天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

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2005年10月5日発売「星ナビ」11月号に掲載

未確認超新星(PSN)in無名銀河

先月号の続き]

11月22日夕刻、オフィスに出向いてくると、麗樹さんから07時17分に「すぐに、板垣さんより返信ありました。たくさんの画像があると言っていたのは、発見当日のものだったようで、中野さんのおっしゃるとおり、発見日以降、一度も晴れないそうです。どうも板垣さんとの会話には、勘違いが多い気がします。板垣さんのメイルには「もう遠い過去の話のような気がします」などと恨み節のような言葉が書いてあり、もう、観測しなくても良いような感じでした。私は、明日23日は、朝07時起きで一人で東京に行きますので、本日は、早めに夜00時には就寝予定です。ご承知おき下さい。なお、戻るのは22時過ぎになると思います」というメイルが届いていました。そこで、女史には、その夜の23日02時56分になって『どうも、板垣さんの発見直後の対応が完全ではありません。9月と10月の超新星も、発見をダン(グリーン)に連絡したら、すぐそのあとに「もっと、最近の観測があります」と言ってくるんだもん……。ところで、新星と板垣氏の超新星は、今夜は、観測できるのですか? 新星が明るくなっているならば、教えてください』というメイルを送っておきました。

その夜、11月23日明け方になって、板垣氏から「PSN(=Possible SuperNova)を再観測できた」という電話があります。そして、04時47分、氏から「おはようございます。11月10日に確認依頼お願いしたPSNを先ほど観測しました。私の過去画像は、最高に良い画像はありませんが、今までの経験では本物と思われます。いろんなDSS(=Digital Sky Survey)も調べました。いずれも、それらしき恒星状天体は存在しません」というメイルとともに、板垣氏の第2夜目となる観測が届きます。その光度は17.8等で、明るくも暗くもなっていませんでした。しかし、フレームの極限等級が書かれてありません。そこで、05時35分に『PSNの件ですが、フレームの最微光星は、いったい何等くらいなのですか。それと、3月の観測があるとあとで言っていましたが、その情報もつけてください。その最微光星も……』という問い合わせ、そして、06時29分にダンに、板垣氏の確認観測を送っておきました。そのメイルは『Itagakiの11月10日のPSNをまだ覚えているか』から始まり、『彼によると、この2週間、曇りだったとのことだ』で終っていました。ここで、今夜の業務は、これで終了して、帰宅することにしました。06時45分のことです。自宅では、ワンちゃんが待っていましたので、買っておいたコロッケとパンを半分あげました。この朝は、新星発見時の夜(21/22日)に仕上げた星図と全天図の原稿を天文ガイド編集部に送った朝でもありました。

11月23日は、定刻21時30分にオフィスに出向いてきました。すると、その朝に問い合わせておいた板垣氏の確認フレームの限界等級の返答が06時44分に到着していたことに気づきます。そこには「先ほど撮影した確認画像の最微光星の件ですが、ソフト上での最微光度は19.4等になっています。また、信頼できる光度は18.6等になっています。PSNは、確実にゆとりを持って写っています。ただし、明るさはソフト上でのレベル設定でかなり違ってきます。過去画像の中で、2004年3月20日に撮影した画像もそれに近いものです。PSN天体より暗い恒星が確実に写っています。その銀河もDSSと同じ感じで写っています」と報告されていました。そして、その直後の07時04分と07時18分には、PSNの画像とDSSの画像が、麗樹さんと私に送られてきていました。DSSの画像を見ると、氏の言う発見位置には、何か雲状のHII領域の塊があるように私には思えました。

