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天文雑誌『星ナビ』連載中「新天体発見情報」

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130(2015年12月〜2016年1月)

2016年6月3日発売「星ナビ」2016年7月号に掲載

332P/池谷・村上周期彗星の検出

12月26日(2015年)には、京都で日本天文学会の「天体発見賞選考委員会」が開催されます。私はすでにこの委員会の委員ではありませんが、毎年オブザーバー参加しています。都合の良いことに、京都の御池通りには親父が残したマンションの一つがあります。その様子を見ておくためとマンション管理費が引き落とされている口座の記帳と入金のために、毎年数回は京都へ出向くことにしているのです。

走行ルートは、淡路縦貫道から山陽道に入り、中国道を経由して名神高速道の京都南インターで下車します。ところで高速を走るときは、7年前に購入したフェアレディZを使います。実は、今から7年前というと、ハイブリッドカーを持っていなかった日産車が全く売れなくなっていたときです。そのとき日産のディーラーに勤めている息子から「親父、新車を買ってくれ」と泣きつかれました。といっても日産車は私の嫌いな「どんぐりむっくり」のかまぼこ型の車ばかりで、欲しい車はありません。やむなく、少しは車らしいZを購入しました。しかしこの車、排気量が当時としては、3700ccと大きいためか、市街地では1リットルあたり7kmほどしか走りません。いつも常用している2台の車、サニー(1500cc、1リットルあたり12km)、半年ほど前に購入したノート(同1200cc、18km)に比べ、ガソリンの垂れ流しのようなZではとても街中を走れません。しかし高速を走るときは、燃費が1リットルあたり10〜11kmほどに向上するZを使うことにしています。それとスピードを出すために……。

同日早朝02時10分に京都に向けて出発しました。京都二条城到着は03時50分でした。Zを二条城の駐車場に入れて、24時間駐車券(冬場は1200円と安い)を購入して、マンションに出向き、午前10時まで休息して会場に向かいました。会議が終了すると、河原町へと出向きました。というのは、今でも毎年クリスマスに品物を送ってくる元ローエル天文台のボーエル夫妻と他の幾人かの海外の友人に、お返しの「京菓子」を買うためです。そのあと食事をして、マンションに戻ったのは21時20分でした。しばらく休んで、12月27日01時40分にオフィスに戻ってきました。

それから一週間近くが過ぎた年明け1月2日13時09分に、東京の佐藤英貴氏から「あけましておめでとうございます。昨年は職場が変わって、あまり観測ができませんでした。未測定もたまっていますが、今年はもう少し観測したいと思っています。ところで現在、小惑星センター(MPC)の彗星確認ページ(PCCP)にP10qxlXとMaWi031という2つの暗い彗星候補があります。ちょっと暗めのMaWi031の方が副核のようです。この彗星とP/2010 V1(Ikeya-Murakami)のモーションが似ています。Find_orbで連結軌道が計算できたのですが、残差が大きく、ΔTが+11日くらいとなってしまいます。米国での観測を行いたいのですが、悪天候でしばらく無理そうです。今後の観測を待たなければなりませんが、現時点でこの同定の可能性はあるでしょうか」というメイルが届きます。

佐藤氏が指摘した天体(P10qxlX)は、ハワイ州ハレアカラにある1.8m望遠鏡で行われているPan-STARRS1サーベイで2015年12月31日に撮影した画像上に発見された彗星状天体で、発見光度は20等級と微光の天体でした。まず、佐藤氏の指摘した同定をチェックしました。すると、NK 2490(=HICQ 2015)にある彗星の予報軌道から、氏の指摘した天体は、予報位置から赤経方向に-6.81°、赤緯方向に+3.26°ほど離れた位置を動いており、近日点通過時刻への補正値ΔT=+6.89日で、その動きが一致します。ただし、この頃の同彗星の予報光度より6等級ほども暗いものでした。

この時期には、天体の位置観測は、マウナケアにある3.6m望遠鏡とテナグラにある81cm望遠鏡によって2016年1月1日に行われた追跡観測が報告されていました。光度は、やはり19等〜20等級でした。前回2010年に行われた観測群との連結軌道を計算すると、P10qxlXの観測は問題なく連結できます。つまり、これらの観測は間違いなく池谷・村上彗星の回帰であることが判明しました。

