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天文雑誌 星ナビ 連載中 「新天体発見情報」 中野主一

059(2009年9月)

226P/ピゴット・LINEAR・コワルスキ周期彗星 P/1783 W1=2003 A1=2009 R2

2009年9月5日16時58分、イタリアのソステロから1通のメイルが届いていました。そこには「最近になって私はLINEAR周期彗星(2003 A1)の検出を試みている。しかし、まだ成功していない。ただし、彗星は星の密集域にいる。捜索画像の極限等級は19.5等級、写野は2゚.0×1゚.5だ。幾人かの仲間と議論しているのだが、この彗星は2006年9月に木星にきわめて接近したためにその軌道への影響が大きかったものと考えられる。そのため、事実上、見失われた彗星として捜索すべきなのだろうか。仲間の幾人かは予報位置から約17゚×17゚の範囲を捜索すべきだと言っている。しかし、これが事実だとすると私の機材ではそのような広い範囲をカバーすることができない。そのため、この捜索はあきらめて、プロの全天サーベイの写野中に入り込んでくることを待たねばならないだろう。私は、他の天体のサーベイを行った方が良いのだろうか。きみの意見を聞きたい。今回の回帰での予報の誤差はいくらくらいあるんだい」という問い合わせが書かれてありました。

そこで、その日の朝、9月6日06時21分になって『私は、日本の天文雑誌や山本速報に君たちの観測をいつも使わせてもらっている。ありがとう。問い合わせのP/2003 A1の件だが、この彗星は2003年の回帰時に3か月間、観測されている。普通に予測すれば、今回の近日点通過の誤差は数日程度であろう。たとえば私の計算では、2003年の軌道の周期の平均誤差は、NK 1317にあるとおり±0.18日であった。しかし、CCD観測になってからの経験では、実際の誤差はこれより10倍以上大きい。したがって、われわれは±1.8日ほどの範囲を捜索する必要があることを意味する。これは、誤差の幅にして3.6日分だ。もちろん、きみの言うとおり、彗星は2006年9月10日に木星に0.06AUまで接近しているために、軌道の誤差がより増幅されて、その分の加算が必要だろう。ところで、NK 919に示されたとおり、この彗星と1793年に出現したピゴット彗星(D/1793 W1)との同定が正しい場合、今回の近日点通過は2009年10月14日と予報されている。しかし、私は、この予報(近日点通過)は、正しいとは思っていない。というのは、この連結は半ば強制的に行われ、求められた非重力効果はほとんど現実味のない値だ。したがって、NK 1317にある予報の近日点通過2010年6月16日±4日(以上)を探すことを奨める。なお、私は、D/1793 W1=P/2003 A1との同定は正しいものと思っている。ということになると、2003年の発見時は、彗星は、増光していたのだろう。そのため、彗星はHICQ 2008/2009にある光度予報より少し暗いことを考えて捜索してほしい』というメイルを送りました。

ここで、2003年に発見されたLINEAR彗星の紹介をしておきましょう。この彗星は、LINEARサ−ベイで2003年1月5日にくじら座を撮影したフレ−ム上に発見された新彗星です。発見当初は、18等級の小惑星状天体として報告されました。しかし、天体はハレアカラのNEATサ−ベイで撮られた1月7日と8日のフレ−ム上にも捉えられていました。そのとき、天体は少し拡散状に写っていることが報告されます。さらに、クレットやオンドレヨフで行われた追跡観測でも、ぼけていることが報告され、彗星であることが判明したものです。日本でも、初期の観測として、上尾の門田健一氏から1月11日の観測(CCD全光度17.5等)、久万の中村彰正氏から1月17日の観測(同17.8等)が報告されています。彗星発見直後のごく初期の軌道決定では、1783年に出現し、その後に見失われたピゴット周期彗星の軌道に似ていることが指摘されました。たとえば、下の左にあるこの彗星の軌道は、1月5日から17日までに行われた70個の観測から決定したもので、右は彗星カタログに掲載された1860年にピーターズによって決定された軌道です。

      P/2003 A1 (LINEAR)  D/1783 W1 (Pigott)
 T = 2003 Feb. 1.650 TT  1783 Nov. 20.430 UT
ω =      357.262             354.651
Ω =       55.235              58.679   (2000.0)
 i =       46.233              45.128
 q =        1.91346             1.45929 AU
 e =        0.47639             0.55246
 a =        3.65434             3.26066 AU
 P =        6.99                5.89    年