さらに、08時04分には、ダンから「Itagakiは、彼のフレームの極限等級、波長域、DSSの撮影日を報告しているのか。我々は、限界等級より1等級以内で発見された超新星は、公表を控えている。当然、お前も、これは、わかっているだろう」というメイルが届いていました。つまり、板垣氏の発見光度は17.8等で、発見報告で示した極限等級が18.5等であるために、これに引っかかっているのです。また、板垣氏が麗樹さんに送った「先日、電話さしあげたとき「PSNのこの辺に恒星かノイズがあります」とご指摘をいただきましたが、そのことが、気になっています。私の画像と比べていかがなものでしょうか。また、串田さんの過去画像と比べていかがですか。これから上京です」という09時10分のメイルがccされて届いていました。その夜の22時41分にダンにこれらの状況を知らせるために『Itagakiからの発見報告は、ときどき、私の方でも、混乱することがある。今朝、確認画像の極限等級を問い合わせたところ、彼から、18.6等だと返答があった。何時撮影されたDSSとチェックしたのか?の件だが、彼は、次のウェッブ・サイトにあるものだと答えている。ところで、彼は、後になって、この銀河を2004年3月20日にもサーベイしていたことを報告している。そのとき、このPSNは、見られなかったとのことだ。今日になって、その極限等級は、今朝の確認フレームと同じくらいであることも報告している。今朝のメイルには、波長域を示すRがなかったが、これは、彼がつけ忘れたのだろう』というメイルを送っておきました。

23時28分には麗樹さんより「23時に戻りました。快晴で新星の場所は、まだまだ撮れる位置ですので、食事しながらCCDを冷やして、後で観測してみます。ところで、中野さんのところにも届いていると思いますが、板垣さんは画像に不安があるのですね。「REAL SKY(DSSのモザイクの荒い感じの廉価版)の画像と見比べてどうでしょうか?」などと今頃、言ってきました。板垣さんは、私が今日は東京に出ていることを知らないのです。もう一度ちゃんと観測して精測して確認観測として報告して欲しいようです。午前03時を過ぎないと林の上に上ってこないので、今夜は、その時間まで起きていられるのか心配です。一応、新星を観測して、今夜のシンチュレーションを見てみて、ピントが出るようでしたら、頑張ってみます。新星の観測を後で送ります」というメイルが届きます。なお、このメイルにある、とも座の新星の麗樹さんの光度観測(11月23.67日に8.2等)は、11月24日01時19分にFAXで届き、03時27分にそれを中央局に報告しておきました。

そして、11月24日04時13分に麗樹さんから、板垣氏のPSNの観測がFAXで届きます。そこには「板垣さんのPSNを撮りました。現在、18.2等ですが、今夜の極限等級ぎりぎりでの撮影です。過去の画像は、2002年12月28日と2004年2月23日のものがありますが、2002年のものは、極限等級が17等級で比較画像として使えません。2004年のものは18.5等級です」と報告されていました。超新星の出現位置は、板垣氏から報告のあったものと0".3以内に一致しています。そのため、女史は、同じ天体を観測していることに間違いはありません。そこで、この観測をダンに知らせておきました。04時23分のことです。

すると、その20分後の04時45分にダンから「Syuichi、私は、変光星がそこにあるということを疑っているわけではない。心配なのは、銀河の近くに変光星があって、それが、たまたま、あたかも超新星出現のように見えることだ。だから、スペクトル確認なしの超新星発見を確定する場合、フレームの極限等級は2等〜3等級(あるいは、それ以上)、その候補となる星より、暗いことが要求される。このケースでは、Itagakiのフレームには、PSNよりわずかに0.7等〜0.8等しか暗い星しか写ってない。しかし、DSSの極限等級は、通常、20等から21等であるが、その普及版によっては、15等〜17等くらいしか写ってないDSSも出回っている。そのため、Itagakiの比較に使用したDSSの日付、波長域、極限等級が知りたいのだ」というメイルが届きます。そこで、05時01分に板垣氏に『グリーンから、下のようなメイルが来ています。これに従って対処してください』という注釈をつけて、転送しておきました。

