095(2012年11〜12月)
273P/ポン・ガンバート周期彗星(1827 M1=2012 V4)
【前号からの続き】1995年のデビコ彗星事件から約20年が過ぎようとしていた2012年11月になって、米国のワトソンは、同月にSWAN/SOHO衛星によって撮影された画像上を明るい天体が移動しているのを見つけます。氏は、11月7日から19日までの観測からその初期軌道を計算し、この天体の確認を各地に依頼しました。11月29日になってオーストラリアのラブジョイは、月明かりの妨害がある中、20cm反射望遠鏡で低空の木立の隙間から予報位置を撮影した画像上にこの天体を確認します。このとき天体には、よく集光した2'のコマがあり、その光度は10等級でした。氏は翌11月30日にもこの天体を確認しました。サイディング・スプリングのマックノートも、11月30日に50cmウプサラ・シュミットでこの天体を観測しました。氏はこのとき、天体には強く集光した1'のコマと東に6'の尾があることを認め、天体は彗星であることが判明しました。その光度は10.9等でした。米国のヘールは、12月1日に眼視でこの彗星をとらえ、集光した2'.2のコマとその光度を9.4等と観測しました。同日、平塚の杉山行浩氏もこの彗星をとらえ、集光した30"のコマがあり、光度は12.1等であることを報告しました。米国のベルが12月2日に30cm望遠鏡で行った観測では、彗星には集光した40"のコマが見られました。同日に東京の佐藤英貴氏がメイヒル近郊にある51cm望遠鏡で行った観測では、彗星には強く集光した105"のコマがあり、その光度は10.6等でした。
このように天体の存在が確認されようとしていた12月1日15時47分、ドイツのマイク(メイヤー)から、同氏の10月の「バンホウテン彗星の再発見」に続く、またまた驚くべきメイルが届きます。そこには「未確認天体の確認のページ(NEOCP)にある天体SWAN12Bは、見失われたポン・ガンバート彗星の出現だ。確認観測から決定された軌道は、この彗星と酷似している」として、2012年11月29日から12月1日までに行われた21個の観測から氏が決定した軌道がつけられていました。『えぇ…、何と……』と思いながら自宅で氏のメイルを見ました。『そんな馬鹿な。それじゃ、我々の予報はどうなる……』と思いながら、17時09分に神戸の長谷川一郎氏に『大先生。ちまたには次のような再発見がメイヤーから伝えられています。予定より9年も早いです』というメイルを送りました。また、マイクには『またまた大発見。返す言葉もない。今夜にでも1827年の観測とのリンクを試みてみるよ』というお祝いを送っておきました。17時18分のことです。17時26分には、大先生から「この彗星の発見は良かったと思います。周期は64年ぐらいでしょうか」というメイルがあります。『我々の同定が否定されたというのに、デビコのときと同じように何と無関心なメイルか』と思って、それをながめました。
夜になって、2回の出現を連結できそうな軌道を探しました。そこで問題となる彗星の周期ですが、仮に彗星が1827年から2012年までの185年の間に4公転しておれば、その周期は約46年、3公転ならば61年、2公転ならば92年、1公転ならば185年となります。しかし先月号にも紹介したとおり、1827年の出現軌道の周期は57.46年±5.6年くらいと計算されています。そこで、彗星がこの間3公転したものとして、連結できそうな軌道を探します。深夜になって、1827年と2012年の観測を結びました。特に問題なく連結できますが、1827年の観測の残差は0゚.5ほどあります。また、系統だった偏りも見られます。前回この彗星が観測された1827年6月21日から7月21日までの間に、彗星はカシオペヤ座から天の北極を越え、おおぐま座を通過し、りょうけん座まで空を大きく移動しました。1800年代初期であったために、報告された観測は元々その精度は低く、位置の誤差は±30"くらいありました。しかし、それを考慮しても、連結軌道の残差はもう少し小さくなってもよいかもしれません。
とりあえず、この結果を12月2日08時50分にマイクに連絡しました。そこには『新彗星が公表されるのを待ったが、まだなので結果を送る。彗星が3公転して発見されたと仮定して計算した。過去の残差が大きいが、連結はまずまず行えている。なお、彗星の過去の回帰は……となるが、この場合、我々の同定はすべて否定される』と書き添えておきました。そして、ゲリー(クロンク)から請求のあったマイクの「バンホウテン彗星の再発見」に関連した資料(BNK 165、BNK 166)とマースデンとの手紙を09時09分に送付しました。ダン(グリーン)は正午頃に到着のCBET 3320でこの彗星を公表し、彗星はポン・ガンバート彗星と同定できることを伝えました。その日(12月2日)の夕刻、15時35分になってマイクから「連結の試みありがとう。1827年の残差が大きく、残差に偏りが見られるのは、非重力効果の影響か……。あるいは、彗星の周期が短く、この間4公転以上しているのか。1827年の彗星の観測を送ってくれないか」というメイルが届きます。
