パリはミュゼの街だ。いたるところにミュゼ、すなわちミュージアムがあり、多くの市民や観光客で賑わっている。有名なのはルーブルやオルセーのように日本語では「美術館」と呼ばれる場所だが、ミュゼには博物館も含まれる。そして今回紹介するパリ工芸博物館(ミュゼ・デ・ザール・ゼ・メティエ Museé des Arts et Métiers)のように天文と深く関わっているミュゼも多い。
技術にして芸術
フランス語のartは「技術」、métierは「職人、職務」を意味し、二つを合わせれば「技術や工芸」というニュアンスになる。そんなわけでパリのMusé des Arts et Métiers、工芸博物館の展示物は機械や工業製品などが中心だ。とても無機質で地味な場所かと思いきや、中に入ってみると一つ一つの展示品が芸術品のように輝いていて見とれてしまう。「技術」としてのartだけでなく「芸術」としてのartにもなっている。展示の工夫、建物の雰囲気、そして何よりそれぞれの目的のために技術の粋を集め工夫を凝らされた製品本来の美しさのおかげであろう。日本語では「博物館」と呼ばれる施設ではあるのだが、ここには美術館の魅力もある。やはり和訳せずに「ミュゼ」と呼びたい。
このミュゼの顔というべき展示が、フーコーの振り子だ。減衰しにくい、長い振り子を振らせ続けると、時間の経過と共に振動の向きが少しずつ変化して、地球の自転が可視化される(※注1)。このことに気づいた物理学者レオン・フーコーが1851年にパリで初めて実験を行った。さらに当時の権力者ナポレオン3世の協力を得て、巨大な吹き抜けドームを持つ霊廟パンテオンで長さ67mの振り子を使った公開実験を行い一躍有名になった。19世紀も半ば、既に地球が自転していることは常識だったが、それを誰の目にも見えるようにしたのはフーコーが初めてだ。何より、この実験装置には芸術作品のような美しさがあり、優れた絵画や彫刻がそうであるように「この作品の背景には何があるんだろう」と思わせる魅力がある。
フーコーの振り子は今や世界中の博物館で展示されていて、日本でも国立科学博物館など様々な場所で見ることができる。しかしこのミュゼで振動しているのは、パンテオンでパリ市民に初めて地球の自転を「見せた」28kgの鉛球そのものだ。公開実験に先立ちフーコーが自宅で揺らした19kgの鉄球もある。どちらにしても正真正銘「フーコーの」振り子だ。
秤、測り、計り鏡
「知らざるという無知、そして知るための手段を持たざるという貧しさを啓蒙しなければならない」
ミュゼの母体であるフランス国立工芸院(Conservatoire national des arts et métiers、略称CNAM)が1794年に設立されたときの報告書にこんな言葉がある。当時はフランス革命期の真っ直中。展示物にも当時の思想が色濃く反映されている。
フランス革命期に旧体制下で使われていた度量衡は廃止され、メートル法に移行した。すなわち長さの単位「メートル」を地球の大きさを元に定義し(第1回参照)このメートルを元に容積や重量などの単位を決定したのである。ミュゼにも度量衡に関わる展示が多い。メートル原器など改革後の器具だけでなく、王制下やさらに古い時代の秤や重りなどもある。「長さ」「重さ」「体積」など測る(測る)対象ごとに様々な器具が並べられていて壮観だ。
まさに世界を「知るための手段」がこのミュゼには集められている。
そしてその中に、星を観測する器具のコーナーもあるのを見逃すわけにはいくまい。近代の望遠鏡だけでなく、日時計や天球儀、さらにはイスラム世界を中心に広く使われた天体観測補助装置・アストロラーブも見ることができる。ここに展示されているアストロラーブはいずれもルネサンス期のヨーロッパで作られたものだが、どことなくイスラム的な装飾の面影を残している。歴史的価値だけではなく芸術品としての美しさも兼ね備えている。
1日10時間、1時間100分
ところで、メートル法には十進法という大原則がある。1メートルの100分の1が1センチメートル、1グラムの1000倍が1キログラムというように、全ての単位は十の累乗になっているのだ。12インチで1フィート(長さの単位)、16オンスで1ポンド(重さの単位)などといった非メートル法の単位系と比べてすっきりしている。