ところで、星ナビ9月号(新天体発見情報001「超新星 2004ez in NGC 3430」)にも書いたとおり、板垣氏のフレームには、氏が言う極限等級より、さらに暗い星が写っていることを私は知っています。しかし、氏の発見報告に報告されている極限等級を変更して、ダンに伝えることはできません。ただ、一応、そのことは『Itagakiにきみのメイルは転送した。もちろん、スペクトル確認がない超新星を確定するために、発見等級よりフレームの極限等級が3等級暗いことが必要であるというきみの意見には同意する。私も、彼が60cm反射で撮影したフレーム上の極限等級を、いつも、18.5等級と報告してくるのは奇妙に思っている。彼は、同じフレーム上に写っている20等級の小惑星を発見することもあるのだから、実際には、彼が言う極限等級よりはもっと暗い星が写っているはずだ』というメイルをダンに返しておきました。06時12分のことです。

その日(24日)は、いつもより早く起床し、15時30分に自宅を出て、たまっていた世俗での用をすませ、オフィスには18時20分に出向いてきました。すると、その少し前の17時48分に麗樹さんからのメイルが届いていました。そこには「ダンの判断は、慎重、かつ正確ですね。指摘されて、気がついて、今頃になってから天文台のDSSのB,R,Iの各色の画像を見てみました。10数枚の過去画像がありました。RとIの画像ではPSNと同位置にはっきり星雲か恒星状のobjectがありました。すみません……。新星ではないのでDSSのRやIの画像をチェックせず、自分の使用しているB画像のみのDSSのおもちゃ版(Real Sky)を確認しただけでした。また、比較参照用の自分の元画像も、この銀河が入っている画像が本年2月のもの1枚しかなかったのですから、確認したとは言えないですね。私も眠かったから確認をきっちりしておらず、申し訳ありませんでした。そういえば、昨夜の画像は恒星状ではないなぁ……、と思いながら測った気がします。ピントが甘いからだとばかり思い込んでいましたが、星雲状の固まり全体が、変光しているのかもしれません。今後は極限等級近いもので、自分の過去の元画像が殆どないものは、きちんとDSSのRやI画像もチェックするようにします。板垣さんどうするでしょうね……」という意見が書かれてありました。

その夜、25日00時03分に板垣氏から使用した「DSSの極限等級が19.4等〜19.6等である」ことが報告されます。氏のメイルには「私は、過去画像の極限等級を安全を考えすぎて明るく報告していたようです。上記のDSS、私の過去画像と比べてもPSNはゆとりを持って確認できます」と書かれてありました。氏の報告は、その後も続きますが、超新星出現を確定できる決定的なものではありませんでした。そのため、結局、板垣氏の発見したPSNは、17.8等級と暗いためか、スペクトル確認もなく、公表されずに終ってしまいました。ただ、この一連の処理は、これまで、第2夜目の確認があれば公表されると漠然と思い込んでいた、スペクトル確認がない超新星を確定するための中央局の本音、つまり、「超新星の出現光度より、3等級以上の暗い星が写っているフレームが必要である」が聞けた一つの貴重な経験になりました。

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超新星 SN 2004gk in IC 3311

2004年11月27日朝は、02時に帰宅し、03時30分に睡眠、05時45分に起床し、07時30分発の高速バスで新神戸に向かいます。この日は、静岡に所用があったのです。そして、オフィスに戻ってきたのが、27日21時20分のことでした。すると、その日の昼、11時40分に中央局のグリーン(ダン)から「Syuichi、私は今、旅行中で、明後日に帰宅の予定だ。しかし、マクドナルド天文台の観測グループが、11月25日と26日21時におとめ座北域にあるIC 3311の中に13.3等級と明るい超新星を発見した。超新星は、銀河核から西に1.5、北に2".7の位置に出現している。日本の誰かにこの確認を依頼してくれないか。彼らは、24時間に0".7ほど動いたかも知れないと言っている。しかし、これは、測定エラーの範囲内で、彼らは、この星を超新星であると考えている。だれか、ちょっと、確認してもらうことが重要だ。私は、11月28日03時にボストンに戻る」というメイルが届いていました。

