは送られました。

そのメイルには「きみのHICQ 2005へのいくつかのコメントを了解した。明日、Takaoがここに来る。彼は、水曜日(9日)まで、ここに滞在する。だから、今夜中にはHICQ 2005のすべての作業を終了したい。もし、何か希望があるならば、今夜中に送って欲しい。I mean……、それは6日15時UTくらいを意味する」という連絡をつけておきました。21時21分には、門田氏より「こちらは雲が多く、今夜の確認は無理そうです。もっとも、こちらの機材と空による確認対象としては、ちょっと暗いため、また、銀河の腕との重なりによっては微妙です。おおむね17等級をめどに対応します」というメイルが届きます。

21時32分には、ダンに私が決めたHICQ 2005のページ構成を『もちろん、きみも知ってのとおり、私は、弾力的にページ構成を行なっている。ただし、そのために彗星が近日点通過順に並ばないことはかまわないんだな』という連絡を送ります。また、小林氏には『秋葉原で、NECのH98のディスプレイ・コネクターと無停電装置の電源アダプターを購入して欲しい。両方とも特殊なもので見つからないかも知れない。では、お待ちしています』と私の希望を写真つきで説明しました。22時04分のことです。22時47分には、板垣氏から「メイルをまちがって自分に送っているのを、今、気がつきました。NGC 941のPSNの報告をありがとうございました。昨夜のNGC 4617のPSNを、今、確認し撮影しました。もう少し高くなってから測定して報告いたします。ただし、透明度がより悪くなってきました。存在は確認していますが、測定する良い画像が撮れません。でも,もう少し粘ってみます」というメイルが届きます。H98のディスプレイ・コネクターをウェッブ・サイトで調べてくれた小林氏からは「添付のコネクターで良いのでしょうか」という写真つきのメイルが送られてきます。そして、23時09分に麗樹さんから「SNだらけですね」というサブジェクトを持った「昨夜は、東京から戻ってくたくただったので、最初のPSNが2005Mとわかったあと、板垣さんのPSNのメイルがあったのを見たのですが、寝てしまいました。今日は、また外出する予定があったので、昼から出かけていて戻って来たら、また板垣さんのPSNがあり、驚きました。明日は、また早くから会計士さんと話し合いがあるので早めに寝ますので、確認観測ができません。小林さんが来てるみたいで、お忙しそうなのでメイルにて失礼します。小林さんによろしくお伝えください。こちらの手続きが完全に終わるまで、何だか落ち着きません」というメイルが届きます。

23時08分には小林氏に『そうです。もし、余分なものをお持ちなら譲ってください。写真では、オス側が良く分からないのですが、私のものを見ると、オスの方が3列×5ピン(中央の列が、1本抜けている)です。そうなら、それでOKです』を返しておきました。すると、さらにウェッブ・サイトを調査した氏から23時09分に「もう少し調べたら、サンワ・サプライでも同様のコネクタを扱っていることが分かりました。型番は「AD-HD15EP」、外観写真とコネクタ図、それとURLを添付致します。外観写真を見ると2列目の(向かって)左から4本目のピンが欠けているように見えます。サンワ・サプライの商品でしたら、秋葉原で簡単に手に入ると思います」という連絡があります。このとき、すでに、その6日の朝に計算しておいた位置推算をHICQ 2005用に編集を始めていました。編集の大半は、プログラムが行ないますが、どうしても手を加えなければいけない箇所があるのです。そこで、これ以上、メイルを書くことは面倒なので、小林氏には、電話をかけて、写真のもので良いことを伝えておきました。

その日の夜半が過ぎた2月7日00時59分に板垣氏より「さきほどは、ありがとうございました。透明度、シンチレーションが悪いながらもNGC 4617のPSNを観測できましたので報告します。最近、CCDカメラにたくさんのノイズが発生します。測定精度が少し悪いと思います」というメイルとともにその第2夜目の確認が届きます。氏の光度は16.8等でした。そこで、01時26分にこのことをダンに連絡しました。01時52分には、以前に氏から請求のあった『門田氏のメイリング・アドレスは、メイルのプロパティを見ればわかる』ことを伝えておきました。

ダンからは、02時50分に「1/2や1/3ページに掲載する彗星は、近日点通過時刻順にならないことは、これまでもあった。それは問題ない。うまく、偶数にならなければ、どれかを1ページに移せ」という返答が届きます。ところで、門田氏も2003 T4を観測してくれたようです。氏から02時59分に届いた彗星の観測の中にその観測が見られました。

この夜(2月7日)の03時50分に超新星2005Mの発見報告があった同じ方から「NGC 2780の中心核から南東30"の位置に16.5等の超新星状天体を発見した」という連絡があります。板垣さんが、まだ高根沢の観測所にいます。そこで04時00分に、この確認を氏に頼みました。すると、04時10分に「その超新星は存在しない」という確認が届きます。そこで、このことを報告者に連絡しました。

05時31分と05時38分にダンに最終的に決定したHICQ 2005のページ構成を連絡しました。そのメイルには『やっと、70ページまでを編集した。そこで、ページ数が何ページになるのかをちょっと考えた。その結果、149ページとなった。そのため#71からあとの彗星を1ページに移したい。候補は、101Pと98Pだ。それでOKか』というメイルを送りました。その後も編集作業は続きます。すると、07時57分にダンから「申し訳ない。今まで、ギャレット夫妻とブライアン夫妻とともにゲームを見るために出かけていた。それで、連絡が取れなかったんだ。101Pと98Pをフル・ページへ移すことでけっこうだ。もし、今後、急な決定があって、私と連絡が取れないときは、お前の決定に従う。私は、常に、お前の判断を信用しているのだから……」というメイルが届きます。そのころ、やっと、最終ページまで、編集が進んでいました。あとは、ページをつければ終りですが、これは、プログラムで実行できます。そのため、ほっとして帰宅することにしました。今夜は、小林氏が訪れてきます。久しぶりの再会です。どんな話をしようかとそれを楽しみに08時05分に帰宅しました。[この項、次号に続く

このページのトップへ戻る