佐藤氏が指摘したもう一つの天体(MaWi031)は、2016年1月1日にマウナケアの3.6m望遠鏡で、P10qxlXの確認時に発見されたものです。発見光度は21等級に近いものでした。この天体は、P10qxlXより赤経方向に+92″、赤緯方向に-44″の位置を池谷・村上彗星と同じモーションで動いていました。

佐藤氏のこれらの同定は、同日1月2日20時40分にMPCのギャレット(ウィリアムズ)と天文電報中央局(CBAT)のダン(グリーン)に連絡しました。そして、21時13分発行のOAA/CSのEMESで『東京の佐藤英貴氏は、小惑星センターの彗星確認ページ(PCCP)にある20等級の一天体P10qxlXが2010年に発見された池谷・村上周期彗星の回帰であることを指摘しました。この天体は、NK 2490(=HICQ 2015)にある予報軌道より、赤経方向に-6.81°、赤緯方向に+3.26°の位置を動いており、近日点通過時刻への補正値にしてΔT=+6.89日のずれがありました。光度は、この頃のHICQ 2015にある予報光度より約6等級も暗いもので、2010年発見当時には増光していたものと思われます。なお佐藤氏は、PCCPにある天体MaWi031は、この彗星の分裂核の一つと考えています』というコメントをつけて、日本の観測者に連絡しました。

すると、ギャレットから22時13分に「Satoが指摘した同定は、MPCの自動天体同定システムでも見つけられている。今、MPECの発行準備をしている」というメイルが届きます。ギャレットのいうMPEC A10(2016)は、彼からのメイルのあと約40分後の22時58分に到着しました。

日付が変わった1月3日01時25分に、ギャレットに『MPEC A10を見たよ。ところで、きみはまだP/2012 F5(Gibbs)に登録番号を与えてないが、この彗星には登録番号を与えるべきだ』とメイルを返しておきました。すると、05時11分に「2004年の観測が確かではないので、今、与えることはしない」という返信があります。そういうやり取りをしていると、ダンから池谷・村上彗星の検出を告げるCBET 4230が届きます。そこには、佐藤氏の同定のこと、天体P10qxlXがA核(主核)になったことが紹介されていました。従って、この時点で、天体MaWi031が副核(B核)であることになります。夜が明けた09時30分には、発見者のひとり、新潟の村上茂樹氏から「彗星の検出をお知らせいただきまして、ありがとうございます。本年もよろしくお願いいたします」というメイルも届いていました。実は、夜中にもうひとりの発見者である静岡の池谷薫氏にもファックスをお送りしようとしたのですが、どちらかのファックスが不調であったせいか、届きませんでした。

その日の夕方17時33分に再び、P/2012 F5についてギャレットに『でも、たとえ2004年の観測が存在しなくとも、この彗星は2010年と2015年の2回の回帰を記録しているよ』というメイルを送りました。21時33分に「それはわかっている。もし、この回帰でもう一度観測されれば、登録番号を与える十分な環境が整うだろう」という返信が届きます。

その間の18時43分には佐治の織部隆明氏から、1.03m望遠鏡で1月3日00時22分過ぎに行われたA核とB核の観測が届きます。氏の観測光度は、それぞれ19.6等と19.2等で、わずかにB核が明るいようでした。19時32分には織部氏から「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨夜はよく晴れたので、検出されたばかりの池谷・村上彗星を撮影してみました。近くの天体は、まだ分裂核として公表されていないようですね。先ほどMPCへ観測報告を報告しましたが、そのコンポジット画像を添付します。Lフィルターで露光4分の画像を4枚加算平均したものです。光度はティコ星表の太陽類似星を使用して求めています」という報告とともに画像が届きます。その画像上では、A核は集光した天体、B核は尾のある拡散状の天体に写っていました。[以下、次号に続く]

なお、池谷・村上彗星の発見については、本誌2011年1月号の「ニュースウォッチ」に詳しく紹介されています。次号(8月号)の発行までに一度、目を通しておいてください。

※天体名や人物名などについては、ほぼ原文のままで掲載しています。