もちろん、マイクには彗星の観測を送ってやらねばなりません。ところが、この日(12月3日)の朝から嘔吐と下痢に襲われ、倒れてしまいました。知り合いの医者に聞くと「最近流行しているノロウイルス感染症と考えられます。お茶、お水、ポカリスエットなどを少しずつ、嘔吐しながら飲んでください。安静にしてください。急性疾患ですから夕方にはきっと楽になります。食べないでください。良くなったら、おかゆからはじめてください」というメイルが返ってきました。口から物を吐くという経験は、乗りもの酔いくらいしかなかったことです。そのため、死ぬ思いでした。結局、12月5日までの3日間何も食べることができず、自宅でひっくりかえっていましたが、12月6日ごろからようやく何かを食べたいと思うようになりました。歳をとってからはこのような経験はしたくありませんが、人間はこうやって死んでいくものなのですね……。お陰で仕事が溜まってしまい大変でした。仲間からは多くのお見舞いが届きました。ここにはふだん登場しない方からのお見舞いを紹介しましょう。雄踏(静岡県)の和久田俊一氏からは「いつも情報を提供していただきありがとうございます。このたびは大変でしたね。ノロウイルスは全国的な流行だそうで、その猛威は報道では聞いていましたが……。お察しいたします。代われる人のいないお仕事でさぞ大変と思いますが、どうか無理をされないよう回復第一でお過ごしください。この冬は例年になく厳しいようです。元気になられた後も悪い風邪など召しませんようご用心を……」。船橋(千葉県)の張替憲氏からは「本日、12月8日付の配信を拝見し、ノロウイルスの病状をうかがいしました。心からお見舞い申し上げます。体調がいちばん悪い頃に私の11月分の観測報告をお送りしてしまったようで恐縮しています。中野さんには30年来お会いしていませんが、その頃から細身でいらっしゃるのは存じており、病状を読み心配になりました。お忙しいと思いますが、寒く乾燥した日がまだ何日か続くようですので、どうぞご静養とご自愛をお願い申し上げます」。そして、八尾(大阪府)の奥田正孝氏からは「いつも一方的にお世話になり、何かの折にも返信のお返しをすることすらできずに、言葉だけで申し訳なく思っておりますが、何卒お体を大切に。世界の天文界になくてはならない人ですから、一時静養されて、身心ともに豊かに復活されて、思う存分にがんばってください。クラシック(ジャズ)とコーヒーは落ち着きます」などのお見舞いをいただきました。仲間とはありがたいものです。ありがとうございました。
そしてマイクに彗星の観測を送ったのは、まだふらふらしていましたが、体調が少し回復した12月5日08時20分のことでした。その3日の間に新彗星の観測が集まり、計算される彗星の周期は200年前後となりました。そのため彗星の周期は、当初考えられていた60年前後ではなく、190年ほどであることが推測されていました。つまり、1827年から今回までの約185年の間に3回の公転をしていたのではなく、1827年の発見以後、初めての回帰であったことになります。
小惑星センターは、12月5日12時52分到着のMPEC X14(2012)でこの軌道を公表しました。マイクも、すでにこのことには気づいており、観測を送付した6時間後の14時17分に「Syuichi。観測をありがとう。その間、私は彗星の周期が188年でないかという考えを持っていた。これまで観測がなくて調べることができなかった。しかし今、それをチェックすることができた。この彗星は1827年以後、帰ってきたことがなく、今回は発見後初めての回帰だ。つまり彗星の周期は188年だ。1827年の残差の偏りの傾向も消えている」というメイルとともに氏の軌道が送られてきます。『やっぱり、そうか』と思いながらその結果をながめました。
私も、体調がようやく回復した12月8日にこの彗星の連結軌道を計算し、OAA/CSのEMESでこのことを伝えました。そこには『この彗星については、長谷川・中野(PASJ 47、699-710 (1995))には「彗星は2022年1月31日に回帰する」という予報が公表されていました。この予報は、C/1110 K1とD/1827 M1の観測を結んだもので、それより過去の複数回の出現(455年、587年、1239年)が確認されていました。つまり、彗星の出現を過去の5回の回帰に確認したつもりでした。しかし想定した彗星の周期は65年でなく、正しくは188年で、私たちの予報より9年早く回帰しました。また、この回帰は、私たちが指摘した過去の同定(PASJの表4)すべてを否定しました。なお彗星は、1月中旬以後、明け方の空に観測できます』というコメントをつけました。
274P/トンボー・テナグラ周期彗星(1931 AN=2003 WZ141=2012 WX32)