このメイルを見て、すぐ、上尾の門田健一氏と八ヶ岳の串田麗樹さんにダンのメイルを転送しました。21時34分のことです。しかし、確認を依頼した一人、門田氏は、今日、静岡に来ていたことを思い出しました。そのため、『ひょっとしたら、メイルを読むのが遅れるかも知れない』という不安が心を横切りました。そのため、22時18分に麗樹さんに『今、お願いした超新星の位置を見ました。明け方の低空で、八ヶ岳では、林の中の危険があります。では、門田さんがやってくれるだろうと思ったのですが、門田氏は、今日、静岡に来られていましたので、これも、ちょっと危うい感じです。すみませんが、状況を見てお知らせください』と連絡しておきました。

しかし、そんな心配は不要だったようです。その直後の22時23分には、その門田氏より「新幹線を使わなかったので、時間がかかりましたが、21時過ぎに帰宅しました。お話ができず、残念でした……。今、カメラの冷却を始めましたが、まだ、地平線下でした。昇ってきましたら向けてみます」というという今夜に確認できるというメイルが届きます。しかし、ダンは、氏の確認を待つことなく、11月27日22時35分に到着のCBET 99でこの発見を公表しました。そこには、アリゾナのマックガハによる27日20時頃の確認観測で、この超新星が13.6等であったことが報告されていました。しかし、ダンは、このとき、まだ、旅行中であったはずです。

門田氏も、このCBET 99の到着に気づいたようです。22時40分には「すでに、スタンバイしているのですが、CBET 99で公表されましたね。中心核からの離角が小さいですので、1.4倍のテレ・コンバータを入れても、こちらの観測システムは、2.3"角/ピクセルです。銀河核と分離せず、測定できないかもしれません」というメイルが届きます。そこで、22時47分に『はい。やらなくって、けっこうです。他の天体を観測してください』というメイルを送付し、この確認作業を終了することにしました。

しかし、その夜の11月28日04時31分になって、門田氏から「観測は不要でしたが、銀河中心核に近い超新星の測定精度を確認したかったので、向けてみました。結果は、超新星が明るかったため、中心核の影響は受けずに位置が測定できたようです。逆に中心核の位置は測定できませんでした。25cm f/7.0相当+CCDで、光度の比較星は、Tycho-2カタログのV等級です」というメイルとともに、氏による測定位置が届きます。氏の光度は13.7等となっていました。もちろん、この観測は、04時34分にダンに送付しました。そこには、『Don't worry、Kadotaも私も、すでにこの超新星がCBETにアナウンスされたことを知っている』と書いておきました。ダンは、門田氏のこの観測を正式な公表となる11月28日06時13分に届いたIAUC 8446に取り上げてくれました。

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LINEAR彗星(2004 U1)

2004年12月3日の深夜、02時25分に上尾の門田健一氏からLINEARサーベイで2004年10月20日に発見されたこの彗星の11月23日03時前と12月3日00時すぎに行なわれた観測がまとめて送られてきます。氏の観測では、11月23日には17.3等であった彗星が、12月3日では13.8等と4等級近く増光しています。しかし、氏のメイルには、彗星の形状がどのようなものか、その報告がありませんでした。

さて、この彗星は、同サーベイで、かに座を撮影したCCDフレーム上に19等級の小惑星状天体として、発見、報告されたものです。しかし、発見同日に、この天体を確認観測したドイツのクネフェルは、天体には、淡いコマがあること、また、英国のバートホイスルが10月21日に撮影したCCDフレーム上でも、天体には、拡散した9"のコマの痕跡と北西に 12"の太い尾の痕跡が認められ、天体は彗星であることが判明しました。

門田氏の観測が報告されたこの時点で、11月22日までの観測しか報告されていませんでした。従って、まだ、誰もこの彗星の増光を知らないはずです。門田氏の観測から新しい軌道を決定し、05時11分にOAA/CSのEMESに『上尾の門田健一氏の12月2日UTの観測によれば、この彗星は、予報光度より4等級ほど明るく、CCD光度で13等級(H10=8.0等)まで、増光しています。これは、それまでの観測光度、たとえば、11月22日UTの門田氏のCCD全光度17.3等(H10=11.5等)にくらべて、H10で 3.5等級ほど増光したことになります。下の光度予報は、門田氏の観測から、推定した今後の予報光度です』というコメントを入れて仲間に伝えました。また、同時に中央局のダンに彗星の増光を伝えました。05時26分のことです。なお、1日後、門田氏からは、その夜の12月3日22時頃に行なわれた観測が報告されています。彗星のCCD全光度は13.8等で、その明るさに大きな変化はなかったようです。その後、彗星の観測は、2005年8月27日(19等級)まで、追跡観測されています。