もちろん私は、この2個の彗星の連結軌道を計算することを試みました。しかし、彗星の周期が不確かなため、連結軌道の計算にもっとも重要な彗星の1873年から2003年までの公転数がわかりません。ここまでに得られている周期では、彗星は、1783年から2003年の期間に29公転から37公転くらいした可能性があります。そこで、彗星がこの期間に33公転していると仮定して、2回の出現を結びました。結果は、何の問題もなくうまく連結できました。なお、33公転の場合、彗星は、木星に1793年、1852年、1864年、1923年に1.0AU以内に接近していました。この間の地球にもっとも近づいたのは最初の1783年の出現でした。この連結軌道は、当時の『天文ガイド』2003年3月号にあります。さらに、その後の観測を加えた連結軌道が山本速報No.2383にあります。このときもうまく連結できました。このような結果から、私は『この同定は正しい』と判断しました。しかし、採用されませんでした。今になって考えてみれば、このとき、天文電報中央局はこの2個の彗星は同一であると公表しておくべきでした。

というのは、何百年も離れた観測を結ぶ場合、どちらか一方の観測期間が長くなってくると、軌道改良時の微妙な軌道のずれ(軌道にもともとある微々たる誤差)が、その長期間の間に彗星が受ける摂動を微妙に変え、また、彗星固有の運動が微妙に異なってくるのです。そのため、連結軌道の計算がしだいに困難になります。事実、2003年の観測期間が延びてくるにつれ、1783年の観測との連結が困難になってきました。そのようなとき、計算者は、非重力効果を加えて何とかしようという安易な手段を考えます。私もまた、非重力効果でこのことを解決しようとしました。その最終結果が2003年3月14日に発行されたNK 919にあります。最終結果というより、非重力効果を考慮しても、2回の出現は、ここまでしか結べなかったのです。しかも、この連結軌道は、2003年の観測群の中で、1月15日から2月10日までに行われた観測を無視して連結したものでした。この連結軌道は、ソステロへの返答にあるとおり、非重力効果(A1=-4.18、A2=+1.3086)が大きく、現実離れした連結軌道でした。そして、彗星は、2003年4月6日に行われた中村氏の観測(CCD全光度16.7等)を最後に私たちの視界から遠ざかっていきました。私は、この連結軌道を信用できないために、2003年の全観測から決定した軌道から計算した今回の予報をNK 1317に公表しました。2003年4月13日のことです。ソステロからは、翌朝9月7日04時25分に「情報をありがとう。この彗星の検出にベストを尽くしてみるつもりだ」というメイルが届いていました。

ところで、ソステロ氏ら以外にも、幾人かの人たちがこの彗星の検出を試みていたことを私は知っていました。しかし、この彗星は、別のところで、偶然再発見されることになります。それから4日が過ぎようとしていた9月11日午後、ドイツのマイク(メイヤー)が主催するCOMET-MLにチェストノフから「NEO Confirmation Page(NEOCP)に出ている天体9R1E5E6は、P/2003 A1と同定できる。連結軌道は次のとおりだ。中央局には報告した」という書き込みがありました。この天体は、2009年9月10日にカテリナ・スカイサーベイで発見された17等級の小惑星状天体で、同11日までに、バートホイッスル(英国)、ギドーとソステロ(イタリア)、ハグ(米国)らの観測者から、初期の追跡観測が報告されていました。何と……、ソステロも知らないうちにこの天体の確認観測を報告しています。私は、夜半前にオフィスに出向いたとき、このメイルに気づきました。そして、これをチェックすると、まず、9月10日と11日の観測は、NK 1317にある予報軌道から赤経方向に+15゚.4、赤緯方向に+8゚.0のずれがありました。これは、近日点通過にしてΔT=-61日の補正値となります。私がソステロに示した近日点通過の誤差の5倍以上もありますが、これは、2003年の軌道が不確かであったために、木星への接近でそれが加重して、大きく響いたのでしょう。

