ルーブル美術館は、無数の美術品が星のように散りばめられた広大な宇宙だ。見たい作品やテーマを決めて計画を立てておかなければあっという間に時間がなくなるし、迷子になりやすい。王道は「モナリザ」や「ミロのビーナス」などの有名な作品を中心に巡るコースだが、パリに住む星のソムリエとしてここは一つ、天文をテーマにしてコースを開拓してみたい。
星座の起源をたどる
まずは1階のメソポタミア美術コーナーから。「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典の石碑が知名度とサイズの大きさから一際存在感を放っているが、天文ファンなら同じ部屋の窓際にある「王メリシパク2世のクドゥル」(写真1)に注目したい。クドゥルは「境界石」とも呼ばれ、今から3500年前ごろのバビロニア(現在のイラク)で土地の所有権の証とするためにさかんに作られた石碑の一種で、条文と共に当時の神々の図像が描かれているのが特徴的だ。一番上に3つの天体が刻まれているのはわかりやすい。太陽が2つあるように見えて戸惑うかもしれないが、真ん中に刻まれているのは金星(正確に言えば金星で象徴される女神イシュタル)だ。それ以外の神々のシンボルも、よく見ると私たちの知っている星座に通じる姿をしているものが多い。たとえば金星と太陽の下に描かれているエア神は半分山羊、半分魚で、明らかにやぎ座と同じ姿をしている。右下のさそりとそのすぐ上の大蛇もよくクドゥルに描かれており、それぞれさそり座とうみへび座の原型だ。このように、実際の配置とは異なるものの、当時のバビロニア人が夜空に思い浮かべていた図像の一端をうかがい知ることができる。ルーブルには他にもいくつかクドゥルが展示されているので図像を比較してみるのも面白い(写真2)。
楔形(くさびがた)文字を刻んだ粘土板はメソポタミア文明の象徴と言ってもよい存在だが、その中でも天文学や占星術に関するテキストは花形であり、理解が難しいジャンルでもある。紀元前2世紀ごろに刻まれたと考えられる[AO 6448](写真3)もその一つだが、研究会で専門家に直接解説してもらった経験がある私でも説明に困るほど情報量が多く、しかも難解な粘土板だ。穂を手にした女性が、黄道12宮の一つおとめ座を表していることは比較的わかりやすいだろう。左に見えているしっぽがうみへび座だと気づけば、その上に描かれている鳥がからす座であることも予想がつくかもしれない。下の表はおとめ宮をさらに12分割した領域のそれぞれについて、そこを太陽が通過するときの暦の要素や対応する神、様々な占いなどが記されているそうだ。全12宮分の粘土板が作られたものと思われるが、[AO 6448]の左隣にあたる、うみへび座の上半身としし座が描かれた粘土板([VAT 7847])がドイツのベルリン美術館に所蔵されている。
このほかに、図形の問題を解いていると思しき粘土板や割り算の表などを見ることができるが、展示されているのはルーブルが所有する大量の粘土板のうち、ほんの一部に過ぎない。ルーブル美術館は大英博物館などとともに、メソポタミア文明の知識の結晶である粘土板の集積センターとしての役割を果たしており、今でも重要な研究拠点となっている。ただ、その粘土板が発掘されたイラクなどの現地ではなくルーブル美術館にあり、今でもここを中心に研究せざるをえない事情に思いを馳せると、複雑な気持ちになってしまう。
こんなところにもギリシア神話
さて、星座と言えばギリシア神話だ。ここルーブル美術館では、絵画や彫刻のエリアを適当に歩いていれば、様々な星座の元ネタとなった神や人間、エピソードを描いた作品に巡り会える。たとえばペルセウスが化けクジラからアンドロメダを救う場面を描いた絵だけでも、少なくとも3点は見た記憶がある。わかりやすい作品は枚挙に暇がないし、探索中に偶然見つける面白さもあるに違いないので、ここではもう少し「さりげない」例を紹介してみたい。
筋骨たくましく、獅子の毛皮をまとって棍棒を手に持ち、ヒドラを踏みつける男の姿(写真4)。これだけを見ればヘラクレスのはずなのだが、顔はどうみてもいい歳したおじさんだ(しかもすごい「どや顔」!)。実はここに描かれているのはブルボン朝初代のフランス国王アンリ4世(1553-1610、在位1589-1610)である。彼が支援した画家の一人トゥッサン・デュブルイユが1600年ごろに描いた作品なので、王の意向を強く反映した絵であることは間違いない。国王陛下がギリシア神話のヒーローのコスプレ……と言ったら怒られそうだが、彼がヘラクレスのポーズをとっているのにはちゃんとした理由がある。アンリ4世は40年近くにわたりカトリック派とプロテスタント派が繰り広げた内乱(ユグノー戦争)を収めた名君であり、彼の足下で息絶えているヒドラは、国王にまで刃向かい猛威を振るったカトリック同盟を象徴しているのだ。
このように、実在の人物を描いた絵画でもギリシア神話の題材を借りている例は結構多い。誰もが知っているお話と重ねることによって巧みにメッセージを伝えることができるし、良いところは強調し悪いところは誤魔化す効果もあったようだ。そんな神話的描写の最たるものが、アンリ4世の王妃マリー・ド・メディシス(1575-1642)がフランドル(現在のベルギー西部を中心としオランダ南西部などを含む地域)の画家ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)に描かせた24組の絵画「マリー・ド・メディシスの生涯」である。夫に先立たれ(彼女が暗殺に関わったという噂もあった)、摂政としてドロドロの政治劇に関わった挙げ句息子のルイ13世と仲違いし追放までされるという波乱だらけの生涯なのに、ルーベンスはギリシア神話のモチーフをうまく織り込むことで大嘘をつかずに描ききっているのだ。
たとえばマリーとアンリ4世が初めて出会う場面(写真5)。現実にはメディチ家の財産を目当てにした政略結婚であり、アンリ4世にとっては2度目の結婚である上に別の愛人もいたため、両者の顔合わせが遅れに遅れたそうだが、そんなことを忘れさせるほど神々しい場面だ。先程はヘラクレスの姿だったアンリ4世は、今度は燃える雷を持ち、化身でもあるワシとともに描かれたゼウス(ローマ神話ではユピテル)(写真6)に扮している。もちろん、相手のマリーはヘラ(ローマ神話のユノー)と重ね合わされている。王の結婚は神の結婚にも匹敵する、と言ったところか。神話のゼウスも愛人だらけで、いつもヘラに嫉妬されていたような気がするが、そこに突っ込みを入れるのはやめておこう。