ところで、この彗星の増光は、12月8日発行の山本速報No.2449で紹介しました。ダンも、門田氏の11月23日と12月3日の観測を含め、この彗星の増光を2005年2月6日発行のIAUC 8478で取り上げました。門田氏の報告より、2ヶ月も経ってからです。『こんなに遅れては意味がない』とも思ってしまいますが、『まぁ、仲間の観測を取り上げてくれた』ことで『良し』としましょう。なお、この号は、山形の板垣公一氏の今年初の発見となる超新星2005abが公表された号でもあります。

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アポロ型特異小惑星(2004 RZ164)

2004年12月8日は、明け方に山本速報を発送し、夜22時45分にオフィスに出向いてきました。オフィスに出向いてくると、まず、5台のコンピュータの電源を入れます。オフィスにいないときは、3台のサーバを除き、その他のコンピュータの電源は落してあるのです。すると、その作業中に電話が鳴ります。受話器をとると、美星の浅見敦夫氏からです。氏は「デブリの観測中に、空を高速で移動する11等級の天体を発見した」と言うのです。そして「動きから見て、これはデブリではありません。これから観測を送ります」と話をして電話を切りました。23時10分にX03885と名付けられた天体の8日21時23分の発見観測から22時47分までに行なわれた12個の観測が届きます。

美星での観測時間は、わずかに 1.5時間ほどしかありませんが、動きが早いので軌道決定、そして、12個の観測を使用して、軌道改良ができます。すると、T=2004年11月26日、q=0.9855AU、e=0.5566、ω=346゚.1、Ω=75゚.4、i=12゚.4、a=2.22AUのアポロ型特異小惑星です。『やった! 久々々……ぶりの大快挙じゃ……』と胸の高鳴りを感じながら、計算されたその予報位置を見ました。すると、美星でこの小惑星を発見したとき、小惑星は、すでに地球に0.016AUまで接近しており、空を日々運動21゚.7の超高速で移動しています。『何とラッキーなことか。デブリ・サーベイの最中に向こうから小さな窓枠に飛び込んで来てくれるとは……』とニタニタしました。

でも、そのとき、ふと、『すでに、どこかで発見されているのでは……』という不安を感じます。その不安を払拭するために、知られた天体とのチェックを行なおうとしたそのときのことです。電話が鳴ります。いやな予感を感じて受話器をとると、浅見氏でした。「すみません。今の高速天体は、2004 RZ164でした」とのことです。『げぇ……、そんなアホな……』と思いながら、すでに発見されている天体とのチェックをすると、この小惑星は、2004 RZ164に間違いありません。2004 RZ164は、その仮符号から9月上旬にすでに発見されていた天体であることがわかります。『こんな過去のものが、なぜ、今頃、明るくなるんだ』と思いながら、その発見が公表されたMPEC 2004-R84を見ました。小惑星は、サイデング・スプリングで発見されたもので、発見光度は18等級でしたが、その号では、12月上旬には12等級まで明るくなると予報されていました。『あの興奮は、何だったのか』と、どっと疲れを感じながら、その軌道を改良することにしました。観測を集めると、我が国でも、すでに、雄踏の和久田俊一氏から12月7日10時38分、そして、美星から報告のあったその日の10時05分にも、それぞれ、6日と7日の追跡観測が届いていました。『何だ。もっと注意していなければ……』と反省しながら、軌道を改良しました。