そして、1783年以後の観測を連結することにしました。まず、2003年時に仮定した彗星が1783年の出現以来、2003年までに33回公転していることは事実でした。したがって、2009年までに34公転したことになります。次に2006年9月10日には、彗星は木星に0.0564AUまで接近していました。まず、2003年と2009年の連結軌道を計算しました。この軌道は、1783年の観測位置を赤経方向におよそ0゚.7、赤緯方向に1゚.2で表現します。つまり、このピゴット彗星との同定は正しかったことになります。さらに、1783年から2009年まで3回の出現を結んだ連結軌道を計算しました。軌道は、非重力効果を加えなくても計算できます。そして、チェストノフが計算していたように今回の回帰時の近日点通過は2009年5月11日となります。この結果を9月12日04時11分に中央局、マイク、ソステロに送りました。同時にOAA/CSのEMESにも『チェストノフによって、NEOCPにある天体9R1E5E6とP/2003 A1との同定が連結軌道とともに指摘されていますが、この同定は、正しいものです。さらに、2003年と2009年の連結軌道は、1783年に観測されて、見失われた周期彗星P/Pigottの観測位置を赤経方向におよそ0゚.7、赤緯方向に1゚.2で表現し、この彗星との同定も可能になりました。次の連結軌道は、1783年から2009年までの3回の出現を結んだものです。なお、彗星は、1783年の出現から2009年までに34回公転していました。彗星は、2006年9月10日に木星まで0.0564AUまで接近しました』というコメントをつけて入れました。

すると、マイクから05時05分に「2003年にゲリー(クロンク)は、古文書から拾い集めたD/1783 W1の47個の観測を私に送ってきていた。なお、当時の時刻はUTに、視位置は2000年分点に変更されている」というメイルとともにその47個の観測が届きます。そこで、すぐ、連結軌道の再計算を行いました。1783年の観測の精度が上がったために、それらの観測群のばらつきが目立つようになりました。そこで、この連結軌道は、重力のみと非重力効果を加えたものを計算しました。その最中、05時56分にMPEC R40(2009)が届きます。そこには、2003年と2009年の連結軌道が掲載されていました。そして、2009年の発見は再発見として、彗星名はPigott-LINEAR-Kowalskiとなっていました。マイクの送ってきた観測群からの連結軌道の計算が終了しました。そして、06時06分にこの連結軌道(重力のみ)をマイクに送りました。そこには『観測を送ってくれてありがとう。1783年の観測の状況は大きく変わらない。もし、非重力効果を考慮して改良すると、そのパラメータとしてA1=-1.39、A2=-0.0320を得る。ただし、1783年の観測の状況はそんなに変わらなかった』というメイルを送りました。なお、この軌道(重力のみ)は、9月12日発行のNK 1826に掲載されています。また、軌道は、1783年の観測を概略1゚.4以内に表現していました。この連結軌道の1783年の近日点通過は1783年11月19.59日で、最初に掲げたピーターズのそれ(11月20.43日)とは少し違いますが、あとになって、1783年の観測のみから再計算された近日点通過(11月19.60日)とはよく調和していました。

9月12日夜、オフィスに出向いてくると、マイクから14時15分に「1995年に行われたUSNO(AAOR)サーベイのプレート上にこの彗星の姿を見つけた。露光時間80分の間に、彗星は長く伸びた86"の痕跡として、輝星の上を通過している」というメイルと、15時21分に「その開始と終端の位置の測定値、氏が計算した連結軌道からの残差」が届いていました。これで、彗星の出現回数が4回となりました。しかし、出現回数が増えると、軌道計算では、連結軌道に残る微々たる誤差がだませなくなってきます。また、彗星の状態が変わったことも影響してきます。そのため、1783年の観測がうまく連結できなくなりました。そこで1995年から2009年までの3回の出現を非重力効果(A1=2.03、A2=+0.0579)を考慮して結びました。その日の朝になって、お礼かたがた、マイクにこの連結軌道を送っておきました。また、同時にEMESにも入れて、氏が1995年の観測を見つけたことを伝えました。この連結軌道は、9月13日発行のNK 1827に掲載されています。なお、1995年の近日点通過は同年12月25日でした。9月14日になって、ソステロから「その後の情報を送ってくれてありがとう。これは、予期されぬ検出であったが、非常にエキサイティングなできごとであった」というメイルが届いていました。

