ツングースカ事件から100年 研究続く、天体の衝撃

【2008年7月2日 SCIENCE@NASA

大気圏に突入した小天体の爆発とみられる「ツングースカ事件」から、6月30日でちょうど100年が経過した。現代の科学者が直接調査した唯一の大衝突であるだけに、「次のツングースカ事件」を気にする人々にとっては今日でも重要な研究対象だ。


(ツングースカの爆発でなぎ倒された木の写真)

ツングースカの爆発でなぎ倒された木。クリックで拡大(提供:the Leonid Kulik Expedition)

1908年6月30日の現地時刻午前7時すぎ、中央シベリアの町バナバラの交易所でベランダの椅子に座っていた男性は、北の空が「2つに割れる」のを目撃した。森の上空の半分が炎に包まれたかのように見えたそのとき、すさまじい衝撃音と地響きが聞こえてきた。そして彼は椅子から吹き飛ばされ、服が燃えているかのような熱風を感じたという。

これがいわゆる「ツングースカ事件」の中心地から60kmも離れた地点での出来事だ。今から100年前にポドカメンナヤ・ツングースカ川付近で起こった大爆発は、今でも研究者の話題となっている。

「小惑星に関わっている人と会話を始めたいなら、ひとこと言えばじゅうぶんです。ツングースカ、と」

こう語るのは、NASAのジェット研究所で地球近傍天体事務局の局長を務めるDon Yeomans氏。「現代に地球へ飛来して、直接調べられた唯一の巨大隕石なのです」

だが、その調査も始まるまでは時間がかかった。初めて調査隊がツングースカに向かったのは1921年だが、シベリアの厳しい自然環境に阻まれた。ようやく爆発の中心地に研究者が到達したのは1927年。そこにはクレーターはなく、枝や皮がはぎ取られた木が、まるで電信柱のように直立していたという。これは、枝が幹に衝撃を伝える前に折れてしまうほど高速の衝撃波が届いた証拠だ。

爆発地点を中心に、800万本の木が外側へ倒れて放射状の模様を描いていた。被害を受けた森林面積は2000平方kmあまり。人間に犠牲者が出たという報告はないものの、家畜として飼われていた数百頭のトナカイが死んでしまった。衝撃による地震波ははるか遠くのイギリスでも観測され、上空に舞い上がったちりは太陽光を反射し、アジアの各地域では真夜中でも外で新聞が読めるほどだったという。

100年たった現在でも爆発の原因についてはさまざまなシナリオが提案されているが、Yeomans氏によれば、広く受け入れられている仮説は次のようなものだ。「1908年6月30日の朝、宇宙からやってきた直径40mほどの巨大な岩がシベリアの大気圏に突入し、空中で爆発したのです」

大気圏に突入した小惑星は重さ10万tで速度は時速54,000km(秒速15km)にも達し、周囲の空気を摂氏24,700度まで加熱した。現地時刻の午前7時17分、高温と高圧により小惑星は高度8.5kmで崩壊し、巨大な火の玉となった。衝突クレーターが残らなかったのは、爆発で小惑星の大部分が消滅してしまったからだという。

Yeomans氏らの業務は、地球と軌道が交差して危険をおよぼす恐れのある彗星や小惑星を調べることだ。彼の推定によれば、ツングースカ事件と同程度の小惑星が地球の大気圏に突入する頻度は、300年に1度だという。

「科学的な見地から、私はいつもツングースカ事件について考えています。でも、次に起こるツングースカ事件が気になって眠れなくなることはないですよ」