そのときまでに公表されていたすべての観測を使用して得られた軌道は、T=2004年11月25日、q=0.9829AU、e=0.6150、ω=344゚.2、Ω=75゚.4、i=13゚.8、a=2.55AUと、1.5時間の美星の観測から得られたものと大差はありませんでした。そして、その夜の9日00時00分にOAA/CSのEMESに『美星で行なわれているスカイ・サーベイで、12月8日夜、日々運動が21゚以上の超高速で動く、11等級の明るい天体がキャッチされました。同所の浅見敦夫氏の調査では、この天体は、すでに9月に発見されていた2004 RZ164であることが判明しました。我が国では、この小惑星は、雄踏の和久田俊一氏により、これまで追跡されていました。12月7日の同氏の光度は12.0等、8日の美星での光度は11.5等でした。小惑星は、2004年12月8日18時に地球に0.01798AUまで接近していました。なお、最接近は、過ぎましたが、小惑星は、今後、しばらく明るく観測できます』というコメントをつけて、仲間にこれを知らせました。

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LONEOS周期彗星(2004 VR8)

2004年12月10日夜は、定刻21時にオフィスに出向いてきました。すると、その少し前の20時54分に久万の中村彰正氏から12月8日と9日に行なわれた小惑星2004 VR8の観測報告が届いていました。氏のメイルに「視野の他の恒星と比べ、この小惑星の像は少し弱い。南東側に尾があるように見える」というコメントがつけられていることに気づきました。氏は、この小惑星の光度をすでにCCD全光度として、12月8日に17.3等、9日に17.4等として報告していました。従って、氏は、この記述には自信があるのでしょう。

さて、この小惑星は、近日点距離q=2.38AU、離心率e=0.51の軌道を動く特異小惑星で、LONEOSサーベイで2004年11月3日におうし座を撮影したCCDフレーム上に発見されたものです。発見光度は17等級でした。この小惑星には、仮符号2004 VR8が与えられ、小惑星として登録されていました。中村氏の観測は、中央局にも届いていますので、サイデング・スプリングのロブ(マックノート)にこのことを伝え、この天体の形状を確認してもらうことにしました。23時37分のことです。そこには、中村氏までの観測から計算した新たな軌道と予報位置をつけておきました。ロブからは、同夜の11日01時11分に「ありがとう。明日、1.0m反射を向けて見よう。結果がわかったら連絡する」というメイルが届きます。

しかし、この天体の形状を報告していた別の観測者がいました。そのため、ダンは、11日05時08分到着のIAUC 8451で、この小惑星は彗星であることを公表しました。そこには、「11月19日に、カテリナの1.54m反射で、この小惑星の観測を行なったハーゲンローザは、天体には10"のコマと南東に16"の尾があることを認めた。また、12月8日と9日に60-cm反射でこの天体を観測した久万の中村彰正氏も、小惑星が写野にある恒星よりは、わずかににじんでいることと南東に淡い尾の痕跡らしきものを観測し、この小惑星は、彗星であることが判明した」と二人による形状確認が紹介されていました。

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SWAN彗星(2004 V13)

2004年12月17日に彗星状天体を発見したという報告がありました。この天体は上尾の門田健一氏にその確認を依頼しましたが、結局、何かのゴーストであろうということで、12月19日にその作業を打ち切りました。

さて、11月30日、オストラリアのマチアゾから「SOHOウェッブ・サイトにある11月9日から25日に撮影されたSWANイメージ上に淡い天体が動いているのを見つけた」と、その位置の報告がありました。これが実在する彗星ならば、その動きから12月には、C3カメラの写野に入ってくることが予想されました。12月16日になって、ヘーニッヒからC3カメラの映像に1本の尾がある彗星が見られること、また、バッタムによると、彗星の光度は、16日に6等級であることが報告されます。

彗星は、その後もC3カメラの中を動き、その光度を私の方で測光すると、彗星は、17日には3.1等まで明るくなっていました。しかし、19日には、その測光値は4.9等と少し暗くなってしまいました。これは、これまでに発見されたSWAN彗星のように、彗星が減光中かと、ちょっとが気がかりなことですが、この状態を保てば、彗星は、1月上旬に西の空に見えるようになるはずです。SOHOの11月の観測を含め、決定した軌道からその位置を計算すると、北半球の中緯度では、天文薄明終了時での地平高度は、12月29日に+0゚.7、31日に+3゚.0、1月2日に+5゚.3となります。『彗星の観測は、来年に入ってからか……』と安心しました。というのは、このとき 12月28/29日の夜は、この年、最後の発行となる山本速報(YC)No.2452、2453、2454を編集していた真最中で、この彗星を発行日の一番古いものに設定したNo.2452(12月25日)のトップに入れていたからです。