ポン・ガンバート彗星回帰騒ぎの最中、そして、体調がまだ十分回復していなかった12月5日06時58分到着のCBET 3329で、テナグラ新彗星(2012 WX32)が公表されます。これは、その彗星符号が示すように、小惑星として発見された天体が彗星であると判明したものです。彗星は、2012年11月27日と28日にシュワルツとホルボルセムが米国アリゾナにある41cm望遠鏡を使用して、ふたご座を撮影した捜索画像上に発見した18等級の小惑星状天体でした。ホルボルセムは、月明かりがある12月3日にこの小惑星を撮影した画像では、天体は拡散状で西に伸びた9"のコマがあることに気づきます。翌12月4日にウィリアムズらが行ったメイヒル近郊にある50cm望遠鏡による観測でも、天体には10"のコマと西に短い尾があることが観測されます。同日、メイヒル近郊の51cm望遠鏡でこの天体を観測した佐藤氏も、天体は18.3等で10"のコマがあることを確認。さらに同日レモン山の1.5m望遠鏡で観測したコワルスキからも、天体には西にまっすぐ伸びた約30"の尾が観測され、彗星であることが判明したのです。
体調がほとんど回復した12月9日は、朝に降っていた小雨が初雪になりました。ずいぶん早い初雪でした。それからの数日間は、この冬一番の寒波が訪れ、外気温が2℃まで下がる寒い夜が続いていました。そんな寒さの中、12月12/13日夜になって、この彗星の初期軌道を計算しました。日本では、12月8日夜に守山(滋賀県)の井狩康一氏がこの彗星を観測していました。そして、過去の小惑星の中に観測されていなかったかとその同定を探すと、1回帰前の2003年11月21日と23日にLINEARサーベイで発見されていた小惑星2003 WZ141と同じ天体であること、さらに同年12月18日に観測されたキットピークの1夜の観測(DCHb0P)もこの彗星の観測であったことを見つけます。初期軌道からの2003年の観測の残差は約0゚.5で、近日点通過時刻への補正値はΔT=-1.05日でした。なお、2003年11月の彗星の光度は19等級、12月観測のそれは17等〜18等級で、この時期、彗星はその近日点(2004年3月9日)に向けて増光していたことになります。
この連結軌道からさらに同定を探ると、同定リストの最初に残差が0゚になっている1931年に発見された小惑星1931 ANを見つけます。『何だ。これは……』と、まだ事態を把握できていません。1931 ANの観測を探しましたが、それも見つかりません。『おかしいな。同定のファイルに入っている。しかも観測が12個あることを表示しているのに……』と再度、小惑星の観測ファイルを探しましたが、まだ、見つかりません。『どういうこっちゃ……』と考えました。そして、1990年代にダンが「新しい改良観測がある」としてローエル天文台の彗星の観測を送ってきたことを思い出します。『あぁ…そうか。ローエルの彗星か』と思い出し、見失われた彗星を収めてあるファイルを見ると、この彗星1931 ANの観測がありました。そして、1931年にローエル天文台のトンボーが30cm望遠鏡で1月11日、12日と13日に撮影したプレート上に発見された新彗星であることを思い出しました。位置を改良したレビーらの調査では、彗星は12.5等級、強い集光を持つ拡散状で、西に少なくとも2'まで伸びた尾があることが報告されていました。
『やった。久しぶりの大収穫だ』とさっそく連結軌道を計算しました。彗星は1931年1月15日に近日点を通っていました。なお、1960年に木星のそば1.17 AUを通過しただけで、大きな惑星には大きく接近していませんでした。この同定は、12月13日11時30分にダンに送付し、同時にEMESに入れて仲間に知らせました。その夜になって、このEMESを見たのか、さっそく八束(島根県)の安部裕史氏が観測してくれました。そしてダンは、14日05時26分到着のCBET 3342でこの同定を公表しました。その間、マイクとゴンザレスからお祝いのメイルが届いていました。
そして、東京の大塚勝仁氏から13日12時45分に「いつも情報をありがとうございます。確か1931 ANってトンボーが見つけた“彗星”ではありませんでしたっけ……。それにしても、すべての回帰が小惑星仮符号っていうのも面白い……」というメイル。山形の板垣公一氏からも05時08分に「おはようございます。さすがすごいですね。おめでとうございます」というお祝いが届きました。ゴンザレスには、12月15日08時00分に『私は遠い昔、1931 ANの軌道長半径を変化させ、小惑星の観測の中から同定できる天体を何回も探したことを覚えている。しかしたった今、そのときには、小惑星の観測の中にこの彗星は存在しなかったことを知ったよ』というメイルを返しておきました。
その日の明け方、12月15日未明(00時13分)に45年の長いつき合いであった清水の浦田武氏が静岡市内の病院で亡くなったことを知りました。氏からは、軌道計算、同定のやり方、位置観測の方法など多くのことを教わりました。ご冥福を祈ります。なお、浦田氏の追悼記事が天文ガイド2013年2月号、スペースガード協会機関紙アステロイド第22巻第1号にあります。