【訃報】人類初の宇宙遊泳に成功、アレクセイ・レオーノフさん

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1965年に世界初の宇宙遊泳に成功した旧ソ連の宇宙飛行士、アレクセイ・レオーノフさんが死去した。享年85。

【2019年10月21日 ロスコスモス

10月11日、ロシアの宇宙開発を統括する国営企業ロスコスモスが、元宇宙飛行士のアレクセイ・アルヒポヴィチ・レオーノフ(Alexei Arkhipovich Leonov)さんが死去したことを発表した。

アレクセイ・レオーノフさん
アレクセイ・レオーノフさん(2016年4月)(提供:Federation Council of the Federal Assembly of the Russian Federation / CC BY 4.0)

レオーノフさんは1934年5月30日、旧ソビエト連邦・西シベリアのリストビャンカで生まれた。3歳のときに父親がスターリンの大粛清によって逮捕され、一家は苦しい生活を強いられた。レオーノフさんには絵の才能があり、少年時代には住宅のペチカに装飾を描く仕事などをして家計を支えた。

1953年に義務教育を修了すると、リガ(現ラトビア)の美術学校への進学を希望していたが、学費を支払える見込みが立たなかったために進学を断念し、ウクライナにある航空学校に入学して戦闘機パイロットの道へと進んだ。

1957年に空軍航空士官学校を卒業し、ソビエト空軍の中尉としてウクライナ・キエフのパラシュート部隊に配属され、1959年には東ドイツ駐留の偵察部隊に移った。

1960年、レオーノフさんはユーリー・ガガーリンらと共に、ソビエト空軍の第1期宇宙飛行士訓練生20人の一人に選ばれた。1961年4月12日にガガーリンがヴォストーク1号で人類初の有人宇宙飛行に成功し、1963年6月16日にヴォストーク6号でヴァレンチナ・テレシコワが世界初の女性宇宙飛行士となった後、ソ連の有人宇宙開発は2人または3人乗りの宇宙船による「ヴォスホート」計画へと移行する。

レオーノフさん
レオーノフさんはソ連初の宇宙飛行士20名の一員として「宇宙飛行士11番」("Cosmonaut No.11") と呼ばれた(提供:Roscosmos)

1965年3月18日、レオーノフさんはヴォスホート2号でヴェリャーエフ飛行士と共に地球軌道を周回し、同機のエアロックから宇宙空間に出て、世界初となる12分9秒間の船外活動(宇宙遊泳)を行った。しかし、遊泳中にレオーノフさんの宇宙服が異常に膨らんでしまうトラブルが発生し、グローブを握ることもままならない状態に陥った。レオーノフさんは宇宙服のバルブを開けて服の中の酸素を逃がし、何とか宇宙船内に戻った。

宇宙遊泳
世界初の宇宙遊泳を行うレオーノフさん(提供:The World Air Sports Federation)

エアロック
ヴォスホート2号に装備されたエアロックの模型。縮めた状態で打ち上げられ、軌道上で引き伸ばされる。中に入って宇宙船側のハッチを閉め、内部を減圧してから筒先のハッチを開けて宇宙空間に出る。地球帰還時には切り離された(提供:Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0)

ヴォスホート2号は地球帰還時にも、船内の酸素濃度が上昇して火災の危険が迫ったり、自動操縦システムが故障して手動での着陸を強いられたりするなど、いくつものトラブルに見舞われたが、翌3月19日に地球帰還を果たした。着陸地点が予定の場所から大きく外れたため、レオーノフさんたちは回収班が到着するまで、シベリアの森林地帯の中で2日あまりを過ごすこととなった。

1968年から1971年にかけて、ソユーズ宇宙船による月周回ミッションや宇宙ステーション「サリュート」への飛行ミッションでレオーノフさんが船長に選ばれたが、計画の中止や乗員の交替などでいずれも飛行は実現しなかった。

1975年、レオーノフさんはアメリカとの共同ミッション「アポロ・ソユーズテスト計画」で、ソ連側の宇宙船「ソユーズ19号」の船長としてクバソフ飛行士と共に再び宇宙に飛び立った。このミッションでソユーズ19号はアメリカのアポロ司令機械船「CSM-111」と地球軌道上でドッキングし、双方の飛行士が互いの宇宙船を表敬訪問したり旗を交換したりするなどのイベントが行われた。レオーノフさんはソユーズに紙と色鉛筆を持ち込み、軌道上で地球をスケッチしたり、アポロ宇宙船の飛行士の肖像を描いたりした。

1976年から1982年まで、レオーノフさんはソ連の宇宙飛行士を養成する「ユーリー・ガガーリン宇宙飛行士訓練センター」の副所長を務め、1992年に宇宙飛行士を引退した。2006年にはアメリカのデイヴィッド・スコット宇宙飛行士(アポロ15号船長)と共著で "Two Sides of the Moon: Our Story of the Cold War Space Race"(『アポロとソユーズ—米ソ宇宙飛行士が明かした開発レースの真実』)を出版した。

レオーノフさんは、ヴォスホート2号ミッションを成功させた1965年とアポロ・ソユーズテスト計画後の1975年の2回、ソビエト連邦のレーニン勲章を受章し、「ソビエト連邦英雄」の称号を授与された。SF作家のアーサー・C・クラークとも親交があり、クラークが1982年に発表した "2010: Odyssey Two"(『2010年宇宙の旅』)では主人公が搭乗する宇宙船に "The Cosmonaut Alexei Leonov"(アレクセイ・レオーノフ号)と名付けられている。また、月の裏側の「モスクワの海」のそばにあるクレーターが「レオーノフ」と命名されている。

(文:中野太郎)