一方、時間だけは今でも1日24時間、1日60分、1分60秒という十進法によらない単位系が使われている。実は革命政府はここにも手を付けており、1793年に1日を10時間、1時間を100分、1分を100秒と定義し直していた。同時期に採用されたフランス共和暦(※注2)ではさらに、7日間の週(semaine)に代わって10日間、すなわち旬とでも呼ぶべき単位(de'cade)まで使っている。なお1ヶ月は3旬、1年は12ヶ月+年末に加えられる5日か6日の祭日で構成されていた。
ミュゼには当時の時計が展示されていて、確かに文字盤の1周が10や100に区切られている。しかし当時の人々がすんなりと新しい単位を受け入れたはずがない(メートル法でさえもフランスで定着するまでには数十年を要した)。多くの時計が10時間100分と同時に、従来の24時間60分制での時刻も読み取れるように作られていた。公式に用いられる十進化時間と自分の時間感覚を合わせるのは大変だったに違いない。
10時間100分制がまともに使われた期間は1年半にも満たない。10日の旬はもう少し長続きしたが、休日(つまり週末)が減ることなどが嫌がられて、10年持たずに撤廃。共和暦そのものはナポレオンの時代、1805年に廃止が決まった。偉大なメートル法を生み出したフランス革命も、時間だけは十進法に変えることができなかったのである。
通いたくなるミュゼ
ミュゼは設立以来、各時代の最先端技術を収集してきた。
17世紀フランスの哲学者・数学者パスカルが発明した機械式計算機。残念ながら金額の計算に特化していて、天文とは関係ない。実は計算機が天文学で重要な役割を果たすようになったのは20世紀に入ってからだ。ちなみに「世界最古の天文計算機」とも呼ばれる、ギリシャのアンティキテラ島沖で発見された装置の復元品もミュゼに展示されている。
最初期の写真技法であるダゲレオタイプの機材一式。発明者であるフランスのダゲールは1839年に世界で初めて天体写真(月の撮影)に挑戦した人物でもある。
ヨーロッパの主力ロケット、アリアン5の模型と、そのエンジンであるヴァルカンの実物。現在チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星を探索中の探査機ロゼッタを打ち上げたのもアリアン5だ。
展示の充実ぶりと、その背景にあるフランスの偉大なる科学技術の歴史に圧倒された私だが、その後地元の友人から聞かされた話でさらに驚かされた。ミュゼを管轄し、同じ建物に本部を置くフランス国立工芸院(CNAM)は、今では収集と展示以上に教育に力を入れており、高等教育機関として年間10万人の学生を集めているという。その大半は社会人だ。パリ市民にとって、この場所はミュゼというより学ぶ場所というイメージが強いらしい。
CNAMは科学技術だけでなく経営学や社会学も含む幅広いカリキュラムを提供していて、キャリアアップや資格取得を目指す受講生が多い。しかし友人の話によれば、「余暇」としてここでの講座を楽しむ社会人も大勢いるそうだ。全力で仕事に取り組み残業や休日出勤も辞さない日本人にとって、仕事帰りにわざわざ仕事と関係ない大学や大学院レベルの物理学の講義を聴きに行くなど到底考えられない(上司とのお酒に付き合わないといけなくてそれどころじゃないよという人も多そうだ)が、ほどほどの労力で仕事を済ませて定時だけは死守するフランス人ならありえる。納得できる。……うらやましい。
なお、観光客としてパリを訪れる方でも、このパリ工芸博物館(ミュゼ)は足を運ぶ価値がある。天文ファンならなおさらだ。展示物の解説ラベルはフランス語と英語だが、日本語のオーディオガイドを借りることもできる。通常は午後6時閉館だが、木曜日は午後9時半まで延長される上に夜間入場料が無料、しかも結構空いているので狙い目だ。
●ミュゼ公式サイトの日本語案内ページ:見学者向け情報●
※注1:北極か南極に振り子があるのを想像するとわかりやすい。振り子の振動面は絶対的に変わらないが、下の地面が回転するため、一日で振動面が一周するように見える。一方赤道直下では振動面が地面と一緒に回るので一日中同じ方向に触れている。それ以外の場所では一日に一周未満の動きとなり、緯度が高いほど回転量が大きい。
※注2:革命暦とも呼ばれる。なお改暦の背景には十進数へのこだわり以前に、旧体制や宗教の影響を極力排除したいという思惑があったことを述べておく必要があるだろう。革命政府が廃止しようとした(が結局失敗して現在も使われている)グレゴリオ暦は、カトリック教会の教皇グレゴリウス13世が定めたカレンダーである。