12月28日22時頃、すべての編集を終り、これから発送作業を……と考えていました。そのとき、22時28分に上尾の門田健一氏から一通のメイルが届きます。サブジェクトが「2004 V13」となっています。『何だろう。まさか……』と思いながらメイルを見ると、氏が12月26日17時半前に行なった2個のこの彗星の観測が報告されていました。氏の観測は、地上から行なわれた初めて観測です。また、氏の彗星のCCD全光度は10.1等と、太陽接近時の光度にくらべて、大きく減光していました。『ぎゃ、YCを再編集しなければ……。でも、3日前の観測だから、もう少し早く送ってくれれば良いのに、ブツブツ……』とつぶやき、そして、ムカムカ……しながら、YC用に作成した天文薄明終了時の高度角を見ました。この日の天文薄明終了時(18時25分)には、彗星の高度は−3゚.2となっています。しかし、門田氏が観測した時刻は17時26分です。この時刻の高度角を計算すると+4゚.2となり、彗星は、確かに地平線上にあります。そのため、急いで、門田氏の観測を含め、軌道を再決定することにしました。SOHOの観測には、角度で1'程度の誤差があるため、軌道決定に地上からの精測位置を含めることは、今後の観測に、きわめて重要なウェイトを持つのです。

このとき、2004年12月16日から20日までに行われたSOHOの観測のみから決定した軌道から氏の観測のずれを見ました。すると、赤経方向でΔα=+14"、赤緯方向でΔδ=+18"と、SOHOのラフな観測だけからでも、その軌道は、比較的、良く決定されていました。門田氏の観測を加えた新しい軌道と予報位置は、23時14分にOAA/CSのEMESに入れ仲間にこれを知らせました。また、とにかく、これらの情報をYCに入れることにしました。しかし、もう、スペースがありません。しかたなく、山本速報No.2452に入れていたこの彗星の情報を山本速報No.2454(発行日12月29日)へと移し、スペースの調整を行ない、封筒につめたこの年最後のYCを29日朝、郵便局の前において帰宅しました。

ところで、門田氏は、このあとも、12月31日03時42分に、その夜30日17時半すぎに行なわれた2個の観測が報告されます。さらに、03時48分には「12月26日は、地平高度が約4゚の観測で、CCD全光度が10.1等、コマ視直径1'.0、集光が弱い像でした。低空の悪条件のため写りが良くないと思っていたのですが、12月30日に高度約7゚での観測でも、光度が10.9等、コマ視直径1'.5で、集光がかなり弱い拡散像で、26日と同じ様な姿でした。彗星が減光し、コマが大きくなっていますが、低空の透明度の違いが無視できないため、拡散が進んでいるかどうかは、断定できません」というメイルも届きました。門田氏には、12月31日04時45分に『さっそく、返事をどうも。今度は、バッチリ決まっていますね。今年は、帰郷しないのですね。12月29日に YC 2452, 2453, 2454を発送しました。しかし、年末の郵便事情か、今日(30日)、ここには届きませんでした。2003 V13の第1夜目の観測をいただいたのは、その編集終了直後でした。まだ、観測は来ないと2003 V13をYC 2452のトップに入れていたのですが、あわてて、それをYC 2454の最後に移しました。行のつじつま合わせに苦労しました。多分、今日(31日)に届くと思います。通常ならばですが……。ご覧ください』というお礼のメイルを送っておきました。

なお、氏は、このあとも、この彗星を1月1日に11.6等、2日に11.9等、8日に12.8等と観測しています。しかし、この彗星は、この頃から拡散し、結局、門田氏の2005年1月8日の観測が最終観測となりました。

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