超新星2009ig in NGC 1015

2009年9月20/21日の夜は、この秋、一番の冷え込みになるという気象予報が出ていました。その9月21日の深夜、02時58分に神戸の松浦義照氏から「初めまして……、23-cm f/10.0シュミット・カセグレン望遠鏡+CCDで、2009年9月21日00時30分に、くじら座にあるNGC 1015を撮影した画像上に超新星状天体(PSN)を発見しました。出現光度は12等級です。位置は、概略のもので、過去画像の比較はThe Skyについている銀河画像と行いました」という明るい超新星の発見報告が届きます。添付されている発見画像を見ました。もう少し明るければ、銀河の明るさと同じくらい明るい超新星です。くじら座は、この時刻に南中しています。そこで、まず、この確認を山形の板垣公一氏と上尾の門田健一氏に依頼するために発見報告を転送しました。それは、報告の5分後、03時03分のことです。松浦氏には、電話を入れて『もう少し情報が欲しいこと。過去画像があれば送って欲しいこと』を伝えました。

そして、松浦氏の画像から超新星の出現位置と光度の測定を始めました。超新星の出現位置は、赤経:02h38m11s.61、赤緯:-01゚18'44".8となります。光度は14.0等と測光できました。そのとき初めて、すでに発見されている超新星をチェックしました。すると、この超新星は、8月20日にKAIT超新星サーベイで発見されていたSN 2009igであることが判明しました。出現光度は17.5等でした。『あれ〜、もったいない。こんな明るい超新星を……』と思いながら、松浦氏には03時54分に『報告しようと思って、出現位置の測定後、最後に超新星の発見をチェックしました。発見報告をいただいた星は、8月20日発見の超新星2009igでした。最初に調べなかったことをお詫びします。なお、測光値は14.0等でした。発見光度が17.5等でしたので、だいぶ増光しましたね』ということを連絡しました。すると04時01分に松浦氏から2008年12月に撮影した過去画像が届きます。氏は、まだ、私のメイルを見ていないようです。門田氏からは04時02分に「こちらは、とりあえず望遠鏡を向けてみようと思ったのですが、曇天で、しばらく待っても晴れ間は訪れませんでした。既知の超新星であるかどうかは気がつきませんでした。先にリストを調べればよかったですね」という連絡があります。

とにかく、超新星が明るく増光していることをダン(グリーン)に04時08分に伝えました。すると、04時29分、Webサイトを調べた門田氏から「最近の観測が以下に掲載されています。9月17日には13〜15等級で報告されていますので、増光は間違いありませんね。なお、こちらのチェックでは、発見者の超新星像は、他の恒星像と同様に(おそらく)風による揺らぎで、同じ形に写りが悪化していましたので、実在すると思っていました。もちろん、DSSとの比較と小惑星チェックには引っかからないことを確認済みでした。なお、確認用のフレームとしては、圧縮された8ビットのJPEG形式ではなくFITS形式で送っていただいた方がいいですね」という報告が届きます。そして、05時23分、加古川の菅野松男氏から「おはようございます。早朝でお疲れのところ、神戸市の松浦義照氏からの依頼(NGC 1015の超新星らしき天体の発見)を処理いただきありがとうございました。最初、小生に確認依頼があり、松浦氏の写真を拝見して、以前の写真やDSSの写真だけから超新星と思いこんでしまいました。貴殿の的確な処理に敬服しました」というメイルが送られてきました。『な〜んだ。二人は知り合いだったのか……』と思いながら氏のメイルを読みました。

その夜(9月21/22日)、オフィスに出向いてくると、ダンに送付した松浦氏の観測が10時12分到着のCBET 1946で紹介されていました。また、そのCBET 1946を見た香取市の野口敏秀氏から11時09分に「今年3月のSN 2009atの際には、たいへんお世話になりました。CBET 1946にて報じられていたSN 2009igですが、私も、昨夜に増光を確認しておりましたので報告いたします。光度は13.9等でした。何か役に立てば幸いです」という報告とともにその画像が送られてきていました。さらに11時23分には、松浦氏から「昨夜は、深夜にもかかわらず、ご親切な対応をいただき、感謝申しあげています。星を見つけて、数時間、わくわくするうれしい夢を見させていただきました。次は正夢であってほしいと思います。それにしましても、まったく勉強が足りないことを痛感いたしました。恥ずかしく思います。懲りずによろしくご指導くださいませ。ありがとうございました」というメイルが届いていました。その夜が明けた05時58分になって、松浦氏には、氏の観測が公表されたCBET 1946を送っておきました。また、がんばってください。

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